第零話 案内人の招待
お客様。物語が始まる前に、少しだけお時間をいただけますか。
この世界について、先にお見せしたいものがございます。
何もかも覚えていただく必要はありません。どうぞ、気になった景色だけを心に留めておいてください。
ようこそ、おいでくださいました。お客様。
わたくしは――そうですね。
『案内人』とでもお呼びください。
おや。いまの状況がおわかりにならない、といったお顔ですね。
無理もございません。あなたは、この物語の扉を開かれたばかりなのですから。
ご安心ください。何かを成し遂げていただこうというのではございません。
わたくしはただ、これからご覧になる世界を、あなたに知っていただきたいのです。
ふふ。まだ腑に落ちなくても結構ですよ。
では、ほんのしばらく、お付き合いくださいませ。
*
まずは、こちらの地図をご覧ください。
この世界には、大きく分けて七つの大陸がございます。
もっとも、陸地が七つしかない、という意味ではございません。海には小さな島々も浮かんでおりますし、この紙の上だけではお見せしきれない場所もございます。
いまは、中央に一つ。その周囲に、それぞれ異なる姿をした六つの大陸があると、お考えください。
こちらは、人族が多く暮らす大陸です。
広い森林と河川の間に、いくつもの大きな都市が築かれております。
中心に見えますのが、王の住まう王都でございます。高い城壁の内側には貴族たちの邸宅が立ち並び、周囲にも王都に劣らぬほど栄えた都市が点在しております。
遠くから眺めるには、たいそう華やかな土地でしょう。
ただ、もう少し地図をお近くへ。
深い森の奥に、屋根がわずかに見えませんか。
あちらにも、人が暮らしております。
見放され、木々に埋もれるようになった街でございます。
なぜ、あの街だけが取り残されたのか。
……そのお話まで始めますと、少々長くなってしまいますね。
お隣へ目を移しましょう。
森の広がるこちらの大陸には、主にエルフ族が暮らしております。
都市の中心に立つ、ひときわ大きな樹が見えますでしょうか。あれが世界樹です。人々はその周囲に街を築き、魔法を重んじて生きております。
木々の緑も、街並みも、お気に召しましたか。
ええ、美しい土地でございましょう。
ただし、美しい場所であれば、そこで起きることもすべて美しいとは限りません。景色を楽しまれるのは結構ですが、それだけで住む者の心までお決めになりませんように。
そのお隣の山々を、ご覧ください。
谷を跨ぐ大きな橋に、山肌に沿って幾重にも重なる街並み。ドワーフ族の建築の腕が、よくおわかりになるでしょう。彼らは錬金術にも長けております。
その暮らしを支えているのが、同じ大陸に住む小人族でございます。
仕立屋に並ぶ衣服や、食堂から漂う料理の香りにも、ぜひお気を留めてください。大きな建物を見上げてばかりでは、その足元にあるものを見落としてしまいますから。
さて、緑の深いこちらは、獣人族が多く暮らす大陸です。
枝葉が幾重にも重なり、川は密林の奥へと続いております。けれども、少し目を移していただけば、岩肌の剥き出しになった荒涼とした土地もご覧になれます。
同じ大陸でも、歩く場所によって景色は変わるもの。そこに暮らす者たちの気質も、一様ではございません。
そして、こちらが龍人族の大陸でございます。
入口から先を、よくご覧ください。
片側では、火山が煙を上げております。赤く灼けた溶岩が山を下り、黒い岩地の裂け目へと流れ込んでいるのがおわかりになりますか。
もう片側には、雪山と氷湖。その向こうには、青白い氷山までそびえております。
一つの大陸に、これほど異なる景色が広がっている。なんとも幻想的ではございませんか。
……どうしてこのような姿に、と思われましたか。
ええ。その疑問は、どうぞ胸に留めておいてくださいませ。
おや。残る一つが見当たりませんか。
では、あちらの雲をご覧ください。
ハーピー族の暮らす大陸は、その上にございます。
外から、その姿を見ることはできません。中央から続く道もなく、翼を持つ者でなければ入れない場所でございます。
この地図では、位置をお伝えするために雲を描いておりますが、実際に下から見上げたところで、その向こうを覗けるわけではございませんよ。
なお、いまお話しした種族だけが、それぞれの大陸に暮らしているのではございません。エルフの街で人族に出会うことも、ほかの土地で別の種族を見かけることもございます。
たとえば、海の中には魚人族の暮らしがございますね。
地図の青い部分を、何もない余白だとはお思いになりませんように。
もちろん、この地図の外側にも世界は続いております。
*
では、中央へ戻りましょう。
周囲の大陸から人と物が集まる、広大な土地。
その中心に、塔がございます。
ええ、こちらです。
街の真ん中から、まっすぐに伸びている、大きな円柱をご覧ください。
見上げても、頂上はご覧になれません。
雲に入ったその先にも、なお続いております。さらに、この塔は地下へも伸びているのです。
……いかがです。途方もないものでございましょう。
誰が築いたのか。
何のために存在するのか。
空の先と、地の底で、何に辿り着くのか。
ふふ。そのようなお顔をなさると思っておりました。
次々に、疑問が浮かんでまいりますね。
ですが、残念ながら、その答えを知る者はおりません。
この世界に暮らす人々も、いまだ探し続けているのでございます。
それでも、塔へ足を踏み入れる者は絶えません。
内部には魔物がおり、戦いは避けられないもの。容易には先へ進めないと、お考えください。
けれども、希少な資源や優れた素材、まだ知られていない品々が手に入るのも、また事実でございます。
危険を承知で、つい手を伸ばしてしまう。それほどの魅力が、塔にはあるのです。
……ああ。実に、素晴らしい。
『死』『欲望』『執着』
明日には冷たい骸になっているかもしれない。それでも、甘い蜜を求めて、自ら塔へ向かうのでございます。
もう少しだけ。あと一歩だけ。
そうして手を伸ばし、まだ足りぬと、さらに奥へ。
ふふ……ぞくぞくしませんか、お客様。
その先に何が待っているのかも、知らずに――。
……こほん。
失礼いたしました。少々、取り乱してしまいましたね。
さあ、ご案内に戻りましょう。
その塔を取り囲む都市を、ここでは『塔都』とお呼びいたします。
正式な名は――いまは伏せておきましょう。
この世界でも、随一の繁栄を誇る都市でございます。
大通りにはさまざまな種族が行き交い、商人が荷を運び、職人が腕を振るっております。食事を作る者も、店を開く者も、ここで日々を生きているのです。
塔へ挑む者ばかりが暮らしている、とお考えになりませんように。
塔の近くに見える、あの壮麗な城が王城でございます。
この都市を統べる、絶対的な王の住まう場所です。
そして、ひときわ大きな紋章を掲げている建物が、世界最強の冒険者協会の本部でございます。
塔の攻略を担うのは、この冒険者協会です。
各地の精鋭が集う学園もあり、協会の協力のもと、学生たちが塔へ実習に入ることもございます。
もっとも、学園の中までご案内するのは、またの機会にいたしましょう。
いまから教室を一つずつ回っていては、あなたが物語へ進めなくなってしまいますからね。
*
さて。
これほど多くの者が、なぜ塔を目指すのか。
少し、気になってまいりましたか。
金を求める者がおります。
名を残したい者もおります。
未知の品を手にしたい者。知識を追い求める者。己の力がどこまで通じるか、確かめようとする者も。
似たような剣を携え、同じ入口を潜っていても、望むものまで同じとは限りません。
手にした素材を、少しでも高く売りたいのでしょうか。
それとも、誰にも売り渡す気などないのでしょうか。
ある者には価値のわからない品が、別の者には、命を懸けるほど必要なものかもしれません。
帰ってきた者へ、何を得たのかと尋ねる人は多いでしょう。
けれども、なぜそれが欲しかったのかまで、語ってもらえるとは限らないものでございます。
人には、口にできる理由と、誰にも話さず抱えている理由がございます。
穏やかに笑う者が、胸の内まで穏やかであるとは限りません。
誰かと言葉を交わせることも、その相手へ心を預けている証とは限らないのです。
ですから、これから出会う者たちを、どうぞよくご覧ください。
口にした言葉だけでなく、その手が何を選ぶのかを。
何を守ろうとして、何を切り捨てるのかを。
誰かを救いたいという願いが、その人を優しくするとは限りませんから。
*
……少し、お話しすぎましたね。
この世界には、まだお見せしていない場所も、お伝えしていないことも、数えきれないほどございます。
けれども、最初からすべてをご説明してしまうのは、いささか野暮というものでしょう。
道の先に何があるのか。
扉の向こうに誰がいるのか。
その答えは、これから歩いていく者たちとともに、お確かめください。
わたくしからのご案内は、ひとまず、ここまででございます。
さあ、お客様。
どうぞ、お進みください。
この物語の世界を、心ゆくまでご堪能くださいませ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。Ruruです。
この物語は、自分の好みを全開にして書いている作品です。
なので、万人受けはしないと思います。それでも、好みが似ている方や、少しでも気になった方には、ぜひ一緒に読み進めていただけたら嬉しいです。
この先、読んでいる皆さんにも、選択を迫る場面があるかもしれません。
そのときは、どうか自分の心に従って選んでください。
自分も作者であると同時に、この物語の読者でもあります。
皆さんがどんな選択をするのか。その先で何を感じるのか。
自分も一緒に悩みながら、選んだ道を進んでいきたいと思っています。
それでは、ここから始まる物語を、どうぞよろしくお願いします。




