3話 氷の鷹の絶望
その日、屋敷の管理を任せている執事から軍施設に電報が届いた。「至急、アルベルト・ロズベルグ准将までご連絡を」という報せを電報係の職員が持ってきた時、アルベルトは何が起こっているのか予想がついていなかった。
「また、ヴァルブルガか」
その一点だけは予想ができた。今までも「奥様が自動車が四台は買えそうな、オートクチュールのドレスをご所望です」「奥様が金融の怪しい儲け話に投資しそうです」「奥様が気に入らないメイドを解雇すると仰っています」と倹約家の執事は事あるごとに報告してきた。
若いのだから着飾りたい年頃だろうと、ドレスやアクセサリーは惜しみなく与えていた。しかし執事はヴァルブルガこそが代々続いてきたロズベルグ家を食い潰す女だと疑わない。
確かに今までの先祖たちは質実剛健を好み、あまり派手に飾ることを好まなかった。そのため、屋敷はどこか無骨な印象を与えて息苦しさを感じることもある。
アルベルトは異国から嫁いできた妻が少しでも安らげるようにと、ヴァルブルガの身の回りのものは装飾のついたマホガニー製のものに揃えたし、レースなどの女性らしいもので飾った。
ヴァルブルガが来てから彼女は屋敷に花を飾り、庭の手入れも庭師たちと共にやりだした。屋敷は明るくなり、今まで花を飾るなど考えもしなかったアルベルトは女性らしい繊細な気配りがこの屋敷には欠けていたのだと思った。
「准将、またヒューのじいさんからの奥様電報ですか?」
副官のエメリヒが書類を持って呆れた笑いを漏らしながら、執務室に入ってくる。アルベルトのところには部下からの報告書だけではなく、家からよく「奥様電報」と揶揄されるヴァルブルガ関連の電報が届く。もう皆、慣れてしまって「またか」という反応である。
「ヒューのじいさんも大げさすぎですよね。この前の投資話も説得して何とかなったんでしょ?」
「まあ…稼いでみよう、という向上心は立派だったからな」
アルベルトはどうやったら傷つけないように説得しようか苦心したことを思い出した。ヴァルブルガは贅沢に執着しているようではあるが、若い娘が着飾りたい欲を持っていることは理解しているつもりだ。自分があまり華美なものを好まないからといって押し付けるつもりはない。
「古参のメイドを解雇しようと騒いだ件はどうなったんですか」
エメリヒが執務机の上にコーヒーを置いてくれる。
「ヴァルブルガ付きから外してなんとかなった。あの時、ちょっと不安定だったからな。些細なミスが目についてしまったんだろう」
アルベルトの言葉を聞いて、エメリヒは腕を組みながらしげしげとアルベルトを眺めた。
「優しいですね。俺なら無理だ。ただでさえ、訳ありな……っと、すいません。別に悪口じゃないです。……奥様、美人ですもんね!」
失言を挽回しようと付け加えた言葉が不味かった。「は?」とアルベルトの低い声が響く。執務室は一気に氷点下になったかと錯覚するほど冷えた空気が支配していた。
「私の妻に色目を使うなら、わかっているな」
「発想が飛躍しすぎです。褒めただけじゃないですか! じゃあ、なんですか。ブスだとでも言えばよかったんですか。それはそれで怒るでしょ」
エメリヒはさっさと書類にサインをしてもらおうと、書類を机の上でアルベルトに向かって突き出した。アルベルトは書類に目を通しながら、サインをしていく。
「それにしても氷の鷹が、奥様には甘いって知られたらイメージ変わっちゃいますね」
軍規を守らせるためにアルベルトは自分が常に厳しくも暖かい上官であろうと努めていた。
「ヒューたちからも、ヴァルブルガには甘すぎると散々言われている。だが、女はわがままなくらいがちょうどいいだろう。彼女はひとまわりも年下だから、いつ心が離れるかわからないからな」
「心広いなぁ。っていうか奥様とそんな歳、離れてたんですね。あれ、さっきの…俺の方が歳近いから奥様が惚れちゃうんじゃないかって心配してたんですか!? 流石に上官の奥様を誘惑しようだなんて命知らずな真似できませんよ」
アルベルトはため息を吐きながら「黙れ」と低い声を出した。陽気な副官はたまにうるさいこともあるが、今回は完全にアルベルトの照れ隠しであった。
書類に判を押し終わると、アルベルトはコーヒーを飲みながら、電報に目を通した。今度はどんなことをヴァルブルガが引き起こしたのか。
しかし、電報には「これを見たらすぐに電話をください」とだけあり、いつものように用件は書かれていなかった。
「なーんか、怖いですね。いつも宝石を買いたがっているとかちゃんと用件書いてあるのに」
電報を覗き込みながらエメリヒが呟いた。先程の書類で仕事は一段楽していたから、アルベルトは受話器を手に取り自宅へ掛けた。佐官以上の部屋には電話が繋がっている。
「ああ、旦那様。ヒューベルトにございます。それが、奥様が今朝からお姿が見えず…! 買い物には侍従をつけるはずが、誰も奥様を見かけていないと。
そうしたら旦那様の執務室に離婚届と奥様から手紙が置いてありました。中身は見ておりません。警察に届けようとしましたが、十八歳の女性が自分の意思で出ていった場合、捜索されないと請けあってもらえず。今、使用人総出で探しております」
ヒューベルトの言葉にアルベルトは声が出なかった。受話器を掴んだまま固まる。血が冷えていくような感覚を覚えた。
「准将〜? どうしたんですか」
書類を整理していたエメリヒが固まっているアルベルトを不思議そうに見つめる。アルベルトは絞り出すようにヒューベルトに「何処に行ったか見当はつくか?」と尋ねると「洋服も宝石も持ち出しておりません。銀行に確認しましたがお金を引き出したわけでもないようです。ですから、あまり遠くには行ってないかと」と返ってきた。
派手な幼妻を苦手に思っていたヒューベルトは真っ先にヴァルブルガがロズベルグ家の財産を持ち出したのではないかと疑ったのだろう。
アルベルトはため息を吐きながら電話を切る。
「エメリヒ、すぐに人の捜索に使える人員は何人ほどだ?」
「政治犯でも捜索するんですか?」
アルベルトは少し押し黙った後、「…妻が行方不明になった」と告げた。どうやら自分の意思で出ていったらしく、警察はあてにできないとも。
「その…言いたくはないですが、男と逃げたのでは」
エメリヒの言葉に、アルベルトの手からコーヒーのカップが床に落ちて割れた。コーヒーの染みが天鵞絨の絨毯に広がる。
「いや、妻の交友関係は把握しているが、ご婦人ばかりだ。そんなはずは…」
「じゃあ両刀だったとか。……という冗談は置いといて」
エメリヒの冗談をアルベルトが睨みつけると、エメリヒは自然に視線を逸らせた。
「離婚したい女はまずは実家に帰るのでは? 私情で軍隊を動かすことはできませんけど、あなたを慕っている部下たちは動くでしょうね。声かけておきますから、准将はもう上がってください」
「すまない」
エメリヒの言葉に甘えて、アルベルトは早退して屋敷に戻った。エメリヒは「後で美味いものでも奢ってもらいますからね」とアルベルトが気負わないように気を使ってくれた。
屋敷では最低限の人数が連絡係として残っているだけで、あとはヒューベルトの采配で捜索に加わっていた。ヒューベルトは使用人を指揮と、アルベルトからの電話を待つために屋敷に残っていた。
「旦那様、おかえりなさいませ」
ヒューベルトはもうすでにヴァルブルガの母親の家に人を遣わせていた。アルベルトはそのまま執務室へ向かう。机の上にはヒューベルトが言った通りに、離婚届と指輪、そして封がされたままの手紙があった。
アルベルトは焦る気持ちを抑えながら、ペーパーナイフで封を切る。
『急にいなくなってごめんなさい。今まであなたに迷惑ばかりかけて申し訳ありませんでした。私が使い込んだ分には到底足りませんが、持参金を置いていきます。どうか幸せになってください』
手紙にはそれだけしか書かれていなかった。
「お前無しで、幸せになどなれるものか」
本当に勝手な女だ。女のわがままは可愛いものだし、蝶よ花よとお姫様扱いできないのは、男が不甲斐ないからだと思って今までヴァルブルガの願いは叶えてきた。
だが、このわがままは到底受け入れられない。自分のそばから離れていくのだけは許せない。もし男と逃げたのなら、男を目の前で殺そう。
「逃がさないからな」
アルベルトは首から下げたロケットペンダントを開けて、写真のヴァルブルガに口付けた。




