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12話 変わった世界

 「う…嘘だぁぁぁ」


 急に泣き崩れたヴァルブルガにユウカは戸惑っていた。


 「どうしたの、ヴァル! お腹痛いの!?」


 あわあわと焦り出したユウカはヴァルブルガを軍医の元へ連れていってくれた。そして軍医からは前線にいたことによる精神の消耗と、献血による貧血であると診断された。そして今日一日だけはヴァルブルガは休んでいいことになった。


 ヴァルブルガは自分に与えられたベッドで横になりながら、もう未来に向かう指針は何一つ無いことに絶望していた。


 (アルベルトは妻一筋…私のことが好き!?)


 推しに好かれているという情報を飲み込むのに時間がかかった。そして自分の存在がこの世でもっとも尊い推しカプを破壊してしまったという現実に涙が止まらなかった。


 (どうしてアルベルトは私のことが好きなの? 悪妻として酷いことばっかりしてきたのに)


 ロズベルグ家の執事からいつもヴァルブルガは「慎みというものを覚えてください」と散財にお小言を言われていた。


 推しにこんなことを思うのは大変失礼だとわかってはいるが、アルベルトは女の趣味が大層悪い。ベッドの中で悶々と考えていたら夜が明けてしまった。


 いつも通り、業務に取り掛かる。しかしいつもと違うことは今日から看護婦たちの中にユウカが混じっていることだ。看護婦の白衣とユウカの修道服は違うが、同じ白でよく馴染んだ。


 ユウカは看護婦の業務をするわけでは無い。患者たちのベッドを回って話を聞く。まだ手を動かせなかったり、切断してしまった患者たちの代わりに手紙を代筆していた。


 小説を読んだ時はそんなものかと気していなかったが、ユウカはこのフリードリヒ帝国の言葉を操れたし、文字も問題なく読み書きができた。彼女曰く、日本語と違うことはわかるけどなぜだか普通に使えるのだそうだ。


 これがヒロイン補正というやつだろう。異世界に来たのに、言葉が通じなければ恋愛という主軸からずれるだろうから。


 そしてユウカは患者たちの最後の言葉を汲み取り、遺書も書くようになった。お袋に、妻に、子供たちに、そう言ってもう死を間近にした人たちから家族への手紙を書いた。


 ヴァルブルガにはできなかった。戦死公報を送るだけだった。戦友たちの家族にどんな風に書いて渡せばいいのかわからなかった。最後の言葉というのはそれほど重い。


 遺書や手紙の代筆だけではなく、ユウカは自分でも手紙を書き始めた。家族がいなかったり、戦死していたり、敵に占領地された地区に住んでいたりと、手紙を受け取ることができない兵士たちのためにユウカが「見知らぬ女の子」になって文通していた。


 さすがは、ヒロインだとヴァルブルガは思った。バタフライエフェクトで変わってしまった世界で物語通りとはいかなかったが、ユウカは聖女として兵士たちに受け入れられ始めた。


 ユウカは一人で何通も書いた。腱鞘炎のようになってしまっても書くのをやめなかった。兵士たちはいつのまにか「見知らぬ女の子」から手紙が届くのを楽しみにしていた。筆跡が同じだから、薄々ユウカが書いていることはわかっていたのかもしれない。それでも楽しみにしていた。


 そして日々が過ぎていった。毎日が忙しすぎて、ヴァルブルガはいつのまにか物語の終盤に差し掛かっているなんて気づかなかった。


 その日、病院に司令官のアルベルトが担ぎ込まれた。これは物語のクライマックスのシーンだった。


 (アルベルト…! でももう物語は壊れてしまったのに)


 ヴァルブルガは動揺した。アルベルトは赴いた前線で閃光弾により負傷。視力が低下し、失明してしまう危機だった。物語ではユウカが聖女として「祈りの力」を覚醒させ、アルベルトは奇跡的に助かる。


 祈りの力は治癒能力のようなもので、ユウカがアルベルトへの愛情を自覚することが覚醒のトリガーだった。


 (どうしよう。ユウカはアルベルトを好きじゃないから祈りの力が発動しない。このままじゃアルベルトが失明する…)


 今からユウカにアルベルトを恋愛的な意味で好きになってもらうのは至難の技だった。ユウカはアルベルトを父親のような目で見ているのだから。


 運び込まれた病室には医者や看護婦がひっきりなしに出入りを繰り返していた。ヴァルブルガも補助で入ったが、アルベルトは目に包帯を巻いていて痛々しかった。火傷なども追っており、体にも包帯が巻かれていた。 


 他の患者たちの手当をしながらも、ヴァルブルガの頭の中には常にアルベルトの存在があった。患者たちからも「今日の看護婦さんは上の空だね」と言われることが多かった。


 夜の回診でヴァルブルガはアルベルトの担当をすることになった。アルベルトには睡眠薬が処方されていて、看護婦が点滴を変えてやらねばならなかった。


 「ロズベルグ閣下、体調はどうですか?」


 ヴァルブルガの足音を察知したのか、アルベルトはドアの方を向いていた。包帯の下にある目で見つめられていると思うとヴァルブルガが胸が締め付けられた。ヴァルブルガはアルベルトが目が見えていないから、自分のことにも気づいていないだろうと、ただの看護婦として接した。


 「もう消灯時間か」


 アルベルトは呟いた。包帯で覆われているのもあるが、視力が弱まっているので今のアルベルトには光を感知できなかった。昼夜の区別がつかないのでアルベルトは朝昼晩とそれぞれ定期的に看護婦が訪れる時で時間を測っている。


 「点滴を交換しますね」


 そう言ってヴァルブルガは眠剤を含んだ点滴に換えた。アルベルトは火傷のせいで、感染症になるリスクを抱えていた。彼の部屋に入れるのは医療従事者だけで、エメリヒもユウカも面会できないのだ。


 ユウカは自分の役目をこなしながらも、しきりにアルベルトを心配していた。祈りの力の発動条件は、ユウカがアルベルトへの愛情を自覚することにある。ヴァルブルガはバタフライエフェクトが起きたのなら、ユウカの祈りの力の愛情が、恋愛の意味ではなく親愛の意味でも発動しないかと願っていた。


 (このままだとアルベルトは、もう二度と光は見られないんだ…)


 こんなつもりじゃなかった。ヴァルブルガはただ生きていたいだけだったのに。ヴァルブルガが運命を変えてしまったから、ユウカとアルベルトは恋愛に発展せず祈りの力も発動しない。


 どうしてアルベルトの負傷だけ、小説通りなのだろう。取り巻く状況は全く違うのに。ヴァルブルガはユウカがアルベルトを恋愛的な意味で好きじゃないと知ってから、小説の世界は完全に崩れたものだと思っていた。


 アルベルトが小説通りに負傷しませんようにと毎日祈った。しかし、現実に起こってしまった。


 「体調はお変わりありませんか? 異変があったらすぐに呼んでくださいね」


 アルベルトには見えないとわかっていてもヴァルブルガは微笑みかけた。それは看護婦としての矜持だったから。今、アルベルトに必要なのは聖女の奇跡なのに、ヴァルブルガはただの無力な看護婦でしか無い。


 アルベルトの首に何か下げているのを見つけた。寝ている時に絡まって首が絞まったら大変だ。


 (ドッグタグかしら)


 「危ないですから、首にかけているものは外させていただきますね」


 そう言ってヴァルブルガが手を伸ばすと、アルベルトは「待ってくれ」と止めた。


 「これは大事なものなんだ」


 「しかし、首が締まる可能性がありますので…。ちゃんと近くの届く位置に置いておきますから」


 アルベルトは渋ったが、首が締まる危険性と治療の邪魔になる可能性を告げ、なんとか外させてもらった。ドッグタグだと思っていたものはロケットペンダントだった。


 ヴァルブルガがアルベルトの手が届く位置の机に置こうとした時、金具が緩んでいたのかそっと慎重に触っていたにも関わらず開いて中身が見えてしまった。


 (あっ…)


 その中身の写真を目にしてヴァルブルガは呼吸を忘れてしまった。口をぱくぱくさせて、うまく息が吸えなかった。水の中に突き落とされてしまったかのようだ。

 

 (私の写真)


 ロケットペンダントの中に入っていたのは結婚式の時の写真だった。写真の中のヴァルブルガは綺麗に飾り立ているが緊張からか、少しぎこちない笑みを浮かべている。隣に並ぶアルベルトは軍人らしく厳しい表情をしていた。


 先程アルベルトはロケットペンダントを大事なものだと言った。いつも肌身離さず持っていて、戦場ですら持って行ったのだろう。その様子にヴァルブルガは胸のあたりに何か熱いものが込み上げてきた。


 言いようのない思い。強い衝動。これを愛と言わずして何というのだろう。


 前世でカラーフィルムを見慣れていた記憶があるヴァルブルガにはロケットペンダントの中の白黒写真は逆に見慣れなかった。


 自分が聖女だったらすぐに祈りの力が使えたのに。そしてハッと気付く。自分は小説のヒーロー、アルベルトとしてではなくこの世界に生きる人間としてのアルベルト・ロズベルグを見たことがあったかと。


 (ずっと、見えていなかったんだ)


 この世界は小説なんだと、ユウカがアルベルトを好きじゃ無いと決定的に小説と違う展開になるまで気が付かなかった。ずっとわずかな「ずれ」を見ないふりをしてきた。


 (私、小説の中のアルベルトじゃなくて、今ここにいるアルベルトが好きなんだ)


 推しとしてのアルベルトはユウカ以外を好きになるなんて論外だし、解釈違いだった。でももうここは小説と同じ世界ではない。最初からヴァルブルガだけを好きだったアルベルトがいる世界だ。

 

 アルベルトの包帯姿を見て、ヴァルブルガは失ってしまったと感じていた涙が静かに溢れるのを感じていた。

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