ヘンリー・アシュフォードからの呼び出し
スカーレットは工房の隅、油と金属粉が飛び散る熱気の渦中で、マイケルとジャックの二人を見つけた。 彼らは膝をつき、分解された巨大なモーターの部品を前に、難しげな議論を交わしている最中だった。
「ジャック、それにマイケルおじさま」
彼女が声をかけると、二人は一斉に顔を上げた。 その顔には、深い疲労と、それにも勝る研ぎ澄まされた集中力が宿っている。
「ヘンリーお爺様が、お話があるそうなので、鉄道車両工場の事務所まで来ていただけますか」
その言葉に、マイケルは一瞬、怪訝な表情を浮かべた。 キャンベル家とアシュフォード家は確かに親しい間柄だが、ヘンリー卿が、今、この多忙な時に、わざわざ自分たちを呼び出す理由が思い当たらない。
「ヘンリー卿が我々に話があるって?」 「はい。すぐ来ていただくようにとのことです」
スカーレットの瞳は、いつも以上に真剣な光を湛えていた。 彼女の様子から、ただ事ではない重大な用件だと察したマイケルは、すぐに頷いた。
「分かった。ジャック、手を洗おう」
二人は大慌てで、工房の端にある水場へと向かった。 分厚く手にこびりついた、頑固な機械油を、石鹸で何度も何度も洗い流す。 だが、いくらこすっても、指の皺に入り込んだ黒い染みはなかなか落ちない。 彼らはその油の染みが、自分たちの努力の証であるかのように、わずかに残ったまま、スカーレットのあとを追って急いだ。
石造りの冷ややかな廊下を抜け、ヘンリーの事務所の重厚な扉を叩く。 ヘンリーは机の前に座し、穏やかだが威厳のある表情で二人を迎えた。
「いや、マイケル。そしてジャック。忙しいところを呼び出してすまない」
ヘンリーはそう言いながら、手で座るよう促した。 二人は固い木の椅子に腰を下ろす。
「単刀直入に話そう。今日、君たちを呼んだのは、我々の使っているバッテリーと、キャンベル家が今苦労して使っているバッテリーの違いを話そうと思ってのことだ」
その瞬間、部屋の空気が一変した。 マイケルとジャックの心臓が、まるでギアが噛み合うように、カチリと音を立てて高鳴った。
ヘンリーの言葉の意味を理解した二人の目から、一瞬にして疲労の色が消え失せる。 代わりに宿ったのは、探求者と技術者だけが持つ、純粋な、そして激しい知識への渇望だった。
アシュフォード家の――あの軽快な電気自動車の、まさに力の源。 長年、頑なに秘密にされてきた企業秘密、あるいはアシュフォード家の「秘儀」のようなものが、今、目の前で開陳されようとしている。
マイケルは身を乗り出し、ジャックは息をするのも忘れたかのように、ヘンリーを凝視した。 その瞳は、暗闇の中で鉱石を見つけ出した者たちのように、キラキラと強い光を放ち始めた。 彼らは、目の前に横たわる技術の壁を打ち砕くための、決定的な「鍵」が、今、老紳士の唇から零れ落ちるのを待っていた。
事務所の重々しい沈黙の中、ヘンリー・アシュフォードは組んだ指をゆっくりと解き、語り始めた。 彼の声は低いが、その一言一句には、技術の歴史と、家が背負ってきた重みが感じられた。
「マイケル、そしてジャック。君たちが今、TudorやChlorideといったメーカーから仕入れているバッテリーと、我が家の電気自動車に乗っているバッテリーは、本質的には同じものだ」
マイケルとジャックは顔を見合わせた。 鉛と硫酸、その基本的な仕組みは共通している。 彼らが何ヶ月も苦闘してきたのは、その「本質」の限界だったはずだ。
ヘンリーは続けた。
「だが、決定的な違いがある。それは、蓄電池内部の、電極と呼ばれる鉛板に施された細工だ。我々のバッテリーでは、電極の性能を極限まで上げるために、ある文様を刻み込んである」
ヘンリーの指が、静かに机の上を滑る。
「その文様は、アシュフォード家に古くから伝わる――雷の文様だ」
雷。 それは空を切り裂き、一瞬にして世界を照らし出す、強大な力の象徴。 マイケルは、その非科学的な響きに、反射的に疑念を抱いた。 彼もまた、技術者であり、合理性を重んじる事業家だ。
「ヘンリー卿」
マイケルは前のめりになり、切実な声で迫った。
「そんな、伝承のような文様が、本当に鉛の電極に刻まれているだけで、性能に劇的な差がつくものなのでしょうか?」
ヘンリーは責めるようなマイケルの問いを、静かに受け止めた。
「君の疑念は当然だ。私も、そして歴代のアシュフォード家も、合理的に考えれば疑わしいと思ってきた。だからこそ、この迷信じみた話を君たちには秘密にしてきた」
ヘンリーは厳かな瞳でマイケルを見据えた。
「だが、現実として、差がついているのだから認めざるを得ない。我が家の車が、君たちの車より軽快に、長く走れるという事実だけは動かせない」
その時、これまで静かに事態を見守っていたジャックが、深く息を吐いた。 彼の目は、科学的な疑問よりも、目の前の壁を乗り越えたいという職人の情熱に燃えていた。
「性能向上の打開策が、今、全く見えない状況です」
ジャックは静かに言った。
「雷の文様であろうと、何であろうと、今ここでそれを否定する権利は我々にはない。まずは、その文様を真似をして、試作してみましょう。そしてそこから、何故それが効くのかを、考えるのです」
スカーレットは、そのジャックの言葉を聞いて、胸の奥で熱いものが込み上げるのを感じた。
伝承と合理性。 科学と秘儀。
その間で揺れ動く現実を、ジャックは「とりあえず受け入れて、試してみよう」という、職人らしい、潔い一言で乗り越えた。
スカーレットにとって、それは信じられない現実でありながら、この膠着した状況を打破する唯一の道筋を示してくれる、ありがたい言葉だった。 この技術を継ぐ者として、彼女はジャックの純粋な探求心に、深く感謝した。




