第20話 なんでもない木
コンサートに向けた土曜練習の終了後、私と咲良、相山は揃って稽古場を後にした。廊下を歩きながら今日のレッスンを振り返る。明るくて元気なジャンヌをイメージしながら踊ると、良くなったと教師は言ってくれた。
(……でも)
世界中の観客を魅了した主人公を、平凡な農村の娘として演じていいのか。自分はジャンヌの表面的な部分がしか捉えていないのではないか。何か大切なことを見落としている気がする。思案に耽る私の横で声が発せられる。
「沙羅! ほら、また……」
咲良が指さす先に舞音が立っていた。赤いコートを着た幼女は、まるで童話の主人公のようだった。
「プリンセス!」
舞音は私を見つけると、一目散で駆け寄ってきた。
「赤城さん。お疲れさまでした! ……あの、相山さん、これをどうぞ……」
そういいながら、舞音は手提げ袋を相山に差し出した。
「えっ? 何? 差し入れ?」
幼女に礼をしつつ相山が袋を覗き込む。
「ミネラルウォーター! 助かるなぁ~!」
「喜んで頂けて良かったです! プリンセスをよろしくお願いします!」
「え?! プリンセス? 誰? 何?」
状況が呑み込めずにきょとんとする青年に、咲良がそっとアイコンタクトを送る。適当に話を合わせてほしい。優等生の目はそう語っていた。
「そっ、そうかぁ~?! わかった! でもプリンセスを任されるなんて責任重大だな~! 俺は王子演ったことないんだ~~!!」
やや大袈裟なリアクションで対応する相山。舞音を五歳児として扱うべきか大人として接するべきか迷っているように見えた。
「相山さんのフィリップは凛々しい勇者そのものです!」
舞音は物語の役柄と相山を混同している。彼が演じるフィリップがそれだけ魅力的ということだろうが、話が混乱しそうな予感しかない。
「それが、そうでもないんだ。俺にだって怖いものがたくさんある。日常生活の中でも突発的で予測のつかないことでも……事故とか天災とか……」
まるで大人を相手にするように、相山が幼女に語り掛ける。
「そうなんですか?」
舞音は冷静さを取り戻すと、興味深そうに彼の話に耳を傾けた。
「そうさ。きっとフィリップもだ。酒場で大酒を飲んで踊ったのは士気を高める為だったかもしれない。でも、戦いを前に不安を忘れたかったってのもあるんじゃないかな……」
相山のフィリップの解釈を聞くのは初めてだった。生まれた国も時代も違う役との接点を、彼もまた探っていたのだ。
「……凄いです……勉強になります!」
「本当に!」
「流石相山さんです!」
私が目を輝かせて相山を見ると、咲良と舞音も同時に熱視線を彼に放った。
「ちょっ、ちょっと! 待った! 待つんだ! 三人揃ってそんな目で見ないでくれ! ……第一、プリンセスには王子様がついているし……な?」
相山が私に向かって片目を瞑ると、咲良がうんうんと頷いた。
「いいえ! プリンセスの相手には地位も財産も必要ありません! 誠実で優しい人であればいいんです!」
「まっ、舞音ちゃん!」
地位も財産も必要ない。
これは結翔に対する否定だが、舞音は誤解をしている。結翔は誠実で優しい青年だ。彼に対する偏見を取り除かなくては。
だが今問題なのは、
「ごっ、ごめんなさい。相山さん……」
相山に迷惑をかけていること。舞音はどうして私が絡むと暴走するのだろう。
「いやいや。光栄だな~! 俺も期待に応えないと。頑張るよ、フィリップ。プリンセスに負けないようにしないとな! じゃあ、今日はこれで。お疲れ様!」
舞音に押され気味だったものの、相山はすっかり大人の余裕を取り戻していた。彼が立ち去ると咲良がそれに続き、私と舞音が残された。
相山は優しいから許してくれるだろうが、注意をしなくてはと舞音に向かい会った。
「舞音ちゃん……ずっと外で待ってたの?」
舞音の吐く息の白さに気づく。頬は赤く外気の冷たさを物語るようだった。
「はい! レッスンが終了したので外でお待ちしてました!」
私達が帰り支度をしている間は外で待つと決めているようだ。冷たい頬に触れると、ぷにっとしていて、ついつまんでしまった。
(わぁ~! やわらか~い☆)
舞音は色白だからマシュマロみたいだ。
それにすべすべ。
ずっと触っていたい気持ちになる。
「ぷっ、……ぷりんふぇふっ???!!!」
回らぬ舌で呼ばれると可愛らしくて滑稽だ。だが、ぷにぷにの感触をいつまでも楽しんでいるわけにはいかない。きちんと注意をしなくては。
「だめだよ? 外で待つなんて。風邪をひいちゃう。せめて車内にしないと……」
「……はい」
他に言いたいことは沢山あるが、一番大切なのは舞音の健康だ。
「舞音ちゃんが想像するよりも皆が舞音ちゃんのことを心配してるの」
そういうと、舞音は一瞬はっとした表情になった後、顔をぱあっと輝かせた。
「あっ、ありがとうございます! ……ご心配かけて申し訳ございませんでした」
彼女は聡い子だから言い聞かせれば理解してくれるのだ。きっと結翔の誤解も解ける。安堵しながら車に乗り込むと、クリスマス一色に染まった窓外を眺める。
(もう、こんな季節……)
一足早いクリスマスパーティーに招かれたのは去年の今頃だった。そこでピリグリムの三人と舞花に出会った。目を閉じればあの日の光景が浮かび上がる。
(今年のクリスマスは……)
今年は家族だけのクリスマス会に招かれた。きっと心温まる集いになるだろう。どんな風に過ごそう、何を着ていこうかと考えるだけでワクワクする。
「プリンセス? 何か珍しいものでも見えるのですか?」
不思議そうに私の視線の先を追う舞音に我に返る。きっと自分はゆるゆるの顔をしているに違いない。
「あっ、あのね……クリスマスの後すぐにコンサートでしょ? 年末は忙しいなぁ~って……」
つい舞音の存在を忘れて自分の世界に入り込んでしまった。苦し紛れの言い訳だが、幼女は納得したように大きく頷いた。
「大変ですね! お体に気を付けてください」
「あっ、ありがとう……舞ちゃんもね」
「はい!……ところでプリンセスが踊っているパリの炎は、フランス革命を題材にしているそうですね」
「そう! よく知ってるね」
「マリーアントワネットは、“パンが無ければお菓子を食べればいいのに”って言った人ですよね? アントワネットが王妃らしくないから革命が起きたと聞きました」
「それがね……私にもよくわからないの」
“パンがなければお菓子を食べればいいのに”
有名な台詞だがそんなことは言っていないらしい。
つい最近、私はそれを知った。
革命の原因が容易に説明できないことも。
それにしても、五歳の女の子とフランス革命の話をするなんて、今まで想像すらしなかった。舞音はどんな大人になるのだろう。
そうしている間に、車は大きな通りに出た。街路樹の先には広い公園がある。
「あの……このまま進んで公園の前で止めてください。立ち寄りたい場所があるんです……プリンセス、お時間いただいていいですか?」
私が同意すると車は公園前の駐車場に入っていった。運転手を残して、寒風が吹く芝生の上を舞音の後ろについて歩く。黙したままの舞音はまるで人形のようだった。
「舞音ちゃん。どこへ行くの?」
「ちょっと確認したいことが……」
間もなくぽつんと立つ背の高い木の前に辿りついた。特段変わったところのない普通の木だった。
「私が生まれる前の話ですが、この木にクリスマスの飾りつけをしたそうです。遠くから見ても奇麗だったと母が……」
「お母さまが?」
舞音の両親の話題が出たのは、初めて彼女のマンションを訪れた日以来だった。もしかしたら、舞音自身が母親について知っていることが、ごく限られているのかもしれない。例えばこの何でもない木の存在とか。
――クシュン。
風よけのない芝生の上で小さなくしゃみの音がする。
「舞音ちゃん。これを……」
私はマフラーを外すと舞音の首に巻いた。
「ありがとうございます!……でもプリンセスが冷えてしまいます」
「少しの間なら大丈夫! バレエで鍛えてるもの!」
私のマフラーは舞音には大き過ぎて顔が埋もれてしまいそうだ。
「……ぷっ、ぷりんふぇふっっ!?」
「うふっ☆ やわらか~い!」
マフラーから覗く笑顔が可愛らしくて、私はつい頬をつまんでしまった。
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