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彼女と天使とバレエ+巡礼  作者: 志戸呂 玲萌音
第七章

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第23話  プリンセス失格

 舞音の住むマンションに到着すると、田代は驚きながらも私を迎え入れてくれた。


「あっ、あの……舞音ちゃんは……」


 田代に問いかけながらも、私は舞音が扉の向こうから飛び出してくるのを待っていた。


 「プリンセス! ようこそおいでくださいました!」


 と。


 だが、幼児の高い声も、羽根の生えたような軽やかな足音も聞こえない。

 しんと静まり返った室内は閑散として寒々しかった。

 

(舞音ちゃんがいないとなんて寂しい家なの……)


 ワンフロアを改装した贅沢な住居。だが、ここには父親も母親も寄り付かない。孤独な公女が従者と二人きりで暮らす、忘れられた宮殿なのだ。


 そして今日は、たった一人の女城主さえいない。


「沙羅さん、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。旦那様と連絡がとれました。五時までに戻らなければ捜索願を出します」


「わかりました……突然来て申し訳ございませんでした」


 田代に別れを告げた後、エレベーターを待ちながら時計を見る。四時三十分。ここから結翔の家まで車なら十分で到着する。遅刻は免れそうだ。駐車場では木下が待っていた。


「お待たせして申し訳ございませんでした……」


「どういたしまして。ご用はお済みですか?」


「……はい。ありがとうございました」


 三十分後には田代が警察に連絡をする。出来ればその前に見つかってほしい。気がかりを残しつつ乗り込むと、車はマンションを離れて大きな通りへと出た。窓の外を眺めると、曇り空に白いものがふわふわと降りて来た。


「……雪……」


 風に乗って舞う粉雪。

 

 舞音もこの雪を見ているのだろうか。


(どこにいるの? 舞音ちゃん……)


 塔ノ森家に向かいながらも、心当たりに思いを巡らせる。だが二人が行き来したのは、バレエ学校と私の家、それから舞音のマンション。そのルーティンの繰り返しだった。これでは舞音の行方など見当もつかない。


(……もしかしたら……)


 私の心にある光景が浮かぶ。ルーティンを外れた唯一の出来事だった。


「木下さん! 行っていただきたいところがあります!」


 私は身を乗り出して木下に懇願する。夢中だった。自分の勘に根拠はない。だが、私には他に心当たりがなかった。


「えっ?! あっ、はい! かっ、かしこまりました!!」


 木下は一瞬ポカンとしたが、直ぐに私の無茶ぶりに対応してくれた。


(あの場所にいてくれれば……ううん。絶対に。絶対にいて! お願い!!)


 車は舞音と訪れた公園に到着した。

 夕暮れが始まる時刻。私は出口に向かう人々とすれ違いながら、公園の中央へと向かっていった。目指すはなんでもない木だ。


 薄明の中で目を凝らすと赤いコートが視界に入った。小さな子供が背の高い木を見上げている。


「舞音ちゃん!」


「プリンセス! どうしてここに!?」


 雪が赤いフードの上に降っている。まるで粉砂糖をかけた苺のようだ。


「急にいなくなったって……田代さんから聞いたの」


 私は笑顔を作ると、ゆっくりと芝生の上を歩いた。


 悟られてはいけない。行方不明の知らせを受けたときの胸いっぱいの不安も、見つかった今の安堵さえも。舞音は自尊心の高い子供だ。両親の醜態を知られることを恥じ、自身が憐れまれることを拒むだろう。


 私は何も知らない。田代に心当たりを尋ねられ、たまたまここで見つけた。そんな風を装いながら、舞音との距離を縮めていった。


「探しちゃった! もう帰ろうよ~!田代さんも心配したんだよ……ね?」


 楽しみにしていたクリスマスが、両親の争いで台無しなったのだ。どれほどショックを受けたことだろう。それなのに舞音は取り乱したり、駄々をこねたりしない。幼いながらも、両親の仕打ちに慣れてしまったということか。


「申し訳ございませんでした。でも、よくここが分かりましたね?」


 不思議そうに私を見つめる幼女。


「何故って……それはね」


 私は大きく深呼吸をした後、微笑みかける。

 自分に出来る精一杯の笑顔で。


「それはね、プリンセスだから! 子供を守るのはプリンセスの役割なんだよ!」


 プリンセスと名乗ることに迷いはなかった。私は舞音のプリンセスになると決めたのだ。


「あっ、ありがとうございます……」


「うん! 困ったことがあったら何でも話してね!?」


「……」


 僅かな沈黙の後、再び舞音が口を開いた。


「……なんでも……です、か?」


 そして目を潤ませると、今にも泣きだしそうな表情かおになった。


「まっ、舞音ちゃん?」


 今まで何故気付かなかったのだろう。舞音の心は、水が溢れる寸前のコップだったのだ。そして今、私の一言が最後の一滴になってしまった。コップから溢れた水滴は、か細い声になって零れて落ちた。


「……お前さえ……」


「え?」


「……お前さえ……い……」


 とぎれとぎれの声が震えている。

 

「舞音ちゃん!!」


 私は咄嗟に小さなからだに腕を回した。


 言わせてはいけない。

 聞かなくてもどれだけ酷いことを言われたか分かってしまった。


 黄桃の唇は、朗らかに笑ったり、甘えたり、歌ったり……小さな我儘をいう為にあるのだ。


 心無い誰かの言葉を口にする為ではない。

 そんなことをすれば心の傷が深くなるだけ。


 ――何でも話してね。


 自分はなんて無力なのだろう。


 私は舞音の力になりたかった。気持ちを打ち明けてほしかった。悩みがあるなら相談相手になりたかった。だが、舞音の心の傷はあまりにも深く、私の助けの及ぶところではなかったのだ。


「ごめん。ごめんね……舞音ちゃん……ごめん」


 謝り続けながら、私はきつく舞音を抱きしめた。


「ごめんね。プリンセス失格だね……傍にいることしか出来なくて……」


「……わっ、私こそ……心配かけて……ごめんなさい」


 いっそう強く抱きしめると、舞音は声をあげて泣き出した。堪えていた涙が流れては落ちる。


「そう……悲しかったよね。辛かったよね。泣いていいんだよ」


 少し湿った、体温の高い幼児のからだ。抱きしめると愛しさが募ってくる。こんな小さな舞音を置き去りにするなんて。


 私は初めて舞音にあった日を思い出していた。赤いコートの舞音は、オーロラ姫の結婚式に登場する赤ずきんのようだった。


 おとぎの国の赤ずきん。

 狼に追われる迷子の主人公(ヒロイン)

 絵本から抜け出したような愛らしさ。


 だが舞音は童話の主人公ではない。

 温かいからだを持ち、傷つけば涙を流す人間なのだ。

 (よわい)五歳の小さな女の子なのだ。


「はい……」


 舞音がしゃくりあげながら返事をする。

 私は幼女の小さな手を引き駐車場へと向かっていった。

 


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