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11話 妄想という名の集団幻覚を見たというの?

 後方の軍病院に移送される輸送車の荷台の中で、ヴァルブルガは自分の左手薬指に輝く金色を眺めていた。石などが車輪に当たる衝撃が直につたわる。


 「アルベルト…元妻の私にまで気を使ってくれるなんて」


 なんだか泣きそうになってしまった。自分から捨てたはずの指輪が何の因果かまたヴァルブルガの元へ帰ってきた。嬉しい──と感じてしまっている心を誤魔化すのは難しかった。


 アルベルトたちが前線に来た時に帯同していた従軍娼婦たちもやってきた。それまで大隊には女はヴァルブルガ一人であり、売春宿などなかった。戦闘が激化して、疲労困憊の兵士たちは欲を発散する体力も気力も奪われていたから、今までヴァルブルガは無事だった。


 しかし、アルベルトたちと共に来た増援により、戦線を押し返しつつある。そうすると兵士たちにも余裕が出てきて、戦闘の後兵士たちはいつも気が昂っていた。大事な看護婦を傷つけるわけにはいかないと、ヴァルブルガは土壕では寝る区画は分けてもらっていた。


 (でも、ユウカは可愛すぎるから危険よ! アルベルトが守ってくれてるはずだけど、聖女として有名になってないから小説より危ないかも)


 平和な現代からやって来たユウカは色々と危機感が足りなさすぎる。指輪はユウカにあげる方が良かったはずなのだ。アルベルトは冷酷に見えて実は優しさを隠しているだけだから、元妻のヴァルブルガを放って置けなかったのだろう。


 (まぁ、現代の感覚でいうと指輪の使い回しは印象悪いのかも)


 小説ではヴァルブルガが死んでたが、この世界ではヴァルブルガが生きているので余計に「使い回し」という印象がつくのかもしれない。


 もう物語通りにはいかないけれど、アルベルトが前線に来てくれたことで、戦況は変わった。このまま物語と同じく勝利で終わって欲しい。


 長い距離を揺られていた。そしてヴァルブルガは後方の軍病院に落ち着いた。前線では軍服が支給されたが、後方では看護婦と言われて想像する白衣が支給された。


 しかし腕章だけはそのままだった。ヴァルブルガは前線を共に掻い潜った腕章が相棒のような気がした。


 後方でも物資は不足していた。ヴァルブルガは血を五百ミリ取られた。しかし、献血すると体力を回復するために砂糖や挽き割り麦、サラミソーセージなど献血手当として食糧が貰えた。


 前線で痩せてしまっていたので、後方に来てから元の体重までとはいかなかったが太ってしまったほどだ。忙しかったが、最初に勤務していた病院みたいだった。


 病院に来てしばらく経った。患者は大量に運ばれて来て人手はいつも足りないので、徹夜は当たり前だった。仮眠時間が来てもなかなか寝付けず気がつけば起きる時間になってしまう。


 砲撃の音、銃声が頭の中で響いていた。シーツに包まって寝ていても、薄い軍外套を掛けただけの藁の上で寝ているような気がしてならなかった。


 そんな中、病院に従軍聖職者の女が来ると院長から朝礼の時に告げられた。看護婦や軍医たちは前線の兵士たちほど聖女に反感は持っていないようだったが、歓迎する様子もなかった。


 (ユウカがここに…? でもどうして。ユウカは最後までアルベルトの隣にいるはずなのに)


 もしかして遠距離恋愛イベントが発生しているのだろうか。もうヴァルブルガの持っている原作知識は何も役に立たないのかもしれなかった。真っ暗な闇の中を手探りで進んでいくような心地がした。


 数日後、ユウカは本当に負傷者の精神ケアを担当するとしてヴァルブルガの勤務する病院にやって来た。


 「ヴァル、久しぶり!」


 ユウカはヴァルブルガを見つけると子犬のように駆け寄って来てヴァルブルガを抱きしめた。髪から花束のようないい香りがする。ヴァルブルガはヒロインから慕われて天にも昇るような気持ちだったが、できればそれはアルベルトに向かってして欲しかった。


 「久しぶりね、ユウカ。でも、どうしてここに?」


 戸惑いながら、ヴァルブルガが尋ねるとユウカは少し照れたように頬を赤らめた。


 「私もヴァルみたいに、何か出来ることをしたかったの」


 ユウカは憧れてるの…と恥ずかしそうに付け加えた。ヴァルブルガはその言葉を聞いて衝撃でしばらく動けなかった。ヒロインを陰ながら支えるモブでいたいと思っていたのに、侍女ポジションをすっ飛ばしてヒロインの憧れになってしまった。


 (モブなのにめちゃくちゃ重要なポジションになってる!?)


 これはヴァルブルガが生きているからというバタフライエフェクトではなく、ヴァルブルガが行動してしまったがゆえに起きてしまったことだ。自分が大きく物語を変えてしまったという不安が襲いかかる。


 今まで、ヴァルブルガは自分の死はただの背景だと思っていた。離婚さえしてしまえばヴァルブルガの生死など物語に影響は与えないはずだと。しかし、もう取り返しのつかないところまで来てしまった。


 (物語を改変してしまった責任は取らなきゃ。どうにかして戦争が終結してアルベルトとユウカが幸せになるハッピーエンドに導かなくちゃ!)


 「アルベルトのそばにいなくてよかったの?」


 「アルベルトも許可してくれたし、それにこれが彼に恩を返すことにも繋がると思うから」


 ユウカの言葉や態度に好きな人と離れたという寂しさは感じられない。小説ではユウカを溺愛するアルベルトが彼女を手放したがらなかったはずだ。いつもそばにいて、ユウカを見た兵士たちが「聖女様の番犬に睨まれる」と恐れている描写もあった。


 「寂しくは…ないの?」


 ユウカがどのくらいアルベルトを好きなのかまだ未知数だった。


 「確かに戦場にいるから、心配だけど寂しいとは違うかな」


 ユウカはあっさりと言ってのけた。ユウカは恋愛に関してこんなにドライな性格だっただろうか。小説の中では等身大の恋する女の子という印象だった。ヴァルブルガの起こしたバタフライエフェクトが、ヒロインの性格にまで影響を与えてしまったのだろうか。


 「アルベルトのこと、好きじゃないの?」


 もう我慢できなくてヴァルブルガははっきり聞いてしまった。ヒロインが恋心に自分で気づくのが醍醐味だと思っていたがバタフライエフェクトのせいでもしかしたらまだ気づいていないのかもしれない。


 物語もだいぶ進行しているだろうし、そろそろユウカがアルベルトに好意を抱いていると自覚しなければならない時期だった。目立つ行為だが、まだヴァルブルガは恋をサポートするモブでいられるだろうか。


 「そりゃあ、好きか嫌いかで言われたら、保護してくれた恩人だし、好きだけど…」


 ユウカはいきなり聞かれて少し戸惑っているようだった。


 「恋愛として、彼が好き?」


 ヴァルブルガはこの言葉を言った後、唾を飲み込んだ。ついに、ついに聞いてしまった。焦りのような、不安のような、そして恋愛の話をしているという興奮が入り混じっていた。


 「まさか! ないない。だってアルベルトは既婚者だって聞いたよ」


 ユウカは「ヴァルったらおかしなことを聞くのね」と笑っていた。ヴァルブルガは確かに離婚届を置いていったはずだ。物語開始時点でアルベルトが独身でないのなら、全ての前提が間違っていることになる。


 「だ…大丈夫よ。彼はもう妻とは離婚してるわ」


 ヴァルブルガは冷や汗が止まらなかった。


 「え? でも妻一筋だってアルベルトの口から直接聞いたよ?」


 ユウカはアルベルトの部下が気を利かせて大隊付きの売春宿から妻に似た従軍娼婦を勧めたことがあるが、アルベルトは「黒髪だったら誰でもいいわけじゃない」と静かに怒り、従軍娼婦を追い返したという話をエメリヒたちから聞いたと話してくれた。


 エメリヒはアルベルトに気に入られようと従軍娼婦に接待を仕向けた部下を叱る仕事が増えて、げんなりしていたらしい。


 「それに、こんなこと言うとアルベルトはまだそんなに歳をとってないって怒るかもしれないけど。私、この世界に来て保護してくれたアルベルトのこと、第二のお父さんみたいに思ってるの。だから、恋愛的に好きってありえないよ!」


 ユウカの話を聞いて、ヴァルブルガは信じられず言葉を失った。ユウカがアルベルトを好きじゃない。それはヴァルブルガの原作知識が破壊されたことを意味していた。そして、とどめの「ありえない」という言葉がヴァルブルガの胸に深く突き刺さった。


 (じゃあ、推しカプの成立はもう永遠にありえないということなの…!?)


 ヴァルブルガは急に前世の記憶があやふやになっていくのを感じた。ヴァルブルガが信じていたことが現実に否定された。自分が読んでいたのは幻の産物だったのだろうか。


 (とりあえず、泣きたい!)


 ヴァルブルガは目の前の現実に崩れ落ちて、泣いた。

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