5話 聖女登場
大隊が整列させられた。ヴァルブルガはその中にいた。前線に司令官アルベルト・ロズベルグが視察に来る。それを聞いて、ヴァルブルガは心臓がずっと跳ねたままだった。
(アルベルトが…前線に来る)
その前日、敵の戦車がこちらに向かってきていた。怖気付いた者が逃げ出して、全ての人の鎖が崩れてしまった。
負傷者たちが捕虜になった。ヴァルブルガが這って担いで、塹壕に引っ張り込んだ負傷者たち。しかし怖気付いた者が逃げ出してパニックが起きた時、負傷者たちは置き去りにされた。
その後、負傷者が寝ていた所に戻ると全員が殺されていた。
「う…あぁ…」
ヴァルブルガはその場で泣き崩れた。恐ろしくなった。自分が一ヶ所に集めた人たちだったから。皆の顔と名前を覚えている。戦友たちだった。「看護婦さん」「大事な看護婦さん」と大切にされ、砲弾が降ってくる時に覆い被さって庇ってくれた人たちだった。
「泣いている暇はないんだよ」
兵士が慰めるようにヴァルブルガの肩を叩いた。それで涙も震えもぴったり止まってしまった。人間らしい何かを失ってしまった。
その日は一睡もできなかった。ずっと頭に恐ろしい光景がこびりついていた。その翌朝、野戦憲兵たちが昨日逃亡した兵士たちを皆の前に引き摺り出した。
司令官にちゃんと仕事をしているところを見せるため、そして他の兵士たちの見せしめとして処刑するために。
司令官のアルベルトが皆の前に出てくる。後ろには金髪の副官がいる。確か、エメリヒという名前だったか。結婚式の時に挨拶してもらったような気もする。何度か部下たちが屋敷に食事をしに来たこともあった。
そして、副官よりも目を引かれたのがアルベルトの隣には黒髪の少女がいた。
(ユウカだ)
ヴァルブルガは直感的にわかった。ユウカは純白の修道女のような格好をしている。周りの兵士たちも「なんだあの女…」「司令官の情婦か?」とひそひそと話し始めた。
(おかしい。本来なら「聖女様だ!」って盛り上がるシーンのはずなのに)
ヴァルブルガはひっそりと周りを見渡した。アルベルトが士気を上げるために前線に来るのは物語でもあるシーンだ。ユウカはサラマンダー作戦という占領地と捕虜の奪還作戦をアルベルトと共に成功させているはずである。
このサラマンダー作戦によりユウカは聖教会から押し付けられたお飾りの「験担ぎ」程度ではなく、聖女として名を馳せていく。
小柄なユウカは整列している兵士たちを不安そうに視線を彷徨わせなら見ている。
(それにしても…やっぱヒロインはめちゃくちゃ可愛い!)
小動物のようなくりくりとした瞳が愛らしい。こんな天使のような人間が生きて目の前にいる。その状況が信じられなかった。女性らしい愛らしい何かを見ることが随分と久しぶりだった。
ユウカの肌は毛穴がないんじゃないかと思うくらいきめ細かいし、髪は艶々と輝いている。
(それに比べて…私って…)
風呂なんて入れないので髪はごわごわしているし、日焼けして肌荒れしてしまっている。それに、戦闘のあとだから汗と血の臭いがするし、顔は煤のようなもので汚れてしまっている。戦場に来てから随分と痩せてしまった。
(この変わりようだったら、流石にアルベルトも気づかないか。これでモブとして推しカプを見守れる)
先程、ユウカがアルベルトの情婦であると噂されるくらいには二人の中が親密になっているに違いない。
野戦憲兵がアルベルトに敬礼し、逃亡者たちに銃殺刑を言い渡した。拳銃はもう取り上げられてていて、雨の後のぬかるんだ土の上に跪かされていた。
執行者は野戦憲兵ではなく、大隊の中の兵士たちが選ばれた。仲間を見捨てた者を元仲間たちが銃殺する。ヴァルブルガは頭の中に、死んだ負傷者たちの光景が浮かんだ。
自動小銃が構えられる。逃亡者たちが「お願いだ、殺さないでくれ」「もう絶対に逃げない」と懇願している。
耳を塞ぎたかったのに、体が固まって動けない。目を閉じたいのに、瞼が動かなくなって視線が逃亡者たちに釘付けになった。
「やめてください!」
高いソプラノが聞こえた。ユウカが、逃亡者たちを庇うように執行者の前に進み出ていた。
(ユウカ…?)
ヴァルブルガは不安に襲われた。アルベルトが前線に来る場面は、聖女としてユウカが歓迎されアルベルトが士気を上げるための演説がある。逃走兵の処刑なんていうイベントはなかった。
「彼らは反省しています。処刑は残酷すぎます!」
冷えた空気が場を支配していくのをヴァルブルガは肌で感じていた。「聖女様」として兵士たちがユウカを歓迎する空気は微塵もなく、逆に反感を買ってしまっているように感じた。
戦争を知らない女が綺麗事だけを吐いている。そんな空気が流れていた。現代からやってきたユウカが処刑を残酷だと感じることは当然だ。ヴァルブルガも戦場に来て物語とは違うのだということを痛感していた。
甘く見ていたのだろう。物語に書かれていた痛快なサクセスストーリーはどこにも無い。あるのは血と汚泥に塗れた現実だけ。アルコールとゲロの臭い、そしてシラミである。
(でも、ユウカはヒロインで優しいから、もし逃走兵の処刑があったら反対するわよね)
ヴァルブルガは胸の辺りが苦しくなった。前を見ると、アルベルトがエメリヒと顔を見合わせ何かを頷いている。
(もしかして、これはアルベルトがユウカの優しさに心打たれて処刑を取りやめる親密イベントなのかしら)
そんなイベントは小説ではなかったが、小説に書かれていない幕間なのかもしれない。
「アルベルト、やめさせてください!」
ユウカがそう頼むと、エメリヒがユウカの元まで歩みを進め肩を掴むと自動小銃の前から安全地帯まで移動させた。
「刑を執行しろ」
アルベルトが冷たく命令する。ユウカは最後まで「やめて!」と叫んでいたが銃声はそれをかき消した。ヴァルブルガはずっと息を止めていた。思わず呼吸をするのを忘れてしまったからだ。
逃走兵が地面に倒れている。身体は蜂の巣のようになっていて鮮血が地面に広がっていた。あの人たちが逃げなければ、負傷者たちは敵に殺されなかったかもしれない。
前世のままのヴァルブルガだったら思考はユウカに近かっただろう。人間が人間を殺す。あってはならないことだと嫌悪感を覚えただろう。でもそれは戦時下ではない平和な時代に生まれたから育まれた考え方であって、この世界の考え方とは違う。
ヴァルブルガは自分がこの物語の観客ではなく、物語で語られなかった端役になってしまったのだと感じた。小説を読んだ時は、アルベルトの頭脳とユウカの発想が合わさって痛快な物語だと感じていた。
でも、今の自分は推しカプの舞台装置だと思い込んでいた戦争に飲み込まれている。ヴァルブルガはじっと倒れた逃走兵に目を向けた。そのうちの一人はまるで眠っているかのように微笑んでいる。
言いようの無い感情に襲われた。もしかしたら彼は、逃亡した自分の罪を誰かに裁いて欲しかったのでは。だから、あんな風に微笑んで死ねたのではないか。
「死体は樹に吊るしておけ」
アルベルトの命令に野戦憲兵たちが今処刑されたばかりの者たちの死体を運び始める。その作業には、執行した者たちも加わっていた。
一瞬、アルベルトと目が合う。
(気づかれた…!?)
ヴァルブルガの心臓は飛び上がった。心拍数が上がり、顔に熱が集まっているような気がする。しかし、アルベルトは何も言わずエメリヒとユウカを連れて去っていった。
(気づかれたわけじゃないよね。まぁ、外見が変わっちゃってるし。推しと目が合うって大体妄想だしね)
ヴァルブルガは胸を撫で下ろしながら、部隊へと戻っていった。




