第23話 プリンセス失格
舞音の住むマンションに到着すると、田代は驚きながらも私を迎え入れてくれた。
「あっ、あの……舞音ちゃんは……」
田代に問いかけながらも、私は舞音が扉の向こうから飛び出してくるのを待っていた。
「プリンセス! ようこそおいでくださいました!」
と。
だが、幼児の高い声も、羽根の生えたような軽やかな足音も聞こえない。
しんと静まり返った室内は閑散として寒々しかった。
(舞音ちゃんがいないとなんて寂しい家なの……)
ワンフロアを改装した贅沢な住居。だが、ここには父親も母親も寄り付かない。孤独な公女が従者と二人きりで暮らす、忘れられた宮殿なのだ。
そして今日は、たった一人の女城主さえいない。
「沙羅さん、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。旦那様と連絡がとれました。五時までに戻らなければ捜索願を出します」
「わかりました……突然来て申し訳ございませんでした」
田代に別れを告げた後、エレベーターを待ちながら時計を見る。四時三十分。ここから結翔の家まで車なら十分で到着する。遅刻は免れそうだ。駐車場では木下が待っていた。
「お待たせして申し訳ございませんでした……」
「どういたしまして。ご用はお済みですか?」
「……はい。ありがとうございました」
三十分後には田代が警察に連絡をする。出来ればその前に見つかってほしい。気がかりを残しつつ乗り込むと、車はマンションを離れて大きな通りへと出た。窓の外を眺めると、曇り空に白いものがふわふわと降りて来た。
「……雪……」
風に乗って舞う粉雪。
舞音もこの雪を見ているのだろうか。
(どこにいるの? 舞音ちゃん……)
塔ノ森家に向かいながらも、心当たりに思いを巡らせる。だが二人が行き来したのは、バレエ学校と私の家、それから舞音のマンション。そのルーティンの繰り返しだった。これでは舞音の行方など見当もつかない。
(……もしかしたら……)
私の心にある光景が浮かぶ。ルーティンを外れた唯一の出来事だった。
「木下さん! 行っていただきたいところがあります!」
私は身を乗り出して木下に懇願する。夢中だった。自分の勘に根拠はない。だが、私には他に心当たりがなかった。
「えっ?! あっ、はい! かっ、かしこまりました!!」
木下は一瞬ポカンとしたが、直ぐに私の無茶ぶりに対応してくれた。
(あの場所にいてくれれば……ううん。絶対に。絶対にいて! お願い!!)
車は舞音と訪れた公園に到着した。
夕暮れが始まる時刻。私は出口に向かう人々とすれ違いながら、公園の中央へと向かっていった。目指すはなんでもない木だ。
薄明の中で目を凝らすと赤いコートが視界に入った。小さな子供が背の高い木を見上げている。
「舞音ちゃん!」
「プリンセス! どうしてここに!?」
雪が赤いフードの上に降っている。まるで粉砂糖をかけた苺のようだ。
「急にいなくなったって……田代さんから聞いたの」
私は笑顔を作ると、ゆっくりと芝生の上を歩いた。
悟られてはいけない。行方不明の知らせを受けたときの胸いっぱいの不安も、見つかった今の安堵さえも。舞音は自尊心の高い子供だ。両親の醜態を知られることを恥じ、自身が憐れまれることを拒むだろう。
私は何も知らない。田代に心当たりを尋ねられ、たまたまここで見つけた。そんな風を装いながら、舞音との距離を縮めていった。
「探しちゃった! もう帰ろうよ~!田代さんも心配したんだよ……ね?」
楽しみにしていたクリスマスが、両親の争いで台無しなったのだ。どれほどショックを受けたことだろう。それなのに舞音は取り乱したり、駄々をこねたりしない。幼いながらも、両親の仕打ちに慣れてしまったということか。
「申し訳ございませんでした。でも、よくここが分かりましたね?」
不思議そうに私を見つめる幼女。
「何故って……それはね」
私は大きく深呼吸をした後、微笑みかける。
自分に出来る精一杯の笑顔で。
「それはね、プリンセスだから! 子供を守るのはプリンセスの役割なんだよ!」
プリンセスと名乗ることに迷いはなかった。私は舞音のプリンセスになると決めたのだ。
「あっ、ありがとうございます……」
「うん! 困ったことがあったら何でも話してね!?」
「……」
僅かな沈黙の後、再び舞音が口を開いた。
「……なんでも……です、か?」
そして目を潤ませると、今にも泣きだしそうな表情になった。
「まっ、舞音ちゃん?」
今まで何故気付かなかったのだろう。舞音の心は、水が溢れる寸前のコップだったのだ。そして今、私の一言が最後の一滴になってしまった。コップから溢れた水滴は、か細い声になって零れて落ちた。
「……お前さえ……」
「え?」
「……お前さえ……い……」
とぎれとぎれの声が震えている。
「舞音ちゃん!!」
私は咄嗟に小さなからだに腕を回した。
言わせてはいけない。
聞かなくてもどれだけ酷いことを言われたか分かってしまった。
黄桃の唇は、朗らかに笑ったり、甘えたり、歌ったり……小さな我儘をいう為にあるのだ。
心無い誰かの言葉を口にする為ではない。
そんなことをすれば心の傷が深くなるだけ。
――何でも話してね。
自分はなんて無力なのだろう。
私は舞音の力になりたかった。気持ちを打ち明けてほしかった。悩みがあるなら相談相手になりたかった。だが、舞音の心の傷はあまりにも深く、私の助けの及ぶところではなかったのだ。
「ごめん。ごめんね……舞音ちゃん……ごめん」
謝り続けながら、私はきつく舞音を抱きしめた。
「ごめんね。プリンセス失格だね……傍にいることしか出来なくて……」
「……わっ、私こそ……心配かけて……ごめんなさい」
いっそう強く抱きしめると、舞音は声をあげて泣き出した。堪えていた涙が流れては落ちる。
「そう……悲しかったよね。辛かったよね。泣いていいんだよ」
少し湿った、体温の高い幼児のからだ。抱きしめると愛しさが募ってくる。こんな小さな舞音を置き去りにするなんて。
私は初めて舞音にあった日を思い出していた。赤いコートの舞音は、オーロラ姫の結婚式に登場する赤ずきんのようだった。
おとぎの国の赤ずきん。
狼に追われる迷子の主人公。
絵本から抜け出したような愛らしさ。
だが舞音は童話の主人公ではない。
温かいからだを持ち、傷つけば涙を流す人間なのだ。
齢五歳の小さな女の子なのだ。
「はい……」
舞音がしゃくりあげながら返事をする。
私は幼女の小さな手を引き駐車場へと向かっていった。




