スカーレットの懇願
キャンベル家の工房には、常に熱気と油の匂い、そして鉄が悲鳴を上げるような音が満ちていた。 かつては羊毛を織る軽やかな音が響いていたその場所で、いま、男たちは脂にまみれ、見えない「力」と格闘している。
機織り工場から選抜された職人たち、そして電気自動車のために招聘された技師トーマスまでもが、額に深い皺を刻んで図面を覗き込んでいた。 彼らが作り出そうとしているのは、馬のいない馬車――電気自動車だ。
歯車は、トーマスの提案で新型のヘリカルギアに取り替えられた。 噛み合う歯の音が静まり、駆動力は確実に増している。 モーターの出力も上げた。
だが、肝心の心臓が、重すぎた。
「駄目だ、すぐに息切れを起こす」
誰かが吐き捨てるように言った。 バッテリーだ。 鉛の塊のようなその蓄電池は、車体を押し潰さんばかりに重いくせに、蓄えられる力はあまりに少なかった。
チューダー・バッテリー・カンパニーや、クロライド・エレクトリカル・ストレージ・カンパニーといった名だたる商会に頼み込み、より良いものをと懇願しても、返ってくるのは「これ以上は今の技術では無理だ」という冷ややかな答えだけだった。
技術の壁という、目に見えない分厚い壁が、工房の空気を重く淀ませている。
その重苦しい空気の中、油で頬を汚したジャックが、ふと顔を上げてこちらを見た。 その瞳は、疲労の色こそあれど、少年のように澄んでいる。
「スカリー」
ジャックは親しみを込めた愛称で呼びかけた。
「どうして君のところの車は、あんなに軽快に走れるの? まるで、見えない翼でも持っているみたいだ」
スカーレットの胸の奥で、何かがチクリと痛んだ。 アシュフォード家の車が積んでいるバッテリーと、彼らが苦労して積んでいるそれとは、根本的に「質」が違う。 だが、それは家の秘中の秘だ。
「……私は専門の技師じゃないから、詳しいことは分からないわ」
喉の奥で苦いものを飲み込むように、スカーレットはそう答えた。 嘘ではなかったが、真実でもない。 ジャックの真っ直ぐな信頼を裏切っているという罪悪感が、じわりと胸に広がっていく。
彼らが流している汗を、夜通しの努力を、自分だけが知る「秘密」で見殺しにしているような心地だった。 (もう、黙ってはいられない)
スカーレットはその足で、祖父ヘンリーの元へ向かった。 書斎には、古びた羊皮紙とインクの匂いが漂っている。 ヘンリーは窓辺に立ち、庭の木々を揺らす風をじっと眺めていた。
「お爺様」
スカーレットの声に、ヘンリーがゆっくりと振り返る。 その厳格な老人の瞳に、スカーレットは怯むことなく自分の思いをぶつけた。
「もう、私は黙っていられません。バッテリーの秘密を、キャンベル家に話すことを許してほしいのです」
言葉が部屋の空気を震わせる。 ヘンリーは眉ひとつ動かさず、ただ静かに孫娘を見つめ返した。
沈黙が降りる。 それは、これから下される決断の重さを量る天秤のような時間だった。
スカーレットは重ねて懇願した。
「彼らは必死です。ですが、あのままでは道は拓けません」
ヘンリーはふう、と短く息を吐き、再び視線を窓の外へと戻した。 遠くを見つめるその目は、過去の時を遡っているようだった。
「マイケルには……」
独り言のように、ヘンリーが呟く。
「そうだな。マイケルには、アシュフォード家の牧羊事業を軌道に乗せるためにずいぶんと羊毛を仕入れてもらった恩義がある。あの時の助けがなければ、今の我々はなかったかもしれん」
ヘンリーの指先が、窓枠を軽く叩いた。 それは、迷いを断ち切る合図のようだった。 彼はゆっくりとスカーレットに向き直り、深く頷いた。
「よかろう。友の苦境に、知らぬ顔はできまい。打ち明けるか、我らの秘儀を」
その言葉に、スカーレットの胸から重い石が取り除かれたようだった。 強張っていた肩の力が抜け、熱いものがこみ上げてくる。
「スカリー、マイケルとジャックを呼びなさい。私から話そう」
ヘンリーの声は、厳かだが、どこか温かい響きを帯びていた。
「はい、お爺様」
スカーレットは深く頭を下げ、踵を返した。 その足取りは、来る時よりもずっと軽く、そして力強かった。 工房へ向かう廊下を急ぎながら、彼女はこれから開かれる新しい扉の予感に、胸を高鳴らせていた。




