キャンベル家の新事業
キャンベル家の営む電気自動車の事業は、分厚い霧の中を歩むようで、今一つ波に乗れずにいた。
一つには、馬車の権威を守るかのような古臭い法律である「赤旗規制」が立ちはだかったからで、もう一つは、未来を託されたはずの蓄電池の性能が、まだ世界の求める水準に届かなかったからだ。
工場で響く機械の音も、どこか嘆息めいて聞こえる。
ジャックはまだ、事業の舵取りを担う年ではなかったが、父の背中を覆う影の濃さを、子供心にも確かに感じていた。
新しい時代は、こんなにも重い鉄の枷を引きずって進むものなのか。 彼の瞳は、かつて蒸気機関に向けたような、きらきらとした希望の光を失いかけていた。
だが、あの日のことは、彼の記憶の中で決して消えない稲妻のように残っていた。
アシュフォードA発電所。ヘンリー・アシュフォード卿が築いた「合理の砦」の奥深く、構内用に置かれていたという小さな電気自動車。 スカリーに見せてもらったその乗り物に、初めて触れたとき、ジャックは文字通り雷に打たれたような感覚に襲われたのだ。
内燃機関のあの荒々しい唸りとはまるで違う、静かで、滑らかで、ほとんど生きているかのような加速と運転のしやすさ。 それは、彼が信じる「合理」の先に広がる、まさに革命の静けさであった。
「ジャック、なんだか元気がないわね」
ふいに、隣から柔らかな声がした。 スカーレットが、木漏れ日の斑点の下で、心配そうに顔を覗き込んでいる。 彼女の瞳は、彼の心の奥底まで見透かすかのように澄んでいた。
「ああ、スカリーか。たいしたことじゃないよ」
ジャックは、少し笑ってみせたが、その表情はすぐに翳った。
「うちで試作している電気自動車の性能が今一つでね。新しく雇い入れた技術者は、結局、『バッテリーの問題だ』の一言で片づけてしまうんだ」
「ああ、そういうことね」
スカーレットは静かに頷いた。彼女だけは知っている。 その「バッテリー」という合理の装置の裏に、どれほど不合理で強力な秘密が隠されているのかを。
「あの発電所の電気自動車を、また見せてもらえないかな」
ジャックの声には、切実な響きが混じった。
「比較的簡単な構造のどこに、あの驚くべき秘密が隠されているのか。もう一度、僕自身の目で確かめたいんだ」
スカーレットの心に、小さな波紋が広がった。 秘密を抱えた身としては躊躇すべきところだ。 しかし、友の真摯な探求心、そして彼の父の事業を救いたいという思いが、彼女の理性を凌駕した。
「いいわよ、ジャック。ヘンリーお爺様も、キャンベル家の事業を応援しているみたいだし。きっと、また見せてくださるわ」
二人は、蒸気と鉄の時代が終わりを告げようとしている街路で、秘密の約束を交わした。
一方には、理性の光で秘密を暴きたいという純粋な探究心。 もう一方には、その探究心に、古の雷の魔力という、決して知られてはならない秘密の鍵を渡そうとしている、複雑な決意があった。
***
夜の帳が下り、重厚なカーテンが閉ざされたアシュフォード邸の書斎には、暖炉の薪が爆ぜる音だけが響いていた。
祖父ヘンリー・アシュフォードは、革張りの椅子に深く身を沈め、手にした報告書に視線を走らせていた。 スカーレットは、その厳格な背中に向かって、意を決して声をかけた。
「おじい様。……私たちの電気自動車に使っている、あの技術のことですが」
ヘンリーの手が止まる。 スカーレットは、喉の奥に詰まった乾いた塊を飲み込み、言葉を継いだ。
「あのバッテリーに施した『強化の術』を、キャンベル家の自動車にも、分け与えることは叶いませんか。彼らは今、性能不足で苦境に立たされています。私たちの技術があれば、彼らの事業も……」
「ならん」
ヘンリーの声は、氷のように冷たく、鋭かった。 彼はゆっくりと椅子を回し、孫娘を射抜くような眼差しで見据えた。
「それは断じて許されぬ。よいか、スカーレット。電気自動車とは、蒸気機関を超え、新たな時代を切り拓く新たな『合理の砦』でなければならんのだ。その技術の根幹が、魔法という不合理な力によって支えられなければ使い物にならぬなどということは、あってはならない」
祖父の言葉は、アシュフォード家が守り続けてきた鉄の掟そのものだった。 だが、スカーレットもまた、譲れない思いを抱いていた。 彼女の脳裏には、苦悩するジャックの横顔が焼き付いている。
「でも、おじい様」
スカーレットは一歩踏み出した。
「私たちが発見した、古から伝わる雷の魔法。それを魔法陣の意匠としてバッテリーの極板に刻み込み、力を定着させるあの方策……。あれもまた、一つの『技術』とは呼べませんか? 圧倒的な効率と寿命をもたらすその術を、未だ誰も知らぬ最新技術の砦として捉えることは、できませんか」
彼女の言葉に、ヘンリーはわずかに眉を動かした。 孫娘の必死な抗弁に、ある種の成長を見たのかもしれない。 だが、老練な魔術師であり、冷徹な実業家でもある彼は、静かに首を横に振った。
「それは、今の科学技術が、魔法という事象を完全に解明し、数式と論理で御せるようになったならば、通る理屈かもしれん。だが、今は違う」
ヘンリーは立ち上がり、スカーレットの目前まで歩み寄った。 その威圧感に、スカーレットは思わず息を呑む。
「それに、だ。技術を供与するということは、その中身を明かすということだ。お前は、ジャック・キャンベルにどう説明するつもりだ?」
祖父の瞳の奥に、哀れみにも似た色が浮かんだ。
「ただの技術革新だと言って、ごまかし通せるものではない。あの鋭い少年ならば、必ずや違和感に気づく。その時、お前は……自分が魔女であることを、ジャックに打ち明けられるのか?」
スカーレットは言葉を失った。
ジャックの驚愕に染まる顔、そして軽蔑と恐怖が混じった眼差しが、ありありと脳裏に浮かび上がったからだ。 合理の世界で生きる彼に、不合理の象徴である自分の正体を明かすこと。 それは、二人の間に横たわる深い溝を、自ら広げることに他ならなかった。
「……それは」
スカーレットは唇を噛み、俯くことしかできなかった。 書斎の空気は、鉛のように重く、彼女の肩にのしかかっていた。




