表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/18

6話 悪妻、発見される

 営舎に戻り、ユウカには部屋にいるように伝えアルベルトはエメリヒと共に執務室へ戻った。


 「ユウカとかいう聖教会に押し付けられた女、よりにもよって逃走兵を庇うなんて。ロズベルグ准将が前線に来たのは士気を上げるためだってのに…」


 エメリヒは書類の整理を始めた。前線に来た際に演説する予定だったスピーチ原稿を書き直すようだ。アルベルトが連れてきたユウカが処刑に反対したという事実は准将側、つまり体制側が逃亡を容認したと受け取られてしまうかもしれない。

  

 「聖教会も帝族の方々も、古い言い伝えに縋りたいようだな」


 アルベルトをため息を堪えながら、革のソファに座った。


 「それよりも」


 「それよりも? 今、ユウカが落とした士気を回復させる以外に重要なことなんてないでしょう」


 エメリヒの眉間に皺がよる。彼は東部戦線の地図を取り出して睨みつけるように眺めていた。


 「ヴァルブルガがいた」


 アルベルトの言葉にエメリヒは地図から顔をあげて、信じられないものを見たというような表情をした。そしてしばらく黙っていた。言葉を探していたのだろう。


 「いや…ここ戦場ですよ。奥様って貴族のお姫様ですよね。こんな男臭い所にいるはずないじゃないですか」


 笑い飛ばそうとエメリヒは笑顔を作ったようだが、アルベルトがこの手の冗談を言わないのは、腹心である彼はよく知っている。次第に嘘ではないのだろうと気づき、顔が青ざめていく。


 「私が彼女を間違えるはずがない」


 アルベルトは無意識に自分の首からドッグタグと共に下げているロケットペンダントに触れていた。戦争が始まったと同時にアルベルトは軍務に就かなければならなかったから、ヴァルブルガの捜索は今はヒューベルトたちを中心に行ってもらっていた。


 「腕に看護婦の腕章をつけていた」


 「…本当の本当の本当に、奥様だったんですか」


 エメリヒはあんぐりと開きそうな口を手で押さえていた。「ただのそっくりさんとか、生き別れの双子とかじゃなくて?」とエメリヒは続けるが、それが現実的ではないことが自分でもよくわかっているのだろう。


 アルベルトはヴァルブルガが所属している部隊の中隊長を呼び出して確認することにした。


 「シューマン大尉だな」


 呼び出した大尉は敬礼をしたが、先程から瞬きが多いし、僅かに肩が震えているので緊張しているのがわかる。いきなり司令官から呼び出されて緊張しないものはいないだろう。

 

 「はっ。第三十二歩兵大隊中隊長、ハンス・シューマン大尉であります」


 アルベルトはシューマン大尉にソファに座るよう勧めたが、彼は恐れ多いと思ったのか「立っています」と座ることを遠慮した。

 

 「第三十二歩兵大隊には、大隊付きの看護婦がいるそうだな。基本、看護婦は後方勤務だ。これはどういうことだ」


 アルベルトの冷えたバリトンの声に、シューマン大尉は自分が叱責を受けるために呼び出されたのだと気づき、青ざめた。


 「彼女は…リリエンタール看護少尉は特例の前進救護担当です」


 シューマン大尉はそう言うが、言ってしまった後にアルベルトの瞳が厳しく光ったのを見て、ごくりと唾を飲み込んだ。ヴァルブルガは軍医補佐として手術補助経験あり応急処置技能が高いので、前進救護所を維持するため特例で大隊に同行していた。


 東部戦線は戦線が崩壊しがちであり、戦線崩壊と慢性的混乱によって前線化していく。そして歩兵大隊に保護下編入された。最初は一時的だったが、戦線崩壊でそのまま固定化された。


 また、兵士たちが優秀な衛生兵を手放したがらず、後方への車両を回さず今は移送不能扱いをしていた。移動予定の病院が壊滅したり、輸送隊が壊滅した結果、ヴァルブルガは前線の看護婦として残り続けた。


 ヴァルブルガは貴族という教養階級にあり、看護教育も受け、多言語を操れたことから通訳兼救護要員として捕虜尋問や民間人対応、現地徴発交渉、避難民対応、パルチザンの識別に役立っていた。


 歩兵大隊の兵士たちは口では「お嬢さん(フロイライン)を後方へ」と言いながらも、ヴァルブルガへ依存していったのだろう。


 「これは職務の怠慢だ。すぐさま彼女には後方の病院への転属命令を下す」

 

 アルベルトの氷のような冷たい空気の中には静かに燃える青い炎のような怒りが滲んでいた。本気で怒っていると気づいたエメリヒは姿勢を正し、その怒りを真正面から受けてしまったシューマン大尉は思わず「ひいっ」と小さく悲鳴を漏らしていた。


 「ところでリリエンタール看護少尉のファーストネームは」


 「ヴァ…ヴァルブルガだったかと」


 「もう下がっていい」


 シューマン大尉が退室してドアを閉めた瞬間、アルベルトは眉間を指で揉みながらため息を吐いた。


 「本当に奥様でしたね」


 ヴァルブルガの名前を聞いたエメリヒが今にも腰が抜けそうなのを必死に堪えるように変な姿勢で立っていた。将官の夫人が前線で看護婦をしているなんて前代未聞である。しかも、その本来ならあり得ない前線の看護婦という存在は兵士たちの命令無視による職務怠慢の結果だ。


 「リリエンタールは彼女の母方の旧姓だ」


 ヴァルブルガを捜索する際、アルベルトはエメリヒの「離婚したい女はまず実家に帰るはず」という助言を受け、義母の家を訪ねたが、義母は「娘は帰ってきていないし、どこにいったか知らない」と言った。庇っている様子はなかったので本当に知らないのだろうと結論づけた。


 ヴァルブルガと親交があったご婦人たちも訪ねたが、皆知らないようだった。服も宝石も金も持ち出さず、一体どこに行ったのかと心配していた。


 開戦してしまい、アルベルトは軍務に就かなければならなかったが、いつもヴァルブルガのことが胸にあった。


 戦争の混乱で、彼女が死んでしまうかもしれない。お腹を空かせているかもしれない。寒さに震えているかもしれない。ヴァルブルガを案じない日はなかった。


 軍人の勤めさえなければ、いますぐ仕事を放り出して駆けずり回ってヴァルブルガを探したかった。しかし、国の有事に軍人として国防を果たさねばならなかった。国を守ることが、やがてはこの国に生きている彼女を守ることだと信じて。


 「ヴァルブルガ…少し痩せていた。兵士たちの食糧を増やすように、炊事部隊に言っておいてくれ」


 「承知いたしました」


 エメリヒは敬礼をして部屋から出ていった。部屋に一人になると、アルベルトはロケットペンダントを開ける。中には結婚式の時の写真だ。


 軍の礼服姿のアルベルトと、ウェディングドレス姿のヴァルブルガが写っている。当時のウェディングドレスは膨らみが少なく、ほっそりとしたシルエットのミニ丈のドレスに、クロシェレースで作られたヴェールが流行りだった。


 しかし、アルベルトは妻の肌を露出させたくなかったのでくるぶしの見えないロング丈、クラシカルなウェディングドレスにしてくれと頼んだのを覚えいる。ヴァルブルガはその条件を飲む代わり、ウェディングヴェールだけは最高級のアランソンレースにしてくれと頼んだ。


 これがヴァルブルガの記念すべき、最初の可愛らしいお願いだった。


 「どうして、ここにいるんだ」


 アルベルトは写真の中のヴァルブルガを親指で撫でた。本当は見つけた瞬間、駆け寄って抱きしめたかった。しかし、自分の司令官としての立場がそうはさせなかった。ただの看護婦一人に司令官が話しかけると、注目されてしまうから。


 今すぐ家に連れ帰りたかった。しかしアルベルトは家には帰れないので、自分が不在の屋敷にそのままヴァルブルガを帰したらまた自分の知らないうちにヴァルブルガが出て行ってしまうかもしれなかった。


 今は安全な場所へ、後方の病院へ回すしかなかった。


 ヴァルブルガがなぜ、自分から離れていったのかわからなかった。男の影は微塵もなかった。もう自分は彼女にとって必要ないのかもしれない。その不安が自信を苛むこともあった。


 しかし置かれた離婚届を破り捨てた時から、アルベルトの心は決まっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ