第46話「城戸の決断」
午後五時三十五分。
北陵高校、三年生の教室。
城戸圭吾は窓際の席に座り、スマートフォンを眺めていた。
放課後の教室には、もうほとんど生徒が残っていない。
「……遅えな」
城戸は画面に表示された時刻を確認した。
水原廉と片瀬翔。
二人には今日、東側の学校を回って話を聞いてくるように伝えていた。
ただし、条件があった。
無理に仲間へ引き入れないこと。
揉め事を起こさないこと。
それが城戸の指示だった。
「……何やってんだ、あいつら」
城戸が電話をかけようとした、その時だった。
教室の扉が開いた。
「城戸さん!」
北陵会の二年生、宮坂亮が入ってきた。
城戸は顔を上げる。
「どうした?」
「水原さんと片瀬さんが、東側で喧嘩してるらしいです!」
城戸の表情が変わった。
「……誰と?」
「東尾張連合です」
「東条か?」
「はい。片瀬さんが東条雅人と、水原さんが相馬恭介と戦ってるみたいで……」
城戸はスマートフォンを机に置いた。
「詳しく話せ」
宮坂は息を整えた。
「東商高校の生徒を北陵会に誘ってたら、東条たちが来たそうです。それで揉めて……」
「待て」
城戸が遮った。
「東商の連中は、入りたいって言ってたのか?」
「いや、それは……」
「どうなんだ?」
宮坂は少し俯いた。
「断ってたみたいです」
城戸は目を閉じた。
「……あいつら」
しばらく沈黙が続いた。
宮坂が恐る恐る尋ねる。
「どうします? 応援を集めますか?」
「何のために?」
「東尾張連合を倒すためです」
城戸は宮坂を見た。
「俺はいつ、東尾張連合と全面戦争を始めろって言った?」
「……いえ」
「水原たちには話をしに行けと言った。喧嘩を売ってこいとは言ってねえ」
宮坂は黙った。
城戸は立ち上がり、制服の上着を羽織った。
「二人の場所は分かるか?」
「はい」
「案内しろ」
「俺たちも戦うんですか?」
城戸は首を横に振った。
「まず止める」
宮坂は驚いた。
「でも、ここで東尾張連合に勝てば、東側を取れるかもしれませんよ?」
城戸は足を止めた。
「……お前、本気でそう思ってんのか?」
「え?」
「東条たちを倒せば、東商の連中が喜んで俺たちについてくると思うか?」
宮坂は答えられなかった。
「嫌がってる奴を脅して、邪魔する奴を殴る。それじゃ、ただ敵を増やすだけだ」
「……すみません」
城戸は教室を出た。
「勘違いすんなよ。俺は東側を諦めたわけじゃねえ」
廊下を歩きながら続ける。
「ただ、やり方を間違えるつもりもねえんだ」
校門を出たところで、宮坂が城戸に尋ねた。
「城戸さんは、何でそんなに東側にこだわるんですか?」
城戸は少し意外そうな顔をした。
「何だ、急に」
「いや……北陵会だけでも、十分強いじゃないですか」
城戸は歩く速度を落とした。
「強いだけじゃ守れねえものがあるんだよ」
「守れないもの?」
「北陵会には、喧嘩が強い奴ばっかりいるわけじゃねえ」
城戸は前を向いた。
「弱い奴もいる。揉め事が嫌いな奴もいる。そういう奴らが、ほかの学校に舐められずに過ごせる場所を作りてえんだ」
宮坂は黙って聞いていた。
「そのためには、北側だけじゃ足りねえ」
「だから東側も?」
「ああ」
城戸は頷いた。
「ただな、最近ちょっと考えることがある」
「何ですか?」
「秋山天馬だよ」
宮坂が顔を上げた。
「東条に勝った奴ですよね?」
「そうだ」
城戸は苦笑した。
「あいつ、俺が一対一を申し込んでも断りやがった」
「城戸さんの勝負を断ったんですか?」
「ああ。戦う理由がねえってさ」
宮坂は目を丸くした。
「……変な奴ですね」
「だろ?」
城戸は笑った。
「でも、東条が負けたあとも、あいつは東側を取ろうとしなかった」
「確かに……」
「俺には、それがまだ理解できねえ」
城戸は少し考えた。
「力があるのに、勢力を広げようとしない。かといって、仲間が困ってりゃ自分から喧嘩に飛び込む」
宮坂が尋ねる。
「城戸さんは、秋山と戦いたいんですか?」
「ああ」
城戸は即答した。
「一度、本気でやり合ってみてえ」
「勝つ自信は?」
「ある」
城戸は笑った。
「でも、簡単に勝てるとは思ってねえよ」
その時、宮坂のスマートフォンが震えた。
画面を確認した宮坂の顔色が変わる。
「……城戸さん」
「何だ?」
「片瀬さんのところに、東尾張連合の久我山と三枝も来てるそうです」
「そうか」
「このままだと、人数が増えて大きな喧嘩になるかもしれません」
城戸は表情を引き締めた。
「水原たちに連絡しろ」
「何て伝えます?」
「これ以上、誰も呼ぶなってな」
宮坂はすぐにメッセージを送った。
城戸は歩き始める。
「まずは片瀬のところへ行く」
「水原さんは?」
「相馬と戦ってるんだろ?」
「はい」
「神谷もいるはずだ。あいつらのところには、あとで向かう」
宮坂は頷いた。
数分後。
東商高校へ向かう途中の歩道。
宮坂が電話を終えた。
「城戸さん、片瀬さんには連絡がつきませんでした」
「そうか」
「水原さんも出ません」
城戸は小さく息を吐いた。
「……喧嘩に夢中か」
宮坂が不安そうに尋ねる。
「間に合いますかね?」
「分からねえ」
城戸は足を速めた。
「でも、行くしかねえだろ」
「はい!」
城戸は前方の交差点を見つめた。
東条雅人。
以前、川沿いで拳を交えた男。
あの時は、勝負がつかなかった。
そして、東条の隣には秋山天馬がいた。
城戸はその光景を思い出していた。
「……東条」
小さく名前を呟く。
「お前も、まだ終わるつもりはねえんだろうな」
宮坂が振り返る。
「何か言いました?」
「いや」
城戸は首を横に振った。
「急ぐぞ」
その表情から、先ほどまでの笑みは消えていた。
東側を手に入れるために始めた行動が、仲間たちを傷つける結果になる。
それだけは避けたかった。
しかし、すでに二つの戦場では拳が交わされている。
城戸の決断が間に合うかどうかは、まだ分からなかった。
第46話 完




