第22話 電話
塔ノ森家のクリスマス会当日。
十二月二十四日。
午後三時。自室。
私は新しいワンピースを着て鏡の前に立っていた。レースとチュールをあしらった薄青のものだ。角度を変えては入念にチェックを繰り返す。
「まるでファッションショーね~?」
母にくすくすと笑われても、チェックの手を抜くわけにはいかない。
コートを羽織り、マフラーを巻いて、手提げを持って外に出ると、運転手の木下が立っていた。
「沙羅さん。お迎えにあがりました」
「あっ、ありがとうございます!」
木下も年末は忙しいはずだ。申し訳なく思いながらも、特別扱いを受けているようで嬉しい。
シートベルトを締めると同時に鞄の中でスマホが振動した。
(誰だろう? 結翔さん、かな…………え?)
発信元は舞音だった。舞音のスマホは普段は田代が管理している。舞音は必要なときだけ渡されて使用するのだ。
だが、今日は両親と一緒のはずだ。訝りながらも私はスマホをタップする。
「有宮沙羅さんのスマホでよろしいでしょうか?」
落ち着いた中年女性の声が耳に響く。
声の主は田代だった。
「はい……」
「今、お時間よろしいでしょうか?」
「大丈夫です」
田代の背後に舞音が隠れているのだろうか。
「あっ、いえ……大したことではないんです……あの……舞音さんはそちらにいらっしゃいませんか?」
田代の声が僅かに震えている。注意深く耳を傾けなければ、聞き逃してしまうほどの微かな違和感だった。だが、私は突然の電話に用心深くなっていた。
「いいえ……いません。今日はご自宅で過ごされるそうですね?」
見えない幼女の気配を探るように私は問いかける。
「そうですか。お手数をおかけました。失礼します……」
舞音の不在を知ると、田代は早々に電話を切ろうとした。
「まっ、待ってください! ……そちらにいないんですよね? 舞音さん」
今ここでスマホを切らせてはいけない。心の奥で警鐘が鳴り響く。
田代は舞音を探している。理由は彼女の傍にいないから。そして私の傍にも。問題が起きているならば、せめて最後まで話を聞きたかった。
「あ、あの……」
田代の声が小さくなっていく。彼女は私に連絡したことを後悔し始めたようだ。
「何かありましたか? あったんですね?」
私は出来る限り落ち着いた声で田代に問いかける。私の態度は失礼かもしれない。それでも私は自分の行為を止められなかった。
「……」
舞音の身の安全と、葉月家の名誉を天秤にかけて、田代が沈黙を保っている。使用人の立場であれば当然のことだろう。
「私に話して頂けませんか? お役に立てるかもしれません。他の人には絶対に話しません。ですから……」
他所の家の事情に自分が口を出すべきではない。十分に理解している。だが、彼女は私に電話を架けてきたのだ。聞かなかったことには出来ない。
長い沈黙の後、ようやく田代が語り始める。
「実は……今夜は、舞音さんはご両親と一緒に過ごすはずでした……ですが、旦那様が急遽仕事の都合で外出することになりました。奥様は大変に気分を害されて……」
そして激しい口論になったと田代は言った。
「旦那様はそのままお二人を置いてマンションを出ました。その後奥様も……以前にも同じようなことがありました……」
田代が夫妻の諍いに遭遇するのは初めてではなかった。家政婦の前でも躊躇なく罵り合う姿が目に浮かぶようだ。それを見つめる小さな舞音も。
「舞音さんは、お一人でお部屋に籠ってしまって……しばらくして様子を見にいきましたが、お部屋にいらっしゃらなくて……」
舞音が一人で部屋に入ったのは、きっと使用人に泣き顔を見られたくなかったから。
「ご心配をおかけしました。舞音さんは直ぐに戻ってきます。大丈夫ですよ!……よいクリスマスをお過ごしください、沙羅さん」
「ご連絡ありがとうございました……良いクリスマスを……舞音さんにもお伝えください」
田代は名家の恥を晒すリスクを犯して私に連絡をしてきた。彼女に出来る精一杯の行為だったのだ
スマホを手にしたまま、私は田代の言葉を噛みしめる。
――よいクリスマスをお過ごしください。
今日はよい一日になるはずだった。
私にとっても、舞音にとっても。
’(ううん、悪く考えてはだめ……)
悲観的な予測は当たらないものだと誰かが言っていた。
もっと気を楽に持たなくては。
舞音は近くを散歩しているだけ。
賢い子供だから無理はしない。
治安のよい地域だから、幼女が一人歩きをしても安全なのだ。
すぐに戻ってくるはず。
(大丈夫! 田代さんも仰ってたし……)
それでも不安は拭えない。
(……舞音ちゃん……)
深くシートに座り直すと、私は舞音の無事を祈った。
「ご気分がすぐれませんか? 沙羅さん」
バックミラー越しに私を気遣う声がする。
「あ、あの……木下さん、お願いがあります……」
「はい! なんでしょう?」
「あの……立ち寄って頂きたいところがあります」
木下は一瞬、ぽかんとした顔をしたが、すぐに人の好い笑顔を浮かべた。
「かしこまりました! どちらへお送りすればよろしいでしょう?」
「葉月さん……葉月さんの家に向かってください! 場所は……」
まずは葉月家へいこう。田代から詳しい事情を聞くのだ。もしかしたら戻っているかもしれない。そうであればよいのだが……。
舞音が寒さに凍えていたらどうしよう。もしお腹を空かせていたら。何よりも深く傷ついている。このまま放っては置けない。
舞音に会わなくては。会って無事を確認して抱きしめてあげたい。
そうしなければ、この不安が消え去ることはないのだ。
日没間近の師走の午後。
塔ノ森家の車は舞音の住むマンションへと向かうのだった。
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