ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ
講演会は、アシュフォードの町では珍しく、思いの外の盛況を見せていた。会場となった町役場の大きなホールは、最近設置されたばかりのアーク灯の青白い光が、天井の梁まで鋭く照らし出していた。
集まった聴衆の顔ぶれは、行政の担当者、石炭を扱う商人、そして蒸気機関で動いている工場の経営者といった、この町の「蒸気と合理」の秩序を築き上げた者たちが中心だった。彼らの硬い表情は、未来の技術や経済の動向を探るというよりも、自分たちの確固たる世界観を脅かす「不穏な異説」を検分しに来た、という雰囲気を漂わせていた。
その中にあって、スカーレットとジャックの二人は、まだ年若い学生の姿で、一際目立っていた。
壇上に立つウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズは、数字という名の冷徹な武器を手に、静かに、しかし容赦なく、彼らの世界の土台を抉っていく。
「我が英国の繁栄は、この豊饒なる石炭の上に築かれました。しかし、紳士諸君、数字は嘘をつきません」
彼の語る言葉は、すべてが鋼鉄の論理で編まれていた。
彼は、採掘技術の進歩によって石炭の価格が下がっても、その安さがかえって蒸気機関や工場での利用をさらに加速させ、需要が飛躍的に高まるため、効率化による恩恵はたちまち相殺されてしまうことを、具体的なデータと図表を提示しながら淡々と説明した。 そして、このまま楽観的な消費を続ければ、大西洋の向こうで急速に力をつけている新興国、アメリカに、石炭の枯渇を以ってして、イギリスはその産業的優位性を明け渡すことになる、と予言した。
聴衆の多くは、重厚な体を椅子に預けたまま、その話を信じていないようだった。彼らの心の中には、「我が国土には無限の石炭がある」という、17世紀から続く根拠のない信仰が深く根を下ろしているのだ。彼らは、ジェヴォンズの言葉を、単なる学者の戯言、あるいは不敬な悲観論として、静かにやり過ごそうとしていた。
だが、スカーレットは違った。
彼女の胸の奥深くには、祖父ヘンリーから受け継いだ、「この合理的な世界を維持するためには、不合理な秘密の力が必要である」という、世界そのものの常識の外にも世界が存在するという知識があった。 だからこそ、ジェヴォンズの言葉が、合理の世界の常識を覆すものでありながら、彼女の「常識の外の世界」の知識とは矛盾しない、一つの真実として響いた。
(この男の話は、嘘ではない。世界は、有限なものの集まりでできている。そして、その有限さを、誰もが信じまいとしているのだわ)
石炭後の世界。蒸気の唸りも、歯車の回転も、鉄の匂いも消え去った世界など、スカーレットには想像もできなかった。それは、世界そのものの終焉に等しい。だが、彼女は悟った。
(想像できなくとも、備えなければならない。私たち魔法協会が、この世界の底を支えているとしても、この文明を破滅から救うための新しい「不合理の土台」を見つけなければ)
一方、隣に座るジャックの思考は、スカーレットとはまったく異なる方向を向いていた。
彼は、ジェヴォンズが示した危機感を完全に受け止めながらも、絶望の色は微塵も見せていなかった。彼の眼差しは、彼の父の工場で日々改良され続けるボイラーや機織り機に向けられていた。
「スカリー。もし石炭がいずれ尽きるのなら、一塊の石炭から、より多くの力を引き出せばいいんだ」
講演会が終わり、ホールの外へ出た後の冷たい夜風の中で、ジャックは確信に満ちた声でスカーレットに語った。アーク灯の青白い光が、彼の若くも真剣な横顔を照らしていた。
「暖房器具や発電機、そして蒸気機関そのものに、さらに徹底した効率化を進めるんだ。無駄な蒸気を一切出さない。作った熱を一切逃がさない。そうすれば、僕たちの今の生活の質を少しも下げることなく、この文明的な、石炭利用による恩恵を享受できる期間を、もっともっと合理的に延ばすことができるはずなんだよ」
ジャックにとって、ジェヴォンズの警鐘は、文明を諦める理由ではなかった。それは、「合理」を極限まで追求し、世界を救うための、新しい技術革命への招待状に他ならなかった。
スカーレットは、石炭の枯渇という「合理の影」を前に、「不合理な力」による根本的な解決を模索し始めていた。一方、ジャックは、同じ危機を前に、「合理的な努力」による徹底的な最適化こそが道だと信じていた。
彼らは、同じ夜の冷たい光の下にいながら、すでに異なる未来への道の入り口に立っていた。




