15話 運命を捻じ曲げたい
アルベルトは流暢なルチア語を喋っていた。捕虜の将校やヴァルブルガでさえ、アルベルトの顔が典型的なフリードリヒ帝国人の特徴を持っていなかったら、同郷の人間だと勘違いしてしまうくらいには上手かった。
もともと情報将校だったアルベルトが多言語を流暢に操れることに驚きはなかった。しかし、今までアルベルトは父の命日が近づいて不安定になってしまったヴァルブルガがつい漏らす母語を完璧に理解していたのだろう。なんだか少し恥ずかしくなった。
「俺を殺せよ、クソ野郎」
捕虜の将校はそう言ったが、体の痛みに顔を顰めた。
「お前は殺さない。妻の努力が無駄になるからな。尋問室で会えることを楽しみにしている」
アルベルトは悠然と微笑んだ。しかし、何故だか猛禽類が獲物を捕食するような鋭さがあった。彼は感情を押し殺しているだけで、静かに怒っているのだと感じさせる。
ヴァルブルガは治療を終えて、捕虜の病室から出た。捕虜たちに良い感情を抱いていない兵士もいるだろうから、捕虜は普通の病室から隔離されていた。
「アルベルト、助けてくれてありがとうございます。でも、どうしてここに」
「あの男の罵声が廊下まで響いていた」
アルベルトは体の機能を回復させるために院内を散歩していたらしい。寝てばかりでは体が鈍るからと。祈りの力は視力の回復だけでなく、火傷にも効いたようで医者も目を見張る速度で皮膚が回復しているらしい。
そして、ヴァルブルガがここにいることを輸血の瓶に付けられていた名札で知ったと教えてくれた。アルベルトはメルヒェンを話した看護婦がヴァルブルガであることを知っていた。
「話したいことがある。少し部屋に来て欲しい。アスペルマイヤー看護少佐にはあなたを少し借りると許可を得た」
アルベルトは穏やかだが有無を言わさないような迫力があった。ヴァルブルガは少し緊張して「ひゃい!」と舌を噛んでしまった。
もしかしたら自分の体に起きた奇跡を怪しんでいて、ヴァルブルガの祈りの力について根掘り葉掘り聞かれるのかもしれない。しかし、ヴァルブルガもなぜ自分が聖女として覚醒してしまったのか、本当のところはわからないから聞かれたらどう答えようか悩んだ。
アルベルトは部屋に入る時、ドアを開けてエスコートしてくれた。流れるような所作でレディファーストを行うアルベルトの姿を見て、今まで当たり前のように彼の優しさに甘えてきたんだとヴァルブルガは気づかされた。
アルベルトは自分が部屋に入ると後ろ手でドアの鍵を閉めた。カチャン、という音が響く。
「えっ!?」
ヴァルブルガは驚いて、アルベルトの顔と閉められた鍵を交互に見つめた。
「邪魔が入っては困るからな」
アルベルトの声は優しく甘い響きをしていた。窓辺の机には小さな花瓶に野花が生けてある。それを見てヴァルブルガは思わず「かわいい」と呟いた。
「ヴァルブルガもよく花の手入れをして、屋敷に飾っていただろう。華やかになって、案外いいものだな」
アルベルトはヴァルブルガを見つめて微笑んだ。ヴァルブルガは屋敷に花を飾っていたことを自分の趣味を押し付けていたと思っていた。でも、アルベルトに自分が影響を与えたということに、嬉しさを感じていた。
「だが、私は忙しさで花を枯らしてしまった」
アルベルトの視線の先は花瓶の花ではなく、ずっとヴァルブルガだった。花瓶の花は瑞々しく咲き誇っている。アルベルトは枯らしていない。きっとアルベルトは花ではなく、別のことを言っているのだ。
自惚れかもしれないが、ヴァルブルガはアルベルトが自分を花に例えて、仕事の忙しさを言い訳にしてヴァルブルガを見ていなかったと言っているように聞こえてしまった。
「やり直せるだろうか」
アルベルトが眉を下げてヴァルブルガを見つめた。きっとアルベルトは自分の顔の美貌に自覚的で、ヴァルブルガがその美貌に弱いことを知っている。自分が有利に進めるためには顔の良さを躊躇いなく使う人だ。
その時初めて、アルベルトがいつもヴァルブルガのために背を少しかがめていつも視線を合わせてくれていたことを知った。今まで当たり前に馴染んでいたから気づかなかった。
「でも私、酷いこといっぱいしてきましたよ。あなたのこと、拒絶した」
「私も急ぎすぎたことを反省している。お前の歩みに合わせる」
どうしてアルベルトはここまで優しいのだろうとヴァルブルガは胸が痛くなった。
「メルヒェン、ちゃんと最後まで聞いてましたよね。本当にわからなかったんですか? 私は、あなたを騙して──」
「騙されていない。最初から知っていた」
アルベルトは見合いをする前にヴァルブルガの人柄を知るためにこっそりキャバレーまで見にきていたらしい。ヴァルブルガはアルベルトにはしたない格好で歌って踊ったりしていたことを見られていたことに恥ずかしさを感じた。
アルベルトはヴァルブルガが仕事帰りにストリートチルドレンの花売りが困っているのを見かけ全ての花を買ってやるところを見たらしい。ヴァルブルガはそんなことがあったなんてすっかり忘れていた。
貧しい子供たちをヴァルブルガは放って置けなかった。祖国にいる子供たちを思い出させるから。そしてヴァルブルガの過去の姿でもあるから。きっと、ヴァルブルガはただの自己満足をしたにすぎない。
「お兄さん、これあげるわ。いっぱい買っちゃったから。お金を取るわけじゃないわ。幸福のお裾分けよ。ぜひ貰って行って!」
ヴァルブルガは自分買い占めた花を道ゆく人たちに配り始めたらしい。アルベルトもその花を貰ったそうだ。ヴァルブルガは結婚前にアルベルトと出会っていたなんて知らなかった。
「自分も大変な中、誇りを持って働き、弱いものを守る姿に感銘を受けた。もうその時から惹かれ始めていた。あなたの過去は関係ない。あなたが誇りを持って働くなら、看護婦だろうとストリッパーだろうと好きになる」
アルベルトがヴァルブルガの過去を受け入れてくれていたことに、ヴァルブルガは胸を打たれた。ずっと騙しているという罪悪感があったから。きっと打ち明けたら、捨てられ、「騙したな」と罵倒されると思っていた。
「ヴァルブルガ」
アルベルトが優しく名前を呼ぶ。気づけば彼の大きな体に包まれていた。抱きしめられたのだと気づくのに時間がかかった。急に体が発熱したかのように暑くなる。
「ずっとこうしたかった」
アルベルトがヴァルブルガの肩に顔を埋める。
「あ…あの、今たぶん私臭いと思うので。離れてくだひゃい」
「あなたの匂いがする。安心する匂いだ」
今のヴァルブルガはたぶんユウカみたいにフローラルな香りがしないことだけは確信があった。ヴァルブルガの顔が真っ赤になっているだろう。
「あなたには他に運命の人がいるから…だから…」
ヴァルブルガは恥ずかしさで涙目になっていた。
「あのメルヒェンか。私はそんな運命は受け入れられない。運命じゃなくても愛している。あなたがその運命とやらを信じているなら、俺は運命を捻じ曲げたい」
そのアルベルトの告白で、ヴァルブルガは自分が前世の記憶という呪縛が崩れていくのを感じた。小説の内容はどこまで正しいのだろう。
しかし、もう小説の内容はこの世界では役に立たない。アルベルトは最初からずっとヴァルブルガのことが好きだった。もしかしたら小説でも、アルベルトはヴァルブルガの喪失を埋めるためにユウカに恋したのかもしれない。
物語を歪めてしまったが、それでも生きていたいと強く願った。
「私も、運命を捻じ曲げたい」
ヴァルブルガがそう返事をするとアルベルトの顔がゆっくり近づいてくる。
(も…もしかして、ちゅーされちゃう!?)
こういう時、目は開けていた方がいいのだろうか。それとも閉じていた方がいいのだろうか。前世を通してもろくな恋愛経験がなかったヴァルブルガは混乱した。とりあえず、アルベルトの美しさに目が耐えられなかったのでぎゅっと目を瞑った。
唇に触れるであろう熱は来なかった。代わりに額に唇が押し当てられる。
「あれ?」
思わずヴァルブルガは目を開けた。てっきり唇にされるとばかり思っていた。なんだか期待していたみたいで恥ずかしい。
「どうした。いきなり唇にするのでは、趣がないと思ったが。……違ったか?」
アルベルトはヴァルブルガの顎に手を添え、親指で唇を優しく撫でた。その顔は少しいじわるそうに微笑んでいる。きっと彼はヴァルブルガがこういったことに怯えていると思って段階を踏んでくれたのだろう。
「あ…。すみません、私の勘違いです」
ヴァルブルガは穴があったら入りたいと思った。顔を隠したいのに、アルベルトに顎を掴まれているから俯けない。
「次はどこにして欲しい?」
アルベルトは楽しそうにヴァルブルガに尋ねる。アルベルトはヴァルブルガが恥ずかしがっているのを知っていて、わざとちょっとしたいじわるをして楽しんでいるのだとわかった。
小説で書かれていた「余裕そうで、私ばっかりがドキドキして恥ずかしい…」というユウカの気持ちがわかった気がした。
「く…唇でお願いします…」
ヴァルブルガは顔を真っ赤にしながら、消え入るような小さな声で喋った。自分から強請っているみたいで恥ずかしい。いや、実際に強請っているのだろう。
アルベルトは啄むように何度も触れるだけのキスを繰り返したがやがてヴァルブルガの口内に舌を入れて、舌を絡ませながら深いキスをし始めた。
(えっ、えっ!? どうしよう。どうするのが正解なの!?)
緊張で初夜の記憶が吹っ飛んでいるヴァルブルガはただ恥ずかしさと嬉しさで混乱しながら貪られるようなキスをされていた。
「鼻で呼吸するんだ」
キスの合間にアルベルトが耳元で囁く。どうしたらいいのかわからなかったヴァルブルガはキスの間呼吸を止めていたので、キスが終わった時には酸欠に近い状態になっていた。
「これから、教えることがたくさんありそうだな」
アルベルトはそう微笑んで、ヴァルブルガの首筋に噛みついた。思わず「いたっ」と小さな悲鳴をあげてしまったが、甘噛みだった。
「印だ」
アルベルトは満足そうに噛み跡を撫でる。アルベルトの瞳の奥に仄暗い何かが見えた気がしたが、ヴァルブルガはそれでも彼からの重い愛に嬉しさを感じるのだった。
***
視力が回復したアルベルトは司令官に復帰し、アルベルトの復帰により勢い付いたフリードリヒ帝国軍は快進撃を遂げる。北部連合が降伏し、調印式が済まされた戦勝記念日をヴァルブルガは病院で仕事をしながらむかえた。
誰もが勝利を口づさんでいた。解放された捕虜の群れが自分たちの国に向かって歩き出していた。皆が喜び、空に向かって空砲を撃った。ヴァルブルガは自分が負傷者を運ぶために自動車を止めようと空に向かって銃を撃った時を思い出した。
今は皆が勝利を喜んでいる。ようやく戦争が終わったのだとヴァルブルガは安堵した。物語と同じような結末ではなかったが、これからは物語に記されていない未来がやってくる。不安もあるが、ヴァルブルガはわくわくしていた。
ユウカはロズベルグの屋敷で引き取ることになった。ユウカはヴァルブルガの侍女として働きたいと言い出した。
(私がヒロインの侍女ポジションになりたかったのに、まさかヒロインが私の侍女になりたがっちゃうなんて)
流石にユウカを侍女として雇うのは心の整理がつかなかったから友人として、そして話し相手として屋敷に居てもらうことになった。
アルベルトは戦争が終わって戦後処理に忙しいようだったが、今日は久々に屋敷に帰ってきた。
「アルベルト、お帰りなさい!」
ヴァルブルガは玄関で待ち構えていた。自分に帰る場所はないとずっと思っていたがアルベルトはヴァルブルガの帰る場所になってくれた。だからヴァルブルガも彼の帰る場所になれればと思う。
ヴァルブルガはアルベルトに駆け寄り唇に触れるだけのキスをした。しかし、抱きしめられて逃げられなくなってしまう。
「かわいいことをしてくれるな。我慢していたのに、もう今夜は離してやれないからな」
アルベルトがヴァルブルガにだけ聞こえるように囁く。そのバリトンの声を聞いてヴァルブルガは体の芯がぞくぞくとした。
これからは物語は自分で紡いでいく。ヴァルブルガは自分の物語をもう「愚かな女のメルヒェン」としては語らないだろう。
きっとこう語るはずだ。
氷の鷹将軍の死ぬはずの悪妻ですが、なぜか溺愛されています。
これにて本編完結です。三話ほど後日談を投稿して完結とさせていただきます。ありがとうございました!




