日常の一端
帰って来たゼノの、腰まで伸びた髪がボサボサになっている。
服のあちこちは切り刻まれた状態で、自宅に戻って来て、リビングに現れたゼノを見たユィンが、座っていたソファから、立ち上がった。
「誰にやられた」
ゼノは表情を無くした抜け殻のような顔で、ユィンを見た。
「逃げて来たから大丈夫」
そう返したゼノに駆け寄り、ユィンは口を開く。
「お前のその姿を初めて見た時は驚いたが、女のお前を見ても、俺は何も感じない」
「そりゃ良かった。お前にまで見る目を変えられたら、俺は男全部に失望してる」
ユィンが少し考えたような間の後、「俺の心が死に掛けてなければ、お前を綺麗だと思っただろうか」とゼノに聞いた。
「この世界じゃ、お前の心が元気になる事は無い。あっちの世界に行って、お前がどう思うかは知らないよ」
「……それもそうだな……」
「……ごめんな。今、強い魔法が使えない。お前を異世界にやるには、もう少し時間が掛かる」
「目星を付けたんだったか」
「ああ。お前は幸せになれるよ」
「その日が待ちどおしいな」
床に膝をついて、座り込んだゼノが、自分の両肩に手を置き、自身を抱き締めるようにして、震え出す。
「は……マジ、気持ち悪ぃ……」
視線を床に落としたゼノに「俺は近寄らない方がいいか」とユィンが尋ねる。
「……お前は大丈夫だよ」
返事をしたゼノに近づいて行ったユィンが屈んだ後、ゼノを抱き締めた。
少しして、その行動を止めたユィンに視線を向けず、ゼノが困惑したように、言う。
「友達には普通しないだろ」
わずかの時間、黙って、ユィンがゼノを見つめた。
「友達……」
「悪い。お前にとって俺は、何でも無いんだよな」
「……すまない」
苦笑したゼノは「着替えて来る」と立ち上がる。
自室に向かおうとするゼノに、ユィンは「その姿の時に、今まで何が有ったんだ」と聞いていた。
「一方的な愛の告白から始まり、拉致、拘束、軟禁、監禁、薬を打たれて強姦未遂」
「……」
「本当、気持ち悪ぃ……」
過去の事を思い出したのだろうゼノは、立ち止まる。
ユィンに「髪が長くなっている以外、俺には、普段のお前と、どう違うのか分からないが……」と首を傾げられたゼノは、「俺にも、ちっとも分からないよ」と返した。
「普段は男には興味持たれないんだよな?」
「まれに物好きは居る……」
「……大変だな……」
「一人で出掛けるんじゃ無かったよ……」
「どうして、俺に声を掛けなかった?」
疑問を口にしたユィンに「掛けたよ。お前、向こうの世界の映像、見てて、返事が無かったから……」とゼノが頭を掻いた。
「今度その姿で出掛ける必要が有る時は、殴ってでも声を掛けてくれ」
「……そうする」
「ごめんな」
「悪いと思うなら、夕飯の支度、頼めねぇか?」
「夕飯?」
「今、包丁見ると、怒りが湧いてきそうでさ。今日の奴、包丁持ち出して来やがったから」
「……怒りだけか? 恐怖じゃなくて?」
「怒りだよ。力で敵わねぇ相手を、包丁で脅すなんて最低だ」
「そいつを殺したのか?」
「気が付いたら魔法が発動しちまってな」
「……そうか」
「なんで残念そうなの」
「一度もゼノの役に立ててない……」
「そんな事、望んでない。だから、いいんだよ」
「お前は寛容だな」
ゼノから視線を離さないユィンに「んな訳無いじゃん」と、ゼノは笑顔を向ける。
ユィンは横に首を振り、「寛容だよ。俺を助けてくれた」と、ゼノを、また瞳に映す。
「じゃあ役に立って貰おうかな。グラタン食いたいから作ってよ」
「……レシピが無いと無理だ」
「母ちゃんの遺品に有ったんじゃないかな。探してくる」
歩いて、屋根裏部屋に続く、はしごに手を掛けたゼノに、ユィンが「その前に着替えなくていいのか?」と聞く。
「話してる内に忘れてたわ。先に着替えて来る」
はしごから手を離して、自室に入ろうとしたゼノの後ろ姿を、ユィンは見ている。
そこには、何の感情も無かった。




