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13話 ある少女のメルヒェン

 「看護婦さん」


 アルベルトが話しかけてきたので、ヴァルブルガはアルベルトが見えない状況であることを一瞬忘れて、勝手にロケットペンダントの中身を見たことを知られたのではないかと肩を振るわせた。


 「すまないが、何か話をしてくれないか」


 「話…ですか?」


 ロケットペンダントの中身を見たことを知られたわけではなさそうだ。ヴァルブルガはそっとロケットペンダントを閉じて机に置く。


 「あなたの声が妻に似ているから、落ち着くんだ。少しだけでいい、昔話でもなんでもいいから喋り続けてくれないか」

 

 妻に似ている──その言葉でヴァルブルガの胸は高鳴った。心臓がどくどくと鳴ってアルベルトに聞こえるかもしれないと恥ずかしくなった。


 「じゃあ、少しだけメルヒェンを。昔々、あるところに──」




***



 

 あるところに少女がいた。私たちの祖国は鉄条網で囲まれていて、家では神様と聖母の絵ではなく独裁者とその家族の写真を飾る。


 私たちは沈黙している。どこにスパイがいるか、わからないから。でも父はこっそり教えてくれる。


 心は自由でいいんだ


 そしてこっそり十字架に祈らせてくれる。体制下で迷信は禁止されていたけど、家の下には小人が住んでいるというメルヒェンを教えてくれる。


 私たちの国はすべて配給だ。長く列に並んで、先頭になると並ばなくてもいいくらいお金を持った人にその場所を売る。そしてまた後ろから並び直す。


 私たちはいつも飢えている。私たちはいつも歳をとっている。悲しいと歳をとる。子供はみんなお腹の中にいる時から親の心配事を聞かされるから。


 私たちは革命で転落した貴族の家系だ。体制に忠誠を誓うことと条件に両親は助命されたらしい。でもやっぱり怪しまれていて、窓の外にはいつも人がいる。


 父は歴史に詳しい。歴史だけじゃなくて、色んなことに詳しい。父より賢い人って見たことがない。父より優しい人も見たことがない。


 同志サネーエフは…いや、あの独裁者は、いつかこの犯罪の責任を取ることになる


 父はそう私に教えてくれた。私は馬鹿だった。父みたいに賢ければ良かったのに。私は学校で同級生とちょっとしたことで喧嘩して、父の言葉を出してしまった。


 それは嘘よ。だってお父さんは同志サネーエフはこの犯罪の責任を取ることになるって言ってたもん


 家に帰った時には母は怯えていて、玄関には秘密警察の人が来ていた。


 お嬢ちゃん、それはパパが言ったのかな?


 父は連行されて帰ってこなかった。両親は死刑判決が下されて、母は親類がいるフリードリヒ帝国に亡命した。私たちは人民の敵になった。


 母は壊れてしまった。愛していた父を娘のせいで亡くしたから。母は貴族としての優雅な暮らしを忘れていなかった。貴族としての教養を私に叩き込んだ。でも、壊れてしまった。


 母は散財を繰り返すようになった。私たちはいつも貧乏だった。母は父が亡くなったという心の穴を物で埋めようとした。


 母は私をキャバレーに売った。


 娘は大切に育ててきましたから、まだ処女なんです!


 母は私のことが嫌いかもしれない。父を殺してしまったから。でも母は私を連れて祖国から逃げてくれた。私が生きているのは母のおかげだ。だってそうじゃなかったら私は今頃、極寒の地の収容所ラーゲリにいたかもしれない。だからきっと母は私を愛している。


 オーナーはにこにこと私を受け入れた。


 亡命貴族のお姫様の転落として売れるぞ!


 私は脚が綺麗だったから深いスリットの入ったピッタリしたドレスを着せられた。


 ほら、歌って踊るんだ。蛇のように体をくねらせるんだ


 私の体はたくさんの目にさらされる。でも祖国で見張られていたときより多くはない。


 薄いネグリジェを着せられる。


 ほら、体をくねらせて転がりまわるんだ。甲高い嬌声を忘れるなよ


 客たちは私の体のあちこちに紙幣を入れてくる。私は触られるたびに体がぼろぼろと崩れていくような気がする。母は私のことは気にしない。


 胸も尻も減るものじゃないんだから、触らせておきなさい!


 でも母は私のことを処女のままにさせておく。その方が商品価値が高いから。私の稼いだお金はオーナーに手数料を引かれる。そして母が使ってしまう。


 アルコールがないと、母は父を思い出してヒステリックに泣く。だから私は母のために嫌な仕事を続ける。


 私の仕事はショーに出て歌って踊ることだ。男を誘惑するために扇状的な服を着て、嬌声を上げている。私は生きるためにこの仕事をしなければならない。大嫌いな仕事でも、祖国で強制労働をするよりマシだ。


 祖国は父を奪ってしまった。私はいつか祖国が鉄条網から解放されることを祈っている。父が言ったように独裁者は罪を償わなくてはならない。


 ある日、軍の高官の客が来た。


 私は君のお父さんの友人だ。生前、君たちを頼まれていたんだ。ようやく、見つけた。


 その人は私を見るとおんおんと泣いた。


 君はもうあんな下品なショーには出なくていいんだよ


 父の友人は私に縁談を持ってきてくれた。相手は彼の部下であり、優秀な男だった。彼には困窮しているご婦人たちを助けるためと説明された。私は父の友人の言うところの下品なショーに出ていたことは隠されて、ただの「亡命貴族の娘さん」ということになった。


 私はこの結婚は詐欺だと感じた。


 黙っているのよ。逃したら、これ以上いい話はないよ。ああ、良かった。あなたは大切にしてきたら、まだ処女なんだから!


 母はそう言って私の口を縫い付けてしまった。私が結婚する男は可哀想だ。でも、私は貧乏というものがどれだけ辛いかわかっているから、もう貧乏なのは嫌だ。パン屋の行列に並んで、先頭に来たら金持ちに譲る生活は嫌だ。


 私は結婚した。夫は真面目な軍人だった。私は沢山の男たちの視線に晒されたから、きっと普通の幸せは無理なんだと思った。


 初夜は怖かった。キャバレーの客に乱暴されかかったことがあるから。でも夫はキャバレーに来ていた男たちのように乱暴で私を舐め回すようには見なかったけど、私は男ってだけでもう怖かった。義務的に初夜を終わらせて、あとは拒否した。


 夫が可哀想だった。こんな女と上官からの圧力に逆らえなかったから結婚することになってしまった。


 たとえ、夫が外に女を作っても気にしないようにしよう。私はそれを許さなきゃならないのだから。むしろ、他の女の人に満たしてもらって欲しい。私は行為が怖くて仕方がないから。


 父の命日が近くなると私は神経質になる。


 あのメイドはスパイよ! 私を祖国に連れ帰ろうとしているんだわ!


 私はフリードリヒ帝国を愛しているって証明しなければ。そうすれば信用してもらえる。私に帰る場所はない。


 ある日、私は自分が物語の中の登場人物だと気づく。前世の記憶が蘇ったからだ。私はこのままだと死ぬし、夫には運命の相手がいる。


 私は身を引くことにした。




***




 アルベルトは静かにヴァルブルガの話を聞いていた。これはヴァルブルガがアルベルトに隠していた過去の話だ。でも、アルベルトに隠していることは彼を騙している気がした。


 「この話は、あなたの…」


 話ぶりに鬼気迫るものがあったのか、アルベルトも薄々勘づいたようだ。


 「これは、愚かな女のメルヒェンです。暗い話でごめんなさい」


 「いや、私が話してくれと頼んだんだ」


 アルベルトは何か続けようとしたが、そのまま眠りに落ちてしまった。眠剤が効いたようだ。ヴァルブルガはアルベルトが規則正しく呼吸しているのを確かめた。


 「あなたのことが、好きでした」


 ヴァルブルガは眠っていることを確認し、静かに呟くとアルベルトの額にキスを贈った。そして自分の恋にけじめをつけたのだった。

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