ジャックの告白
ヘンリー卿が議会のためにロンドンへ発って数日が経過したアシュフォード邸では 、主不在の寂しさよりも、どこか風通しの良い、賑やかな晩餐のひとときが流れていた。
食堂の重厚なシャンデリアの下、長男エドワードと長女マーガレットの笑い声が響き、テーブルを囲む家族の顔ぶれには穏やかな灯が灯っている。給仕たちが手際よく運んでくるのは、アシュフォード家の誇りである上質な羊肉のローストだった。
「やはり、我が家のロムニー羊は絶品だね」
家長代理を務めるウィリアムが、満足げにナイフを置いた。
「最近は植民地向けの生体輸出も好調だが、何より冷凍技術の進歩が素晴らしい。遠く離れた地まで鮮度を保って肉を届けられるようになったおかげで、我が家の養羊事業はまさに黄金期と言っていいだろう。かつてのように毛の価値だけで一喜一憂する時代は終わったのだよ」
ウィリアムの話に、エドワードも興味深げに頷いた。アシュフォード家のロムニー羊の毛は、最高級織物の分野ではメリノ種に一歩譲るものの、その圧倒的な耐久性ゆえに、カーペット生地や過酷な環境で使われる作業着などの分野では、依然として他を寄せ付けないシェアを誇っていた 。
「それにしても、キャンベル家は思い切りが良すぎたな」
ウィリアムは、ふと思い出したように言葉を続けた。
「マイケル叔父さんは、毛織物業に見切りをつけて電気自動車製造へ完全に舵を切ってしまったが 、カーペットや壁紙、それに丈夫な外套の需要はまだまだ根強いというのに。少し急ぎすぎたのではないかと心配になるよ」
その言葉に、母親のキャサリンが優しく微笑みながら、隣に座るスカーレットに視線を向けた。
「よそ様のお話よりも、スカリー。あなた、最近お爺さまとずいぶん仲良くなったみたいね。あんなに厳格な方が、あなたの帰りを心待ちにしていらっしゃるなんて」
スカーレットは、銀のフォークをそっと置き、落ち着いた声で返した。
「お母様、最近はお爺さまと鉄道車両事業についてお話しするのがとても楽しくて……。工場の熱気や、鋼が形を変えていく様子を伺うのは、本を読むよりずっと胸が躍ります 」
「ほう、それは驚いた」
ウィリアムがおどけたように肩をすくめ、スカーレットの顔を覗き込んだ。
「あのお爺さまが、『スカリーには事業家としての稀有な才覚がある』といたく感心しておられたぞ。あの頑固者に見込まれるなんて、一体どんな手を使ったんだい? 鉄道の車両の話で、老練な実業家を唸らせる娘なんて、イギリス中を探してもスカリーくらいなものだ 」
家族の温かな笑い声に包まれながら、スカーレットは微かに微笑みを返した。
(――お爺さまと共有しているのは、事業の話だけではないけれど)
胸の奥に秘めた「不合理な力」と、ジャックと共に歩み始めた「共犯者」としての道 。その秘密が、今この穏やかな食卓を支えるアシュフォード家の繁栄と、複雑に絡み合っていることを彼女は知っていた。
週に一度、ヘンリー卿からの招待という形で、ジャックはアシュフォード家の晩餐に席を置いていた。かつては緊張に肩を震わせていた彼も、今ではヘンリー卿と対等に、電気自動車事業の進捗や市場の動向について言葉を交わすようになっていて、厳格なヘンリー卿も、ジャックの持つ冷静な分析力と誠実な報告には全幅の信頼を置いており、食卓はいつしか、時代の最先端を語り合うサロンのような趣を呈していた。
食後の余韻が漂うなか、ヘンリー卿が書斎へと引き上げると、スカーレットとジャックはテラスへと続く温室の長椅子で、静かなひと時を過ごすのが常となっていた。
外では冬の月光がプラタナスの枝を白く浮き上がらせ、温室内は蘭の花の甘い香りが満ちています。そんな穏やかな静寂を破るように、ジャックがぽつりとつぶやいた。
「スカリー……僕は、嘘つきだ」
あまりに唐突な独白に、スカーレットは持っていたティーカップをそっとソーサーに戻し、彼を覗き込みました。
「……どういうこと? ジャック。おじい様にも、お父様にも、あなたはいつだって誠実でしょう」
「表向きはね」
ジャックは自嘲気味に笑い、組み上げた自分の指先をじっと見つめた。
「僕は、父さんの始めた電気自動車事業は、そう長くは続かないと思っているんだ」
「えっ……」
スカーレットは息を呑みました。二人が今、心血を注いで守り、育てている事業を否定するような言葉が、まさかジャック自身の口から出るとは思わなかったからだ。
「それはまた、どうして? あんなに順調に進んでいるのに」
「僕は知っての通り、以前ガソリン自動車を乗り回していた時期があるだろう? だから、両者の本質的な差がわかってしまうんだ。電気自動車とガソリン自動車では、超えなければならない技術的、そして社会的なハードルの高さがあまりにも違いすぎる」
ジャックの瞳には、夢想家ではない、冷徹なエンジニアとしての光が宿っていた。
「電気自動車は、バッテリー技術に革命的な進化が起きない限り、ガソリン自動車には勝てない。重くて、力も足りず、航続距離も短い。今の鉛蓄電池では、物理的な限界がすぐそこに見えているんだ」
「革命的に進化したバッテリーを……ジャック、あなたが開発することはできないの?」
スカーレットの切実な問いに、ジャックは静かに首を振りました。
「僕の手には余るかな。それは僕一人の努力でどうにかなるような、小さな『工夫』の次元じゃないんだ。それに……ガソリン自動車が抱えている振動や騒音といった課題を解決する方が、バッテリーの限界を超えるよりも、はるかに簡単で合理的だ」
ジャックの声は、どこか遠い未来を予見しているようでした。スカーレットは、彼の冷えた手のひらに自分の手を重ねました。
「それでも、あなたは今、電気自動車を作っている。嘘をつきながら……」
「ああ。たとえいつかガソリン車の咆哮に呑み込まれる運命だとしても、今、この静寂と清潔さを必要としている人たちがいる。その『一時の夢』を最高のものにするために、僕は君の魔法を借り、父さんの理想を形にしているんだ」
ジャックは、スカーレットの手を強く握りました。 二人の間には、時代の荒波がいつかすべてを押し流すことを知りながらも、なお手を離さない「共犯者」としての、切なくも深い絆が流れていました。




