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彼女と天使とバレエ+巡礼  作者: 志戸呂 玲萌音
第七章

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第25話  大切なひと

 電話を終えた後、私は客間へと向かった。舞音は眠れているだろうか。そっとドアノブを回したときだった。


「……プリンセス……」


 小さな声に迎えられる。


「ごめん。起こしちゃった?」


「いいえ……来てくれないかなぁって、待っていました。お詫びをしたかったんです……予定があったんですよね? 素敵な青い服を着ていました」


「気にしなくていいのに……舞音ちゃんの無事が一番なの」


 私はベッドに近づくと、舞音の足元に腰をおろした。


「あの公園は、幼稚園の遠足でいきました……その時、初めて母が同行してくれたんです。いつも田代さんに任せっきりだったのに……何も言わなくてもわかりました。きっと母はこの場所に思い出があるんだって。クリスマスツリーにも……」


 思い出。

 舞音が知らない母親の過去。

 舞音の生まれる前の話かもしれない。


「母には好きな人がいました。でも、結婚は私の父としました。祖母の家で使用人達が話しているのを聞きました……世界中の世界遺産を撮影するカメラマンだったそうです。何故別れたのか、その方が今どうしているかはわかりません…………父は働きぶりを祖母に認められた人でした。平凡な家庭で育ったので、縁故や後ろ盾がありませんでした。父が仕事人間になったのは、それを挽回するためかもしれません」


 舞音の母親は、別れた恋人の面影を追って、世界中を旅している。それで幼い娘に無関心なのか。父親にも言い分はあるだろうが、子供を放置していいはずがない。両親の身勝手のせいで、舞音は孤独を強いられているのだ。


「母は子供のようにはしゃいだり、懐かしんだりしていましたが、家に戻ると部屋に籠ってしまいました……扉の向こうからすすり泣く声がしました……」


「……」


「母は後悔しているんです。大切な人の手を放してしまったことを……」


「舞音ちゃん? お話していると眠れなくなっちゃう……ね?」


 だが、舞音はまだ話し足りないようだった。子供に夜更かしをさせるのは気が引けるが、ため込んだ思いを吐き出させることも必要かもしれない。


「誰かと約束があったんですよね……相手は結翔ですか?」


 舞音の声が固く冷たくなった。


「彼はダメです。にこにこしていても本音を見せません。ああいう人間を信用してはいけません」


「まっ、舞音ちゃん?」


 厳しい。舞音の結翔に対する評価は厳しすぎる。

 これでは誤解を解くのは無理かもしれない。


「菜々美ちゃんとお出かけしたとき、彼を見かけました。そのとき教えてくれたんです。いろいろなこと……“人は見かけによらないわねぇ~!?”って菜々美ちゃんは呆れていました」


「……」


「私も直ぐには信じられませんでした……優しそうな人に見えたので」


 結翔に対する舞音の第一印象は正しい。彼は心優しい青年なのだ。


「でも、周りの大人達に気を遣って、笑顔を振りまいていて……空々しかった……菜々美ちゃんの話は信用していい……と、思いました」


「舞音ちゃん……!」


 口にしかけた言葉を飲み込む。舞音は噂に惑わされず、自力で判断を下したのだから。


「……でもプリンセスと一緒だと、結翔の笑顔が本物になります。表面的な作りものではなくなるんです」


 草木を揺らす風のような囁き。常夜灯の下、室内は静謐な空気に包まれていた。


「舞音ちゃん?」


「彼は見つけたんです……手を離してはいけない人を」


「……まっ、舞音ちゃんはそう思うの? 結翔さんは大切な人を見つけたと。そう思うの?!」


 舞音は時折、物事の本質を見抜いたような発言をする。まるで教えを授ける賢者のように。私は聞き洩らさないように耳を傾ける。


「はい。プリンセス……離さないでください。大切な人の手を……夢も」


「わかった。離さない……」


 私には迷いがあった。結翔は遠くない将来、沢山の人を導くリーダーになる。そのとき自分は彼の隣にいていいのかと。


「絶対に……離さないから……」


 静けき夜。私は小さな手をとり誓う。舞音に、自分自身に。私は成長するのだ。そして結翔に相応しい人になるのだと。


「でも、もう寝ないと。疲れたよね?」


「はい……あの……もう少しだけ」


「うん? なにかな~」


「あの……アントワネットはそんなに悪い王妃だったのでしょうか? 処刑されてしまうなんて……肖像画を見たことがあります。青いドレスを着て薔薇を手にしていました。すごく奇麗だった……今日のプリンセスの服に少し似てました」


 なんて難しい質問をするのだろう。とても五歳児とは思えない。


「うーん? そうだね~。私もよくわからないけど……問題はそんなに簡単じゃなかったみたい。なんていうのかな? いろんな人の気持ちがぶつかってしまったの」


 ジャンヌを踊るようになって、私は少しだけフランス革命について学び直した。


 革命の背景には、古い身分制度がいき詰まっていたこと、産業革命を起こしたイギリスとの経済的な競争に負けたこと、伝統を批判する新しい思想の広まりがあった。


 その上、国家財政は慢性的な赤字が続いていた。オーストリア公女のアントワネットがフランスに嫁いできた時には、ルイ十四世時代からの、戦争や宮廷費による莫大な負債があったのだ。


 十四歳で嫁ぎ、十九歳でルイ十六世の即位と共に玉座に就いた。激動の時代を生き抜くにはあまりにも若過ぎたのだ。


「それでも……もしかしたら……仲間外れにされたお友達や、お腹を空かせた子供の気持ちを思い遣れれば、もう少し違う人生があったかもしれないね?」


 私は亡き公女に思いを馳せる。


「プリンセスなら大丈夫です!」



 舞音はベッドから身を起こして、目尻の上がった瞳をキラキラと輝かせた。


「プリンセスなら立派な公女になれます! 私を助けに来てくれました。守ってくれました! プリンセスに抱きしめられると温かくて、もう大丈夫! って、安心出来ました…………ふわぁ……」


 眠そうに眼をこする舞音。少し喋り過ぎてしまった。舞音に必要なのは休息なのだ。


「……舞音ちゃん……そろそろ……」


 覗き込むと、舞音はいつの間にか眠り込んでいた。あどけない寝顔を見ると、フランス革命を語り合ったことが嘘のようだ。

 

 私も休まなくては。

 明日は最後のレッスンがある。


(……それにしても)


 今日の自分はどうかしていた。舞音は賢い子だから、待っていれば戻ってきただろう。自分はいったい何をしたというのか。


 塔ノ森家のクリスマス会を無断欠席。木下に無茶ぶりをして車を走らせ、雇い主に逆らわせてしまった。


 私は沢山の人に迷惑をかけ、心配をさせた。だが、そうせずにいられなかった。舞音を捜さなくては。その一心だった。


 約束を破った私を結翔は許してくれた。何も聞かずにいてくれた。


 「沙羅ちゃんの決めたことだから」


 結翔の言葉を胸の奥で繰り返す。


(……えっと……)


 何だろうこの違和感。あの時の自分は我を忘れていた。

 考えるゆとりは微塵にもなかったのだ。


(でも、本当に?)


 自身の心に問いかける。

 あの時、自分は衝動だけで動いたのかと。


 ――ドキン。


 鼓動が高鳴り、息が詰まるようだ。


 自室に駆け戻るとパソコンを立ち上げ、プリマ達の動画を再生する。

 世界中の観客を熱狂させたジャンヌだ。


(もしかしたら……)


 自分は大きな思い違いをしていたのかもしれない。

 大切なことを見落としていたのではないか。

 画面を凝視しながら私は必死で探し続けた。


(……見つけた!)


 私だけのジャンヌを見つけた。


 だが、明後日の本番に間に合うのか。

 明日が最後のレッスンで、残すは一日しかない


(大丈夫!)


 後一日ある。

 一日あれば、私だけのジャンヌを作ることが出来るのだ。



 

 


ここまでお読みいただきありがとうございました。

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