第25話 大切なひと
電話を終えた後、私は客間へと向かった。舞音は眠れているだろうか。そっとドアノブを回したときだった。
「……プリンセス……」
小さな声に迎えられる。
「ごめん。起こしちゃった?」
「いいえ……来てくれないかなぁって、待っていました。お詫びをしたかったんです……予定があったんですよね? 素敵な青い服を着ていました」
「気にしなくていいのに……舞音ちゃんの無事が一番なの」
私はベッドに近づくと、舞音の足元に腰をおろした。
「あの公園は、幼稚園の遠足でいきました……その時、初めて母が同行してくれたんです。いつも田代さんに任せっきりだったのに……何も言わなくてもわかりました。きっと母はこの場所に思い出があるんだって。クリスマスツリーにも……」
思い出。
舞音が知らない母親の過去。
舞音の生まれる前の話かもしれない。
「母には好きな人がいました。でも、結婚は私の父としました。祖母の家で使用人達が話しているのを聞きました……世界中の世界遺産を撮影するカメラマンだったそうです。何故別れたのか、その方が今どうしているかはわかりません…………父は働きぶりを祖母に認められた人でした。平凡な家庭で育ったので、縁故や後ろ盾がありませんでした。父が仕事人間になったのは、それを挽回するためかもしれません」
舞音の母親は、別れた恋人の面影を追って、世界中を旅している。それで幼い娘に無関心なのか。父親にも言い分はあるだろうが、子供を放置していいはずがない。両親の身勝手のせいで、舞音は孤独を強いられているのだ。
「母は子供のようにはしゃいだり、懐かしんだりしていましたが、家に戻ると部屋に籠ってしまいました……扉の向こうからすすり泣く声がしました……」
「……」
「母は後悔しているんです。大切な人の手を放してしまったことを……」
「舞音ちゃん? お話していると眠れなくなっちゃう……ね?」
だが、舞音はまだ話し足りないようだった。子供に夜更かしをさせるのは気が引けるが、ため込んだ思いを吐き出させることも必要かもしれない。
「誰かと約束があったんですよね……相手は結翔ですか?」
舞音の声が固く冷たくなった。
「彼はダメです。にこにこしていても本音を見せません。ああいう人間を信用してはいけません」
「まっ、舞音ちゃん?」
厳しい。舞音の結翔に対する評価は厳しすぎる。
これでは誤解を解くのは無理かもしれない。
「菜々美ちゃんとお出かけしたとき、彼を見かけました。そのとき教えてくれたんです。いろいろなこと……“人は見かけによらないわねぇ~!?”って菜々美ちゃんは呆れていました」
「……」
「私も直ぐには信じられませんでした……優しそうな人に見えたので」
結翔に対する舞音の第一印象は正しい。彼は心優しい青年なのだ。
「でも、周りの大人達に気を遣って、笑顔を振りまいていて……空々しかった……菜々美ちゃんの話は信用していい……と、思いました」
「舞音ちゃん……!」
口にしかけた言葉を飲み込む。舞音は噂に惑わされず、自力で判断を下したのだから。
「……でもプリンセスと一緒だと、結翔の笑顔が本物になります。表面的な作りものではなくなるんです」
草木を揺らす風のような囁き。常夜灯の下、室内は静謐な空気に包まれていた。
「舞音ちゃん?」
「彼は見つけたんです……手を離してはいけない人を」
「……まっ、舞音ちゃんはそう思うの? 結翔さんは大切な人を見つけたと。そう思うの?!」
舞音は時折、物事の本質を見抜いたような発言をする。まるで教えを授ける賢者のように。私は聞き洩らさないように耳を傾ける。
「はい。プリンセス……離さないでください。大切な人の手を……夢も」
「わかった。離さない……」
私には迷いがあった。結翔は遠くない将来、沢山の人を導くリーダーになる。そのとき自分は彼の隣にいていいのかと。
「絶対に……離さないから……」
静けき夜。私は小さな手をとり誓う。舞音に、自分自身に。私は成長するのだ。そして結翔に相応しい人になるのだと。
「でも、もう寝ないと。疲れたよね?」
「はい……あの……もう少しだけ」
「うん? なにかな~」
「あの……アントワネットはそんなに悪い王妃だったのでしょうか? 処刑されてしまうなんて……肖像画を見たことがあります。青いドレスを着て薔薇を手にしていました。すごく奇麗だった……今日のプリンセスの服に少し似てました」
なんて難しい質問をするのだろう。とても五歳児とは思えない。
「うーん? そうだね~。私もよくわからないけど……問題はそんなに簡単じゃなかったみたい。なんていうのかな? いろんな人の気持ちがぶつかってしまったの」
ジャンヌを踊るようになって、私は少しだけフランス革命について学び直した。
革命の背景には、古い身分制度がいき詰まっていたこと、産業革命を起こしたイギリスとの経済的な競争に負けたこと、伝統を批判する新しい思想の広まりがあった。
その上、国家財政は慢性的な赤字が続いていた。オーストリア公女のアントワネットがフランスに嫁いできた時には、ルイ十四世時代からの、戦争や宮廷費による莫大な負債があったのだ。
十四歳で嫁ぎ、十九歳でルイ十六世の即位と共に玉座に就いた。激動の時代を生き抜くにはあまりにも若過ぎたのだ。
「それでも……もしかしたら……仲間外れにされたお友達や、お腹を空かせた子供の気持ちを思い遣れれば、もう少し違う人生があったかもしれないね?」
私は亡き公女に思いを馳せる。
「プリンセスなら大丈夫です!」
舞音はベッドから身を起こして、目尻の上がった瞳をキラキラと輝かせた。
「プリンセスなら立派な公女になれます! 私を助けに来てくれました。守ってくれました! プリンセスに抱きしめられると温かくて、もう大丈夫! って、安心出来ました…………ふわぁ……」
眠そうに眼をこする舞音。少し喋り過ぎてしまった。舞音に必要なのは休息なのだ。
「……舞音ちゃん……そろそろ……」
覗き込むと、舞音はいつの間にか眠り込んでいた。あどけない寝顔を見ると、フランス革命を語り合ったことが嘘のようだ。
私も休まなくては。
明日は最後のレッスンがある。
(……それにしても)
今日の自分はどうかしていた。舞音は賢い子だから、待っていれば戻ってきただろう。自分はいったい何をしたというのか。
塔ノ森家のクリスマス会を無断欠席。木下に無茶ぶりをして車を走らせ、雇い主に逆らわせてしまった。
私は沢山の人に迷惑をかけ、心配をさせた。だが、そうせずにいられなかった。舞音を捜さなくては。その一心だった。
約束を破った私を結翔は許してくれた。何も聞かずにいてくれた。
「沙羅ちゃんの決めたことだから」
結翔の言葉を胸の奥で繰り返す。
(……えっと……)
何だろうこの違和感。あの時の自分は我を忘れていた。
考えるゆとりは微塵にもなかったのだ。
(でも、本当に?)
自身の心に問いかける。
あの時、自分は衝動だけで動いたのかと。
――ドキン。
鼓動が高鳴り、息が詰まるようだ。
自室に駆け戻るとパソコンを立ち上げ、プリマ達の動画を再生する。
世界中の観客を熱狂させたジャンヌだ。
(もしかしたら……)
自分は大きな思い違いをしていたのかもしれない。
大切なことを見落としていたのではないか。
画面を凝視しながら私は必死で探し続けた。
(……見つけた!)
私だけのジャンヌを見つけた。
だが、明後日の本番に間に合うのか。
明日が最後のレッスンで、残すは一日しかない
(大丈夫!)
後一日ある。
一日あれば、私だけのジャンヌを作ることが出来るのだ。
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