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幽暗に堕ちたあの日が消えない  作者: Ruru
1章

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4/7

第三話 現実と変貌

「――っ、は……!」


 雨が、顔を打った。


 頭を抱えていた手を下ろす。

 目の前に、アルスが倒れていた。


「……アルス?」


 返事はなかった。

 さっきまで僕を見ていた目も、もう閉じている。


 首筋へ指を当てた。

 血で滑る指を押し当て、じっと待つ。


 かすかに、脈が触れた。


 生きてる。


 棺の中にいた顔が、重なった。

 あの中のアルスは、もう動かなかった。


 でも、今は脈がある。


 深く息を吸って、吐いた。

 もう一度、繰り返す。


 頭の奥は、まだ痛い。


 なんだったんだ、今の。

 あの棺も、墓も。大きくなった手も。


 考えようとしても、見たものが次々に浮かんでくる。

 順番さえ、うまく整理できない。


 それでも、一つだけはわかった。


 あれは、僕の記憶だ。


 どうしてそう思うのかなんて、わからない。

 だけど、あそこにいたのは、僕だった。


 顔を上げた。


 アルスのすぐ近くに、ミラが倒れている。

 その向こうには、まだあの男たちがいた。


 三人。

 その足元に、母さんが。


 何も変わっていなかった。

 雨も、燃える家も。流れ続ける、弟の血も。


 もし、あれがこれから起きることなら。


「……なんで」


 家を出る前なら。

 まだ、みんなが笑っていたときなら。


「なんで……!!!」


 もっと前に。

 あの煙を見る前に、思い出していれば。


「なんで、今なんだよ……っ」


 涙が落ちた。


 鹿なんて、置いてくればよかった。

 そりなんか作らずに、まっすぐ帰っていれば。


 母さんに、逃げろって。

 アルスとミラを連れて、早くって。


 言えたかもしれないのに。


「くそ……っ」


 ずきっ、と頭の奥に痛みが走った。


「……っ」


 何かが訴えかけてくるように、その痛みが脳裏に響く。

 僕は片手で顔を覆った。


 指の隙間から、アルスが見える。

 血に濡れた服。動かない身体。


 そのまま、動きを止めた。



 ――ふう。



 ゆっくりと、息を吐く。


 手を下ろす頃には、頭の痛みは引いていた。

 さっきまで頭が割れそうだったのが、嘘のように。


 頬には、まだ涙が残っている。

 けれど、目の前の血を見ても、もう取り乱すことはなかった。


 アルスの傷を見る。

 ミラの倒れている位置を確かめ、その向こうの三人へ目を向けた。


 頭の中で、すべきことが順に定まっていく。


 まず、アルスの血を止める。

 次に、ミラの状態を確かめる。

 それから、母さんのところへ。


 あいつらが離れる前に、終わらせる。


     *


 レイはアルスへ向き直り、血に濡れた服を開いた。

 傷を確かめ、そのまま処置に取り掛かる。


 指を置く位置。

 加える力。

 次の動作へ移るタイミング。


 一つも、迷わなかった。


 傷から目を離さず、両手を動かす。

 一つを終える頃には、もう次の処置へ移っていた。


 初めてのはずだった。

 人の傷を手当てしたことなど、一度もない。


 それでも、手は止まらなかった。

 初めから、この傷の扱い方を知っていたかのように。


 流れ込んできた記憶を、思い返す必要もなかった。

 指先の感触に合わせ、力を変える。

 傷の状態を見て、動きを変える。


 雨が顔を伝っても、拭わなかった。


 後に、アルスを担当した医師はこう語った。


「私でも、処置をためらうほどの傷だった。ほんの少しでも手元が狂えば、この子は助からなかっただろう。それを、あの少年が……」


 レイは知る由もなかった。

 自分が施した処置が、どれほど正確で、困難なものだったのかを。


 最後の処置を終え、手を離す。


 出血は止まっていた。


 アルスの胸に耳を当てた。

 かすかだが、心音が聞こえた。


 それ以上、アルスが本当に無事なのかを確かめることもなく、レイはミラへ顔を向けた。

 立ち上がり、すぐに駆け寄った。


     *


 ミラのそばに膝をつき、顔を覗き込んだ。


 頬に、黒い痣(あざ)が浮かんでいた。


 レイの目の色が、深くなる。


 記憶の中にも、あった。

 眠り続けるミラの顔に、消えることなく残っていた痣。


 あの呪いだ。


 痣を見つめていた視線が、下へ動いた。


 服の腹部に、泥がついている。

 裾をそっと持ち上げると、その下にはいくつもの打撲痕(だぼくこん)があった。


 レイの手が止まった。


 一度ではない。

 何度も、腹を蹴られたのだろう。


 瞳の色が、さらに深みを増した。

 表情は変わらない。けれど、胸の内では、静かな怒りが激しく脈打っていた。


 服を戻し、ほかにも傷がないか確かめる。

 膝も擦り剝いていた。逃げる途中で転んだのか、傷には土がついている。


 レイは傷についた土を取り除き、素早く手当てを施した。

 服の裾を整え、ミラの顔へ目を戻す。


「少し待ってて。すぐ終わらせてくる」


 声は静かで、優しかった。


 ミラから視線を外し、立ち上がる。


 その顔に、もう優しさはなかった。

 冷えきった瞳が、母親のそばに立つ三人を捉えた。


     *


「任務完了」


 三人のうち、リーダー格の男が言った。


「そうっすね~」


 金髪の男が、剣を持ったまま笑う。

 アルスを斬った男だった。


 隣の男が、その顔を見て眉を寄せた。


「だが、あれはやりすぎだぞ。俺たちの任務は、こいつの始末だろ」


 足元に倒れた母親を指さす。


「いいじゃないっすか、別に。あのクソガキが、ずっと母親にへばりついてたんすよ」


 金髪の男は、剣先をミラへ向けた。


「邪魔だから蹴ってやったのに、離れねえんすよ。しつけえなって、何回か蹴ってたら、今度はあっちのガキが剣持って出てきて」


 アルスへ目を向け、へらへらと笑う。


「だから、つい斬っちゃったんすよね~」


「はあ……余計なことするなよ。お前はすぐやりすぎる」


「へいへ~い」


 金髪の男は、ろくに相手の顔も見ずに返した。


「お前たち、帰るぞ」


 リーダーの声に、二人が返事をした。


「了解」

「了解っす」


 歩き出しかけた男が、足元へ目を落とす。


「リーダー。この遺体はどうします?」


「ここに置いていく。殺したあとは手を加えず、そのままにしておけとの指示だ」


「え~、マジっすか。燃やしといた方がよくないっすか?」


 リーダーが、金髪の男を睨んだ。


「上からの指示だ。従え」


「……へ~い」


 金髪の男は気のない返事をして、剣を鞘へ戻した。


     *


 三人が背を向け、歩き出した。


 その瞬間だった。


 ひゅ、と。

 何かが空気を裂く音がした。


 金髪の隣を歩いていた男が、足を止める。

 首筋に赤い線が走り、次の瞬間、そこから血が噴き出した。


「がっ……!?」


 男は首を押さえ、よろめいた。

 何が起きたのか確かめようと、顔を上げる。


 その目の前へ、短剣が飛んできた。


 避ける間もなく、刃が額に突き刺さる。

 男の身体が、後ろへ倒れた。


 泥水が跳ねる。


 リーダーと金髪が、同時に剣を抜いた。

 互いに背を向け、周囲へ目を走らせる。


「何があった! 誰がやった!?」


「知らねえっすよ! 気配すらわかんなかったんすから!」


「くそっ……!」


 リーダーが歯噛みした。


 木々の間。燃える家の脇。

 視線を巡らせるが、人影は見つからない。


 雨が、倒れた男の血を泥へ広げていく。


 やがて、家の陰から一人の少年が現れた。

 短剣を握り、こちらへ歩いてくる。


 リーダーはすぐに剣先を向け、半歩、足を引いた。


 金髪も、その姿に気づく。

 一瞬、目を見開いたが、すぐに口元を歪めた。


「……なんだよ。クソガキかよ」


 剣を構えていた腕を下げ、少年へ歩み寄る。


「おい、待て」


 リーダーの制止にも、足を止めなかった。


 少年は動かない。

 近づいてくる金髪には目もくれず、その奥にいるリーダーを見据えていた。


 金髪の身体に遮られる直前、その目が見えた。


 リーダーの背筋に、悪寒が走った。


「下がれ! こっちへ戻れ!」


「は? こんなガキ相手に、何ビビってんすか」


 金髪は半笑いで返し、少年の前に立った。

 剣を持ち上げ、その腹を頬へ押し当てる。


 アルスを斬った剣だった。


「おい、クソガキ。こっち見ろよ」


 少年は黙っていた。

 金髪の身体の脇へ視線を通し、奥のリーダーを見続けている。


「……聞こえてんだろ?」


 金髪が顔を近づけた。

 それでも、少年の視線は動かなかった。


 金髪の頬が引きつる。


「無視してんじゃねえぞ!」


 剣を離し、頭上へ振り上げた。

 アルスを斬ったときと、同じように。


「死ねよ!」


 そのとき、初めて少年が金髪を見た。


 目が合った。


 金髪の背筋を、ぞっと寒気が駆け上がった。


 なんだ、その目は。


 だが、振り下ろし始めた剣は止まらない。

 刃が少年へ迫る。


 少年は金髪の顔を見据えたまま、半身になった。

 身体すれすれを通った剣が、空を斬る。


 金髪が剣を引き戻すより早く、少年は懐へ踏み込んでいた。


 短剣が、喉を切り裂いた。


「……がっ」


 金髪の口が開く。

 少年は短剣を素早く逆手に持ち替え、そのまま心臓へ突き立てた。


 深く入った刃を引き抜き、金髪の脇を通り過ぎる。


 金髪は、剣を振り下ろした姿勢のまま動かなかった。


 何をされたのか。

 それを理解する前に、膝が折れた。


 剣が手から落ちる。

 続いて、その身体も泥の中へ崩れ落ちた。


 リーダーは、息を呑んだ。


 ……ありえない。

 こんな、幼い少年が。


 倒れた金髪から少年へ視線を戻した瞬間、全身に戦慄が走った。


     *


 ――少し前。レイが、ミラの手当てを終えた頃。


 ミラから顔を上げると、三人はまだ母さんのそばにいた。


「だから、つい斬っちゃったんすよね~」


 金髪の男が、へらへらと笑っている。

 その手の剣には、血がついていた。


 おそらく、あの金髪がアルスを斬った奴だ。


 男たちの足元へ目を向けた。

 母さんは、雨に打たれたまま動かない。


 早く、確かめないと。


 けれど、あそこへ行くには、三人のすぐそばを通ることになる。

 ミラを何度も蹴り、アルスを斬った男が、剣を握って立っている。


 僕は姿勢を低くした。

 三人から目を離さず、雨音に足音を紛れさせて近づく。


 こちらを見ている者はいない。


 足元に、短剣が落ちていた。

 屈んだまま拾い上げる。濡れた柄についた泥を、親指で拭った。


 帰るぞ、と声がした。

 ほかの二人が返事をする。


 声を掛けた男を見た。

 あれが、リーダーか。


 三人は、倒れている母さんをどうするか話していた。

 燃やそうと口にした金髪を、リーダーが制する。


 殺したあとは、そのままにしておけ。

 上から、そう指示されているらしい。


 僕は金髪の隣にいる男へ目を向けた。

 母さんを指さしていた方だ。


 三人が歩き出すのを待って、距離を詰める。

 誰も振り返らない。


 最後尾の男の首筋へ刃を走らせ、そのまま脇を抜けた。


 息が詰まる音がした。

 振り向くと、男は首を押さえていた。


 腰の短剣を抜く。


 男が顔を上げたところへ、拾った方を投げた。

 額に刺さるのを見届け、二人が振り返る前に家の脇へ回り込む。


 炎の届いていない壁際で、足を止めた。

 手元には、父さんから譲られた短剣が残っている。


 剣を抜く音が、二つ。


 壁の陰から見ると、二人は互いに背を向けていた。

 それぞれ反対側を警戒している。


 僕は、リーダーの方から姿を見せた。


 ほかの二人とは、明らかに違う。

 こちらに気づくと、すぐに距離を取り、剣先を向けてきた。

 僕が踏み込んでも、応じられる構えだった。


 こいつに割り込まれると、面倒だ。


 金髪が何か言って、こちらへ近づいてくる。

 僕はリーダーを見続けた。


 金髪の身体に隠れる直前、その目が変わった。


「下がれ! こっちへ戻れ!」


 気づいたか。


 けれど、金髪は止まらなかった。

 目の前に立ち、剣の腹を頬へ押し当ててくる。


 その身体の脇から、リーダーの剣先と足元が見えた。

 まだ、踏み込んではこない。


 目の前の声を聞き流し、奥の男を見ていた。


「無視してんじゃねえぞ!」


 頬から剣が離れた。

 腕が頭上へ上がっていく。


 そこで、ようやく金髪の顔を見た。


 ああ、そうだ。

 こいつか。


 ミラを何度も蹴って、アルスを斬ったのは。


「死ねよ!」


 目が合うと、その顔が強張った。


 刃が迫る。

 頭上から、まっすぐ。


 どこを通るかは、わかっていた。

 金髪の顔を見据えたまま、身体を半身にする。


 刃が胸元すれすれを抜けた。

 振り下ろされた腕に沿うように、懐へ踏み込む。


 喉を斬り、短剣を逆手に持ち替える。

 胸へ突き立て、引き抜いた。


 その脇を抜けたときには、もうリーダーへ視線を戻していた。


 背後で、剣が落ちる。

 膝が泥を打つ音。身体が崩れ落ち、水が跳ねた。


 振り返る必要はなかった。


 リーダーが、わずかに後ずさる。

 その足元に、母さんが倒れていた。


 僕は短剣を握り直した。


 男の顔を見据えたまま、一歩、近づく。


     *


 こいつは、さっきの二人とは違う。


 後ずさっても、構えは崩れていなかった。

 剣を握り直し、僕との距離を測っている。


 なぜ、こんなに身体が動くのか。

 自分でも、わからない。


 けれど、身体は知っていた。


 どう動けば、人を殺せるのかを。


 初めてだった。人を殺したのは。

 なのに、何も感じない。


 刃が肉に入る感触は、まだ手に残っている。

 それを思い返しても、何も。


 あの記憶が流れ込んでから、まるで別の自分になったようだった。


 だが、違う。


 この手も、頭も。

 この男を殺そうとしているのも。


 全部、僕だ。


 今は、それでいい。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。Ruruです。


今回は、いつもより少し文字数が少なくなってしまいました。すみません。


第三話では、同じ場面をレイと男たち、それぞれの視点から書いています。どちらの視点に立つかで、少し違った感じで読めると思うので、ぜひ好きな方の視点で楽しんでみてください。


書いていて一番悩んだのは、家族に見せるレイと、それ以外の相手に向けるレイの違いでした。

自分の頭の中にいるレイを表現するには、優しさと冷たさがすごく重要なんです。ただ、それを文章にするとなると、なかなか難しくて。特に今回は、レイの冷たさを感じてもらいたい場面だったので、男たちの恐怖にも感情移入してもらえていたら嬉しいです。


次の第四話では、リーダーとレイの対決を書いていきます。

そろそろ、あの日の回想も終わり、現在へ戻る予定です。


その続きをお届けします。

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