非日常の入口
キッチンで、嘉一が朝食用に使った皿とコップを洗っていると、そこから見えるリビングのソファに座っていた三嘉が聞く。
「お昼ご飯も食べるの?」
テレビ番組を見ていた彼女に問われて、嘉一は「あと一時間で、昼飯の時間だしなぁ……その時間に腹、減りそうだったら食べる」と返す。
「お友達との約束は、いいの?」
「あ……」
「やっぱり忘れてた」
「すっぽかした……」
嘉一の返事に、三嘉は「連絡来てるんじゃない? スマホ、見てみれば?」とキッチンの方を見た。
食器を水切り用のカゴに入れて、「何人かで遊ぶ予定だったし、おれ一人居なくても、多分、大丈夫だよ。後で謝っとく」と返した嘉一は、リビングの方へ、歩いた。
二階の窓に何かが、ぶつかった音がしたのは、その時で、自室から降りてきた次嘉が「嘉一。あれ、あんたの知り合い?」と尋ねる。
「男の子達が、あんたの部屋の窓に石ぶつけてるけど」
次嘉に聞かれて、嘉一は「石?」と聞く。
「誰だろう? ありがとう。次嘉。教えてくれて」
「早く様子、見に行ってあげなよ」
そう言った次嘉がリビングに降りて来て、嘉一が階段を上り始める。
自室に辿り着いた嘉一は、窓のカーテンを右に除け、外を見た後、急いで窓を開けた。
「ごめん。おれ、さっきまで寝てて」
遊ぶ約束をした五人が、外に居る。その中で一番長身の少年は、嘉一に「なんだよ。何回か連絡入れても無反応だから心配したわ」と話した。
五人の内、真ん中に居る少年は、「こいつが様子見に行こうって言うから、来た」と、一番長身の少年を指さす。
その後で、「嘉一、体調悪いの?」と、眼鏡を掛けた少年が聞く。
「昨日、夜更かしし過ぎて、寝坊しちゃって……」
真ん中に居る少年は「そんな事だと思った」と口にして、一番長身の少年を見ながら「ほら。心配しなくて良かったじゃん」と笑う。
金髪の少年が「体調悪いんじゃないなら良かった。今日、出てこれるの?」と言い、帽子をかぶった少年が「嘉一が居ないと、つまんないよ」と視線を嘉一に向ける。
「どうしょうかな……。初嘉から雪おろし頼まれたんだよね……」
嘉一を見て「無理っぽい?」と、金髪の少年は聞き、「うん……。ごめん。また今度」という返答に、一番長身の少年を見る。
「じゃあ、また明日、学校で」
一番長身の少年は、そう言い、片手を軽く上げて、嘉一の家に背を向ける。
他の四人も「また、明日な」と言って、五人は去っていく。
その様子を見ながら「悪い事したな……」と嘉一は呟き、窓を閉めた。
◇◇◇
「本当は二人以上で、やった方がいいんだろうけどな……」
はしごを使い、屋根の上の雪おろしを始めた嘉一は、ため息交じりに呟く。
一人で作業すると、屋根から落ちるなどの事故が有ると発見が遅れる為、二人以上で雪おろしをした方がいいと聞いた事は有るが、気を付ければ大丈夫だろうというのが嘉一の考えだった。
足場になりそうな程度、雪を退けて、屋根に上る。
スコップを使い、雪を地面に下ろす事を何度かしていたら、誰かに「嘉一」と呼ばれた気がして、嘉一は後ろを振り返る。
「……誰も居ないし。気のせいかな?」
作業を続けながら、父親は、いつ帰って来るかなと思っていると、また、嘉一の耳元で「嘉一」と声がした。
「……なんだよ。誰も居ないって。気のせい……?」
少しの間、動きを止めた嘉一は、作業を再開する。
スコップで雪をかきながら、「気のせいじゃなかったら、なんだよ」と嘉一は口に出した。
「寝ぼけてるのかな。充分、寝たはずだけど」
作業を止め、辺りを見た後、嘉一は「姉さん達のいたずらにしては、声が違うしなぁ」と自分に言い聞かせる。
嘉一が聞いたのは知らない少年の声で、それが、嘉一には不思議だった。
「近所に、おれと似たような年齢の男なんて居たかなぁ? 居なかった気がするけど」
雪おろしの続きをしながら、嘉一は何の音を、自分の名前と聞き間違えたのか、気にしていた。
近所は、すでに雪おろしを終えた後で、屋根の上に居るのは嘉一だけだ。
嘉一と発音が似たような名前の人も、近所には居ない。そこまで考えて、嘉一は「止めた」と発した。
「考えても仕方ない。なんかの聞き間違いだろ。じゃないと怖い。早く終わらせて、家の中に入ろう……」
出来るだけ無心で、と心の中で唱えつつ、嘉一は屋根の下へ雪を落とし始めた。
◇◇◇
まだ、屋根の上には半分ほどの雪が残っている。
少し息をついて、作業を休憩しようかと思っていると、再び「嘉一」と呼ばれた気がした嘉一は、思わず「何だよ」と口にして、振り返った。
その瞬間、足を滑らせて、嘉一は地面に落とされた雪の上に落下した。
「やべぇ」
嘉一が、そう言った直後、屋根の上に残っていた雪が、嘉一めがけて降って来る。
顔だけ出す形で、嘉一は雪に埋もれた。
動こうとするが、叶わない。カーテンは閉まっているので、窓から外の景色を見ない限り、姉達も気づかないだろう。
「……すみません! 誰か!」
声を上げるが、嘉一に気づく人は居ない。
嘉一は、自分を覆う雪をどけようとしたが、出来ない。
誰かが通るまで待つしかないのかと、絶望に近い感覚で、嘉一は空を見上げた。
◇◇◇
何分、そうして居たのかは分からない。
父親が帰って来ても、嘉一は声を上げる気力が無かったが、事態に気づいた父親は、嘉一の周りの雪をどかし、嘉一を助けた。
嘉一は、父親から家の中に連れて行かれたが、くしゃみが止まらない嘉一を心配した母親が、体温計を持って来て、嘉一に熱を測るよう促し、嘉一が高熱を出している事が分かった。
父親に連れられ、病院に行く事になり、そこで嘉一は、医師から「風邪でしょう」と言われ、薬を処方された。
帰宅し、自室のベッドで横になり、天井を見ていた嘉一は、意識を失うようにして、眠ってしまった。




