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後日談 小さな変化

 「アルベルト、結婚式の招待状はこれくらいでいいかな? みんな、聖女様の結婚式! って盛り上がっちゃって…」


 ユウカは招待客のリストを持ってアルベルトの執務室を訪ねていた。アルベルトは椅子に座って葉巻を吸っていた。ユウカが来ると見ていた何かを引き出しに入れて閉めてしまった。


 「アルベルト、葉巻なんて珍しいね」


 「少し、考え事をしていた」


 ユウカは知っている。今、引き出しに入れたのはロケットペンダントだということを。その中には亡くなった前妻の写真が入っていることを。




***




 「変な夢を見たなぁ」


 ベッドから起き上がってユウカは伸びをした。夢の中で、ユウカはどうやらアルベルトと結婚するようだった。そしてなぜかヴァルブルガは死んでいる。


 「いや、ないないない」


 ユウカは頭の中の夢の残り香を振り払うように首を振った。なぜ、ユウカがアルベルトと結婚する夢を見たのだろう。まるでそれを望んでいるみたいではないか。


 前に、ヴァルブルガがアルベルトのことを恋愛的に好きか聞いてきたから考えてしまっただけだろう。きっとあの時のヴァルブルガはアルベルトのそばにユウカがいたから、夫に懸想しているかもしれない若い女がいることに警戒して探りを入れたのかもしれない。

 

 部屋を出て、ユウカはサンルームに向かった。昨日、最近は天気がいいから朝食はサンルームで食べようとヴァルブルガと約束していた。


 白を基調としたサンルームは、採光の天窓の他にも壁の一部が大きな窓になっていて、街を一望することができる。東側の街の先には海岸線が続き、帆立の船が何艘か見えるのがいつものことだった。


 一般的にはガーデニングルームを兼ねるが、この屋敷のサンルームには植木鉢や植物の類いはなく、代わりに毛足の長い大きなラグとソファーのような大きさのクッション、宙に吊られたハンモックなど、自由な風を感じさせるような作りになっていた。


 しかし、サンルームに待っていたのは険しい顔をして葉巻を吸うアルベルトだけだった。いつもは臭いがつくからと気を遣ってヴァルブルガやユウカの前では吸わないのだが、今のアルベルトは換気しているからいいだろうとばかりに吸っている。


 たしか、夢の中でアルベルトは考え事をする時葉巻を吸っていた。


 「アルベルト、険しい顔だね。何か、お悩み中?」


 ぱたぱたと煙を仰ぎながらユウカは尋ねる。


 「ヴァルブルガを怒らせてしまった。すまないが、彼女はたぶん今日はここに食べに降りてこないと思う」


 「怒らせた…って、ヴァルを怒らせるってよっぽどじゃん! 何したの?」


 いつも優しく穏やかなヴァルブルガが怒るなんて。きっとアルベルトは何か酷いことをしてしまったに違いないとユウカは身構えた。


 「ストッキングを破ってしまった」


 アルベルトは煙を吐き出して、眉間の皺を揉んだ。


 「……それだけ? ストッキングって伝線しやすいし、仕方がないんじゃないかな。謝ればいいと思うよ」


 「謝った。新しいものを買いに行こう、ドレスやアクセサリー好きなものも買っていいからと言ったら、そういうことじゃないと怒られた」


 昨夜、アルベルトは激務の仕事を終え十日ぶりに屋敷に帰宅した。アルベルトはもうヴァルブルガ不足に耐えられず、余裕がなくなっていた。だから、脱がせる時にストッキングに気を遣う余裕がなく破いてしまったらしい。


 そして翌朝、ヴァルブルガは腰が痛くて身体がだるいし、ストッキングも破れている! と怒り、アルベルトは部屋から追い出され、ヴァルブルガはまだベッドで眠っているらしい。


 「私が、ヴァルの部屋に朝食持って行くついでに話を聞いてこようか? 仲直りのお手伝いしてあげる」


 ユウカは厨房に行って、ふかふかのパンとバターとジャム、目玉焼きにミルクたっぷりのコーヒーを持ってヴァルブルガの部屋に向かった。メイドのようなことをさせて申し訳ないと使用人たちから渋られたが、ユウカはなんとか言いくるめた。


 「ヴァル、朝食持ってきたよ」


 ドアをノックして入ると、ヴァルブルガはネグリジェにカーディガンを羽織って、なぜか外じゃないのにストールを首に掛けていた。


 「わざわざありがとう、ユウカ。今日はサンルームで食べるって約束してたのにごめんなさい」


 「体調が悪いってアルベルトから聞いたよ。風邪? 寒いの? 部屋の中でストール巻くなんて…」


 ヴァルブルガはそっと視線を外し顔を真っ赤にした後、首筋あたりを気にしているのかストールを何度もいじっていた。


 「アルベルトがストッキング破って怒らせたって落ち込んでたよ。反省してるみたいだった」


 「別にストッキングを破いたことにはそんなに怒っていないの。ただ昨日はアルベルトも余裕がなさそうで…」


 頬を膨らませながらヴァルブルガはぷりぷりと怒っていた。


 「また新しいものを買えばいいって思ってるし、ネグリジェやランジェリーも可愛いもの着てたって似合ってるとは言うけど、その実、脱がせやすいかどうかって実用面しか見てないのよ!」


 「う…うーん?」


 ヴァルブルガの愚痴を聞きながら、ユウカは首を傾げた。


 「それに、これ見て」 


 ヴァルブルガは手を見せてきた。手の先の爪には赤いエメナルが塗られている。戦時中、政府は女性労働者の士気を上げるため「美しさはあなたの義務。赤いネイルこそ愛国心の証」と宣言した。化粧品メーカーもロビー活動をして、化粧品を贅沢品ではなく必需品のイメージに変えた。


 「わぁ、爪を塗ったんだね! 可愛い」


 ユウカが褒めるとヴァルブルガも嬉しそうに笑った。


 「でも、アルベルトは気づいてくれなかったの」


 「うーん…?」


 ヴァルブルガはさりげなくアピールするだけじゃ気づいてくれないと思い爪を見せながら「どう思う?」とアルベルトに尋ねてみたという。しかし、アルベルトは「色が付いているな」と言っただけだったらしい。


 「それに、髪を見て!」


 ヴァルブルガはふわふわした髪を見せてきた。


 「あ! なんだかいつもと雰囲気違うよ」


 「そうなの! 前髪を切ったし、内巻きじゃなくて外巻きにしてみたの」


 うーん、とユウカは首を捻った。これは「可愛い」などの美意識を共有できる同性だからこそ小さな変化に気づくのであって、お洒落に興味がなく実益を優先する──特に軍人なら気づかないのも無理はないのかもしれない。


 「こういうの男性に気づいてもらうってかなりハードル高い気がするよ?」


 ユウカがそう言うと「でも、ユウカは気づいてくれたのに」とヴァルブルガは爪を眺めていた。ヴァルブルガはもしかしたらユウカが気づいたのだから、同じ人間としてアルベルトも気づけるはずと思っているのかもしれない。そこに性差は関係ないと思っているのだろう。


 ヴァルブルガはユウカの言葉を聞いて、肩を落とした。


 「私がわがままだっただけなのね…」


 「正直に言って早く仲直りしちゃいな!」


 ユウカはヴァルブルガの背中を押した。いつまでも恩人夫婦がギスギスしているのはユウカとしても悲しい。


 ヴァルブルガは朝食を食べ終わると、階下に降りて行った。ユウカは気を利かせてサンルームには近づかないことにした。


 そのあと、ヴァルブルガは嬉しそうにユウカに報告してくれた。もうストッキングを破いたことは怒っていないこと、そして服や髪型、化粧の違い、ネイルなどを褒めて欲しかったが、気づいてくれないので拗ねてしまったことを正直に話したらしい。


 アルベルトは「爪の良し悪しについてはよくわからないが、鮮やかな赤が映えていてとても似合っている」と言ってくれたらしい。そしてこれからはヴァルブルガも回りくどいことはしないようにするらしい。


 夫婦喧嘩は犬も食わないというけれど、恩人夫婦を仲直りさせたという重大なミッションを成し遂げたユウカは「いい仕事したな」と汗を拭いアップルサイダーを飲み込むのだった。

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