第五話 喪失と願い
森を抜け、そのままアバンダへ入った。
背中のアルスを負い直し、腕の中のミラを抱え直す。
その頬には、黒い痣が浮かんでいた。
並の治癒術師では、二人を救えない。
でも、彼女なら。
ルイーズ・A・フォレスト。
この大陸で、ミラとアルスを救える、ただ一人の人物。
記憶の中でミラを診ていた、エルフの治癒術師だ。
彼女は今、この都市にいる。
僕は診療所へ続く道を急いだ。
ルイーズは、かつてエルフの大陸『シルヴェスタ』の治癒協会に所属していた。
薬や病、呪いを、それぞれの専門領域に分かれて研究する機関。その中でも、エルフの大陸の治癒協会は全大陸で最高峰とされている。
彼女の専門領域は、呪い。
協会でも五指に入る程の治癒術師だった。
そんな彼女は、ある事件で重大な過失を犯したとして永久追放された。
生まれ故郷へ戻ってからは患者を診ず、研究だけを続けている。
だけど、僕は知っている。
彼女が、そんな過失を犯していないことを。
診療所が見えた。
入口を通り過ぎ、隣の研究所へ回る。
診療所で診察を待っていても、彼女には会えない。
研究所の扉の前で足を止めた。
ミラを抱え直し、声を張り上げる。
「ルイーズさん! お願いします!」
返事はない。
「弟と妹を、診てください! ルイーズさん!」
中で物音がした。
「お願いします! 二人とも、まだ生きてるんです!」
ミラを抱える腕が下がり、胸元へ抱き寄せ直した。
「ルイーズさん! お願いです……!」
足音が近づいた。
鍵の外れる音がする。
「二人を、助けてください!」
扉が開いた。
長く尖った耳を持つ女性が、眉をひそめてこちらを見た。
ルイーズだった。
「……何の用だい。さっきから」
「弟と妹を――」
「今は誰も診ないと決めているんだ。さっさと立ち去ってくれ」
扉が閉まりかけた。
「待ってください!」
隙間へ足を差し入れた。
扉の縁が靴に当たり、止まる。
「弟が斬られたんです! 血は止めたけど、早く診てもらわないと……!」
「なら、隣へ行きな。診療所なら開いてるだろう」
「あなたに診てほしいんです!」
ルイーズの視線が、僕の背中へ動いた。
腕の中のミラへ落ちる。
「妹も、ずっと起きなくて……顔に、黒い痣が」
扉を押し戻されないよう、足を踏ん張った。
「お願いします。二人を助けてください……!」
「……私は」
「お願いします……!」
頭を下げかけると、背中のアルスの重みがずれた。
ミラを抱える腕に力を込め、姿勢を立て直す。
足は、扉の隙間から動かせなかった。
ルイーズが、苦しげに顔を歪めた。
「すまない」
声が、低くなる。
「……診てあげたいが、私にはもう、誰も救えないんだ」
ミラを見ていた目が、伏せられた。
「……すまない」
彼女が扉から手を離した。
僕の足で止まった扉を残し、研究所の奥へ戻ろうとする。
僕はその背中を見ていた。
足音が、二つ、三つと遠ざかる。
「…………エミリアのことですか」
足音が止まった。
「……なぜ、その名前を!」
振り返ったルイーズの視線が、僕の顔に留まる。
その目が、すっと細められた。
「……お前、何者だ」
*
「レイです。こっちがアルスで、この子がミラです」
肩越しにアルスへ目を向け、腕の中のミラへ視線を落とした。
「アバンダの外れに住んでいます。そこで、弟と妹が襲われて……あなたに会いに来ました。あなたの敵じゃありません」
ルイーズは黙って僕を見ていた。
「……あの名前は、誰から聞いた」
「あとで、話します。だから、先に二人を……!」
アルスが滑り落ちないよう、少し前屈みになった。
ミラを抱える腕の痛みが、強くなっていた。
「お願いします! あなたにしか、頼めないんです……!」
ルイーズの視線が、ミラへ落ちた。
頬の痣を見つめたあと、苦しげに目を伏せる。
「……やはり、私には無理だ」
背を向けられた。
その足が動く前に、声を張り上げた。
「あなたは悪くない! 最善を尽くしたじゃないですか!」
「あなたは、何も――」
「それでもだ……!」
ルイーズが、傍らの壁を拳で打った。
腕を下ろし、顔だけこちらを向けた。
「それでも……私は……救えなかったんだ……!」
眉が歪んだ。
僕を見る目が揺れ、言い終えた唇をきつく噛みしめる。
そうか。
彼女が苦しんでいるのは、過失を犯したと責められたり、周りから見放されたことじゃない。
救えなかったからだ。
救えなかった自分を、今も許していない。
下ろした拳は、固く握られたままだ。
*
しばらく、誰も口を開かなかった。
ルイーズは、こちらへ向き直ろうとしなかった。
……甘く考えていた。
記憶の中では、助けてくれた。
だから、今回も助けてくれると、勝手に思っていた。
だけど、今の彼女に、いくら頼んでも……。
扉の隙間から、足を引きかけた。
「………………レイ君。一つ聞く」
動きを止めた。
「……なんですか?」
「ある患者の胸を開き、心臓まで達したとする」
こちらを向かないまま、ルイーズは続けた。
「呪物の位置は、既に確かめてある。だが、実際に見てみると、心臓との境目がほとんど残っていなかった。切り離せば、心臓まで傷つける恐れがある」
僕は黙って聞いていた。
ルイーズが振り返った。
「患者が患っているのは、心臓呪蝕だ」
外から植え付けられた呪物が、身体を蝕み、心臓へ根を張っていく呪い。
その進行は、三つの段階に分かれる。
Ⅰ――片呪蝕。侵蝕は心臓の半分未満。
Ⅱ――深呪蝕。半分以上に及ぶが、全体には達していない。
Ⅲ――全呪蝕。心臓全体が侵蝕された状態。
片呪蝕の治療成功率は、九割程である。
この段階では呪物が形を保っており、除去、あるいは浄化することで呪いも消える。
だが、深呪蝕に進むと、呪物は心臓の組織と混ざり合い、境目を失っていく。
心臓を傷つけずに呪物だけを取り除くことは難しく、治療成功率は二割程度まで低下する。侵蝕が進むにつれ、成功率はさらに下がる。
全呪蝕に至った患者の治療に成功した例は、これまでに、たった一度しかない。
「その患者は、深呪蝕だ。ただし、全呪蝕に移る寸前まで進んでいる」
ルイーズの目が、僕を捉えていた。
「レイ君。君なら、この患者を治療するか。それとも――」
「治療します」
続きを待たずに、答えていた。
ルイーズの目が、わずかに開いた。
僕は、彼女から目を逸らさなかった。
やがて、彼女は微かに笑った。
眉は、悲しげに寄ったままだった。
「ああ……そうだね」
ルイーズはゆっくりと視線を上げ、どこか遠くを見るように目を細めた。
「私も、あのとき……君のように迷わなければ、救えたのかもしれないね」
ルイーズは奥へ向き直り、片手で僕を招いた。
「来な。その子らを診てあげるよ」
足で扉を押し開けた。
ミラを抱え直し、アルスを背負ったまま、その後についていった。
*
研究室の奥には、診療のための空間があった。
薬品の並ぶ棚の脇に、白い布を掛けた診療台が二つ置かれている。
ルイーズに手を借り、まずミラを寝かせた。
それから、アルスを背中に固定していた布を解く。身体を支えながら、隣の台へ横たえた。
ミラを下ろしても、腕には重さが残っていた。
ルイーズは二人の呼吸と脈を確かめ、それぞれの胸元へ手をかざした。
淡い白色の術式が浮かび上がり、身体へ重なる。
「痛みを抑え、眠った状態を保つ術式だ。呼吸や脈も、これで安定させる」
二人の胸が、ゆっくりと上下していた。
「レイ君は、そこにいてくれ」
台から少し離れた椅子を示された。
僕は座らず、その脇に立った。
ルイーズは施術着を身につけ、口元をマスクで覆った。
手を洗い、手袋をはめると、ミラの前へ戻った。
「まずは、ミラさんから診ていこう」
服の裾をめくったところで、その手が止まった。
「……これは酷い。一度だけじゃない。何度も蹴られているな」
金髪の男の笑い声が、耳の奥に蘇った。
握りしめた拳が震える。
爪が掌に食い込んでも、力を抜けなかった。
ルイーズの手元に、五つの白い術式が展開された。
一つがミラの腹部へ重なり、残りがその周囲へ広がる。
彼女が指を動かすと、腫れが引き、皮膚に浮かんだ打撲痕が薄れていった。
手は一度も止まらなかった。
膝の擦り傷も確かめ、必要な処置を終えると、ルイーズはミラの頬へ目を移した。
「次は、この呪いだ」
外傷の処置に使った五つは残したまま、新たに五つの術式を描き出す。
追加された術式がミラの身体を囲むと、ルイーズの目の前に、白い光で縁取られた画面が幾つも浮かんだ。
画面は斜めに並び、僕のいる場所からも中が見えた。
ミラの身体が、部位ごとに映し出されている。
指先が動くたび、画面が入れ替わった。
首筋、腕、足。全身を調べたが、黒い痣が出ているのは頬だけだった。
続いて、身体の内側が映し出された。
その中から心臓を選び、画面いっぱいに広げる。
脈打つ表面に、黒い筋が絡みついていた。
「この子も……エミリアと同じ……!」
ルイーズが眉をひそめた。
画面を見つめる目が、険しくなる。
ミラの身体を囲んでいた五つの術式が、胸元へ集まった。
ルイーズが指を動かすと、画面から心臓だけが立体的に浮かび上がる。
その映像を回し、拡大しながら、黒い筋がどこまで伸びているのか、一つずつ辿っていた。
「……深呪蝕の初期か」
ルイーズはミラの上着を脱がせ、左胸の心臓がある辺りだけを出して、ほかを布で覆った。
外傷の処置に使った五つの術式へ、指を向ける。
描かれていた線がほどけ、別の形へ組み替わっていった。
深呪蝕の処置に合わせた五つが、ミラの左胸へ重なる。
その一つから、白く細い刃が伸びた。
ルイーズが指を滑らせると、刃が動き、皮膚を切り開いていく。
指先の動きを細かく変えながら、少しずつ胸の内側へ進めていった。
僕は、ミラの顔へ目を向けた。
目は閉じたまま、表情も変わらない。
気づけば眉間に力が入り、歯を食いしばっていた。
ルイーズの手元へ視線を戻した。
けれど、彼女が身体を寄せたため、そこから先は見えなかった。
代わりに、画面を見つめる。
露わになった心臓が映っていた。
黒い筋が、脈動に合わせて伸び縮みしている。
ルイーズは画面とミラの胸元を交互に見ながら、術式へ指示を送った。
細い光が、黒く染まった箇所へ入り込む。
組織との境目を確かめ、少しずつ切り離していく。
細かな箇所では手術器具を添え、その先を術式で支えていた。
切り離した箇所を別の術式が塞ぎ、取り出された組織は小さな器へ移された。
器が白い光に包まれると、絡みついていた黒い筋が消えていく。
摘出と浄化。
その間も、心臓を調べる術式は動き続けていた。
深呪蝕の初期でも、呪物は既に心臓の一部と混ざり合っている。
(少しでも……手元が狂えば……ミラが……)
僕は、画面から目を離せなかった。
やがて、ルイーズが手術器具を置いた。
画面に映る心臓を幾つもの方向から確かめ、術式を動かす。
閉胸が進むにつれ、開かれていた胸元が元に戻っていった。
最後に皮膚が繋がり、切開の跡が塞がる。
外傷の処置から閉胸まで、四十分。
その間、ルイーズの手が迷って止まることは一度もなかった。
けれど、頬の痣は消えていなかった。
「あの、ミラは……」
「呪いの進行は止めた。現状、命に別状はないよ」
僕は、ようやく息を吐いた。
「詳しいことは、アルス君を診てから話そう」
頷くと、ルイーズはミラに布を掛け、施術に使った術式を解いた。
身体に重なる淡い白色の術式だけを残し、隣の台へ移る。
手袋を替え、アルスの服を傷に触れないよう開いた。
そこで、動きが止まった。
「……この処置は」
傷へ顔を寄せ、縫い合わされた箇所を確かめる。
「レイ君。君が行ったのかい?」
「はい」
ルイーズが僕を見た。
それから、もう一度傷へ視線を戻した。
「私でも、処置をためらう傷だ。少しでも手元が狂えば、助からなかっただろうに……」
縫合の跡を、慎重に調べている。
「それを、君が……」
呟きながら手をかざすと、傷の上に白い術式が広がった。
続けて画面が浮かび、縫合された傷の内側が映し出される。
ルイーズは画面を拡大し、傷の奥まで調べていった。
その表情が、険しくなった。
傷の内側から、黒い筋が伸びている。
画面がその先を辿ると、心臓へ繋がっていた。
ルイーズが術式を通して、傷口の組織をわずかに動かした。
黒い筋が張り、それに繋がる心臓の表面まで引きつれた。
すぐに、その手が止まった。
「……そういうことか」
声が低かった。
「何か、あったんですか?」
「少し待ってくれ」
ルイーズは術式を切り替えた。
僕はその手元を見つめ、返事を待った。
縫合は解かず、傷の周囲へ幾つもの術式を重ねていく。
画面に映る心臓が落ち着いた動きを取り戻しても、ルイーズはしばらく調べ続けていた。
やがて、アルスの胸に手を当てる。
呼吸と脈を確かめたあと、僕へ向き直った。
アルスの診察と処置に、二十分。
二人を診始めてから、一時間が経っていた。
「二人とも、現状、命に別状はない。だが、どちらの呪いも、まだ取り除けていない」
僕は黙って、ルイーズを見つめた。
「まず、ミラさんの状態から説明しよう」
彼女が手を動かすと、ミラの頬を映す画面が僕の前へ移った。
黒い痣が、大きく映っている。
さらに内側へ表示が切り替わると、黒い筋が細かく枝分かれしていた。
「心臓に根づいていたものは、取り除ける範囲で処置した。だが、呪いはここまで広がっている」
ルイーズの指が、頬の内側へ入り込んだ筋を辿った。
「これを一度に浄化しようとすれば、周囲の組織まで傷めてしまう。今のミラさんの身体には、負担が大きすぎるんだ」
「じゃあ、残っているものは……」
「時間をかけて、少しずつ浄化していくしかない」
ルイーズの手が、施術着の裾を握った。
「完全には取り除いてあげられなかった。……すまない」
深く頭を下げられた。
ミラは、まだ眠っていた。
いつ、目を覚ますんですか。
唇が動きかけた。
隣の台へ目を向ける。アルスも、まだ眠ったままだった。
聞きたい言葉を飲み込み、ルイーズを見た。
「……アルスは?」
ルイーズが顔を上げた。
「アルス君にも、呪いがかかっている。だが、ミラさんのように、呪物を植え付けられたわけではない」
ミラの頬に代わり、アルスの胸元が画面に映った。
「何らかの形で、傷口へ呪いが伝播したんだ。その呪いが内側に残ったまま傷が閉じ、心臓と繋がってしまっている」
胸の中央から腹部へ続く傷。
その内側から、黒い筋が心臓へ伸びていた。
「傷口を動かせば、この筋に引かれて心臓まで傷つく。ミラさんと違って、取り除くべき呪物もない。傷の内側に入り込んだ呪いだけを、切り離さなければならない」
「でも……縫わないと、血が……」
「ああ。君の処置がなければ、ここへ来るまでに亡くなっていただろう」
ルイーズは、僕の目を見て言った。
「だが、今から縫合を解くのは危険だ。出血を止めたまま、心臓との繋がりを解く方法を探す必要がある」
アルスへ視線を戻す。
自分が縫い合わせた傷が、そこにあった。
「僕が……縫ったから?」
「君が救ったんだ」
ルイーズの声が、はっきりと響いた。
「そこは、間違えないでくれ。この傷で、止血を後回しにすることはできなかった。君は、必要な処置をした」
それでも、傷から目を離せなかった。
ルイーズが、画面を自分の方へ戻した。
「今は傷も心臓も安定している。二人とも、ここで診るよ。だが、呪いが残っている以上、いつ目を覚ますかまでは、まだ言えない」
僕はアルスを見た。
ミラを見た。
二人の胸は、まだ、小さく上下していた。
*
守れたかもしれない。
あの記憶を、もっと早く思い出していれば。
家に着いたとき、すぐに動けていれば。
顔が歪んだ。
俯きかけて、唇を噛む。
今、それをルイーズに言っても。
僕は顔を上げた。
「……二人を助けてくれて、ありがとうございます」
頭を下げる。
「……礼は言わないでくれ」
ルイーズは二人を見ていた。
「私は目の前の患者を、治しきることもできない。…………情けない」
返す言葉が、出てこなかった。
「レイ君。君には色々と聞きたいことがある。だが、まずは座りな。その身体も診せてくれ」
椅子を示された。
腰を下ろしても、目は二人から離れなかった。
アルスも、ミラも。
まだ、生きている。
だけど、目を開けない。
名前を呼んでも、声は返ってこない。
――ぱき、と。
胸の奥で、また何かが壊れた気がした。
あの三人は、もういない。
けれど、あいつらに命じた誰かがいる。
母さんを殺せと。殺したあとは、そのままにしておけと。
ルイーズの問いかけに答えながら、膝の上で拳を握った。
誰なのかは、まだわからない。
それでも。
母さんを奪って、二人をこんな姿にした奴を。
このまま、何も知らずに生かしておくなんて。
絶対に、許さない。
*
二年近く経った現在も、鮮明に覚えている。
雨も、血も。
腕に抱えたミラの重さも、母さんを置いていったときの苦しさも。
顔を上げた。
目の前には、母さんの墓があった。
墓標にした石の脇で、抜き残した草が風に揺れている。
地面についた指が、さらに深く土へ食い込んだ。
その手から、ゆっくりと力を抜く。
「あの日は、置いていってごめん……」
ルイーズさんとの話を終えると、すぐに家へ戻った。
母さんは、短剣を置いた場所で待っていた。
その日のうちに、自分の手で埋葬した。
手についた土を払い、立ち上がる。
「見てて、母さん。あの日の約束は守るよ」
声は、低く落ちた。
もう、震えてはいなかった。
*
埋葬を終えたあと、僕は焼けた家の中へ入った。
壁も、床も黒く焦げていた。
崩れた屋根の下で、机だけが元の色を残している。
近づくと、その周囲に防護術式の跡があった。
机の脚元を境に、焦げ跡が途切れていた。
天板に、一通の手紙が置かれていた。
開く前から、母さんの字だとわかった。
*
レイ、アルス、ミラへ。
恐らく、私は今日、殺されると思うわ。
理由は言えないけれど。
だけど、仕方がないの。
これが、私の運命なのよ。
レイ。
アルスとミラを守ってあげてね。
あなたは、立派なお兄ちゃんだから。
アルス。
弱い身体に産んでしまって、ごめんなさい。
でも、あなたには、ほかの人にはない才能があるわ。
頑張ってね。
ミラ。
あなたには、私にもわからない、不思議な力を感じるの。
きっとそれが、いつかあなたを助けてくれるわ。
最後に、レイ。
あなたに、お願いがあります。
『塔を目指しなさい』
みんな、愛しているわ。
〇〇〇〇
*
最後の一行まで読み終えた、そのときだった。
「……っ!」
頭の奥が痛んだ。
知らない景色が、次々に流れ込んでくる。
手紙を握ったまま、空いた手で頭を押さえた。
また、記憶だ。
見たこともないはずのものを、僕は知っていた。
確かめようとする間にも、次の光景が押し寄せる。
やがて痛みが引いても、しばらく動けなかった。
手紙へ目を落とした。
母さんは、知っていた。
今日、自分が殺されることを。
それなのに、どうして。
紙を握る指に力がこもった。
折り目が潰れる音に気づき、慌てて緩める。
『塔を目指しなさい』
その一文を、もう一度読んだ。
塔へ行けば、わかるのだろうか。
なぜ、母さんが殺されなければならなかったのか。
まだ、思い出していないことがあるのかもしれない。
父さんも、塔都へ向かった。
そこへ行けば、会えるかもしれない。
母さんのことも、二人のことも、助けてくれるかもしれない。
手紙を畳み、胸元へしまった。
母さんが、僕に残した最後のお願いだった。
*
墓を見下ろしたまま、胸元へ手を当てた。
母さんが残した言葉は、覚えている。
アルスとミラを守る。
塔を目指す。
そして。
母さんを殺させた奴を、見つける。
脇に置いていた帽子とマスクを拾い上げた。
「また、来るね。母さん」
墓に背を向ける。
帽子を深く被り、マスクをつけた。
その影に隠れた目から、憎悪が消えることはなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。Ruruです。
今回は、いつもより長めのお話になりました。どうしても母親のお墓を去るところまで書きたくて、ここまでを第五話にしました。
新登場のルイーズはいかがだったでしょうか。
彼女もまた、過去に闇を抱えている人物です。レイだけでなくルイーズの苦しさにも触れたことで、第五話全体がさらに暗くなったなあと、書きながら思いました。
ルイーズは、今後も登場する予定です。いつか彼女の視点で、協会を追放されてからレイと出会うまでの話も書いてみたいなあ、とぼんやり考えています。
そして、ようやく現在の時間軸に戻ってきました。
次の第六話では、レイ、リナ、ルートの三人で、あるイベントに参加します。これも自分の好きなイベントなので、盛り込みたい要素がいろいろあります。
三人がどんな時間を過ごすのか。その続きをお届けします。




