守る学長
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「そのワン公、魔力ゼロにつき。」
でぜひ検索して見てください☆
月詠魔法大学。
研究棟。
学生たちが普段足を踏み入れることのない場所。
大学の賑やかな校舎から少し離れた場所に建てられたその施設は、どこか空気が違っていた。
静かだった。
あまりにも静かだった。
廊下に響く足音すらない。
壁には無数の魔法灯。
淡い青白い光が、薄暗い通路を照らしている。
その最奥。
重厚な扉の向こう。
一つの研究室だけに灯りが点いていた。
室内には本が積み上がっている。
机の上にも。
床の上にも。
棚の中にも。
魔法理論書。
研究論文。
古代文献。
無数の資料が山のように積まれていた。
壁には魔法陣の描かれた紙。
天井近くまで届く本棚。
まるで知識の海だった。
その中心に。
クロードはいた。
白衣姿のまま机に向かっている。
周囲がどれだけ散らかっていても気にした様子はない。
彼にとって必要なのは整頓ではなく情報だった。
「…………」
静寂の中。
ページをめくる音だけが響く。
先ほど研究員から渡された資料。
古い論文だった。
紙は黄ばんでいる。
何十年も前の研究記録らしい。
題名。
『魔力核の欠如による魔力干渉及び増幅現象について』
クロードの指が止まった。
「……」
灰色の瞳が細くなる。
魔力核を持たない者。
それは本来あり得ない存在だった。
魔力を生み出し。
制御し。
循環させる器官。
それが魔力核。
この世界の常識だ。
魔法使いである以上、誰もが持っている。
だが。
もし持っていなかったら。
本来なら魔法は使えない。
それが当然だった。
クロードはゆっくりと文章を追う。
外部から魔力を供給された場合。
魔力核という制御器官を通さないことで――
その先を読む。
読み進める。
そして。
ふっと口元が動いた。
「……なるほど」
小さな笑み。
ほんのわずか。
だが確かに浮かんだ。
「そういう可能性もありますか」
机へ肘を置く。
組んだ指に顎を乗せる。
そして。
一人の学生を思い浮かべた。
大神レン。
魔力反応なし。
魔力核なし。
にも関わらず。
測定結果は異常だった。
立ち幅跳び。
測定装置。
魔力供給後の反応。
どれも理論の外側にある。
クロードは中指でゆっくりと眼鏡を押し上げた。
「……実に」
静かな声。
「興味深い」
その瞬間だった。
「相変わらずじゃの」
声が響く。
クロードの動きが止まった。
研究室の空気がわずかに揺れる。
振り返る。
そこに立っていたのは一人の老人だった。
焦げ茶色の長いローブ。
床近くまで伸びた白髭。
後ろで編まれた白髪。
見慣れた姿。
だが。
いつもとは違った。
普段の柔らかな笑みはない。
親しみやすい雰囲気もない。
そこにいるのは。
月詠魔法大学学長。
グレイガルドだった。
「……学長」
クロードは静かに立ち上がる。
軽く頭を下げた。
「珍しいですね」
「このような場所まで」
グレイガルドは答えない。
代わりに研究室をゆっくり見渡した。
積み上げられた本。
広げられた資料。
散乱する研究記録。
そして机の上の論文。
老人は小さく息を吐く。
「昔から変わらんな」
「……」
「興味を持ったものしか見えなくなる」
「お主の悪い癖じゃ」
クロードは黙った。
否定しなかった。
否定できなかった。
昔から言われ続けてきた言葉だったからだ。
そして。
グレイガルドは机を見る。
論文。
そして。
書かれた名前。
大神レン。
「……」
空気が変わった。
クロードの瞳が細くなる。
「彼は興味深い存在です」
静かな声だった。
研究者としての声。
「魔力核を持たない」
「にも関わらず――」
「クロード」
低い声が響く。
言葉を遮った。
一瞬で。
研究室の空気が凍りつく。
クロードは口を閉じた。
グレイガルドの視線が向く。
静かなのに重い。
逃げ場がないほどの圧力。
「忘れるな」
老人は言った。
「ここは研究所ではない」
間。
「月詠魔法大学じゃ」
クロードは黙って聞いていた。
「ここにいる者は」
「研究対象ではない」
さらに一拍。
「わしの学生じゃ」
静寂。
完全な沈黙だった。
そこにいるのは。
冗談好きの老人ではない。
学食のおばちゃんと世間話をする学長でもない。
月詠魔法大学を束ねる責任者だった。
学生を守る者だった。
クロードはその視線を受け止める。
しばらく。
互いに何も言わない。
沈黙だけが流れる。
やがて。
クロードが小さく息を吐いた。
「……分かりました」
机の上の資料へ手を伸ばす。
ゆっくりと閉じる。
「学生生活に支障を出すつもりはありません」
そして続ける。
「しばらくは」
「距離を置きます」
だが。
グレイガルドは首を振った。
「しばらく、ではない」
「必要以上に、じゃ」
クロード。
「……」
数秒の沈黙。
そして。
「承知しました」
頭を下げた。
どれほど優秀な研究者でも。
どれほど偉大な功績を残していても。
この大学で。
グレイガルドに逆らえる者はいない。
「それでよい」
学長は背を向けた。
出口へ向かう。
重い足音が響く。
扉の前。
老人は一度だけ立ち止まった。
「クロード」
「はい」
「知識を求めることは悪ではない」
静かな声。
だが優しかった。
「じゃがな」
少しだけ振り返る。
「人を見る目だけは失うな」
その言葉を残し。
グレイガルドは去っていった。
扉が閉まる。
静寂。
再び研究室にはクロード一人だけが残された。
「……」
しばらく動かない。
そして。
机の上の資料を見る。
大神レン。
その名前を指先でなぞる。
「学生、ですか」
小さく呟く。
研究対象ではなく。
一人の学生。
その言葉を噛みしめるように。
やがて。
クロードは論文を閉じた。
ぱたん。
乾いた音が響く。
「……今は」
白衣の裾が揺れる。
窓の外へ目を向ける。
「待つとしましょう」
夕暮れの月詠魔法大学。
校舎の向こう。
中庭の先。
そこでは。
何も知らない大神レンが。
モズ・スターリングやノンと笑い合っていた。
その笑い声は。
研究棟までは届かない。
けれど。
確かにそこにあった。
まだ始まったばかりの。
学生生活が。
――第3章
「ワン公、凌ぐ」完。
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