技術が魔法を超える?
影の一つが、あざ笑うようにキャンベル号のボンネットに手をかけた。その指先が、冷たい金属の肌に触れた、その瞬間——。
バチッ、と。
青白い火花が闇を裂き、激しい放電の音が静寂を打ち破った。
「ぐ、あああああッ!?」
呻きとも悲鳴ともつかぬ声が上がり、男の体が大きく弾け飛んだ。不意を突かれた仲間の影たちも、その異様な光景に足を止める。彼らの目には、暗闇に佇むキャンベル号が、青い燐光を纏って威嚇する巨大な生き物のように見えたに違いない。
「……この車は、お腹を空かせているの。無作法に触れる者には、容赦しないわよ」
スカーレットは上体を起こし、闇の向こうに潜む者たちを見据えた。その瞳は、焚き火の残光を反射して、人ならざる者のような冷徹な光を放っている。
痺れに震えながら男を抱え上げ、影たちはほうほうの体で闇の中へと消えていった。
「……ん、なんだ、今の音は……?」
騒ぎに気づいたジャックが、目を擦りながら起き上がる。スカーレットは何事もなかったかのように、冷たくなった指先を毛布の中に隠し、穏やかな微笑みを浮かべた。
「ただの火花よ、ジャック。マグネトーの調子を確かめていたの。……それより、少し冷えてきたわね。明日の峠越えに備えて、もう少し休んで」
ジャックは不思議そうに愛車の影を見つめたが、やがて「そうか……」と呟いて再び眠りに落ちた。
スカーレットは一人、暗い夜の底を見つめ続けた。 自分たちが運んでいるのは、単なる鉄とガソリンの塊ではない。それは、多くの者の羨望と憎悪、そして一人の男の無垢な夢を乗せた、重い重い「命」なのだ。
風が、遠くで獣の遠吠えを運んできた。 1000マイルの旅路は、まだ半分も終わっていない。
薄明の霧が野営地を包み込む、重苦しい朝だった。 焚き火の跡から立ち昇る細い煙が、湿った空気に溶けていく。
ジャックは、出発の準備を整えようと愛車の点検を始めていたが、背後に気配を感じて振り返った。そこに立っていたスカーレットの姿に、彼は息を呑んだ。
「……スカリー、その顔色は……」
スカーレットは、愛車のボディに辛うじて手をつき、幽かな震えを堪えていた。昨日の難所での氷魔法、そして夜通しの守護。彼女の内に流れる「力」の泉は、今や底をつき、ひび割れた大地のように乾ききっている。
「ジャック……ごめんなさい。今日は、あなたを手伝うことはできそうもないわ」
その声は、風に舞う灰のように脆かった。
「昨日の無理が祟ったみたい。それに、夜の番も……。今は、助手席に座っていることさえ、暗い淵に沈んでいくようで辛いの」
ジャックは工具を置き、彼女の冷え切った両手を包み込もうとしたが、その前に力強く頷いた。
「判った。もういいんだ、スカリー。君は、十分すぎるほど戦ってくれた。あとは……僕の番だ」
ジャックの瞳には、昨日までの迷いはなかった。彼は、エンジンの奥底を見つめながら、夜を徹して練り上げた思考を言葉にした。
「昨夜、君が眠っている間に考えていたんだ。魔法に頼らず、この鉄の心臓を冷やす方法をね。……いいかい、坂道で速度が落ちるのが問題なら、風を『作れば』いい。クランクシャフトにプーリーを取り付け、ベルトを介してファンを回す。そうすれば、車がどんなにゆっくり進んでいようと、エンジンが回っている限り、ラジエーターには猛烈な風が当たり続けるはずだ」
「……強制的に、風を……?」
「ああ。機械が吐き出す熱を、機械自身の力で追い払うんだ。……すぐに戻る。町外れの鍛冶屋か、他の脱落した車の残骸から、使えそうな部品を掻き集めてくるよ」
ジャックはそう言い残すと、霧の向こうへと駆け出していった。
スタートの刻限が刻一刻と迫り、周囲では大陸の強力なエンジンが咆哮を上げ始める。焦燥がスカーレットの胸を締め付け、意識が遠のきかけたその時——。
泥と油に塗れ、肩を荒く上下させたジャックが戻ってきた。その手には、不格好だが頑強そうな金属の羽根車と、革製の太いベルトが握られていた。
「間に合った……!」
彼は出発の合図を告げる役員の声を背に受けながら、ボンネットの中に身を躍らせた。火傷しそうなほど熱い金属の隙間に手を突っ込み、狂ったような手つきで部品を組み付けていく。ネジを締め、ベルトを張り、プーリーの噛み合わせを確かめる。
「ジャック、もう時間が……!」
「今だ……よし、かかった!」




