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8話 歯車が狂っている

 「ごめんなさい、泣いちゃって」


 涙を拭いながらユウカは申し訳なさそうに眉を下げた。


 「いいのよ。なんでも話してって言ったじゃない」


 ヴァルブルガはユウカに微笑みかけた。涙が止まったユウカはヴァルブルガの笑顔につられたかのようにわずかに口角を上げた。


 「戦場に私以外に女の人がいるんですね。すごいです。本当は私が従軍聖職者として、みなさんのお話を聞かなきゃいけないのに。きっとアルベルトも私をその役割として連れて来たんだと思うんです。それなのに私、泣いてしまって…」


 ヴァルブルガは患者たちと同じようにユウカの手を握った。彼女の手から温もりがだんだんと消えていかないことに安堵した。


 「あなたにしかできないことがあるわ」


 ユウカはこの世界のヒロインなのだ。聖女であり、皆から愛されることをヴァルブルガだけが知っている。だからこそ、心配しなくていいと励ませた。


 「ありがとう、リリエンタールさん」


 「ヴァルブルガよ。ヴァルって呼んで」


 愛称で呼んでもらうのはちょっと図々しかっただろうか。しかし、これは親友兼侍女ポジションになれるのではという期待が胸の中を占めていた。いや、侍女ではなく看護婦かもしれない。


 「ヴァル、私…ユウカよ。ヴァルはすごいなぁ。私と歳が変わらなそうなのに、立派に看護師をしてる」


 ヴァルと愛称を呼ばれてヴァルブルガは天にも昇る気持ちだった。こんなファンサもらっていいんですか。うちわに「ヴァルって呼んで!」と書いて振りたいくらいだ。可愛い声で呼ばれたら、「ヴァルブルガ」という濁点だらけのいかにも強そうな名前が可愛く思えてくる。


 ヴァルブルガの前の姓はアルベルトのロズベルグであり、これもまた濁点が多かった。音の響き的に悪役っぽいと名付けられたのかもしれない。


 「私は十八よ」


 ヴァルブルガがそう答える。前世と合算したら中年になってしまうが、それは言わなくてもいいだろう。ユウカは「私は十七、ヴァルの方がお姉さんだ」と嬉しそうに笑顔を見せてくれた。


 これはもしや、ヒロインの姉的ポジションを狙えるのでは。いや、畏れ多いというかおこがましい。ただのモブでいいのに。でも、少しのわがままを許されるのであればヒロインを支えるモブでありたい。

 

 少し仲良くなれただろうか。それなら物語の進行具合を聞き出しておきたい。


 「ユウカも頑張っているじゃない。噂で聞いたけど、神々の国からやって来てこの国のために頑張ってくれている」


 「私がいたところは神々の国じゃないわ。異世界…日本よ。それに、戻れるかわからないからここで頑張っていくしかないの」


 ユウカはどこか寂しそうに呟いた。ユウカの感じる寂しさをヴァルブルガは完全には理解できないと思っているのかもしれない。ヴァルブルガは実は私も前世は日本人なの、と打ち明けたかった。でもきっとユウカがいた日本とヴァルブルガがいた日本は違うのだろう。


 ヴァルブルガとユウカは互いの感じるものを真に理解できないのかもしれない。転移と転生と状況は違うが異世界からやって来たというのは、島の影すら見えない大海原に漂流していたら、たまたま同じく漂流していた者に出会えたという親近感を感じる。


 形は違えど、同じ世界に迷い込んだ。そのことにヴァルブルガは勝手に仲間意識を感じ始めていた。


 「この世界で保護してくれたアルベルトに恩を返したいの」


 ユウカの独白にヴァルブルガは胸が高鳴った。それって恋なのでは。ユウカはアルベルトのことをどれくらい好きなのだろうと好奇心が疼いた。


 「ユウカは、アルベルトのこと…どう思ってるの?」


 ヴァルブルガはごくりと唾を飲み込んだ。ポップコーンを食べながら映画のワンシーンを観ているような心地だった。


 「恩人だと思ってる。大切な人…かな」


 ヴァルブルガはきゃー!と歓喜の悲鳴を上げるのを堪えた。恋が始まっている。きっとユウカはアルベルトのことを特別視している。小説の終盤にユウカがアルベルトを愛していると自覚する名シーンはまだだろうから、タイミングが良ければヴァルブルガもそのシーンを生で見れる可能性がある。


 「逃亡した人たちを殺したことは酷いと思ってる。でも、彼にもそうしないといけない理由があるってわかってるから」


 相手のことを理解したいと願うのはもう恋の始まりだよ、とヴァルブルガはユウカに助言したいのを我慢した。これはヒロインが自分で気づくから良いのであって、ヴァルブルガが言ってしまうと台無しだ。


 「ヴァルの方が頑張ってるでしょ。私のこと、慰めてくれたし。私なんてまだまだだよ。どうしたらヴァルブルガみたいになれる?」


 ユウカは恥ずかしそうに告げた。ヴァルブルガは静かに首を振る。ユウカに憧れてもらうほどヴァルブルガは高尚な人間じゃない。


 「私はこの国を愛しているって証明しなきゃ。そうしたら信用してもらえるから」


 ヴァルブルガは自分の腕章をそっと撫でた。ユウカがアルベルトに好意を持っているなら、自然と発展していくだろう。あとは、なぜユウカが聖女として有名になっていないのかを探らなくては。


 「私みたいにならなくていいのよ。私は悪い女だし。サラマンダー作戦を成功させたユウカはそのまま優しくまっすぐでいいのよ」


 サラマンダー作戦の名前を出せばユウカが食いつくと思った。しかし、ユウカはぽかんとしている。


 「サラマンダー作戦?」


 ユウカは何を言っているのかわからないという顔をした。隠したり誤魔化しているわけではなく、本当に知らないようだ。


 (サラマンダー作戦はユウカの初陣で、とても重要なイベントのはずなのに)


 思った反応と違うのでヴァルブルガは背中に汗が流れた。


 「ヴァル、サラマンダー作戦って何?」


 これではっきりした。小説にあるサラマンダー作戦のイベントが発生していない。小説の内容が狂い始めている。もしかして自分が生き残ったせいでバタフライエフェクトが起こってしまったのではないか。


 「なんでもない。私、そろそろ行かなきゃ。胃腸薬、一応置いておくから」


 ヴァルブルガはそう言って逃げるように部屋を出た。これ以上、余計なことをして小説の内容から外れるわけにはいかなかったから。後ろから「待って」とユウカが引き止めるような声が聞こえたが、聞こえなかったふりをした。




***




 エメリヒは聖教会から押し付けられた聖女とやら、ユウカの様子を見にきた。腹痛を訴えたらしいから衛生兵を派遣させたはずだ。


 彼女が逃亡兵を庇うようなことをしたので、アルベルトが士気を上げるためにする演説の内容を修正して、彼女を従軍聖職者として「綺麗事を言っただけ」という印象を持たせた。


 「まったく…仕事増やしてくれるなよ」


 そもそも古い言い伝えにある聖女だからって年若い女の子を戦場に帯同させるなんてあってはならないはずなのだ。兵士たちの中には従軍聖職者ではなく従軍娼婦だったら良かったのにと言っている者もいる。


 ユウカの部屋の前まで来ると、ユウカはドアを開けて廊下を見渡していた。


 「おい、勝手に部屋から出るな。従軍娼婦と間違えられて、物陰に連れ込まれたくはないだろ」


 エメリヒは慌ててユウカを部屋の中へ押し返す。アルベルトの近くにいればユウカは一応は安全だった。表向きは従軍聖職者としながらも、実はアルベルトのお手つきなのではないかと想像する者も少なくない。


 それならその印象を逆手にとってアルベルトのそばに居させれば司令官の女に手を出す愚か者はいないだろう。アルベルトが、処刑にユウカを立ち合わせたのは兵士たちに手を出せない存在だと印象付ける狙いもあっただろう。


 しかし、これから従軍聖職者として働くユウカに兵士たちの現実を教えるためでもあるだろう。


 「ごめんなさい。少しだけならいいと思って。ヴァルが気になることを言っていたから」


 「ヴァル?」


 「あっ、リリエンタールさんのこと」


 ユウカからヴァルブルガの名前が出たことにエメリヒは驚いた。最近よく聞く名前だったからだ。直属の上官の奥方で、今はなぜか前線で看護婦をしている。


 一刻も早くヴァルブルガを後方に下がらせたかった。出来ることなら、戦場から離れて後方に疎開してほしいくらいだ。将官の奥方が捕虜になったら、考えるだけでも恐ろしい。


 「エメリヒ、サラマンダー作戦って何?」


 その言葉を聞いて、エメリヒは一瞬だけ上手く呼吸が出来なかった。


 「リリエンタール看護少尉から聞いたの?」


 エメリヒは女が好きそうな柔和な笑みを浮かべた。ユウカが頷くと、エメリヒはユウカに部屋に戻るように伝えてヴァルブルガのあとを追った。

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