森に捨てられた嘆き
「さあ、ここが『恐怖のコーナー』ってところさ、スカーレット。墓地では、染みの消去はできた。今度は発見だ。魔法の残滓が、どこにあるか見つけられるかい?」
森の中は、墓地よりも遥かに暗く、古い土と朽ちた木の匂いが満ちていた。そして、何よりも、魔力の淀みが濃いように感じられた。それは、水面に油が薄く広がるような、不快なざらつきだ。
「ここには、昔、串刺しにされた盗賊の幽霊が出るって言われているんだ。さて、その幽霊の正体は、どこから出てきているのかな?」
スカーレットは、深呼吸をして、オーウェンに教わった魔力感知に集中した。木々のざわめき、土の匂い、そして、微かに残る熱の痕跡。彼女の視線が、一本の古木へと注がれた。その木の幹は、他の木よりも黒ずみ、不自然な光沢を放っている。それは、まるで油絵具を厚く塗りつけたような、べっとりとした違和感だった。
「あそこ……あそこの木の幹に、魔力がべっとりと残っていますね」
スカーレットの指さす先を見て、ルーサーは満足そうに笑った。
「見えるようになってきたね。それは、盗賊の幽霊ではなく、哀れな野良魔法使いが、感情のままに力を叩きつけた、荒々しい痕跡だ。さあ、次はそれを、この世界から、静かに拭い去る番だよ。こびりついている量が多いから注意して掛かって」
スカーレットは、新たなぼろ布を手に取り、合理の世界の裏側へと、再び足を踏み出した。彼女の力は、もはや好奇心ではなく、世界の秩序を守るための、秘密の道具となりつつあった。彼女がぼろ布をその黒ずんだ幹に触れさせると、古木は拒絶の唸りをあげた。
「ルーサーさん、この魔力は消し去られることを嫌っているようです。どうすればいいですか」
「魔力の残滓と語り合ってごらん。どんな魔法使いがどんな気持ちで魔力を放ったのかが分かるよ。その内容によっては同情してやると消える。質が悪いのは同情すると乗り移ろうとする。見極めが大事だよ」
ルーサーの助言は、スカーレットの心に、古木のざらついた肌を通して、直接流れ込んできた。彼女は目を閉じ、魔力の奔流の心象を辿る。
浮かび上がってきたのは、串刺しの盗賊などではない、どこにでもいるような、短慮で哀れな若い男の姿だった。彼は恋人に振られたのだろう。そのやり場のない、世界のすべてを呪いたいほどの、どうしようもない感情。魔法が、その感情の熱に焼かれ、気味悪がられた。恋人にも、世間にも。 居場所を失った彼は、自分の持つすべての力を、この森の隅に、呪いのように捨てようとしたのだ。すべてを、残さず、ここに。彼の悲鳴と、世界の不条理への憤りが、樹皮の下で蠢いていた。
「恐怖のコーナーの幽霊は串刺しにされた山賊ではなくて、彼女に振られた魔法使いの様ですね。魔法が気味悪がられて、ここに自分の魔力を全部捨てようとしたようです。少し短慮で哀れですね」
スカーレットの言葉に、残滓の熱が、僅かに揺らいだのを感じた。
「スカリーが話を聞いてやったから少し残滓が薄れてきたかな」
ルーサーは頷き、その瞳の奥で、魔力の流れを測っていた。
「一気に魔力を通して、消してしまいなさい」
スカーレットは覚悟を決めた。古木に張り付いていた、あの短絡的な、しかし、切実な悲しみの残滓に、今度は彼女自身の清浄な魔力を、惜しみなく注ぎ込む。
失恋した若い魔法使いの魔力が、ぼろ布に吸い上げられ、彼女の魔力と混ざり合う。それは、泥水を清流で洗い流すような作業だ。ぐずぐずと消え去ることを拒んでいた黒い澱みは、優しい力と、聞き届けられた悲しみの前で、抵抗する力を失っていった。
古木の幹は、やがて、他の木と同じ、くすんだ茶色の肌を取り戻した。森の空気から、あの不快なざらつきが消え、清々しい木の香りが戻ってくる。スカーレットは、胸の奥で、一つ小さなため息をついた。
(これで、また一つ、世界の裏側の歪みが、元に戻った)




