プロポーズ
その夜、アシュフォード邸の広大な庭園を望むテラスで、ジャックとスカーレットは並んで腰を下ろしていた。昼間の工場の熱気とは対照的な、静謐な夜の空気が二人を包み込んでいる。
「スカリー。今日、マイク・バートンさんが工場に来てね、ある申し出をしてくれたんだ」 ジャックは、マイクとのやり取りを丁寧に話し始めた。 「僕は、マイクさんにキャンベル号の販売を任せようと思っている。彼はダイムラーやメルセデスといった大陸の名車も扱う、ロンドンでも指折りの信頼されるディーラーだ。そんな素晴らしいクルマたちと僕たちの車が肩を並べてショールームに飾られる……それは、技術者としてこの上ない光栄だと思うんだ」
スカーレットは、隣で目を輝かせる幼馴染の横顔をじっと見つめていた。 「そうね、ジャック。マイクさんはお父様の代からの古いお知り合いですし、私たちも随分とお世話になってきたわ。彼なら私たちの『子供』を大切に扱ってくれるはずよ。ただ、契約の条件については、もう少し詳しくお話を聞いてみたほうが良さそうね。そこは私の『合理』でしっかり見極めさせてもらうわ」
スカーレットの頼もしい言葉に、ジャックはふっと緊張を解いたように笑った。しかし、すぐにその表情を引き締めると、落ち着かない様子で上着のポケットに手を入れた。
「……それから、スカリー。これを受け取ってもらえないか」
差し出されたのは、革張りの小さな、古びた箱だった。
「これは何?」 スカーレットが小首を傾げると、ジャックは少しだけ視線を泳がせながら言った。 「……開けてみてくれ」とつぶやく
そっと蓋を持ち上げると、月光を吸い込んで白く輝く、慎ましやかなダイヤモンドの指輪が姿を現した。スカーレットが息を呑むのを隣で感じながら、ジャックは意を決して、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「スカリー。僕は……君さえ構わなければ、これからの人生を、ずっと隣で一緒に過ごしたいと思っているんだ。技術のことだけじゃない。朝の紅茶を飲む時も、困難にぶつかる時も。僕のパートナーは、世界で君しかいない。……どうだろうか」
静寂が二人を包んだ。遠くで夜鳥が鳴く声が聞こえる。 スカーレットは指輪を見つめたまま、やがて悪戯っぽく、けれど慈しむような微笑を浮かべてジャックを見た。
「プロポーズ、というわけね。アシュフォードの令嬢としては、もう少しお洒落な場所や、飾った言葉があっても良かったかな、なんて思ってしまうけれど」
ジャックが「やっぱり……」と肩を落としかけたその時、スカーレットは温かな彼の手をそっと握りしめた。
「でも、今のあなたの言葉が、何よりも嬉しいわ。不合理なほど真っ直ぐで、ジャックらしいもの。……喜んで。あなたの申し出を、謹んでお受けします」
「……本当かい!?」 「ええ、本当よ」
スカーレットは、差し出された指輪を左手の薬指にはめた。 魔法が消えゆく時代の片隅で、二人の間には、どんな奇跡よりも確かな「意志」という名の絆が結ばれた。
アシュフォード邸のサンルームのガラスに反射する月明かりに見守られながら、若きエンジニアと魔女の令嬢は、新しい時代の門出を祝う静かな口づけを交わした。




