二日目:③
流れる景色はいつの間にか青々とした草原が流れていた。
馬竜車に乗るのは三度目となる。一度目は火急のことではっきりとした記憶はないしそもそも景色を楽しむなんて状況じゃなかった。二度目は王都招来に出向いた時。今回で三度目になるが、窓から流れる景色に一様に変化がないことに少し退屈さを覚えた。
退屈ーーいや、一種の逃避に過ぎない。
ちらと窓からクリシュのほうに視線を注ぐと彼女は見るからに苛立っていた。
その所在はわかっている。それは王都を出立してすぐのことだ。ミズキは聞いたのだ。
ーーどうしてレイナが逃げたと確信したの?
「あぁ? どうして逃げたとわかったかって?」
大柄な魔導士クリシュは籠の中で随分窮屈そうに前かがみになってミズキに顔を近づけてきた。
同じ車内にいても威圧感は半端ないのに、こうも顔を近づけられればその威圧は脅しのようなものだ。軽くミズキの頭部に帽子のつばを当てて、ふんと鼻を鳴らして重く腰を下ろした。
クリシュがそうイラつくのは、レイナが逃げたという事実からだ。レイナのお目付け役としていた彼女だが見事出し抜かれたせいもあるだろう。
だとして、その苛立ちをミズキに向けるのはお門違いというものだ。
クリシュは苛立ちながらも、ふーっと感情を落ち着かせて懐から何かを取り出して手のひらに広げて見せてきた。
「これは徽章?」
ダリアの徽章。昨日、お化けが落としたものだ。そう思ってミズキは思わずぎょっとした。
「言っとくがあれはお化けじゃないからな」
「え、そうなの?」
ミズキは少しほっとする。
「お化けがこんな物理的なもの落とすわけないだろう」
「それもそっか……じゃあ、それ何なの?」
「こいつはある貴族が持つ徽章だ」
「貴族!? じゃあ、私が見たのは貴族っていうの?」
「ああ、しかもオルファナスの貴族じゃない。アルド国の貴族だ」
「アルド国って……」
今向かっているメイヘン領を抜け、隣国のナルミナ小国から海を渡った先の国だ。
「ああ、間違いなく逃亡先はアルド国だ」
「そんなその徽章を見ただけでわかるものなの? それに、もう逃げているなんて……」
「なぜお前だけが見えていたかは一旦省く」
「見えていた?」
「あれがお化けでなくちゃんとした人間ならば、存在認知疎外の魔法、もしくは宝物を使っていたと考えるのが普遍だ。お化けの反応はどうだったんだ?」
「え、声をかけたけど最初は無視されて、次に気づいたと思えばかなりびっくりしていたように見えたけど……」
クリシュのいう通り、あのお化けが存在認知を隠すような能力に頼っていたらお化けの不自然な行動に合点がいく。
「やはり、声をかけたのだな。そいつは間違いなく見られたと考えるはずだよ」
「私にだけ見えてたっていうの……」
「……その理由はおいおい考えようとしよう。あの場において見たのはミズキだけだ。だが、それは予想外な事態だろう。アルド国の貴族がオルファナスにいるなんてありえないからな」
「どうして? 王位継承式で呼んだりとかしないの?」
こういう場は親近者を招くものだと決まっている。アルド国がオルファナスの姉妹国なら来賓で呼ばれてもおかしくない。
「今回の王位継承式は身内だけだ。前回のことがあったからな」
レイナの逃亡。各国から来賓を招いておいて当の本人が不在となれば顰蹙ものだ。前回の散々たる状況が目に見えて想像できる。謝罪などの対応に追われたことだろう。また前回のこともあり、レイナに対する信用も失われて来賓を呼ぼうにも慎重な姿勢を取らざる得ないというわけだ。
「ま、そのせいでレイナに手を引くものがメイヘンしかいないと先入観があったわけだがな」
来賓がなければ、監視をレイナとメイヘンに絞れば万が一を防げる算段だったらしい。とはいえ、メイヘンの行動(メイヘンの加護など)を把握できていないためお粗末ともいえた。
だが、
「そっか。王都から出られない状況だけど、外部がいたとなると変わるってことなんだ……」
「そういうことだ。王都は厳戒態勢だ。人の出入りは慎重に対応している。万が一、この場からいなくなったとて王都内を探すに済むからな」
ミズキは前回の回帰を思い出す。レイナが逃亡してすぐに逃亡先を把握できなかったのは外部の存在を排他していたからだ。姫の交流会の時点でクリシュは王都にいたから、あの時も王都内で捜索していたのだろう。
「それでその徽章の持ち主がレイナ、を手引きしている、と」
「間違いないだろう。お前の話ではレイナが逃亡を図るのは昼以後の話ーー各姫の別邸への訪問を済ませた後だったな」
「う、うん」
これはクリシュに話したことだ。
「ルフェルナに確認したが、すでにレイナは王宮にいない。一応王都内を騎士団に探させるらしいが……。逃亡が前倒しになった理由は一つだ」
と、クリシュはミズキを指さす。
「お前が貴族を目撃したからだ」
「私が……」
ミズキとしては目撃したとははっきり認知できていない。その相手には見て見ぬふりされているわけだから、正直なところ本当に見たものか半信半疑だ。
「今の王都厳戒態勢の中、メイヘンの別邸でユイやリクを除いて居るのは使用人だ。それも従者服を着たやつだ。それ以外の恰好で姫や近侍じゃなければ十中八九、思惑のある人間しかいないさ」
「そうかも……」
不意に腑に落ちる。確かに、あの場で装飾品を気取った姿を見かけるのは異様だ。冷静に思考してみれば、あの態度が見えていない事が前提にあるのならば納得だ。
(なんで私には見えたのかな……)
そう疑問するが今は考えないことにした。これ以上は頭がパンクしそうになる。
「……王宮側も万全を期したわけだったが、レイナの方もそれを見越しての行動だった」
「そうまでしてレイナ……は逃げたいの?」
無意識に皇女レイナを呼び捨てにして話す。逃げたい、その言葉を口にしたとき少しだけ心臓が跳ねた気がした。
「一度逃げた奴は、二度目も逃げる。そのために考えるもんだよ」
「なら、軟禁すればよかったんじゃないの? 監視なんて……。逃げること見越してるならさ」
ひどいことを言っているのだと自覚して話す。
クリシュは少し儚げな色を瞳に宿していう。
「そうだな。私もそう思う。世界のことを考えれば無理やりでも王位を継がせるべきだろう。だが、これは王女代行の意志だ」
「王女代行の意志?」
王女代行ルーバー・ケイ。現在のオルファナス国において王女不在の間の王女を務める人だ。
「彼女の意志は前王女の意志でもある。レイナの母親ーー前王女のな。娘がオルファナスの王女に相応しい人格者になることを願っている」
そういうクリシュの口ぶりはどこか皮肉めいている。
王女に相応しい人格者ーー到底想像のつかぬことだ。前回の王位継承式から逃げ、今回もそれを繰り返している。
前王女の意志は結局果たされていない。王女たるに相応しい人格者として堂々たる振る舞いを願っているのだろう。民の前に見せる静かなる威を放つその姿を願っていた。
現実は、一度目の逃避から民は皇女レイナの威信に疑念が向けられている。無理やり王位継承を行ったところで王都が荒れるのは目に見えている。
オルファナスの王位。それは世界にとって聖域を開く大事なことであるがそれ以上に民生の健全化は王位が誰につくかが関わってくる。
「そう……なんだ。それは難しい話だね」
「まあ、そうだな。あれは自ら王女の品格を落としてしまっているからな」
呆れたように言い放つクリシュ。
「それでも、今から連れ戻さなきゃならない。レイナが逃げたなんて王都内にいえるわけないからな」
「王位継承式はどうなるの?」
「……さあ、どうだろうね」
「…………」
クリシュは流れる景色を諦観したかのように目を細めて眺めている。
(要はレイナの心持ち次第ってことだよね……)
正当な王女は必要。しかし、民に品位ある姿でなければならない。
世界のために聖域を開く重要があっても前提として凛然たる王女でなければならない。
レイナは一度王位継承式から背けて、何か変わろうとしなかったのか。それとも王女にそれほどまでなりたくない理由があるのか。憶測では王位に対するプレッシャーらしいが。
ーーそれから窓から流れる景色をぼんやりとみていた。
退屈というよりは逃避。レイナのことを考えると少しだけが胸がざわつく。
クリシュが苛立つ理由もわかる。王宮がこれまでレイナの心象になんのアクションも入れない事なかれ主義であったこと。それが現状をまねていた一因の一つなのは明白だ。
王位を継ぐものだから、勝手に自覚を持って、勝手になるものだと認識している。
レイナはまだ二十前半の年齢。王族の世界では年齢など関係ないのかもしれないが、現代でそんな若い年齢の子が民草の安寧を背負うなど常識外れもいいとこだ。
「……そろそろ、ナルミナ小国の国境に差し掛かるな。メグチ、メテル村に着いたら宿を探してくれ」
「わかりましたぁ」
クリシュは御者台にいるメグチにそう声をかけた。
すでにメイヘン領内に入っている。目的地はナルミナ小国から隣国へ船を出す港街なのだが、出た時間からして一気にそこまで抜けるのは危険だと判断している。魔物が寄り付かない結界の張られた道路を通るにしても夜中の走行は危険である。
クリシュにしては苦渋の決断であった。すぐにでもレイナの元にたどり着きたいのが本音だ。だが、ミズキとメグチを連れている以上、賢明な判断を下した。
メテル村。メイヘン領内にある村の一つで、ナルミナ小国へ繋ぐ国境だ。ナルミナ小国へ入る門は簡易的なもので門前に人を何人か配置している。そこで検問を行っている。
村にしては栄えている印象だ。国境ということもあるだろう。検問のほうを見れば商人らしきものが馬竜車を率いて列を作っている。
その検問の方だが、騎士の姿を見かけた。
「検問って騎士の人がやるんだね」
馬竜車から降りてから、横目で見たことをクリシュに話す。
「あれは王都からの指示で動いている騎士だ。王都の警備強化の一環だな」
そういいながら、クリシュはその騎士の元へ向かう。
騎士たちはクリシュを見つけるな否や仰々しい様子で頭を垂れる。中には羨望に似た眼差しをするもの、恐れ多く萎縮しているものと反応を見せている。こうしてみているとクリシュは偉い人だと改めて自覚する。
クリシュは騎士たちと短い会話を終えるとミズキの元へ戻ってきた。
「何話してきたの?」
「レイナが通ったかどうかを聞いてきた」
「それで、どうだった?」
「通っていないそうだ」
と、呆れた様子で話す。そのまま続けて、
「だが、リクの姿は見たらしい」
「リク……ってメイヘンの近侍の……」
アイゼン・リク。表情の乏しい人物という印象。また前回の回帰からメイヘン・ユイに対して歪な愛情を抱いていることがわかっている。
「リクは見られているのに、他の人は……」
「それが不思議な話だ」
クリシュは国境のほうをみやる。
「どうやって抜けたか、だ。アルド国の貴族が使っていた認識疎外系の宝物の効果だろうが……、メイヘンの加護も関わっているかもな」
「メイヘンの加護はどうにかわからないの?」
これから追うにしても、加護の効果がわからなければ見つけようがないと考える。
「聖域に行けばわかるかもな。私じゃ聖域内に入る資格がないだが……」
「だが?」
クリシュから意味深な視線が向けられていた。
「加護者のお前なら入れるかもしれない」
「え、ええ!?」
ミズキは驚き慌てふためいた。




