第47話「東条の意地」
午後五時四十五分。
東商高校の裏通り。
東条雅人と片瀬翔の戦いは、すでに十分以上続いていた。
二人とも制服は乱れ、顔には殴られた痕が残っている。
「……はぁ、はぁ」
片瀬は肩で息をしながら、東条を睨んだ。
「やっぱ強えな……東尾張連合の頭は」
東条は口元を拭った。
「お前もな。川沿いで神谷と互角だっただけはある」
「褒められても嬉しくねえよ」
片瀬は笑った。
「どうせなら、勝ってから褒めてくれ」
「そうかよ」
東条も笑った。
少し離れた場所では、久我山慎吾と三枝圭介が戦いを見守っていた。
久我山は落ち着かない様子で拳を握っている。
「……東条さん、大丈夫なのか?」
三枝は東条の動きを見つめた。
「正直、厳しいと思う」
「何でだよ!」
「怪我が残ってるんだ。片瀬はそれに気づいてる」
久我山は東条の左脇腹を見た。
確かに、東条は片瀬の攻撃を防ぐたび、わずかに顔をしかめていた。
「……くそ」
久我山は歯を食いしばった。
「俺がもっと強ければ……」
三枝が横を見る。
「慎吾」
「何だよ」
「今、俺たちが勝手に入ったら、東条さんはどう思う?」
久我山は答えられなかった。
三枝は続けた。
「東条さんは、俺たちに見てろって言ったんだ」
「……分かってるよ」
久我山は拳を下ろした。
「分かってるけど、見てるだけってのもきついんだよ」
三枝は静かに頷いた。
「俺も同じだ」
片瀬が先に動いた。
右拳を振るう。
東条は腕で受け止め、すぐに反撃した。
片瀬は頭を下げてかわし、東条の左脇腹を狙う。
「……っ!」
東条は身体をひねったが、完全には避けきれなかった。
痛みが走る。
片瀬はさらに踏み込んだ。
「そこ、まだ治ってねえんだろ!」
東条の腹部に拳が入った。
東条は数歩後退した。
「東条さん!」
久我山が叫ぶ。
しかし、東条は倒れなかった。
「……よく見てんな」
片瀬が構え直す。
「勝つためなら、相手の弱いところを狙うのは当然だろ」
「ああ。間違ってねえよ」
東条は息を整えた。
「だったら、俺も遠慮しねえ」
「何?」
東条は片瀬を見据えた。
「お前、右を打つ時だけ左足が前に出すぎるんだよ」
片瀬の表情が変わった。
「……は?」
「踏み込む力は強え。でも、そのぶん戻るのが遅い」
片瀬は眉を寄せた。
「そんなもん、分かったところで……!」
再び右拳を振るう。
東条はその攻撃をかわした。
片瀬の左足が大きく前へ出る。
その瞬間、東条は相手の懐へ踏み込んだ。
「……っ!」
東条の拳が片瀬の腹部を捉えた。
片瀬は身体を折り、後ろへ下がる。
「……くそっ!」
東条は追撃しなかった。
片瀬が顔を上げる。
「何で来ねえんだよ!」
「今のお前、足が止まってただろ」
「だから何だ!」
「動けねえ相手を一方的に殴っても、面白くねえ」
片瀬は目を見開いた。
そして、悔しそうに笑った。
「……舐めやがって」
「舐めてねえよ」
東条は拳を握った。
「お前がまだ戦えるって分かってるから待ってんだ」
片瀬はゆっくりと身体を起こした。
「……だったら、後悔すんなよ」
「ああ」
二人は再び向かい合った。
数分後。
戦いはさらに激しくなっていた。
東条の左頬は腫れ、片瀬の呼吸も乱れている。
互いに何度も拳を交わしていた。
片瀬が右拳を振るう。
東条はそれをかわし、相手の肩を押して距離を取った。
「……はぁ」
片瀬は息を吐いた。
「なあ、東条」
「何だ?」
「お前、何でそこまで東側にこだわる?」
東条は少し眉を寄せた。
「……急に何だよ」
「秋山に負けたんだろ?」
「ああ」
「だったら、もう東側の頭じゃなくてもいいじゃねえか」
東条は黙った。
片瀬は続ける。
「俺だったら、負けた時点で一度全部捨てるね」
「……そうか」
「なのに、お前はまだ東商の連中を守ろうとしてる」
東条はゆっくりと口を開いた。
「俺が東尾張連合を作ったのは、強くなりたかったからだ」
片瀬は黙って聞いていた。
「誰にも舐められたくなかった。俺たちの学校を、ほかの連中に好き勝手されたくなかった」
東条は久我山たちを一度見た。
「でも、いつの間にか自分たちが同じことをしてた」
「……秋山に言われたのか?」
「いや」
東条は首を横に振った。
「あいつはそんな説教しなかった」
片瀬は意外そうな顔をした。
「じゃあ、何で気づいた?」
「負けたあと、考える時間ができたんだよ」
東条は片瀬を見つめた。
「俺についてきた奴らのこともな」
片瀬は小さく笑った。
「……随分変わったんだな」
「そうかもな」
「でも、それで強くなれるのか?」
東条は拳を握り直した。
「それは、今から確かめる」
片瀬も構えた。
「……いいぜ」
二人は同時に踏み込んだ。
片瀬の拳が東条の肩を捉える。
東条の拳も片瀬の頬に入った。
互いに身体が揺れる。
それでも、二人は下がらなかった。
片瀬がさらに右拳を振るう。
東条はその腕を払い、相手の懐へ入った。
片瀬が反応するより早く、東条の拳が腹部を捉えた。
「……ぐっ!」
片瀬は膝を折りかけた。
しかし、片手を地面について踏みとどまる。
「……まだだ!」
片瀬は立ち上がろうとした。
その時だった。
「そこまでにしろ!」
裏通りに声が響いた。
東条と片瀬が振り返る。
路地の入口に、城戸圭吾が立っていた。
その後ろには宮坂亮がいる。
「……城戸さん」
片瀬が呟いた。
城戸は二人の顔を見比べた。
「ずいぶん派手にやったな」
東条は息を整えた。
「……お前の部下が先に仕掛けてきたんだ」
「聞いてる」
城戸は頷いた。
そして片瀬を見た。
「片瀬。俺、お前に何て言った?」
片瀬は答えなかった。
「無理に勧誘するな。揉め事を起こすな。そう言ったよな?」
「……はい」
「じゃあ、何で東条と戦ってんだ?」
片瀬は悔しそうに唇を噛んだ。
「……東条が邪魔してきたからです」
「東商の連中は断ってたんだろ?」
「……はい」
城戸はため息をついた。
「だったら、お前らが引くべきだった」
片瀬は俯いた。
東条は城戸を見た。
「……お前、本当に止めに来たのか?」
「ああ」
「東側を諦めたわけじゃねえんだろ?」
「もちろん」
城戸は即答した。
「でも、俺の知らねえところで勝手に喧嘩を始められたら困る」
東条は小さく笑った。
「……相変わらず勝手な奴だな」
「お互い様だろ」
城戸も笑った。
しかし、すぐに表情を引き締めた。
「片瀬。帰るぞ」
片瀬は東条を見た。
「……まだ決着がついてません」
「見りゃ分かる」
「だったら!」
「今は帰れ」
城戸の声が低くなった。
片瀬はしばらく黙っていた。
そして、拳を下ろした。
「……分かりました」
東条も構えを解いた。
城戸は東条を見つめた。
「東条。今日の件は俺の責任だ」
「……そうか」
「ただし、東側を巡る話は終わってねえ」
東条は頷いた。
「分かってる」
城戸は少し笑った。
「次は、ちゃんと俺がお前と話す」
「その時は逃げんなよ」
「お前こそな」
二人は視線を交わした。
その時、宮坂が城戸に駆け寄った。
「城戸さん!」
「どうした?」
「水原さんのところから連絡が来ました!」
城戸の表情が変わる。
「……何があった?」
宮坂はスマートフォンの画面を見た。
「相馬との戦いが、まだ続いてるそうです!」
城戸は眉を寄せた。
「……あいつもか」
東条も顔を上げた。
「相馬がまだ戦ってんのか?」
「ああ」
城戸は東条を見た。
「行くぞ」
「……何?」
「水原と相馬のところだ」
東条は少し考えた。
そして、頷いた。
「分かった」
片瀬と東条。
二人の戦いは、決着がつかないまま終わった。
しかし、東側の争いはまだ終わっていない。
高架下では、相馬恭介と水原廉が戦い続けていた。
第47話 完




