7話 ヒロインの可愛さが限界突破している
「次の輸送車で後方の病院に転属だ。準備しておくように」
中隊長からそう告げられたヴァルブルガは急な転属に戸惑ったが荷物は全て合切袋にいれていたので、準備というほどのことは何もなかった。
(急に転属…。でもアルベルトとユウカはまだ前線に留まるだろうし、推しカプの見守りと軌道修正を両立するには、近くにいなきゃ…)
「中隊長殿、私をここに置いといてください!」
物語を修正するために、アルベルトには会わずにユウカにだけ接触できないものだろうか。サラマンダー作戦が成功したのかどうか、なぜ前線までユウカの功績が伝わらず、聖女様と盛り上がらないのか。
「上からの命令だ。それにここは前線なんだぞ。お前はまだ若いのに怪我でもして不具になったらどうする」
「私、お役に立てなかったですか? どうしてもここに残りたいんです」
推しカプの近くで空気を吸っていたい。せめてアルベルトたちが前線にいる間でいい。どうにかしてユウカと接触しなければ。
「どうして、そこまで…」
ヴァルブルガの気迫に押されたのか中隊長は戸惑ったように瞳を揺らし、ヴァルブルガを見つめた。
「愛する人たち(推しカプ)のためです!」
ヴァルブルガの言葉に中隊長は目頭が熱くなったのか目を抑えて背を向けてしまった。
「その国防の意識、愛国心をどうか後方で発揮してくれ」
それでも折れなかったヴァルブルガを中隊長よりも上の階級の上官たちも出てきて説得した。最終的には軍規違反をするなら、看護少尉の階級を剥奪すると脅されヴァルブルガはなくなく転属命令に従った。
しかし、ヴァルブルガは後方の兵士たちが「前線へ逃亡」し、勇敢さを讃える勲章を授けられた事例があることを知っていた。
(いざとなったら前線へ敵前逃亡しよう)
ヴァルブルガは次の輸送車が来るまでいつも通り、綿の下着の袖を千切って包帯がわりにして治療に当たった。包帯も何もかもが不足していた。
「リリエンタール看護少尉」
その時、兵士から声をかけられた。ヴァルブルガの所属する第三十二歩兵大隊では見かけない顔だった。きっとアルベルトたちに付き添って前線にやってきた兵士だろう。
「はい。何でしょうか」
「ロズベルグ准将が連れてきた従軍聖職者の女が、腹痛を訴えている。女性であるお前が治療に向かえ」
ユウカは従軍聖職者としてこの戦場にいるのだと初めて知った。従軍司祭などの教会関係者は兵士たちの荒れる心を平穏に収めるために、懺悔などを聞く重要な役割である。
彼らがいることで、戦時下という異常な状況で人を殺してしまった罪悪感を和らげるのだ。また犠牲者たちを埋葬する際に弔ってやるというのも仕事だ。
従軍聖職者は衛生兵と同じく国際法で保護されているが、この前線では看護婦の腕章をつけていても無視され射殺されることがある。ヴァルブルガも撃たれかけたことは何度もある。今は奇跡的に生きているが。
「わかりました」
平静を装いながらも、ヴァルブルガの心臓はドキドキしっぱなしだった。ちょうど、ユウカと接触できないかと考えていた時にこれである。ユウカが腹痛に苦しんでいるときに嬉しくなるのは申し訳なかったが、ユウカが腹痛になってくれてありがたかった。
(これでユウカに接触できる)
ユウカに接触し、それとなく話を引き出してユウカが今アルベルトとどれだけ親密になっているかを聞き出せば物語がどれほど進行しているかがわかるだろう。
小説の中では戦争は恋のスパイス程度で、恋愛が主軸のライトノベルで戦記ものではなかったから、戦争描写はあっさりと流されていた気がする。
確か、大陸北部の不当貿易により南側が北上侵攻を開始しやがては豊富な地下資源を巡り、さまざまな思惑を抱いた周辺諸国も同盟軍として参戦する。フリードリヒ帝国は南部連合に属する。これが大まかなあらすじのはずだ。
ヴァルブルガはユウカが滞在する営舎に向かった。何階級も上官の人たちしか入れない場所で、しかもアルベルトのいる場所だから緊張した。
(大丈夫、私はただの看護婦)
ヴァルブルガは自分の腕章に触れた。勇気がもらえるような気がした。何もかも破壊されて鏡すらなかったから自分の今の状態はわからないが、薄汚れてすっかり痩せて変わってしまったからもしアルベルトに会ってしまっても大丈夫だろう。
営舎の警備をしている兵士に敬礼し、中に入る。看護婦が来ることは知らされていたのかすんなり入れた。ユウカが滞在している部屋を教えてもらい、中へ進んでいく。
突き当たりの角部屋にたどり着いた。静かにノックをする。
「リリエンタール看護少尉です。失礼致します」
「どうぞ」
中から可憐な声が聞こえた。ドアを開けると、簡易ベッドの上にユウカは腰掛けていた。祈るように手を組み、不安そうにヴァルブルガを見つめていた。
(わぁ…。まつ毛長い! フローラルないい匂いがするし、間近で見るヒロイン可愛すぎ!)
ヴァルブルガは顔がにやけないように、気をつけた。遠目から見てもヒロインの神々しい可愛らしさはわかったが近くで見ると、もう目が潰れてしまいそうなほど可愛かった。
「体調不良と伺いました。こう見えても私は看護婦です。なんでも話してください!」
ついでに、物語に関する情報をこぼしてくれないだろうか。アルベルトとどのくらい進展してるのか、どんなところが好きだとか、ヒロインから直々に惚気話を聞きたい。
「あ…えっと、お腹が痛くて…。本当にお腹が痛いんです」
ユウカは今にも泣き出しそうだった。ヴァルブルガは胸が痛くなる。いきなり異世界にやって来て、聖女として持ち上げられて。小説ではユウカは元の世界に帰りたいなんて一言も漏らさなかったが、きっと寂しいだろう。
「詳しく聞いてもいいですか。お腹は張るような痛みですか? それともきりきりするとか」
「ぎゅーってする痛みです」
ヴァルブルガは衛生袋の中から、胃腸薬を取り出した。上官からユウカが腹痛を訴えていると聞いたから用意していたものだ。普段よく使う薬はモルヒネばかりなので、なんだか新鮮な心地がした。
「あの、ごめんなさい」
ユウカは俯いて呟いた。
「どうして、謝るんですか?」
ヴァルブルガが尋ねると、ユウカは小さな声で喋り始めた。
「たぶん、精神的なものなんです。だから薬は効かないと思う。学校に行こうとするといつもお腹が痛くなるんです。その時と一緒。またママが今日も学校行かないのねって落胆する時と同じ」
ユウカはわずかに震えていた。組んだ手の指先が白くなるほど強く力が込められている。
「昨日、人が死ぬのを見ました。あの人たちは、悪いことをしたのかもしれないけど…仲間に殺されなきゃいけないようなことをしたんですか? あんなの…酷すぎる」
ユウカは目の前で人が死んだのを見て精神的ショックを受けて腹痛を起こしたのだろう。ヴァルブルガも人が死ぬのを見た時を思い出した。
出血多量で、包帯を巻いても血が止まらずそのまま死んでしまったり。あと数分しか持たないという人たちを何度も見送った。
「最後は目を閉じていてくれよ」と言ってヴァルブルガに自分が死ぬ瞬間を見せなかった人。「手を握ってくれ」と頼み、どんどん握る力が弱くなって冷たくなった人。ヴァルブルガは彼らに微笑むようにしていた。最後に見る景色が悲痛な顔ではあってはならない。だから、微笑もうとした。
看護婦としての無力さを感じながら、それでも最後には人としての何かを彼らにあげれるように。
ユウカは耐えきれずに涙を流し始めた。ヴァルブルガは思わずユウカを自分の胸に抱きしめた。同じ女として共鳴していた。
「あなたは間違っていないわ。でも、処刑を命じたアルベルトも執行した人たちも間違っていないのよ」
ユウカは声をあげて泣いた。どうか、ユウカが戦争に歪められず優しいままでいてほしいと願った。涙を流せるって素晴らしい才能なんだと転生して初めて知った。もうヴァルブルガは血を見ただけで気絶できないし、一人一人の死を嘆き涙を流すこともできない。
「どうか、優しいままでいてね。あなたはあなたのままでいてね。薔薇のように若々しい娘でいてね」
ヴァルブルガは転生したから前世と合わせたら自分は歳をとっていると思った。でも前世も若くして死に、ヴァルブルガとしてもまだ十八年しか生きていなかった。精神年齢は一向に大人にならない。
なのに、すっかり歳をとってしまった気がする。老婆のように人生に疲れ果ててしまった気がする。
「どうか、私のようにはならないでね」
ヴァルブルガはユウカの髪を撫でながら、自分に涙が込み上げてくるのを待った。でも、涙は一滴も出なかった。




