第26話「静かな拳」
「おらぁ!」
神谷亮介の拳が椿へ迫る。
椿は左腕で受け止めた。
「っ……!」
神谷が続けて蹴りを放つ。
椿は後ろへ跳んだ。
「逃げんな!」
「逃げてないだろ」
「だったら殴り返してこい!」
神谷が一気に距離を詰める。
右拳。
椿はかわす。
左拳。
今度は受け流す。
しかし、神谷は途中で動きを変えた。
「これならどうだ!」
低い姿勢から腹へ拳を突き出す。
「ぐっ!」
椿の身体が折れた。
神谷がその肩を掴む。
「もらった!」
顔面へ拳が迫る。
椿は咄嗟に神谷の腕を掴み、横へ押し流した。
拳が頬をかすめる。
「っ……!」
そのまま神谷の腹へ膝を入れた。
「がっ!」
二人が離れる。
椿は腹を押さえた。
神谷も膝に手をつく。
「はぁ……はぁ……」
「……しぶといな、お前」
椿が呟く。
神谷は笑った。
「そりゃこっちの台詞だ!」
再び拳を構える。
椿は神谷の足元を見た。
右足。
左肩。
腰の向き。
何度も繰り返された動きが頭に残っている。
だが、神谷はすでに戦い方を変えていた。
同じ癖だけを頼りにすれば、また殴られる。
「……どうする」
椿が小さく呟く。
「何ぶつぶつ言ってんだ!」
神谷が踏み込んだ。
右拳が来る。
椿は避けようとする。
その瞬間、神谷が拳を止めた。
「引っかかったな!」
左拳が飛ぶ。
だが――
椿は動かなかった。
「なっ!?」
左拳が届く直前。
椿は半歩だけ前へ出た。
神谷の拳が肩の外側を通る。
「……読めた」
椿の右拳が神谷の腹へ突き刺さった。
「ぐっ!」
続けて左拳。
神谷の頬を捉える。
「がっ!」
神谷が後ろへよろめいた。
それでも倒れない。
「まだだ!」
神谷が大きく踏み込む。
椿はその動きを見つめた。
不思議だった。
神谷の肩が動く。
足が前へ出る。
拳が振り上がる。
その一つ一つが、普段よりはっきり見える。
椿は考えるより先に身体を動かしていた。
神谷の拳をかわす。
腕を掴む。
相手の勢いを利用して体勢を崩す。
「うおっ!?」
神谷が前のめりになった。
椿は踏み込む。
「これで――」
拳を振り抜いた。
「終わりだ!」
ドゴッ!
神谷の顎に拳が入る。
身体が横へ傾いた。
そのまま地面へ倒れる。
「ぐっ……!」
神谷は片手をついた。
立ち上がろうとする。
しかし腕に力が入らず、再び膝をついた。
「……くそ」
椿は息を切らしながら見下ろした。
「まだやる?」
神谷は顔を上げる。
しばらく睨んでいたが、やがて拳を地面へ落とした。
「……負けだ」
椿は構えを解いた。
「強かったよ」
「慰めか?」
「本気で言ってる」
神谷は悔しそうに笑った。
「次は負けねえからな」
「その時は俺も負けないよ」
椿は神谷から離れた。
その途端、腹に痛みが走る。
「いって……」
制服の上から腹を押さえた。
何発も受けた。
頬も腫れている。
それでも勝てた。
「……さっきの動き」
椿は自分の右手を見る。
神谷の拳が来る前に、身体が動いた。
相手が何をするのか、分かっていたような感覚。
「気のせいか……?」
「椿!」
天馬の声が響いた。
顔を上げる。
少し離れた場所で、天馬が二人の男と殴り合っていた。
その向こうでは夢斗と海斗も苦戦している。
そして桐生は、相馬恭介と激しく拳を交えていた。
椿は拳を握り直す。
「……まだ終わってないな」
一歩踏み出そうとした時だった。
「おい、竜胆!」
背後から神谷が呼び止める。
椿が振り返る。
「何?」
神谷は地面に座ったまま言った。
「相馬には気をつけろ」
椿の視線が桐生へ向く。
「……あいつか」
「ああ。俺よりずっと強え」
その瞬間。
ドゴッ!
相馬の拳が桐生の顔面を捉えた。
桐生が大きく後退する。
「桐生先輩!」
天馬が叫んだ。
相馬は拳を鳴らしながら笑う。
「どうした、桐生!」
桐生は口元の血を拭った。
そして、ゆっくり顔を上げる。
「……いい拳じゃねえか」
その目は、まだ戦う気で満ちていた。
第26話 完




