第44話「東側の火種」
午後四時。
東尾張連合の拠点となっている東尾張工業高校。
三年生の東条雅人は、教室の窓から校庭を眺めていた。
その背後では、神谷亮介と相馬恭介が話していた。
「また北陵会の連中が来たらしいぞ」
神谷の言葉に、相馬が顔をしかめる。
「またかよ。今度はどこだ?」
「東商の近くだ」
「……あいつら、懲りねえな」
東条が振り返った。
「何があった?」
神谷が答える。
「北陵会の奴らが、東商の一年を何人か呼び出したらしい」
「理由は?」
「北陵会に入れってさ」
東条は黙った。
東尾張連合が秋山天馬たちに敗れてから、東側の不良たちの間では少しずつ変化が起きていた。
以前は東条の名前を出せば、ほとんどの不良が大人しくなった。
しかし今は違う。
東条に勝った男が現れたことで、東尾張連合の力を疑う者が増えていた。
そこへ北陵会が入り込もうとしていた。
「東条さん!」
教室の扉が開いた。
入ってきたのは久我山慎吾だった。
その後ろには三枝圭介もいる。
「どうした?」
「東商の奴から連絡がありました」
久我山はスマートフォンを見せた。
「北陵会の水原廉が、今日の五時に東商の連中を集めるそうです」
相馬が立ち上がった。
「水原だと?」
神谷も表情を険しくする。
「あいつ、川沿いで俺たちとやり合った奴だろ」
「そうだ」
東条が答えた。
三枝が続ける。
「東商の一年が、上級生に相談したみたいです。断ったら学校の帰り道を通れなくすると言われたそうで」
「……くだらねえ」
東条は机から離れた。
「行くぞ」
久我山が頷く。
「はい!」
しかし、東条は久我山を見た。
「お前は残れ」
「え?」
「まだ怪我が治ってねえだろ」
久我山は思わず反論した。
「でも、俺だって東尾張連合の一員です!」
「分かってる」
東条は落ち着いた声で答えた。
「だからこそ、無理すんな」
久我山は唇を噛んだ。
「……分かりました」
東条は神谷と相馬に視線を向けた。
「お前らは来い」
「もちろん」
「今度こそ北陵会の好きにはさせねえ」
三人は教室を出ていった。
午後五時。
東商高校から少し離れた高架下。
制服姿の男子生徒が四人、壁際に立っていた。
その正面には、北陵会の水原廉と数人の不良がいる。
「だからさ、難しく考えんなって」
水原は笑いながら言った。
「北陵会に入れば、ほかの学校の奴らに絡まれなくなる。悪い話じゃねえだろ?」
東商の二年生が答える。
「俺たちは別に、どこの連合にも入りたくないんです」
「何で?」
「自分たちの学校のことは、自分たちで何とかしたいんで」
水原は笑みを消した。
「……東尾張連合が守ってくれると思ってんの?」
「そういうわけじゃ……」
「東条はもう負けたんだぞ?」
水原が一歩近づく。
「今の東側で、誰が一番強いと思う?」
男子生徒は答えなかった。
「北陵会だよ」
水原が続ける。
「俺たちに逆らっても、いいことねえぞ」
その時だった。
「勝手に決めんなよ」
背後から声がした。
水原が振り返る。
高架下の入口に、東条雅人が立っていた。
その左右には神谷亮介と相馬恭介。
水原は目を細めた。
「……東条」
東条は東商の生徒たちを見た。
「お前ら、帰っていいぞ」
「でも……」
「ここは俺たちで話す」
東商の生徒たちは顔を見合わせた。
水原が口を開く。
「待てよ。まだ話は終わってねえぞ」
東条は水原を見た。
「嫌がってる奴に、何を話すことがある?」
「俺たちは仲間に誘ってるだけだ」
「断られたんだろ?」
「……あ?」
「だったら終わりだ」
水原の表情が変わった。
「お前、まだ東側の頭のつもりかよ」
東条は答えなかった。
水原は笑った。
「秋山天馬に負けたくせに、随分偉そうじゃねえか」
神谷が一歩前に出る。
「てめえ……」
しかし、東条が片手を上げた。
「神谷、いい」
「でもよ!」
「事実だ」
東条は水原を見つめた。
「俺は秋山に負けた。それは認める」
水原は鼻で笑った。
「だったら大人しくしてろよ」
「だがな」
東条の声が低くなる。
「俺が負けたことと、お前らが東側の連中を脅していいことは別だ」
水原は黙った。
東条が続ける。
「俺に用があるなら、直接来い」
「……言ってくれるじゃねえか」
水原は制服の上着を脱ぎ、近くの柵に掛けた。
「ちょうどいい。川沿いじゃ決着がつかなかったしな」
相馬が前へ出た。
「待てよ」
水原が振り向く。
「何だ?」
「お前の相手は俺だろ」
水原は口元を緩めた。
「……そうだったな」
川沿いでの抗争。
水原と相馬は激しく殴り合ったものの、最後まで勝敗が決まらなかった。
その続きを、二人とも望んでいた。
「東条さん」
相馬は振り返らずに言った。
「こいつは俺にやらせてください」
東条は少し考えた。
「……分かった」
神谷が相馬の肩を叩く。
「今度は負けんなよ」
「負けてねえよ、前も」
「勝ってもねえだろ」
「うるせえな」
二人は軽く笑った。
その様子を見て、水原は眉を寄せた。
「余裕だな、お前ら」
相馬が前を向く。
「余裕なんかねえよ」
相馬は拳を握った。
「ただ、前の借りを返したいだけだ」
水原も構えた。
「上等だ」
二人の距離が縮まった。
先に動いたのは水原だった。
素早く踏み込み、相馬の顔を狙って右拳を振るう。
相馬は上体を引いてかわし、左拳を返した。
しかし水原も身をひねって避ける。
「前より動けるじゃねえか!」
水原が笑う。
「そっちこそな!」
相馬は間合いを詰めた。
今度は相馬の拳が水原の頬を捉えた。
水原は顔を横に向けたが、すぐに踏みとどまる。
「……やるな」
水原は口元を拭った。
「でも、まだまだだ!」
次の瞬間、水原の拳が相馬の腹部に入った。
相馬は一歩下がった。
「相馬!」
神谷が声を上げる。
相馬は片手を上げた。
「大丈夫だ!」
水原がさらに距離を詰める。
相馬も逃げずに前へ出た。
互いの拳が何度も交わされる。
東条はその戦いを黙って見つめていた。
その隣で神谷が呟く。
「……水原、やっぱり強えな」
「ああ」
東条は頷いた。
「北陵会の幹部だからな」
「相馬は勝てますかね?」
「分からねえ」
東条は正直に答えた。
「だが、簡単には負けねえよ」
その時、東条のスマートフォンが震えた。
画面には三枝圭介の名前が表示されていた。
東条は通話に出る。
「どうした?」
『東条さん、まずいです』
三枝の声は切迫していた。
「何があった?」
『北陵会の片瀬翔が、別の場所に現れました』
東条の表情が険しくなる。
「どこだ?」
『東商の裏通りです。連中、二手に分かれてたみたいです』
東条は水原を見た。
水原は相馬との戦いに集中している。
「……そういうことか」
『どうします?』
東条は短く答えた。
「俺が行く」
電話を切ると、神谷が尋ねた。
「何かあったんですか?」
「片瀬が別の場所で動いてる」
「……あいつまで?」
「ああ」
東条は神谷を見た。
「お前は相馬のそばにいろ」
「東条さんは?」
「片瀬のところへ行く」
神谷は少し迷った。
「一人で大丈夫ですか?」
東条は笑った。
「誰に聞いてんだよ」
神谷も笑い返した。
「……そうっすね」
東条は高架下を出ていった。
相馬と水原の戦いは、まだ始まったばかりだった。
そして東側では、もう一つの争いが起ころうとしていた。
第44話 完




