第21話 約束
今年も残り僅か。メモリアルコンサートの当日が迫っていた。
私と相山が踊るパ・ド・ドゥは、ラスト直前の、ジャンヌとフィリップの婚約式の場面だ。志を共にする二人が、愛の喜びを全身で表現する、最も華やかで有名な場面だ。
「お手をどうぞ! プリンセス!」
「ジャンヌはプリンセスではありませんよ?」
相山がおどけでて腕を差し出すものだから、危うく吹き出しそうになる。
腕を組んでジャンプをしながら稽古場を横切って、方向を変えながらそれを繰り返す。
パ・ド・ドゥは三部形式だが、作品の個性が最も強く現れるのは冒頭のパート。特に出だしの跳躍でそれを表現するのだ。
「もっと高く!」
教師が声を発する。
軸足の膝を深く曲げて足の裏で床を押す。これはプリエ。全ての動きの基本だ。もう片方の足を進行方向へ蹴って跳ぶ。空中では膝を伸ばして姿勢を整える。
心臓がどきどきとして、呼吸が早くなっても苦しさなんて感じない。もっと高く跳びたい。その一心だった。
時折、心を通わせるように視線を合わせる。二人は婚約したばかりの恋人同士なのだから。
リフト。
華やかな見せ場だ。
「上体を引き上げて!」
指導にいっそう熱がこもる。
その後、互いにソロパートを踊ってコーダで締めくくり。
レッスンの終了。
「お疲れさまでした! この調子で頑張りましょう!」
「ありがとうございます!」
相変わらず物足りなさが残るものの、今日は精一杯踊ったのだから、また次のレッスンで頑張ろうと思う。
「ところで……お知らせがあります。有宮さんと相山さんが組んで一枠減ったでしょ? それで、急遽代替えの人が参加することになりました。平山ルカさん。楡咲の生徒です」
瞬間、咲良がひゅっと息を飲む音がした。
(さっ、咲良? それに、えっと……平山、ルカさん?)
生徒といわれても私は面識がなく名前すら知らない。
彼女は現在モナコに留学中で、クリスマス休暇で一時帰国しているそうだ。
(モナコのバレエ学校!)
私はサマースクールに参加しているものの、父から長期留学を反対され諦めた経緯がある。同じ楡咲の生徒でありながら、彼女は自分よりも先を歩いているのだ。憧れと共にルカに対する強い好奇心が湧き上がってきた。
更衣室へ向かう途中で咲良が私に説明をする。
「平山さんは学年が私達より四歳上。三年前にオーデションを受けて入学資格とスカラシップ獲得したんだ。沙羅が入学する一年前、だね。……私はルカさんと同じコンクールに出場したことがある。彼女はジゼルを踊ったんだ」
咲良はコンクール常勝者だが、そのときはルカが一位だったという。
「どんなジゼルだったの?」
「平山さんは折れそうなくらい華奢なんだ。小枝のように細長い手足で、儚げな姿はウィリにぴったりだった……ふわっとして軽やかな……沙羅の粘っこくて重たいジゼルとは対照的だよ」
(ねっ、粘っこいって ……言い方!?)
喉まで出かかった抗議の言葉を必死で呑み込む。咲良の話はまだ終わっていない。
「何よりもオーラ? キラキラした華があるんだ。実力はもちろんだけと、目立つ存在だったから留学するときは話題になった……天才少女、って」
天才少女。
リアル世界の日常で、このワードを耳にする日が来るなんて。
それだけで既に奇跡のようだ。
神様から溢れんばかりの贈物を受け取った人。
難しい技を難なくこなし、誰にも真似出来ないようなダンスを踊る。
平山ルカ。彼女は私が楡咲に入学する前に渡欧して、私がサマースクールに参加している間は夏季休暇で帰国している。彼女の留学が決まった当時は、自分はスランプに陥りバレエ界隈の事情に興味を失っていた。それで会うこともなく、存在すら知らなかったのだ。ここまで見事にすれ違っていると、運命のようなものさえ感じてしまう。
「コンサートに出演するんだよね? 何を踊るのかな~。私もルカさんのダンスを観たい!」
「私も。何を踊るか楽しみだよ。留学前よりも絶対に上手くなってる!……でも、彼女の後に踊るのは嫌かも」
「……咲良?」
咲良が弱気な発言をするのは珍しい。比べられることを危惧しているのかもしれない。平山ルカはどんなダンサーなのだろう。
話しながら玄関に到着すると、幼児の高い声に迎えられる。
「プリンセス! お疲れさまでした!」
「舞音ちゃん!」
舞音は戸口の手前で田代と共に立っていた。事務員から屋内で待つ許可を得たという。先日の忠告を受け入れてくれたのだ。
(……撫でてあげたい……)
マシュマロのような頬をチラ見する。舞音を褒める為に撫でるのだ。だが、それならば頬ではなく頭を撫でるべきではないか。
ひとり悶々としていると、心配そうに呼びかけられる。
「プリンセス。どうかしましたか? レッスンでお疲れですか?」
舞音が首を傾げながら私を見上げている。少し吊り上がった瞳が可愛らしい。
「あっ、あのね……舞音ちゃんがいい子だな~って……あはは……」
「ありがとうございます! お迎えにあがりました。どうぞお車へ!」
車に乗り込むのは恒例のことになってしまった。舞音の時間が無駄になってはと心配していたが、喜ぶ姿を見ると、こうして一緒に過ごすのもいいかもしれないと思うようになった。だが、今日の舞音はいつもと様子が違う。いつもと変わらないようでいて何か違う。そんな感じだ。
「舞音ちゃん? いいことがあった? 何だか嬉しそう!」
「あ、あの……そんな風に見えますか?」
舞音は俯くともじもじとし始めた。彼女は感情を読み取られることを恥と思うようだ。
幼女は直ぐに前を向き直すと、何でもないことのように淡々と言ってのけた。
「クリスマスは両親と過ごすことになりました」
「わぁ☆ よかった~!!
舞音の平常心を保つ努力などお構いなしに、私は即座に小さな手を握りしめた。
「プッ、プリンセス! 大袈裟です……父は仕事が一段落して、母は……一緒に旅行に行くお友達の都合が悪くなった……所為です」
言い訳のように舞音が口ごもる。父親の事情はともかく母親の動機が微妙だが、それでもよかったと思う。
「よかったね! 私も嬉しい!!」
「あっ、ありがとうございます……でも、こんなことで嬉しがると赤ちゃんみたいじゃありませんか?」
「赤ちゃんだなんて……大人だって嬉しいときは嬉しいって言っていいの!」
「……はい……」
舞音の黄桃の唇の端が僅かに上がり、上気した頬が緩んでいく。隠しきれない心情が零れるようだ。
「二十四日は両親と過ごします。メモリアルコンサートが二十六日ですから、よい年の瀬になりそうです!」
二十四日。
私が塔ノ森家の集いに招かれている日だ。
クリスマスの前夜祭。この日に親しい人と時を共にする人は少なくない。
私にとっても舞音にとっても、きっとよい一日になる。
きっと素敵な思い出が作れる。
「よかったね! 舞音ちゃん」
「ありがとうございます! プリンセス」
私達は顔を見合わせると、互いに微笑み合うのだった。
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