ヘンリー卿への報告
ロンドンのアシュフォード家のタウンハウスの書斎は、いつもと変わらぬ静寂と、古い革表紙の匂いに満ちていた。しかし、その机の向こう側に座るヘンリー卿の眼差しは、いつになく穏やかで、どこか遠くを見つめているようだった。
ジャックとスカーレットが並んで立ち、結婚の意志を伝えると、ヘンリーは手にしていた万年筆をゆっくりと置いた。
「……ようやく、決心がついたのかスカリー。ずいぶん待たされた。ようやくか」
老紳士の口から漏れたのは、叱責ではなく、安堵の溜息だった。彼は椅子に深く背を預け、スカーレットの隣で緊張に背筋を伸ばすジャックを、射抜くような鋭い目で見据えた。
「ジャック・キャンベル。知っての通り、スカリーはアシュフォードの一族が密かに受け継いできた『力』を宿しておる。そして、君たちの間に生まれる子供もまた、その不合理な力を受け継ぐことになるかもしれん」
ヘンリーの声が、重く響く。
「鉄と蒸気、そして計算された理性が支配するこの『合理の世界』において、不合理の力を宿す者を育てるのは容易なことではない。時代が進めば進むほど、その異質さは浮き彫りになるだろう。ジャック、君にその覚悟はできているのか?」
ジャックは一瞬、スカーレットの手を強く握りしめた。そして、迷いのない、力強い声で答えた。
「はい、ヘンリー様。もし我が子がその力を宿して生まれたとしても、彼らが合理の壁に押しつぶされ、自分を見失うことがないよう、僕がこの手でしっかりと守り抜く覚悟です。不合理を、愛すべき個性として支えてみせます」
その答えを聞き、ヘンリーはわずかに口角を上げた。まるで、若き日の自分にはできなかった答えを、目の前の青年が差し出したことを祝うかのように。
「……よろしい。ではスカリー、お前はどうだ。お前はその力を、今後はどうするつもりなのだ?」
スカーレットは窓の外に広がる、工場地帯の煙突から昇る煙を見つめた。そこには、魔法の炎よりも力強く、社会を動かす熱気が渦巻いている。
「お爺様。私は……もうこの力を使うことはないだろうと感じています。かつては魔法でしか成し得なかったことが、今ではジャックたちの作る機械によって、より確かに、より多くの人々のために実現されています。世の中の『合理』が、ようやく『不合理』に追いついてきたのです」
彼女はジャックの方を向き、誇らしげに微笑んだ。
「古の力が役割を終え、消えゆくのは少し寂しいことかもしれません。けれど、それが進歩というものだと、私は弁えております。私は魔女としてではなく、一人の人間として、ジャックと共に新しい時代を歩みたいのです」
ヘンリー卿は、長い沈黙のあと、一度だけ深く頷いた。
「不合理を飲み込み、さらに大きな合理を築くか……。行け、二人とも。アシュフォードの新しい歴史を、その手で書き換えるがいい」
書斎を出た二人の前には、夕陽に照らされたロンドンの街並みが広がっていた。魔法の杖の代わりにスパナを手に取り、二人は今、真の「大団円」へと向かって歩み出したのである。




