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4話 元悪妻、再び舞台に上がる

 ヴァルブルガはトラックの荷台に乗って戦場に向かっていた。トラックの車輪が泥にはまってからは、徒歩で向かった。最初は野戦病院に配属されたが、戦線の混乱から野戦病院は壊滅、包囲され退却路を喪失したために、なし崩し的に近くの歩兵大隊に保護下編入した。


 ヴァルブルガに与えられたのは、オリーブグリーンの軍服と従軍看護婦を示す腕章だった。他の兵隊たちは防水布のズボンだが、看護婦たちに与えられるのは薄い羅紗のズボンだった。

 

 「リリエンタール看護少尉、こちらに包帯を!」


 「はい、今すぐ!」


 ヴァルブルガは歩兵大隊付きの看護婦として、土壕で働いていた。防水布の担架で次々と負傷者が運び込まれてくる。

 

 ヴァルブルガは採血の練習で血などは見慣れたと思っていたが、初めて砲撃で足をぐちゃぐちゃにされた負傷者が運ばれてきた時はその場で気を失ってしまった。


 「馬鹿! 起きろ!」


 でも、気を失っている暇なんかなかった。すぐさま先輩の衛生兵に叩き起こされ、治療にあたった。もう壊疽が始まっていて、足を切り落とさなければならない。


 軍医の指示に従って、ヴァルブルガは患者の足の付け根をきつく縛った。


 「暴れるだろうから、押さえてなさい」


 ヴァルブルガも含め三人がかりで負傷者を押さえた。口には舌を噛まないように詰め物がされていたが、負傷者の地響きのような低い唸った声がヴァルブルガの耳から離れなかった。


 痛みに耐えられない叫びがまるで地面から聞こえてくるような気がする。ヴァルブルガは足が切断される瞬間、目を瞑ってしまった。しかし、患者の悲鳴と痙攣するかのような震えがヴァルブルガにも伝わってきた。


 (戦場の医療現場がこんなに過酷だったなんて…!)


 それでも前世からの夢だった「人を救う仕事」に従事できる喜びが体を満たしていた。しかし、現実とは物語の中とは全然違う。ヴァルブルガは今、目の前で起こっていることと小説の中の出来事が乖離していった。


 ユウカの物語はこんなに血みどろじゃなかった。聖女となって数々の功績を立てていくストーリー。


 ヴァルブルガは塹壕から這って出て、匍匐前進で負傷者の元までいく。肩から下げた衛星袋から包帯を取り出すと傷口を強く圧迫し止血する。


 包帯を巻くと重たい軍外套や銃器をつけたままの負傷兵を背中に背負って這って塹壕に戻る。薄い羅紗のズボンはすぐさまぼろぼろになって泥まみれで血まみれになった。


 一人を塹壕へ運んだら、また次の負傷者のところへ這っていく。銃弾が飛び交い、爆撃の音が聞こえていた。地面が割れるのではないかと思うほど。地面は砲弾で抉られたようになっていた。


 もし、地面が割れたら染み込んだ血が噴き出るのだろうか。ガソリンや潤滑油なんかが。


 「か…看護婦さん…!」


 負傷者の呻き声が聞こえた。


 「すぐいきます」


 ヴァルブルガは這って空に手を伸ばしている兵士の元へ辿り着いた。兵士が伸ばす手を掴む。大丈夫だよ、と安心させるために。そうすると兵士の震えが止まった。


 「看護婦さん…俺の食糧はどこだ」


 兵士は自分が死ぬかもしれないと思って支給された携帯食糧を自分の雑嚢から取り出そうとしていた。その間、地面には血が広がっていく。


 「落ち着いて。すぐ止血するわ」

 

 包帯を巻いたあと、ヴァルブルガは背負って匍匐前進をし塹壕へ向かう。背後で爆撃の音がして熱風で体を燻された。それでも歩みを止めることはできなかった。


 血を吸った軍外套はとても重く、そこに負傷者の体重と銃器の重さが加わる。ヴァルブルガ自身は四十八キロしかないのに倍はあろうかというほどの重さを背負っている。重さに耐えきれず脱腸になった同僚がいるほどだ。

 

 硝煙で視界が悪い中、ヴァルブルガは塹壕へ辿り着く。もう体は限界だろうに、頭が馬鹿になってしまっているから疲れを不思議と感じなかった。


 「包囲されてしまうぞ! 最後の一人まで死守せよ!」


 中隊長が叫ぶ声がする。「最後の一人まで死守せよ」は総統が発した敵前逃亡したり許可なく退却してはならないという命令のスローガンである。


 負傷者を後方の野戦病院に移送させなければならないが、敵が近づいていた。負傷者たちは芋虫のようになっていて、土壕の中に一列に並べられていた。ここで包囲されてしまったら、負傷者は機関銃掃射で殺されてしまうかもしれない。


 負傷者をこの一画に集めるよう指示したのはヴァルブルガだった。銃弾が飛び交う中、這っていたのでヴァルブルガの軍帽の端は弾が掠ったのか穴が空いていた。少しでもずれたら頭に直撃して即死だっただろう。


 恐怖が襲ってきた。しかし、血の臭いがヴァルブルガを現実に引き戻す。恐怖に震える暇などなかった。

 

 「看護婦さん。これ、使えるか?」


 負傷者の一人が弱々しく腕を上げてヴァルブルガに拳銃を差し出す。ずっしりと重く、銃とはこんなに重いものなのかと衝撃を受けた。


 「楽にしてくれ。頼む…」


 一人がそう言うと、ダムが決壊したかのように次々と周りから「俺も」「看護婦さん、お願いだ」と声が上がった。


 「敵がすぐそこまで来てるんだろ? 捕虜になったらどんな目に遭わされるか、わかるだろ」


 「とどめをさしてくれ」


 ヴァルブルガは塹壕から飛び出した。沢山の負傷者を助けなければと思った。大きく手を振って合図を出すが、自動車は止まってくれなかった。敵はすぐそこまで来ている。もうすぐで包囲の輪が出来上がってしまう。


 通りに出て、ヴァルブルガは撃鉄を起こした。


 「この×××! 止まりやがれ!」


 前世から通して生まれて初めてヴァルブルガは乱暴な男言葉で口汚い罵倒を叫んだ。空に向かって引き金を引く。それでも自動車は止まらないので、ヴァルブルガはもう一度撃った。二発目は車のボディに当たった。


 少し通り姿後、自動車はブレーキをかけた。運転席の窓から頭を出す。


 「馬鹿野郎! 俺を殺す気か!」


 「負傷者がいるの!」


 運転手は飛び降りてきてくれた。ヴァルブルガと一緒に負傷者を運び込むのを手伝ってくれた。その車の運転手に後方までの移送を頼むとヴァルブルガはまた戦闘に戻って行った。


 白兵戦は激しいものだった。「突撃!」の号令と共に一斉に皆が立ち上がる。殴りつけ、喉元を掴み合って首を絞め、銃剣を刺し骨を折る。頭蓋骨の割れる音が響く。呻き声や悲鳴が轟く。


 ヴァルブルガはその後、負傷者と兵器を一緒に抱えて運び続けた。ある負傷者に近づくと、その人の手は撃ち抜かれていて血管で繋がっているだけだった。


 「すぐに切断して、包帯を…」


 ヴァルブルガは衛星袋の中を探るが、ナイフも鋏もいつの間にか落ちてしまったのか切れるものは何もなかった。兵士の呻き声を聞きながら、ヴァルブルガは覚悟を決めた。


 歯でその人の肉を噛み切った。口の中に錆びた鉄の味が広がりヴァルブルガは吐きそうになる。それを堪えて包帯を巻いて止血し、ヴァルブルガはその兵士を背負った塹壕へ向かった。


 ある時は燃え盛る戦車から飛び出した兵士がいた。人が生きたまま燃えていた。黒い肉の塊になっていたのだ。その人がその場で跳ねて苦しんでいる。


 (なんとかしなきゃ…!)


 ヴァルブルガはシーツを掴んで駆けつけると、覆い被さって伏せた。押し付けた地面は冷たかったから、ジュゥゥという音が響く。兵士はピクピクと痙攣していたが、心臓が破裂して静かになった。


 「看護婦さん、もうそいつは死んでるよ」


 ヴァルブルガはそっと自分の体を起こした。ヴァルブルガの体は血まみれになっていた。でも、もう鼻が麻痺していて何も感じなくなっていた。

 

 引きつけを起こしたように全身が震えていた。自分の体も先程の兵士みたいに心臓が破裂してしまう気がした。足がいうことを聞かなくなって、転がり落ちるように塹壕へと戻った。


 (本当にここは「救国の聖女と鷹将軍」の世界なの…?)


 小説にはこんな末端の兵士たちの消耗など書かれていなかった。書かれていないだけで、あの物語でもこんな地獄のような惨状が広がっていたのだろうか。


 (ユウカ…アルベルト…。早く国を救って!)


ヴァルブルガは物語が正しく進行していることを願いながら目を閉じた。

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