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幽暗に堕ちたあの日が消えない  作者: Ruru
1章

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6/7

第五話 喪失と願い

 森を抜け、そのままアバンダへ入った。


 背中のアルスを負い直し、腕の中のミラを抱え直す。

 その頬には、黒い痣が浮かんでいた。


 並の治癒術師(ヒーラー)では、二人を救えない。


 でも、彼女なら。


 ルイーズ・A・フォレスト。


 この大陸で、ミラとアルスを救える、ただ一人の人物。

 記憶の中でミラを診ていた、エルフの治癒術師(ヒーラー)だ。


 彼女は今、この都市にいる。


 僕は診療所へ続く道を急いだ。


 ルイーズは、かつてエルフの大陸『シルヴェスタ』の治癒(メディカル)協会に所属していた。

 薬や病、呪いを、それぞれの専門領域に分かれて研究する機関。その中でも、エルフの大陸(シルヴェスタ)の治癒(メディカル)協会は全大陸で最高峰とされている。


 彼女の専門領域は、呪い。

 協会でも五指に入る程の治癒術師(ヒーラー)だった。


 そんな彼女は、ある事件で重大な過失を犯したとして永久追放された。

 生まれ故郷へ戻ってからは患者を診ず、研究だけを続けている。


 だけど、僕は知っている。

 彼女が、そんな過失を犯していないことを。


 診療所が見えた。


 入口を通り過ぎ、隣の研究所へ回る。

 診療所で診察を待っていても、彼女には会えない。


 研究所の扉の前で足を止めた。

 ミラを抱え直し、声を張り上げる。


「ルイーズさん! お願いします!」


 返事はない。


「弟と妹を、診てください! ルイーズさん!」


 中で物音がした。


「お願いします! 二人とも、まだ生きてるんです!」


 ミラを抱える腕が下がり、胸元へ抱き寄せ直した。


「ルイーズさん! お願いです……!」


 足音が近づいた。

 鍵の外れる音がする。


「二人を、助けてください!」


 扉が開いた。


 長く尖った耳を持つ女性が、眉をひそめてこちらを見た。

 ルイーズだった。


「……何の用だい。さっきから」


「弟と妹を――」


「今は誰も診ないと決めているんだ。さっさと立ち去ってくれ」


 扉が閉まりかけた。


「待ってください!」


 隙間へ足を差し入れた。

 扉の縁が靴に当たり、止まる。


「弟が斬られたんです! 血は止めたけど、早く診てもらわないと……!」


「なら、隣へ行きな。診療所なら開いてるだろう」


「あなたに診てほしいんです!」


 ルイーズの視線が、僕の背中へ動いた。

 腕の中のミラへ落ちる。


「妹も、ずっと起きなくて……顔に、黒い痣が」


 扉を押し戻されないよう、足を踏ん張った。


「お願いします。二人を助けてください……!」


「……私は」


「お願いします……!」


 頭を下げかけると、背中のアルスの重みがずれた。

 ミラを抱える腕に力を込め、姿勢を立て直す。


 足は、扉の隙間から動かせなかった。


 ルイーズが、苦しげに顔を歪めた。


「すまない」


 声が、低くなる。


「……診てあげたいが、私にはもう、誰も救えないんだ」


 ミラを見ていた目が、伏せられた。


「……すまない」


 彼女が扉から手を離した。

 僕の足で止まった扉を残し、研究所の奥へ戻ろうとする。


 僕はその背中を見ていた。

 足音が、二つ、三つと遠ざかる。


「…………エミリアのことですか」


 足音が止まった。


「……なぜ、その名前を!」


 振り返ったルイーズの視線が、僕の顔に留まる。

 その目が、すっと細められた。


「……お前、何者だ」


     *


「レイです。こっちがアルスで、この子がミラです」


 肩越しにアルスへ目を向け、腕の中のミラへ視線を落とした。


「アバンダの外れに住んでいます。そこで、弟と妹が襲われて……あなたに会いに来ました。あなたの敵じゃありません」


 ルイーズは黙って僕を見ていた。


「……あの名前は、誰から聞いた」


「あとで、話します。だから、先に二人を……!」


 アルスが滑り落ちないよう、少し前屈みになった。

 ミラを抱える腕の痛みが、強くなっていた。


「お願いします! あなたにしか、頼めないんです……!」


 ルイーズの視線が、ミラへ落ちた。

 頬の痣を見つめたあと、苦しげに目を伏せる。


「……やはり、私には無理だ」


 背を向けられた。

 その足が動く前に、声を張り上げた。


「あなたは悪くない! 最善を尽くしたじゃないですか!」


「あなたは、何も――」


「それでもだ……!」


 ルイーズが、傍らの壁を拳で打った。


 腕を下ろし、顔だけこちらを向けた。


「それでも……私は……救えなかったんだ……!」


 眉が歪んだ。

 僕を見る目が揺れ、言い終えた唇をきつく噛みしめる。


 そうか。


 彼女が苦しんでいるのは、過失を犯したと責められたり、周りから見放されたことじゃない。


 救えなかったからだ。


 救えなかった自分を、今も許していない。


 下ろした拳は、固く握られたままだ。


     *


 しばらく、誰も口を開かなかった。


 ルイーズは、こちらへ向き直ろうとしなかった。


 ……甘く考えていた。


 記憶の中では、助けてくれた。

 だから、今回も助けてくれると、勝手に思っていた。


 だけど、今の彼女に、いくら頼んでも……。


 扉の隙間から、足を引きかけた。


「………………レイ君。一つ聞く」


 動きを止めた。


「……なんですか?」


「ある患者の胸を開き、心臓まで達したとする」


 こちらを向かないまま、ルイーズは続けた。


「呪物の位置は、既に確かめてある。だが、実際に見てみると、心臓との境目がほとんど残っていなかった。切り離せば、心臓まで傷つける恐れがある」


 僕は黙って聞いていた。


 ルイーズが振り返った。


「患者が患っているのは、心臓呪蝕(コル・マレディア)だ」


 外から植え付けられた呪物が、身体を蝕み、心臓へ根を張っていく呪い。

 その進行は、三つの段階に分かれる。


 Ⅰ――片呪蝕(アラ)。侵蝕は心臓の半分未満。

 Ⅱ――深呪蝕(アルザ)。半分以上に及ぶが、全体には達していない。

 Ⅲ――全呪蝕(アルゼア)。心臓全体が侵蝕された状態。


 片呪蝕(アラ)の治療成功率は、九割程である。

 この段階では呪物が形を保っており、除去、あるいは浄化することで呪いも消える。


 だが、深呪蝕(アルザ)に進むと、呪物は心臓の組織と混ざり合い、境目を失っていく。

 心臓を傷つけずに呪物だけを取り除くことは難しく、治療成功率は二割程度まで低下する。侵蝕が進むにつれ、成功率はさらに下がる。


 全呪蝕(アルゼア)に至った患者の治療に成功した例は、これまでに、たった一度しかない。


「その患者は、深呪蝕(アルザ)だ。ただし、全呪蝕(アルゼア)に移る寸前まで進んでいる」


 ルイーズの目が、僕を捉えていた。


「レイ君。君なら、この患者を治療(ヒール)するか。それとも――」


「治療(ヒール)します」


 続きを待たずに、答えていた。


 ルイーズの目が、わずかに開いた。

 僕は、彼女から目を逸らさなかった。


 やがて、彼女は微かに笑った。

 眉は、悲しげに寄ったままだった。


「ああ……そうだね」


 ルイーズはゆっくりと視線を上げ、どこか遠くを見るように目を細めた。


「私も、あのとき……君のように迷わなければ、救えたのかもしれないね」


 ルイーズは奥へ向き直り、片手で僕を招いた。


「来な。その子らを診てあげるよ」


 足で扉を押し開けた。

 ミラを抱え直し、アルスを背負ったまま、その後についていった。


     *


 研究室の奥には、診療のための空間があった。

 薬品の並ぶ棚の脇に、白い布を掛けた診療台が二つ置かれている。


 ルイーズに手を借り、まずミラを寝かせた。

 それから、アルスを背中に固定していた布を解く。身体を支えながら、隣の台へ横たえた。


 ミラを下ろしても、腕には重さが残っていた。


 ルイーズは二人の呼吸と脈を確かめ、それぞれの胸元へ手をかざした。

 淡い白色の術式が浮かび上がり、身体へ重なる。


「痛みを抑え、眠った状態を保つ術式だ。呼吸や脈も、これで安定させる」


 二人の胸が、ゆっくりと上下していた。


「レイ君は、そこにいてくれ」


 台から少し離れた椅子を示された。

 僕は座らず、その脇に立った。


 ルイーズは施術着を身につけ、口元をマスクで覆った。

 手を洗い、手袋をはめると、ミラの前へ戻った。


「まずは、ミラさんから診ていこう」


 服の裾をめくったところで、その手が止まった。


「……これは酷い。一度だけじゃない。何度も蹴られているな」


 金髪の男の笑い声が、耳の奥に蘇った。


 握りしめた拳が震える。

 爪が掌に食い込んでも、力を抜けなかった。


 ルイーズの手元に、五つの白い術式が展開された。


 一つがミラの腹部へ重なり、残りがその周囲へ広がる。

 彼女が指を動かすと、腫れが引き、皮膚に浮かんだ打撲痕(だぼくこん)が薄れていった。


 手は一度も止まらなかった。

 膝の擦り傷も確かめ、必要な処置を終えると、ルイーズはミラの頬へ目を移した。


「次は、この呪いだ」


 外傷の処置に使った五つは残したまま、新たに五つの術式を描き出す。

 追加された術式がミラの身体を囲むと、ルイーズの目の前に、白い光で縁取られた画面が幾つも浮かんだ。


 画面は斜めに並び、僕のいる場所からも中が見えた。

 ミラの身体が、部位ごとに映し出されている。


 指先が動くたび、画面が入れ替わった。

 首筋、腕、足。全身を調べたが、黒い痣が出ているのは頬だけだった。


 続いて、身体の内側が映し出された。

 その中から心臓を選び、画面いっぱいに広げる。


 脈打つ表面に、黒い筋が絡みついていた。


「この子も……エミリアと同じ……!」


 ルイーズが眉をひそめた。

 画面を見つめる目が、険しくなる。


 ミラの身体を囲んでいた五つの術式が、胸元へ集まった。

 ルイーズが指を動かすと、画面から心臓だけが立体的に浮かび上がる。


 その映像を回し、拡大しながら、黒い筋がどこまで伸びているのか、一つずつ辿っていた。


「……深呪蝕(アルザ)の初期か」


 ルイーズはミラの上着を脱がせ、左胸の心臓がある辺りだけを出して、ほかを布で覆った。

 外傷の処置に使った五つの術式へ、指を向ける。


 描かれていた線がほどけ、別の形へ組み替わっていった。

 深呪蝕(アルザ)の処置に合わせた五つが、ミラの左胸へ重なる。


 その一つから、白く細い刃が伸びた。

 ルイーズが指を滑らせると、刃が動き、皮膚を切り開いていく。

 指先の動きを細かく変えながら、少しずつ胸の内側へ進めていった。


 僕は、ミラの顔へ目を向けた。

 目は閉じたまま、表情も変わらない。


 気づけば眉間に力が入り、歯を食いしばっていた。


 ルイーズの手元へ視線を戻した。

 けれど、彼女が身体を寄せたため、そこから先は見えなかった。


 代わりに、画面を見つめる。


 露わになった心臓が映っていた。

 黒い筋が、脈動に合わせて伸び縮みしている。


 ルイーズは画面とミラの胸元を交互に見ながら、術式へ指示を送った。

 細い光が、黒く染まった箇所へ入り込む。


 組織との境目を確かめ、少しずつ切り離していく。

 細かな箇所では手術器具を添え、その先を術式で支えていた。


 切り離した箇所を別の術式が塞ぎ、取り出された組織は小さな器へ移された。

 器が白い光に包まれると、絡みついていた黒い筋が消えていく。


 摘出と浄化。

 その間も、心臓を調べる術式は動き続けていた。


 深呪蝕(アルザ)の初期でも、呪物は既に心臓の一部と混ざり合っている。


(少しでも……手元が狂えば……ミラが……)


 僕は、画面から目を離せなかった。


 やがて、ルイーズが手術器具を置いた。

 画面に映る心臓を幾つもの方向から確かめ、術式を動かす。


 閉胸が進むにつれ、開かれていた胸元が元に戻っていった。

 最後に皮膚が繋がり、切開の跡が塞がる。


 外傷の処置から閉胸まで、四十分。

 その間、ルイーズの手が迷って止まることは一度もなかった。


 けれど、頬の痣は消えていなかった。


「あの、ミラは……」


「呪いの進行は止めた。現状、命に別状はないよ」


 僕は、ようやく息を吐いた。


「詳しいことは、アルス君を診てから話そう」


 頷くと、ルイーズはミラに布を掛け、施術に使った術式を解いた。

 身体に重なる淡い白色の術式だけを残し、隣の台へ移る。


 手袋を替え、アルスの服を傷に触れないよう開いた。


 そこで、動きが止まった。


「……この処置は」


 傷へ顔を寄せ、縫い合わされた箇所を確かめる。


「レイ君。君が行ったのかい?」


「はい」


 ルイーズが僕を見た。

 それから、もう一度傷へ視線を戻した。


「私でも、処置をためらう傷だ。少しでも手元が狂えば、助からなかっただろうに……」


 縫合の跡を、慎重に調べている。


「それを、君が……」


 呟きながら手をかざすと、傷の上に白い術式が広がった。

 続けて画面が浮かび、縫合された傷の内側が映し出される。


 ルイーズは画面を拡大し、傷の奥まで調べていった。


 その表情が、険しくなった。


 傷の内側から、黒い筋が伸びている。

 画面がその先を辿ると、心臓へ繋がっていた。


 ルイーズが術式を通して、傷口の組織をわずかに動かした。

 黒い筋が張り、それに繋がる心臓の表面まで引きつれた。


 すぐに、その手が止まった。


「……そういうことか」


 声が低かった。


「何か、あったんですか?」


「少し待ってくれ」


 ルイーズは術式を切り替えた。

 僕はその手元を見つめ、返事を待った。


 縫合は解かず、傷の周囲へ幾つもの術式を重ねていく。

 画面に映る心臓が落ち着いた動きを取り戻しても、ルイーズはしばらく調べ続けていた。


 やがて、アルスの胸に手を当てる。

 呼吸と脈を確かめたあと、僕へ向き直った。


 アルスの診察と処置に、二十分。

 二人を診始めてから、一時間が経っていた。


「二人とも、現状、命に別状はない。だが、どちらの呪いも、まだ取り除けていない」


 僕は黙って、ルイーズを見つめた。


「まず、ミラさんの状態から説明しよう」


 彼女が手を動かすと、ミラの頬を映す画面が僕の前へ移った。


 黒い痣が、大きく映っている。

 さらに内側へ表示が切り替わると、黒い筋が細かく枝分かれしていた。


「心臓に根づいていたものは、取り除ける範囲で処置した。だが、呪いはここまで広がっている」


 ルイーズの指が、頬の内側へ入り込んだ筋を辿った。


「これを一度に浄化しようとすれば、周囲の組織まで傷めてしまう。今のミラさんの身体には、負担が大きすぎるんだ」


「じゃあ、残っているものは……」


「時間をかけて、少しずつ浄化していくしかない」


 ルイーズの手が、施術着の裾を握った。


「完全には取り除いてあげられなかった。……すまない」


 深く頭を下げられた。


 ミラは、まだ眠っていた。


 いつ、目を覚ますんですか。


 唇が動きかけた。

 隣の台へ目を向ける。アルスも、まだ眠ったままだった。


 聞きたい言葉を飲み込み、ルイーズを見た。


「……アルスは?」


 ルイーズが顔を上げた。


「アルス君にも、呪いがかかっている。だが、ミラさんのように、呪物を植え付けられたわけではない」


 ミラの頬に代わり、アルスの胸元が画面に映った。


「何らかの形で、傷口へ呪いが伝播したんだ。その呪いが内側に残ったまま傷が閉じ、心臓と繋がってしまっている」


 胸の中央から腹部へ続く傷。

 その内側から、黒い筋が心臓へ伸びていた。


「傷口を動かせば、この筋に引かれて心臓まで傷つく。ミラさんと違って、取り除くべき呪物もない。傷の内側に入り込んだ呪いだけを、切り離さなければならない」


「でも……縫わないと、血が……」


「ああ。君の処置がなければ、ここへ来るまでに亡くなっていただろう」


 ルイーズは、僕の目を見て言った。


「だが、今から縫合を解くのは危険だ。出血を止めたまま、心臓との繋がりを解く方法を探す必要がある」


 アルスへ視線を戻す。


 自分が縫い合わせた傷が、そこにあった。


「僕が……縫ったから?」


「君が救ったんだ」


 ルイーズの声が、はっきりと響いた。


「そこは、間違えないでくれ。この傷で、止血を後回しにすることはできなかった。君は、必要な処置をした」


 それでも、傷から目を離せなかった。


 ルイーズが、画面を自分の方へ戻した。


「今は傷も心臓も安定している。二人とも、ここで診るよ。だが、呪いが残っている以上、いつ目を覚ますかまでは、まだ言えない」


 僕はアルスを見た。

 ミラを見た。


 二人の胸は、まだ、小さく上下していた。


     *


 守れたかもしれない。


 あの記憶を、もっと早く思い出していれば。

 家に着いたとき、すぐに動けていれば。


 顔が歪んだ。

 俯きかけて、唇を噛む。


 今、それをルイーズに言っても。


 僕は顔を上げた。


「……二人を助けてくれて、ありがとうございます」


 頭を下げる。


「……礼は言わないでくれ」


 ルイーズは二人を見ていた。


「私は目の前の患者を、治しきることもできない。…………情けない」


 返す言葉が、出てこなかった。


「レイ君。君には色々と聞きたいことがある。だが、まずは座りな。その身体も診せてくれ」


 椅子を示された。


 腰を下ろしても、目は二人から離れなかった。


 アルスも、ミラも。

 まだ、生きている。


 だけど、目を開けない。

 名前を呼んでも、声は返ってこない。


 ――ぱき、と。


 胸の奥で、また何かが壊れた気がした。


 あの三人は、もういない。


 けれど、あいつらに命じた誰かがいる。

 母さんを殺せと。殺したあとは、そのままにしておけと。


 ルイーズの問いかけに答えながら、膝の上で拳を握った。


 誰なのかは、まだわからない。


 それでも。


 母さんを奪って、二人をこんな姿にした奴を。

 このまま、何も知らずに生かしておくなんて。


 絶対に、許さない。


     *


 二年近く経った現在(いま)も、鮮明に覚えている。


 雨も、血も。

 腕に抱えたミラの重さも、母さんを置いていったときの苦しさも。


 顔を上げた。


 目の前には、母さんの墓があった。

 墓標にした石の脇で、抜き残した草が風に揺れている。


 地面についた指が、さらに深く土へ食い込んだ。

 その手から、ゆっくりと力を抜く。


「あの日は、置いていってごめん……」


 ルイーズさんとの話を終えると、すぐに家へ戻った。

 母さんは、短剣を置いた場所で待っていた。


 その日のうちに、自分の手で埋葬した。


 手についた土を払い、立ち上がる。


「見てて、母さん。あの日の約束は守るよ」


 声は、低く落ちた。

 もう、震えてはいなかった。


     *


 埋葬を終えたあと、僕は焼けた家の中へ入った。


 壁も、床も黒く焦げていた。

 崩れた屋根の下で、机だけが元の色を残している。


 近づくと、その周囲に防護術式の跡があった。

 机の脚元を境に、焦げ跡が途切れていた。


 天板に、一通の手紙が置かれていた。


 開く前から、母さんの字だとわかった。


     *


 レイ、アルス、ミラへ。


 恐らく、私は今日、殺されると思うわ。

 理由は言えないけれど。


 だけど、仕方がないの。

 これが、私の運命(さだめ)なのよ。


 レイ。

 アルスとミラを守ってあげてね。

 あなたは、立派なお兄ちゃんだから。


 アルス。

 弱い身体に産んでしまって、ごめんなさい。

 でも、あなたには、ほかの人にはない才能があるわ。

 頑張ってね。


 ミラ。

 あなたには、私にもわからない、不思議な力を感じるの。

 きっとそれが、いつかあなたを助けてくれるわ。


 最後に、レイ。

 あなたに、お願いがあります。


 『塔を目指しなさい』


 みんな、愛しているわ。


 〇〇〇〇


     *


 最後の一行まで読み終えた、そのときだった。


「……っ!」


 頭の奥が痛んだ。


 知らない景色が、次々に流れ込んでくる。

 手紙を握ったまま、空いた手で頭を押さえた。


 また、記憶だ。


 見たこともないはずのものを、僕は知っていた。

 確かめようとする間にも、次の光景が押し寄せる。


 やがて痛みが引いても、しばらく動けなかった。


 手紙へ目を落とした。


 母さんは、知っていた。

 今日、自分が殺されることを。


 それなのに、どうして。


 紙を握る指に力がこもった。

 折り目が潰れる音に気づき、慌てて緩める。


 『塔を目指しなさい』


 その一文を、もう一度読んだ。


 塔へ行けば、わかるのだろうか。

 なぜ、母さんが殺されなければならなかったのか。


 まだ、思い出していないことがあるのかもしれない。


 父さんも、塔都へ向かった。

 そこへ行けば、会えるかもしれない。

 母さんのことも、二人のことも、助けてくれるかもしれない。


 手紙を畳み、胸元へしまった。


 母さんが、僕に残した最後のお願いだった。


     *


 墓を見下ろしたまま、胸元へ手を当てた。


 母さんが残した言葉は、覚えている。


 アルスとミラを守る。

 塔を目指す。


 そして。


 母さんを殺させた奴を、見つける。


 脇に置いていた帽子とマスクを拾い上げた。


「また、来るね。母さん」


 墓に背を向ける。


 帽子を深く被り、マスクをつけた。

 その影に隠れた目から、憎悪が消えることはなかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。Ruruです。


今回は、いつもより長めのお話になりました。どうしても母親のお墓を去るところまで書きたくて、ここまでを第五話にしました。


新登場のルイーズはいかがだったでしょうか。


彼女もまた、過去に闇を抱えている人物です。レイだけでなくルイーズの苦しさにも触れたことで、第五話全体がさらに暗くなったなあと、書きながら思いました。


ルイーズは、今後も登場する予定です。いつか彼女の視点で、協会を追放されてからレイと出会うまでの話も書いてみたいなあ、とぼんやり考えています。


そして、ようやく現在の時間軸に戻ってきました。


次の第六話では、レイ、リナ、ルートの三人で、あるイベントに参加します。これも自分の好きなイベントなので、盛り込みたい要素がいろいろあります。


三人がどんな時間を過ごすのか。その続きをお届けします。

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