不合理を拭い去る手
スカーレットは、手に持った粗末なぼろ布を、まるで教会の祭具のように大切に握りしめた。彼女にとって、それは単なる布ではなく、合理の世界の矛盾を消し去るための、秘密の道具だった。苔むした墓石に近づくと、魔力の残滓がこびりついた染みが、かすかに揺らめいて見える。彼女は覚悟を決めて、その不合理の痕跡に手を伸ばそうとした。
その時、隣にいたペネロペが、そっとスカーレットの手首に、柔らかい手を添えてくれた。
「ただ拭くんじゃないよ、スカリー」
ペネロペの声は、秘密を教える母親のように優しい。
「魔力を通しながら拭き取るんだ。その布には中和の魔法が込められているけれど、それが魔力の染みとしっかり馴染むには、お前の魔力を触媒として通してあげなくちゃならない」
ペネロペは尋ねた。
「自分の体の中の、魔力の存在は感じられるかい?」
「はい」
スカーレットは頷いた。オーウェンとの訓練で、彼女は自分の内側に、温かく、静かに流れる魔力の源があることを知った。それは、もう荒々しい暴発ではない。制御された、澄んだ水脈だ。
「オーウェンさんに習いました。魔力が体の中を流れる感覚は分かります」
「そう。じゃあ簡単だ。その魔力の流れがわかるんだったら、ぼろ布を持った手に、ゆっくりと、しかし途切れさせずに魔力を流しながら拭き取るんだ。君の魔力が、布に込められた中和の魔法を起動させてくれる」
「やってみます」
スカーレットは、集中した。自分の胸の奥から湧き上がる魔力の流れを、腕を通し、指先へと導く。そして、その力が布へと伝わるのを感じながら、そっと墓石の染みを拭き取った。
するとどうだろう。こびりついていたはずの、あの生々しい汚れは、摩擦や力で削り取られるのではなく、まるで水に溶けるように、跡形もなく消え去ったのだ。墓石の表面は、染み一つなく、清らかになった。
「……きれいになった」
スカーレットは、驚きと達成感で、息を詰めた。
「なかなか筋がいいね」
ペネロペは満足そうに微笑んだ。
「手間取る人もいるんだよ。特に魔力感知が苦手な人は、いつまでも染みが取れなくてね」
その言葉に、バイオレットが顔をしかめた。
「あら、ペネロペ。遠回しな言い方はやめてちょうだい。あなたが言いたいのは、私がなかなか上手くならなくて、ルーサーに『泥を塗った墓石に色を塗っているだけだ』って叱られたって話でしょう」
「あら、バイオレット。それは昔の話よね」
ペネロペは楽しげに、目を細めた。
「そうだよ、昔の話だよ!」
バイオレットはそう言いながらも、その口調には険がない。
スカーレットは、この、秘密を共有する大人たちの、軽やかで、しかし確かな連帯の中に身を置きながら、次々と魔力の破片や残滓を拭き取っていった。彼女の動きは、次第に流れるように滑らかになっていく。この地味で、誰にも知られることのない作業こそが、合理主義という名の世界の裏側を守る、魔法使いの仕事なのだ。彼女は、そうして一つ一つ嘘の合理を塗り固めていくことに、奇妙な静けさと、誇りのようなものを感じ始めていた。




