第六話 願いと紋章
宿へ戻る頃には、通りが夕日に染まっていた。
扉を開けると、話し声と食器の触れ合う音が押し寄せてきた。
食堂の席はほとんど埋まり、厨房からは料理の匂いが漂っている。
空いた皿を重ねていたルートが、顔を上げた。
別のテーブルで料理を配っていたリナも、こちらに気づく。
「おかえり、レイ」
「おかえり~、レイくん!」
「ただいま」
二人に微笑み返し、テーブルの間を抜けて厨房へ向かった。
「メイラさん、ただいま」
フライパンを握るメイラが、肩越しに振り返った。
「レイ、おかえり」
笑いかけてから、すぐにフライパンへ目を戻す。
隣には、盛りつけを待つ皿が並んでいた。
「先に、部屋へ戻ってきます」
「ああ。夕飯、まだならあとで食べな」
「はい」
厨房を離れ、階段を上った。
*
部屋へ入り、帽子とマスクを外した。
机に置いて椅子に腰を下ろし、日記を開く。
毎日、欠かさず書いている。
どこへ行き、誰と会い、何があったのか。
特に、あの記憶に関わることは、正確に残していた。
僕は、あれを『メモリア』と呼んでいる。
知らないはずなのに、覚えている。
見たことのない景色も、そのときの気持ちも、僕の中にある。
すべてが同じように起きるわけではない。
アルスは、今も生きている。
こうして記しておけば、メモリアとの違いをあとから確かめられる。
覚えているつもりで、曖昧にしておきたくなかった。
今日の出来事を、順に記していく。
二人の様子。母さんの墓へ行ったこと。
ペンを止め、書いたところを読み返した。
この二年近く、メモリアにある出来事と照らし合わせる機会は、あまりなかった。
明日は違う。
メモリアの中で見た、あの催しがある。
日記へ目を戻し、最後の一行を書き終えた。
そのとき、階下から大きな笑い声が上がった。
続けて、食器の重なる音がする。
「リナちゃーん! こっちも頼むよ!」
「は、はぁ~い! ちょっと待って~!」
返事の途中で、別の客が注文を呼んだ。
「ルートくん~! こっち、お願い~!」
僕はペンを置いた。
日記を閉じ、机の引き出しへしまう。
部屋を出ると、リナの声が階段から響いてきた。
「待って~! 順番に持っていくから~!」
……手伝ってあげるか。
僕は食堂へ続く階段を下りた。
*
「ありがと~ございました~!」
最後の客を見送ったリナが、入口の札を裏返した。
扉を閉めると、食堂には食器を片づける音だけが残った。
結局、僕もあれからずっと手伝うことになった。
客足が落ち着いてから夕飯を食べ、今は残った皿を集めている。
「レイくん~、途中から手伝ってくれてありがと~!」
テーブルの間を戻ってきたリナが、いつもの笑顔を向けてきた。
「いいよ。今日も忙しそうだったからね」
同じ大きさの皿を選び、重ねながら返事をした。
「ほんとだよ~! ずっと動いてたんだから~。疲れたよ~」
リナは眉尻を下げ、肩を落とした。
ジョッキの取っ手を左右の手で一つずつ握り、持ち上げる。
厨房へ向かいかけたところで、ぱっと顔を明るくした。
「けどけど! 明日は、ついにあれがあるんだよね~!」
「そうですね。ずっと待っていた日ですから!」
別のテーブルを片づけていたルートも、顔を上げた。
珍しく、声が弾んでいる。
厨房の洗い場で鍋を洗っていたメイラが、こちらへ顔を向けた。
「二人とも、そんなにわくわくして。明日、何があるんだい?」
僕は重ねた皿を持ち、厨房へ向かった。
「明日は、紋章儀式があるんです」
「ああ、そうか。三人とも、今年だったね」
洗い場へ皿を置くと、メイラが鍋を脇へ移してくれた。
『紋章儀式』。
十歳を迎えた少年・少女が神殿に集まり、紋章の発現を試みる儀式である。
通常の紋章は、首の後ろの付け根に現れる。
発現するのはその素質を持つ者に限られ、望んだ紋章が現れるとは限らない。
紋章を持たずとも術式を扱える場合はあるが、その習得にも才能を要する。
紋章は適性を示すとともに、特定の術式を扱うための条件にもなる。
憧れの探求者へ近づけるかもしれない。
その期待から、儀式の日を待ちわびる少年・少女は多い。
リナも、ルートも同じだった。
「僕は、精律紋を発現させてみせます!」
ルートが皿を抱えてやってきた。
積み重ねた皿の縁が、顎のすぐ下まで迫っている。
「……ルート、足元、見えてる?」
「え? あ……」
「ほら。半分、こっちに寄越しな」
メイラが手を拭き、上から皿を取った。
「すみません。つい……」
残りを洗い場へ置いたルートは、気恥ずかしそうに顔を背けた。
耳の先が、少し赤くなっている。
紋章儀式で発現する紋章には、大きく五つの系統がある。
生成や加工に優れた創成紋。
治癒や浄化に優れた癒生紋。
効率と制御に優れた精律紋。
術式の威力を引き出す剛威紋。
防御や保護に優れた守護紋。
模様によって特性は異なるが、用途まで限定されるわけではない。
その力をどう活かすかは、使い手次第である。
ルートが望む精律紋は、術式の展開に伴う消耗を抑え、効率よく制御することに優れている。
連続して術式を展開したり、複数を同時に操ったりする際にも、その特性を発揮する。
「やっぱり、ルートはそれなんだね」
「はい。もっと複雑な術式も、扱えるようになりたいので」
こちらへ顔を戻したルートが答えた。
その目は、まだ期待に輝いていた。
「リナは、何か欲しい紋章があるの?」
僕が聞くと、ジョッキを洗い場へ置いたリナが首を傾げた。
「ん~……まだ迷ってる~。どれも、いいな~って思うんだよね~」
「迷って選べるものではありませんよ」
「わかってるよ~。でも、想像するのはいいでしょ~!」
「それは、まあ……そうですね」
ルートが笑った。
「それに、特別紋っていうのもあるんだよね~」
「聖女や英雄の紋章ですか?」
「うん! もし出たら、びっくりするよね~」
特別紋は、通常の五系統とは別に、聖女などの特定の役割に結びついた紋章である。
同じ特別紋を持つ者は、世界に一人しか現れないという。
「まず、神殿の人に何度も確かめられるんじゃない?」
「そっか~。じゃあ、帰るの遅くなっちゃうかな~」
「もう出たつもりなんですね」
ルートの言葉に、メイラが笑った。
「どんな結果でも、帰ってきたら三人の話を聞かせておくれ」
「うん! メイラさんにも、すぐ見せるね~!」
「ああ。楽しみに待ってるよ」
リナは嬉しそうに頷くと、残ったジョッキを取りに食堂へ戻っていった。
その足取りは、さっきまでより軽かった。
*
翌朝も、リナは布団に潜ったままだった。
僕とルートは、もう身支度を終えている。
ルートが何度か呼びかけても、リナは小さく唸るだけで起きなかった。
「おい、リナ。今日は起きないと、紋章儀式に参加できなくなっちゃうぞ」
「ん……」
布団が動いた。
「あっ! 今日、紋章儀式の日じゃん!」
リナが勢いよく起き上がった。
寝癖のついた髪のままベッドを下り、服を取り出し始める。
「あ~、もう~! 何着ていこう~!」
ベッドに服を広げ、両手に一着ずつ持って鏡の前へ立った。
交互に身体へ当てては、首を傾げている。
起きたと思ったら、今度は服か。
すぐには決まりそうにない。
「僕たち、先に下りてるからね」
「うん~! すぐ行く~!」
鏡を見たままの返事を聞き、ルートと部屋を出た。
一階へ下りると、厨房から朝食の匂いがした。
「おはよう、メイラさん」
「おはようございます、メイラさん」
メイラは手を止めずに、こちらへ顔を向けた。
「おはよう、レイ、ルート。二人は、いつも早いね」
「何か運ぶもの、ありますか?」
ルートが聞くと、メイラは並べてあった皿へ目を向けた。
「じゃあ、そっちを頼むよ。レイはパンを運んでおくれ」
「はい」
二人で食卓へ運び、四人分の皿を並べた。
スープと料理も揃い、メイラが厨房から出てくる。
三人で席についたところで、階段から慌ただしい足音が響いた。
「ごめ~ん! 準備に時間かかっちゃって、手伝えなかった~!」
リナが食堂へ駆け込んできた。
椅子に座ると、顔の前で両手を合わせる。
「ごめんなさ~い!」
「いいよ。支度に時間がかかったんでしょ」
「レイ、甘やかしては駄目ですよ。何度呼んでも起きなかったんですから」
ルートが言うと、リナは合わせた手の向こうから、そっとルートを見た。
「……明日は、ちゃんと起きるから~」
「毎回、そう言ってますよね?」
「うっ……」
リナが肩をすくめる。
メイラは笑いながら、スープの器をリナの前へ寄せた。
「ほら、せっかく揃ったんだ。冷めないうちに食べようか」
「そうですね。食べましょう」
ルートが頷き、僕たちも手を合わせた。
「「「いただきます」」」
「いただきま~す!」
リナはさっそくスープへ手を伸ばした。
一口飲むと、ほっとしたように頬を緩める。
「ん~、おいしい~」
「慌てて食べて、服にこぼさないでくださいね」
「だいじょ~ぶ! ちゃんと気をつけてるから~」
そう答えながら、リナが胸元を確かめた。
「今、こぼしてないか見た?」
「ち、違うよ! 念のためだよ~!」
リナが慌てて顔を上げた。
僕が微笑むと、ルートも口元を緩めた。
メイラはパンを取りながら、楽しそうに僕たちを見ていた。
どんな紋章が現れるだろうと、リナとルートの会話はなかなか途切れなかった。
やがて食べ終えると、リナが真っ先に立ち上がった。
「片づけは、私にさせて! 朝、準備を手伝えなかったから!」
僕の皿にも手を伸ばしかけたところで、メイラが声をかけた。
「リナ、そろそろ神殿へ行く時間でしょ。片づけはやっておくから、行きな」
「で、でも、メイラさん。私、朝、何も手伝えなかったのに……」
皿へ伸ばした手を引き、リナが俯く。
さっきまで弾んでいた声が、小さくなった。
「いいんだよ」
メイラが立ち上がり、リナの髪をそっと撫でた。
「それより、今日はおしゃれして可愛いね。きっと、いい結果になるよ」
リナが顔を上げた。
撫でられるままに目を細め、嬉しそうに笑う。
「うん! ありがと、メイラさん! 大好き!」
メイラも笑って、もう一度、その髪を撫でた。
*
身支度を整え、三人で玄関へ向かった。
「メイラさん、いってきます」
「いってきま~す!」
「いってきます」
厨房からメイラが顔を出した。
「ああ、いってらっしゃい。気をつけてね」
リナが大きく手を振り、僕たちも宿を出た。
向かったのは、アバンダの広場だ。
紋章儀式に参加する者のために、今日だけ転移門が開かれている。
そこへ向かう間も、リナとルートの話は尽きなかった。
「ねえ、もし二人とも同じ紋章だったら、模様も一緒なのかな~?」
「同じ系統なら、似た模様になるそうですよ。僕も、見比べたことはないですけど」
「そっか~。じゃあ、終わったら見せ合おうね!」
二人の話を聞きながら、通りの先へ目を向けた。
同じくらいの年頃の少年・少女が、幾人も歩いている。
家族に付き添われている者もいれば、僕たちのように友人同士で並んでいる者もいた。
「なあ、ルート、リナ。周り、見てみなよ。僕たちと同じくらいの人が、たくさんいるよ」
二人が話を止め、辺りを見渡した。
「本当だ。みんな、転移門へ向かってますね」
「うん! でも、私が一番いい紋章を出せる気がする~!」
リナが得意げに胸を張った。
「昨日は、どれがいいか迷っていたのに?」
「それとこれとは別だよ~!」
ルートが笑う。
リナもつられて笑い、また前を向いた。
広場には、既に列ができていた。
その先に、白く光る大きな枠が立っている。
枠の内側には、広場の向こう側ではなく、別の通りが映っていた。
広い石畳の道を、何人もの少年・少女が歩いている。
神殿があるのは、エルフの大陸の中心にある世界樹の都市だ。
大陸で唯一の神殿。
そして、多くの者が入学を夢見る学園も、同じ都市に置かれている。
この転移門は、その神殿の近くへ繋がっていた。
列に従って進み、僕たちも門の前へ立った。
「なんか、どきどきするね~」
リナが枠の向こうを覗き込む。
ルートも、その先の景色を見つめていた。
係の人に促され、光の内側へ足を踏み入れる。
次の一歩が、別の石畳を踏んだ。
背後を振り返ると、枠の向こうに、さっきまでいた広場が見えた。
二人も続いて現れ、次の参加者のために脇へ寄る。
「わぁ……」
リナが、頭上を見上げたまま声を漏らした。
建物の屋根を遥かに越えて、世界樹の枝葉が広がっていた。
幾重にも重なる緑の隙間から、朝の光が落ちている。
ルートも顔を上げていたが、後ろから来た人の足音に気づき、僕たちへ向き直った。
「……そろそろ行きましょうか。後ろ、来てますよ」
「うん~」
リナはもう一度だけ世界樹を見上げ、僕たちと歩き出した。
別の転移門から来た者たちも通りへ合流し、人の流れが太くなっていく。
その先に、神殿が見えていた。
広い石段を上り、開かれた扉をくぐる。
幾つもの柱が並ぶ広間を、大勢の少年・少女が埋めていた。
「わぁ~! すごいね~! こんなにたくさんいるんだ~!」
リナが足を止めた。
ルートも、その隣で広間を見渡す。
「……こんなにいるんだ」
「今は、みんなここに集まっているからね。儀式場は幾つかに分かれているし、移動したら、もう少し落ち着くと思うよ」
壁際には、儀式場ごとの案内が出ていた。
その前では、神殿の人が参加者を誘導している。
「そうですね。でも、レイ。今年はちょっと違うみたいです」
ルートの視線が、広間の奥へ動いた。
受付を待つ列とは別に、人だかりができている。
背伸びをして中を覗く者や、隣の相手へ何かを囁く者がいた。
「ん~……あっ!」
リナが、その中心を指さした。
「あそこにいるの、ファブリス家の人じゃない?」
人の間から、一人の少年が見えた。
襟元まで整った服に、腰には細身の剣を提げている。
「セドリック・ファブリスですね」
「そう、その人! この前の剣術大会で、同じ年代の部門で優勝したんだよね~!」
大会を見ていたらしい者が、身振りを交えて話しかけていた。
セドリックは相手へ向き直り、穏やかな笑顔で応じている。
立つ姿勢にも、礼を返す仕草にも、乱れがない。
ファブリス家。
代々、王族や貴族の剣術指南を担ってきた名家だ。
無駄のない鋭い剣技と、洗練された立ち居振る舞い。
その両方を受け継ぐ一族として知られている。
セドリックは、その長男だった。
「リナ、よく知ってるね」
「大会の話、食堂でお客さんがしてたの~。すっごく綺麗な剣だったって!」
リナがもう一度、少年の方を覗き込む。
僕はその姿を確かめ、広間へ視線を巡らせた。
柱の近くにいる少女へ、何人もの視線が向いていた。
ちらりと見ては、連れと顔を寄せている。
だが、声をかけようと近づく者はいなかった。
「あそこにも、いるね」
二人が、僕の視線を追った。
少女の胸元には、純白の宝石が飾られていた。
こちらへ顔を向けた拍子に、左右で色の異なる瞳が見える。
一方は、炎を閉じ込めたような赫。
もう一方は、深い海を思わせる蒼だった。
「……リゼット・エーデルシュタインも来てる」
ルートが、声を落とした。
宝石に術式を刻み、その力を引き出す技術で知られるエーデルシュタイン家。
多くの財を持ち、優れた術式使いを輩出してきた家でもある。
リゼットは、その一人娘だった。
「本当に、目の色が違うんだね~」
リナの声も、少し小さくなった。
百年前、歴史に名を残す程の力を振るった術式使いにも、赫と蒼の瞳があったという。
それ以来、同じ特徴を持って生まれたのはリゼットだけだとされている。
その人物の再来ではないか。
そんな噂とともに、リゼットの名前は生まれた頃から広く知られていた。
さらに辺りを見ると、ほかにも見覚えのある顔があった。
大会や名家の話で、名前を聞いたことのある者たちだ。
「ここには、有名な人ばかりですね」
ルートが、こちらを見た。
「そうだね。強い人が多いみたい」
僕はそう返し、神殿の奥へ目を向けた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。Ruruです。
今回は、リナとルートのやり取りを、微笑ましく読んでいただけたら嬉しいです。
明日のことを楽しみにしたり、どんな紋章が現れるか想像したり。二人の、まだ十歳の少年・少女らしい姿を描けていたらいいなと思っています。リナに振り回されつつ、時々からかうルートのやり取りも、書いていて楽しかったです。
また、今回は紋章をはじめ、いろいろな設定が登場しました。名前も多くて、覚えるのが少し大変だったかもしれません。
これからも設定は増えていくので、物語を読みながら、少しずつ覚えてもらえたら嬉しいです。気に入った名前や設定が一つでもあれば、ぜひ心に留めておいてください。
そして、ここからは本作品で重要な催しの一つ、紋章儀式が始まります。
少し裏話ですが、実はレイの紋章をどうするか、めちゃくちゃ悩んでいます。頭の中にいくつも候補があって、それぞれのパターンで先の展開を考えては、また迷っています。どれを選ぶか、じっくり考えながら次の話を書いていこうと思います。
次の話でも、自分の好きな設定を存分に盛り込んでいくつもりです。好み全開のお話に、引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。




