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幽暗に堕ちたあの日が消えない  作者: Ruru
1章

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2/7

第一話 序幕と記憶

「やった。やったぞ」


 倒れた鹿を前に、思わず声が出た。

 何日も足跡を追って、逃げられて、罠を仕掛け直して。やっと今日、一頭仕留めることができた。

 父さんの手を借りずに、全部、僕一人で。


 握っていた短剣を見下ろす。

 父さんから譲ってもらったものだ。柄についた血を拭うと、ようやく手の震えがわかった。

 最後に近づくときは、怖かった。それでも、できた。


 これだけあれば、しばらく肉には困らない。

 弟に見せたら、すごいって言ってくれるかな。


 妹には……見せない方がいいかも。

 あの子は優しいから、きっと「かわいそう」って泣くかな。母さんにしがみつくところまで、簡単に想像できた。

 家に着いたら、先に母さんを呼ぼう。


 短剣を鞘に戻すと、葉を打つ雨音が耳に入った。

 久しぶりの雨だった。森に入る頃に降り始めて、まだ止みそうにない。額の雫を袖で拭い、鹿の脚に縄を掛けた。

 試しに引っ張ってみる。

 ほとんど動かなかった。


「……重いな」


 狩ることばかり考えて、持って帰ることを忘れていた。

 このまま引きずって傷めるのも嫌だし、どうしようか。

 そうだ。父さんに教えてもらったそりをつくろう。


 近くから太い枝を二本拾い、その間に細い枝と縄を交互に編み込む。父さんに習った編み方を思い出し、一度間違えたところはほどいて直した。

 少し不格好だけど、初めて一人で作ったにしては、よくできたと思う。

 そりに鹿を載せて、縄でしっかり留める。


 今日は、父さんがいない。

 塔都に用事があると言って、家を出た。

 帰ってきたら、獲物のことも、そりを一人で作れたことも話そう。褒めてくれるかな。


 肩に縄を掛けて引くと、今度は動いた。

 重いけど、これなら帰れる。


 そう思ったのに、雨でぬかるんだ地面にそりが沈んで、なかなか進まない。何度も足を滑らせながら、肩の縄を握り直した。


「よい、しょ……っ」


 早く帰って、みんなに見せたい。

 弟は、どんな顔をするだろう。母さんも、褒めてくれるかな。


 そう考えると、重たいはずのそりが、少し軽く感じられた。


 行く手を塞ぐ枝を押しのけ、伸び放題の草をかき分ける。

 木々の隙間から、家のある方へ目を向けた。


 木々の向こうが、赤かった。


 黒い煙が上がっている。

 雨で霞んでいるのに、それだけは、はっきり見えた。


 足が止まった。


「……え?」


 あっちって、家のある方だよな。


 でも、そんなはずない。

 家の周りには誰も住んでいないし、一番近い都市からだって遠い。それに、父さんに教わった道順で進まないと、いつの間にか森の入り口に戻される。

 知らない誰かが、たまたま辿り着ける場所じゃないんだ。


 なのに、なんで煙が上がってる?


「……みんな?」


 何が起きたのか、考えるより先に身体が動いていた。


 肩に掛けていた縄を放り出し、僕は家に向かって走り出した。


     *


「はっ、はぁっ……!」


 邪魔な枝を払いのけ、草木をかき分ける。濡れた葉が頬に張りついたけど、構っていられなかった。


 早く。早く帰らないと。


 足が滑った。


 踏ん張る間もなく、泥の中に倒れ込む。


「いたっ……くそっ!」


 すぐに手をついて起き上がった。膝が痛い。でも、止まっている暇なんかない。

 口に入った泥を吐き出し、また走った。


「はぁっ、はぁっ、はっ……!」


 苦しい。息が足りない。

 なのに、家はまだ見えない。


 きっと、何かの間違いだ。

 帰ったら母さんがいて、弟と妹も、いつもみたいに――。


 そうだ。何も起きているはずがない。

 だから、早く確かめないと。


 ――キンッ。


 雨音に混じって、甲高い音が聞こえた。

 続けて、もう一度。


 剣と剣がぶつかる音だ。

 父さんとの練習で、何度も聞いた。間違えるはずがない。


 でも、なんで。

 父さんは、いないのに。


 嫌な考えが頭に浮かんで、必死に振り払った。


 速く。もっと速く。


 息が苦しい。脚も痛い。

 それでも走った。邪魔な枝葉を払いのけ、音のする方へ向かう。


 焦げ臭い。

 家に近づくほど、その匂いが強くなる。


「母さんっ!」


 返事はない。


 最後の枝を払いのけた、その先に家が見えた。


 燃えていた。

 僕たちの家が。


 屋根から炎が上がっている。窓の中も真っ赤だった。

 玄関の脇では、母さんが干してくれた服が燃えていた。


 なんだよ、これ。


 玄関の前に、見たことのない男が三人立っていた。

 誰だ。なんで、ここにいるんだ。


 その足元に目がいった。


 母さんが、倒れていた。


「……っ!!」


 息が、喉につかえた。

 白いワンピースが、真っ赤に染まっていた。


 なんだよ、これ。

 火事じゃ、ないのか。

 なんで母さんが。あの男たちは、誰なんだ。


 何が起きているのか、わからない。


 母さんのそばに立つ男が、剣を握っている。


 あいつらが。

 あいつらが、母さんを。


「ふざけんな……っ!」


 短剣の柄を握りしめた。


 今朝は笑ってたのに。

 僕の頭を撫でて、気をつけてねって言ってくれたのに。


 な、なんで。

 なんで母さんが、こんな目に……。


「来るな……!!!」


 弟の声がした。


 玄関から離れたところで、剣を構えている。

 その後ろに、見覚えのある小さな身体が見えた。


 妹だ。

 横向きになって、動かない。服の腹の辺りが泥で汚れ、片方だけ脱げた靴が転がっていた。


 そこへ、男の一人が近づいていく。


「く、来るなって、言ってるだろっ!!」


 弟が剣を構えていた。

 切っ先が大きく揺れる。男が近づくたびに後ずさり、それでも妹の手前で踏みとどまった。


 (やめろ。)


 駄目だ。

 剣なんて習ったこともないのに。


 少し走るだけで咳が出るんだぞ。

 僕の練習だって、いつも座って見ているだけだったじゃないか。


 (やめてくれ。)


 逃げろ。

 お前まで、やられる。


 弟は剣を握り直した。

 震える切っ先を、それでも男に向けようとする。


 男の腕が上がった。


 (やめろ……!)


「やめろ――っ!!」


 剣が弟に向いた瞬間、ようやく足が動いた。

 僕は駆け出した。


 弟が、こっちを向いた。

 僕を見つけて、何か言おうと口を開く。


 その瞬間、刃が振り下ろされた。


「やめろおおおお――っ!!」


 まだ遠い。

 どれだけ足を動かしても、間に合わない。


 (だめだ。)


 僕は走りながら、弟に向かって必死に手を伸ばした。


 (頼むから、やめてくれ。)


     *


「――っ!」


 目が覚めた。

 天井に向かって、手を伸ばしていた。


「はっ、はぁっ……はぁ……」


 息が苦しい。

 何もないところへ伸ばした手を、しばらく下ろせなかった。


 赤く染まった白のワンピース。

 妹を庇って立つ弟。

 振り下ろされる剣。


 まだ、目の前にある。


 夢だ。

 もう目は覚めている。


 そう言い聞かせても、身体はまだ、あのときのままだった。


 布団の擦れる音がして、左右を見た。


 隣のベッドでは、エルフが布団を被っている。

 反対側では、ハーピーが眠っていた。

 二人とも、起きた様子はない。


 ……そうだ。

 ここは宿の部屋だ。今、僕が暮らしている場所だ。


 ゆっくり腕を下ろした。

 汗で張りついた寝間着を引っ張り、息を吐く。


 あの日から、一年以上が経った。

 もうすぐ二年になる。


 なのに、少しも薄れない。

 あの剣が振り下ろされる瞬間を、何度だって見せられる。


「……くそっ」


 奥歯を噛みしめた。


 夢の中でくらい、届いたっていいだろ。


 そう思って、余計に腹が立った。

 夢で手が届いたところで、何になる。


 ぎり、と歯が鳴った。


 隣で寝ている二人に顔を向け、口を閉じる。

 起こすわけにはいかない。


 三人分のベッドと机で、この部屋はほとんど埋まっている。

 ここに来たとき、僕にも一つずつ使っていいと言われた。


 そう言ってくれたのが、宿の店主のメイラさんだ。

 二十八歳のハイエルフ。


 ……なんで、こんなところで宿なんてやってるんだろう。


 初めてこの宿に連れてこられる途中、一度だけ聞いたことがある。


 あの頃の僕は、ひどく殺気立っていた。

 小雨の降る路地裏で、膝を抱えてうずくまり、ただぼんやりと前を見ていた。


 道行く親切な人が手を貸そうとしてくれても、触るな、と威嚇した。

 メイラさんにも、そんな態度を取っていた。


 だけど、本人はまるで気にしていなかった。


「……おい、少年。そんなに殺気立つな。来な、寝られる場所に連れてってやる」


 僕の返事も待たずに歩き出した。

 呼び止めることもせず、僕はその背中についていった。


 なんでついていく気になったのか、自分でもわからない。

 あんな態度を、まるで気にされなかったからか。

 それとも、もう行く当てを探す気力も残っていなかったのか。


 身体も心も、とっくに限界だった。

 それでも、知らない相手についていく以上、気になることを放っておけなかった。


「……おい。あんた、ハイエルフだろ。なんで、こんなとこにいるんだよ」


 今思えば、ひどい聞き方だった。

 助けようとしてくれている相手に、礼の一つも言わずに。


 前を歩いていたメイラさんが、足を止めた。

 振り返り、タバコを口元へ運ぶ。

 ゆっくり煙を吐き出してから、僕を見た。


「……なんで、私が『ハイエルフ』だと思ったんだい?」


 静かな声だった。

 さっきまでの気さくな調子が消えている。こちらを見る瞳も、妙に冷静だった。


 僕は、その目を睨み返した。


「……その左目。ハイエルフの紋章、光らせといて何言ってんだよ!」


 ハイエルフは、生まれたときから身体のどこかに紋章を持っている。

 エルフ族の中でも高位の存在である証だ。


 しかも、現れる位置で血統の格までわかる。

 瞳に紋章を持つのは、歴代最高位の血統。


 そんな相手が、こんな辺鄙な都市にいる。

 しかも、わざわざ僕に声を掛けてきた。


 助けてくれるからって、何も知らないままでいいわけないだろ。


「ふふっ。よく気づいたね、少年。けど、残念。今はまだ教えられない」


「……なんでだよ」


 メイラさんは笑ったまま、タバコを吸った。


 しばらく、沈黙が続いた。


 ゆっくり煙を吐き出し、もう一度、僕に目を向ける。


「……そういう少年も――」


 と言いかけて、口を閉じた。

 何かを確かめるように僕の顔を見てから、ふっと笑う。


「ふふ。やっぱり、なんでもないよ」


「なんだよ、それ」


 短くなったタバコの火を消し、新しい一本を取り出す。

 それに火をつけると、メイラさんはまた歩き出した。


 結局、何も聞き出せなかった。

 あれ以来、一度も聞いていない。


 それでも、行く当てのなかった僕を宿に連れて帰ってくれた。

 泊まる金もない僕に、見返りを求めることもなかった。


 なんでそこまでしてくれるのか、今でもわからない。


 ただ、同じ部屋の二人にもメイラさんは優しい。

 ごはんを用意して、服が破れれば繕ってくれる。食卓で話していると、タバコを片手に口を挟んでくる。


 みんなで笑っている時間は好きだ。

 メイラさんと、あの二人と、くだらないことを話して過ごす時間が。


 (……だけど、僕の心の奥底には、まだ消えずに残っている。あの日が……。)


 ……でも、タバコを吸うのはやめてほしいかな。

 似合ってるし、かっこいいとは思うけど。


 くさいんだよな、あれ。


     *


 窓から差し込む光が、床の上まで伸びていた。


 身支度を終えてベッドの端に腰掛けていると、隣から小さなあくびが聞こえた。


「ん~……おはよ~、レイくん~。今日もいい朝だね~」


 布団から身体を起こしたのは、ハーピー族のリナだった。


 レイ。それがここでの僕の名前だ。


「おはよう、リナ。まだ眠そうだね」


「ん~……そんなことないよ~」


 目を擦りながら、リナが首を傾げる。

 髪はあちこち跳ねたままだ。


「レイくんは、いつから起きてたの~?」


「少し前だよ」


「そっか~。早起きだねぇ~」


「リナがゆっくりなんですよ」


 反対側の机で、ルートが本を閉じた。

 エルフ族の彼も、もう身支度を済ませている。襟元まできちんと整えて、布団も綺麗に畳んであった。


「おはようございます、リナ。そろそろ朝食ですよ」


「おはよ~、ルートくん。……あと、ちょっとだけ~」


「そう言って、毎回二度寝していますよね」


「そんなことないよ~」


 返事をしながら、また目を閉じかけている。


 ルートは小さく息を吐き、リナのタオルを濡らしに行った。

 戻ってきた彼から受け取ると、リナは顔に押し当てる。


「ん~……冷た~い」


 目元や頬を拭って、ようやく顔を上げた。


「……お腹すいた~」


「じゃあ、下に行こうか」


     *


 階段を下りると、厨房からメイラさんが顔を出した。

 左目には、いつもの眼帯をつけている。

 ハイエルフの紋章を隠すためだろうか。理由は、まだ聞いたことがない。


「おはよう、三人とも。もうできるからね」


 フライパンから漂う匂いに、リナの口元が緩む。


 この宿は、一階が食堂、二階が客室。僕たちの部屋は三階にある。

 食堂には、泊まり客以外も食べに来る。


「おはよ~、メイラさん。いい匂いだねぇ~」


「おはようございます。お皿、運びますね」


 ルートが厨房へ向かい、僕も隣から覗き込んだ。


「おはようございます。僕はパンを運べばいい?」


「ああ。籠ごと頼むよ」


 パンの籠を受け取り、皿を持ったルートとテーブルへ向かう。

 リナもついてきた。


「ねぇ~、私も何か運ぼうか~?」


「ん? そうだね……」


 メイラさんは厨房を見回し、少し考えた。


「じゃあ、そこのスプーンを頼むよ」


「はぁ~い!」


 三人で並べた皿に卵が取り分けられ、スープの鍋も運ばれてきた。


「ほら、リナ。腕、引っ込めな。熱いよ」


「わっ! ごめ~ん、メイラさん」


 メイラさんが僕の隣に座り、ルートがスープをよそう。

 向かいのリナは、目の前の卵に夢中だった。


「リナ、よだれ垂れてるよ」


「ん~……? あっ!」


 慌てて口を拭い、照れたように笑う。


「えへへ~……お腹、ぺこぺこで~」


 メイラさんが優しく目を細めた。


「ふふ。揃ったね。じゃあ、食べようか」


「「いただきます」」


「いただきま~す」


 パンをスープに浸して、一口食べる。

 野菜が柔らかく煮えていて、噛むと甘かった。


「どうだい、今日のは」


「おいしいです。野菜、いつもと違う?」


「昨日、安く手に入ったんだ」


 ルートが、スプーンの上の野菜を眺めた。


「煮込むと、こんなに味が変わるんですね」


「生のまま齧ったの?」


「はい。味を知っておきたくて、少しだけ」


 メイラさんが笑った。


「熱心だねえ。次は切る前に言いな。齧った跡を避けるの、面倒なんだから」


「……すみません」


「それで昨日、厨房にいたんだ」


 僕が言うと、ルートはこちらを向いた。


「手伝いもしていましたよ。味見だけじゃありません」


「私は、メイラさんが作ってくれたの、食べる方がいいな~」


「リナは嬉しいこと言うね」


 リナは卵を口に運び、幸せそうに目を細めた。


「ん~……おいしい~!」


 ルートも少し笑って、スープを口に運んだ。


「今日は三人とも、どうするんだい?」


 メイラさんが僕たちを見回すと、ルートがスプーンを置いた。


「僕は特に予定がないので、食堂を手伝おうと思っています」


「じゃあ、私もルートくんと一緒に手伝う~」


 リナが元気よく手を挙げる。


「そうかい? なら、今日は二人に手伝ってもらおうかな」


「はい。よろしくお願いします」


 頷いたルートから、メイラさんが僕へ目を移した。


「レイは今日、どうするんだい?」


「少し、街に出てきます」


「そうかい。昼もここで食べるかい?」


「まだ、わからないです。僕の分は用意しなくていいよ」


「帰ってきて腹が減ってたら言いな。何かしらあるから」


「……ありがとうございます」


 どこに行くのかは、聞かれなかった。

 僕もそれ以上は話さず、スープを飲んだ。


「ねぇ~、メイラさん。パン、もう一個もらってもいい~?」


「籠にある分は食べていいよ。スープも残すんじゃないよ」


「うん! スープも、ぜんぶ食べるよ~」


 嬉しそうにパンを選ぶリナを見て、僕も籠へ手を伸ばした。


 食べ終えたら、会いに行かないと。

 ……みんなに。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。Ruruです。


冒頭では、レイが家族を大好きだということが伝わるように書きました。

獲物を見せたら、どんな顔をしてくれるだろう。褒めてくれるだろうか。でも、妹はかわいそうだと泣いてしまうかもしれない。嬉しいときに自然と家族の顔が浮かぶ、家族思いな少年でした。


そして、宿で暮らすルートとリナ。

ルートは礼儀正しいしっかり者ですが、気になった野菜をそのまま齧ってしまうような、少し抜けたところもあります。本人はいたって真面目です。

リナはのんびり、ゆるふわ。朝はなかなか起きられなくても、おいしいごはんには目がありません。この二人の性格は、朝のやり取りから感じてもらえたら嬉しいです。


次回、朝食を終えたレイが向かう場所はどこなのか。「会いに行く」と言っていた相手は一体誰なのか。

その続きをお届けします。

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