第26話 プログラム
翌朝、十二月二十五日。
田代が舞音を迎えにやってきた。
「ごめんなさい。田代さん……」
舞音が頭を下げる。誰よりも心配していたのは田代だと、舞音は理解しているのだ。
「心配しましたよ! ……でも、無事でよかったです……沙羅さんから知らせを頂いて安心しました」
そう言って屈むと、田代は舞音の肩に手を添え微笑んだ。
「お夕飯は舞音さんの好きなものにしましょう。何がいいですか?」
眼差しはやさしくて、まるで孫娘を愛でる祖母のように温かい。二人の間には、雇用主と使用人という垣根を超えた絆があった。両親に置き去りにされながらも、舞音が健やかに成長したのは、きっと田代のおかげだろう。彼女が舞音の養育係でよかったと、心から思う。
田代との再会を果たした後、舞音が私に別れを告げる。
「昨晩はお世話になりました。明日のコンサート頑張ってください! 私も観にいきます!」
「ありがとう! 舞音ちゃんの為にも頑張る!」
田代に手を引かれて舞音が去っていく。
振り返っては何度も手を振る姿に、目頭が熱くなった。
舞音の今後が良いものであるようにと、私はそっと祈った。
「今日は最後のレッスン! 頑張らないと!」
レッスンバッグを肩に、私はバレエ学校へ向かうのだった。
十二月二十六日。
メモリアルコンサート当日。
会場の最寄り駅で、私と咲良、相山の三人は待ち合わせていた。
歩いて十分ほどで白峰ホールに到着する。
白峰メモリアルコンサートは、白峰コンクールの入賞者から選ばれた十五組が出演する。
「ガラコンサートみたいですね!」
ガラコンサートとは、スターダンサー達が人気の演目を踊るものだ。Galaには祝祭という意味があり、バレエをお祭りのように楽しもうという趣旨で催される。
「そうだな! 咲良ちゃんはいいこという! 未来のスターが総揃いだ!」
言われて会場を見渡すと、正装をした男女が場の空気に華を添えていた。
「わっ、私も……そんな気がしてきました!」
彼らは出演者の身内や知人ではない、バレエ愛好家だろう。このコンサートは、私が想像する以上に注目されているのだ。
「ははっ! 緊張し過ぎ! リラックスして楽しめばいいさ!」
「はい!」
声を揃えて私と咲良。相山のいうとおりに、自分達は今日の舞台を楽しめばいい。
開幕は午後二時。二部形式で上演される。
「俺たちは二部に出演だ」
「一部は客席から観ることが出来ますね!」
「だな! 全部は無理だけど。序盤だけなら」
ロビーを歩いていると、見覚えのある二人組が視界に入った。
「さっ、咲良! 気を付けて!」
私は反射的に非常事態警報を発令する。
二人組はチュチュの記者だった。咲良の出演を聞きつけ取材にきたのだろうか。祝祭の場に不釣り合いな、隙の無い目つきで会場を見回している。
「大丈夫だよ?」
咲良は動ずることなく平然としている。
「で、でも……あれ? 今、こっち見たよね? なのに……」
彼らは咲良に気づくも反応せず、そのまま偵察を続けていた。
「そっか! バレコンの時に大騒ぎになったんだっけ?」
「はい。先月、発表会の合同レッスンにも来ました……他の生徒もいたので、ちょっと……」
言いづらそうに咲良が口ごもる。そういえば、二人組のうちの一人が、スケジュールを間違えてやって来た記憶がある。あの日は、体調が悪そうに見えたが、無事に帰れたのだろうか。
「それは災難だったね? 咲良ちゃん。でも、今日のターゲットは別だな」
「そうみたいです」
相山の言葉に咲良がうんうんと頷く。
「どういうことですか?」
「今日の目的はルカさんだ。彼女ちょっとしたスターでさ~! 留学生活がテレビで放映されたこともある」
楡咲バレエ学校の発表会は、たった一か月前のことだった。それなのに今回は見向きもしない。トレンドの流れは速すぎて、私はすっかり取り残されたようだ。
だが噂のルカは見当たらない。
いつ到着するのだろう。
「マスコミは俺たちなんて歯牙にもかけてないわけだ。奴ら後悔するぞ!? 未来のプリマがここに二人もいるのに!!」
「相山さんたら!」
おどける相山が可笑しくて笑ってしまった。
「でも……ルカさんの出番が最後でよかったです」
事前に渡されたプログラムに視線を落とす。最後のページの一番下に「平山ルカ」と名前だけがあった。
「気にすんな! 沙羅ちゃんも、咲良ちゃんも。いつも通りに踊ればいい! オーケー?」
「はい!」
声を揃えて私と咲良。
共演するのが相山でよかったと思う。楽しんで踊るといいながらも、本番前の緊張は免れない。彼の明るさが場を和ませるのだ。
だが数分後の説明会で、私は唖然とする。
「……私達がラストなんですか?」
係員が事情を説明する。出演者の中で唯一パ・ド・ドゥであること、パリの炎がラストを飾るに相応しい華やかな演目であること。それらを考慮した上での変更だという。
「急な変更で申し訳ございません……平山さんは金平糖のヴァリアシオンを踊ります」
「……金平糖の精……」
自分がラストなのは、百歩譲ってよいとしよう。
だが、問題は直前が平山ルカであること。
彼女のジゼルは精霊そのものだったと、咲良が言った。
きっと金平糖の精も完璧に踊るに違いない。
そんな彼女の後に踊るなんて。
スーッと、血の気が引いていくのが自分でもわかった。
「だっ、大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ!?」
係員が心配そうに私を覗き込んだときだった。
「はい! 私! 私がジャンヌを演ります!! 有宮さんが体調不良なら私が!!! 振りは覚えてます! もちろんドルネシアも踊ります!」
背後から強く激しい自己アピール。
彼女はジャンヌを踊りたがっていて、まだ諦めていなかった。
ルカの後に踊るのは嫌だと言っていたのに、この熱さ、この勢い。
「……だ、だだっっ、大丈夫です! ラストでも平気です! 私が踊ります! ジャンヌ!」
怯んでいては役を持っていかれる。
負けないように自己アピール。
私と咲良のやりとりに係員がドン引きしている。
「……がっ、がんばれよ!?」
相山も、だ。
私だって、咲良の意欲には驚かされてばかり。
咲良に悪気はない。全くない。
だが、危機感を持ったのは何度目だろう。
油断大敵、好事魔多し、虎視眈々。
不穏な言葉が頭の中でシャッフルする。
「……ま、やる気のあることはいいことさ! その調子で!」
「はい!」
咲良のおかげで迷いが吹き飛んだ。
何が幸いするかわからないと思う。本当に。
説明会が終わると、私達は座席へと向かった。
開幕の宣言がされ、いよいよ出場者の演技が始まる。
プログラムで一番目の演目を確認する。
――黒鳥のヴァリアシオン。
黒鳥は白鳥の湖三幕に登場する悪魔の娘。王子を誘惑する悪女だが、ヒロインに劣らない魅力がある。技術だけではなく、複雑で高い演技力が必要なのだ。
私は掌を握りしめて、トップバッターの登場を待った。
鳥が羽ばたくように現れると、位置に着いてプレパラシオン。
ピルエットをしながらアティチュード。
バランスを保ちながらポーズ。
ア・ラ・スゴンド(横)に脚を上げて回転。
(……素敵……)
連続のターンを難なくこなしている。
バランス感覚がよい踊り手なのだ。
鳥の羽ばたきを模したステップに続く跳躍。
空中での姿勢も美しい。
音楽と共に最後のポーズをとると、彼女は誇らしげにルベランスをした。
私は素晴らしいダンスに魅入られていた。
「……沙羅ちゃん。そろそろだ……退散しよう……」
「……わかりました……」
舞台の邪魔にならないように、小声で声を掛け合う。
黒鳥の次はメドーラ。演技が終わると拍手が沸き起り、歓声が上がった。
「席を立つなら今だ……」
相山の合図に頷く私と咲良。
今なら迷惑をかけずに移動が出来る。息を潜めて身を屈めると、私達は歓声に紛れて出口へと向かった。
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