第四話
前回のあらすじ
東山への聞き込みは中途半端に終わってしまった。忙しさを理由に突き放された泉達は、なすすべもなく帰路に着く。
翌日、泉たちのもとに別件の殺しの話が舞い込む。殺された山本という男も、川内と同じように東山との接点を持つ。
二人を繋ぐ点である東山、彼を調べてみると、以前に事件に巻き込まれていたことが判明した。謎の人物に脇腹を刺されていたようだ。
泉と羽田は、この事件が二件の殺しに繋がっているのではないかと考え、記事を書いた者のもとへ向かおうと決めた。
図書館を出た私たちは、泉が運転する車であの記事を書いた「和田出版」に向かっていた。隣町の郊外にあるらしいが、斜陽企業であるせいか思っていたよりも入り組んだ路地の先にその会社があった。大手新聞社に並ぶ気があるのかは知らないが、この閑散とした佇まいではどうにも難しいだろう。
「……ここか。随分とさびれているようだが」
会社前の路地に車を停め、入り口前に立った泉は躊躇うこともなく言い切った。ここの従業員にでも聞かれたら面倒である。……ただ、彼がそういうのも無理はなかった。こげ茶色のレンガが外壁に使われた、三階建てであろうビルは側面がほとんど植物に覆われている。前面はさすがに蔦などを取り除いているようだが、それでも古臭さは隠しきれていなかった。
「随分なご挨拶で。……探偵の泉先生に、お隣は羽田助手でしょうか」
どうやら泉の一言は聞かれてしまったようだ。会社ビルの中から一人、男性が姿を見せた。よれよれのスーツに、ゆるく絞められたネクタイ。白シャツは第二ボタンまで開け放たれている。一目見て「だらしない」と思わせるような人物だ。そんな彼はどうやら私たちのことを知っているらしい。
「私たちのこと、知っているんですか」
「それはもちろん。私は腐っても報道側の人間ですから。有名配信者の事件解決に加えて、違法なソーラーパネル事業を頓挫させるなんて、注目しないわけがない。私どもの会社でも記事にしたんですよ。……かなり売れまして。どうも、ありがとうございます」
だらしないのは見た目だけではなく、中身もだったようだ。目の前の男は「稼ぎがよかった」と言ってへらへら笑っている。泉はわざとらしくため息をつくと、「名前は?」とこれまでの話を断ち切るように尋ねた。
「おっと、申し訳ない。……私、こういう者です」
差し出された名刺には「和田智一」と書かれていた。彼が和田出版のトップということだろう。
「あんたがここの社長ってわけか」
「まあ、そんなところです。従業員は一桁にも満たない斜陽ですが、何とか生き残ってますよ。……それで、お二人はなぜ私どもの所へ?泉先生、本でもお出しになるんですか?」
「そんなわけないだろう。エッセイなんぞ焚火にくべる以外の価値はない。……この記事を書いた者がこの会社にいるはずだ、会わせてほしい」
泉はそう言って図書館から借りた新聞を見せつけた。自分で手掛けた新聞だからかはっきりと覚えているようで、表紙を見てすぐに「これ、去年の奴ですね」と事もなげに言う。
「すぐに呼んできましょう。……どうです?中でご休憩でも」
和田の厚意にあずかり、社内の応接室へと案内された私たち。彼が「それじゃ呼んできますので、少しお待ちを」と言って姿を消した後、私は泉に気になっていたことを問いかけた。
「先生。何故それほど東山の事件に固執するんですか?今私たちが調査している事件と何か関係が?」
「……関係があるかどうかは、まだわからない。だからこそ、というべきだろうな。……俺はまだ、あの説を捨てきれていない」
「あの説というと、東山を刺した人間が、彼の周りの人間を殺しているという説ですよね」
「ああ。……奴は東山を脅しているんじゃないかと思ってな。川内と山本は、言わば『予告』のようなものだったのかもしれない」
「ですが、それだけで人を二人も殺すなんて……」
「それほどまでに東山を殺したいということだろう。あの性格なら、そこらじゅうで敵を作っていてもおかしくはないしな」
泉がそう言って少し笑った時、ちょうど応接室のドアが開いた。姿を現したのは和田だ。「連れてきましたよ」と言って後ろにいる男性の背中を押す。人見知りらしいその男は「どうも」と短いあいさつで素早く頭を下げた。彼は私たちの向かいに腰を下ろす。
「それじゃ、私は仕事が残ってるので。木下君、ちゃんと協力してね」
「わ、わかりました……」
今すぐに潰れそうな会社でも、それなりにやらなければならない仕事はあるらしい。和田は席に着くことなく足早に部屋から出て行った。木下と呼ばれた男は肩身が狭そうである。……そんな彼が相手でも、泉は気を遣うことをしない。
「この新聞の、この部分。君が書いたもので間違いないな?」
「え?……はい、そうですけど……」
「なら、この部分。『警察は目撃情報をもとに、犯人を捜索中』の部分なんだが。知り合いの警察に聞いたところ、この事件に目撃者はいないらしい。だが、この記事では目撃情報があると書いてある。これはどういうことだ?」
「そ、それは……。その、目撃情報自体はあったんです。ですけど……」
人見知りか、それとも泉からの威圧感ゆえか。木下は緊張してしまって言葉を紡ぐことすら難しい様子である。その様子を見た泉は、「ゆっくり話せ。時間はある」とぶっきらぼうに気を遣った。それが効いたからか、彼はすぐに「大丈夫です」と言って話の続きを語りだした。
「どれも確実なものではなかったんです。『怪しい男がいた』程度の情報は寄せられましたが、帰宅ラッシュの人混みに紛れたせいで、向かった方角もわからずじまいに……」
「……なるほど、お前が警察に聞きこんだ時は、まだ目撃情報の真偽を確かめている途中だったのか。その後、目撃情報の価値がなくなったと」
「そう言うことです。……まあ、集まった情報が『男性』と『中年』っていう情報だけじゃどうしようもないですよね」
緊張が解けて来たのか、木下は肩をすくめながらそう言った。泉は「なるほどな」と言って席を立つ。
「協力に感謝する。……羽田君、そろそろ行こうか。聞きたいことは聞けた」
「わ、わかりました。……どうも、ありがとうございました」
応接室に残した木下に礼を言い、和田出版を後にした。泉は急いでいるのか、早足で停めていた車へと向かっていく。彼は素早く運転席に乗り込むと「早く乗るんだ」と催促してきた。
「なんで急ぐんですか?この後何かありましたっけ?」
「この後は尾崎と一緒に東山の講演会に行くって言わなかったか?」
そう言えばそうだった。図書館での調べ物のせいで頭の中からすっかり抜け落ちてしまっていた。スマホで時刻を確認すると午前十一時半である。昼食の時間も考えると、全く時間はない。私は急いで助手席に乗り込み、シートベルトを締めた。
約一時間後。昼食を済ませ、集合場所である公民館へと向かっていた。私たちの車の前には駅から来たであろうバスがおり、遠目からでもそれなりの人数が乗っているのが見える。そしてそのバスの乗客は、公民館前のバス停でぞろぞろと列を作って降りて来た。すでに駐車場に車を停め、その車内から様子を窺っていた私たちはその列の長さに呆気に取られていた。五分以上経ってようやくバスから降りてくる客の列が止まった。バスの中はガラガラになっている。
「……あれ全部が講演会目的か?さすがに正気とは思えんな」
「それほどまでに東山という人物が人気だということでしょう。……あ、あれ尾崎さんじゃないですか?」
列が収まり、公民館前の見通しが良くなった頃、黒いスーツに身を包んだ男が歩いているのが見えた。誰かを探すように周りをきょろきょろと見回している。
「ああ、そうだな。俺たちを探してるんだろう。……行くとするか」
泉は車のドアを開け、気怠そうに車から降りる。その様子を尾崎は見ていたのか「まだ来てねえと思ったぜ」とこちらに駆けよりながら声をかけて来た。
「お前らそこにいたのか。まだ来てないのかと思ったぜ」
「悪いな、東山を囲ってる奴らが多すぎてな。外に出るタイミングを見失っていた」
「まあ、別に構いやしねえよ。……それより、新しい情報があるんだよ」
尾崎は「中で話そう」と言って私たちの先を歩く。公民館の中にいた受付は、以前と同じ、それほど態度がよくない男性だった。彼からの「また来たのか」との言葉を受け流し、一階奥にある「憩いの場」に設置されたソファに腰を下ろした。
「それで?新しい情報ってのは?……昨日の話からすると、山本絡みだろうが」
「さすが探偵殿、ご明察……。昨日、山本の家から東山の講演会に関するパンフレットが見つかったって話はしたよな」
「ああ、あれに犯人の指紋でもついてたか?」
「そんなへまする奴この世にいねえよ。ただ、ちょっと似ている話ではあるな」
「……どういうことだ」
言葉に悩んでいるのか、濁した表現をする尾崎に対し、「はっきりしろ」と泉が詰め寄る。彼は「整理してるから待てよ」と泉を落ち着かせ、胸ポケットにしまっていたメモ帳を取り出した。
「あのパンフレット、中身がどうなってるかちゃんと話したことはなかったな。……まあ特別なことはあまりない。奴が今までどうやって稼いできたか、自慢話で大半が埋められた何の価値もない紙屑だよ。だが、一部分だけそうでもなくてな。……東山の講演会に参加するには、チケットがいる。で、そのパンフレットの一部を切り離すとチケットになるんだ」
「……冷やかしを中に入れたくないという東山の気持ちだろう。それほど盛り上がるような発見にも思えないが」
「話はここからだ。……そのチケットには、参加者の名前を書く必要がある。だが、山本洋治が持っていたあのパンフレットには、山本の名前は書かれていなかった。書かれていたのは『岸本美代子』という名前だ」
「山本は、他人の名前が書かれたパンフレットを持っていた?」
「そう言うことだ。……で、この女を調べてみるとだな、なんと前歴がある。窃盗だ。親しくご近所付き合いしていた人の家にあがりこみ、金品を盗んだんだと。まあ初犯だし賠償は済んでるしで被害者は裁判を起こさなくてな。和解により不起訴処分になったが」
「問題は、なぜ山本がその岸本という女性の名が記されたパンフレットを持っているか、なんだがな」
「さあな。そこはまだ調べてる途中だ。まあ、この講演会が終わるまでには連絡が来るんじゃねえかな」
尾崎は肩をすくめながらソファの背もたれにだらりと身を預けた。どうやら講演会が終わるまではここから動くつもりがないらしい。どうせ東山の話すことに代わり映えなどないのだろうから、このままでもいいだろう。泉も同じく背もたれに寄りかかり、天井を仰いで大きくあくびをした。……ちょうど、上から聞こえてきていた騒がしい声が収まった。どうやらこれから講演会が始まるらしい。
一時間半後。静まり返っていた上の階が騒がしくなってくる。以前の経験から考えると、講演会はまだ終わっておらず途中休憩という奴だろう。講演会が終わるまではあと一時間以上はかかるに違いない。あまりの退屈さに、今日何度目かもわからないあくびをしていると、泉がソファから立ち上がった。
「……どうした、トイレか?」
「……ずっと座ったままなのもアレだしな。散歩がてら東山の様子でも見に行ってくる」
「ああ、わかった。じゃ、俺はもう少し寝るわ。……川内に加えて山本の件も調べなきゃいけなくてよ、昨日はちゃんと寝られなかったんだ」
尾崎はそう言うと私たちとは比べ物にならないほどのあくびをし、うつむいて目を閉じた。するとすぐに規則的な寝息が聞こえてくる。尾崎が眠ったことを見届けた泉は「じゃ、行ってくる」と言って憩いの場から離れて行った。それからわずか五分後。泉は渋い顔をして戻ってきた。私が「何かありましたか」と聞くよりも早く、彼は首を横に振る。
「尾崎、起きろ」
「……あ?なんだ、どうした?……まだ五分しか経ってねえじゃねえか。東山のとこ行ったんじゃないのか?」
「今日は駄目だ。……あいつ、風邪をひいたらしい」
「は?」
「だから、風邪だ。マスクをしていたし、声も枯れたように聞こえた。のど風邪でもひいたんだろう。……それで、あの私服SPに『風邪がうつるから近寄るな』と言われてな。今日はどうにも付き合ってもらえそうにない」
「はあ……。マジかよ。一時間半も待ったってのに、収穫なしか……」
尾崎は、今度はとてつもなく大きなため息を一つついた。誰が見てもわかるほどあからさまに落胆しているが、これは仕方のないことだ。病人相手に無理をさせる訳にはいかない。……だが。
「風邪をひいているのに、講演会はやるんですね」
「ああ。それは俺も気になって聞いてみたんだ。あいつは『いきなり中止にすれば参加者が悲しむ。この知識を広めることが私の使命』って言ってな。その上、『マイクでしゃべるから距離は離れる。だからうつる心配もそんなにしなくていい』とな。……随分と正義感が強い人間らしい」
「奴の考えなんかどうでもいい。要するに、今日は聞き込みできないってことだろ。……今日はもう帰るか。これ以上ここにいても意味なんてねえ」
尾崎はあくびを噛み殺しながらソファから立ち上がった。山本についての情報を聞き出せない以上、彼の言うとおりここにいる意味はない。泉ももとよりそのつもりだったのか、「しょうがないな」とポケットから車の鍵を出し、指に引っ掛けてくるくると弄んでいた。
「じゃ、俺は帰るぜ。また何かわかったらすぐに連絡を……」
彼がそう言いかけた時、誰かのスマホが着信音を発しだした。私のではない。泉も違うようだ。となれば……。尾崎は「マジかよ」と困惑した様子だったが、着信音が鳴りやむことはない。彼はすぐに電話に出た。
『先輩、なんですぐに出ないんですか?』
電話がつながって開口一番、向こうから聞こえてきたのは愚痴だった。聞き覚えのある声、主は尾崎の部下である成田だろう。東山の講演会が始まる前、尾崎は「講演会が終わるまでには何か連絡が来るはず」と言っていたが、何か山本についてわかったことでもあるのだろうか。
「悪い、こっちはこっちで忙しくてな。……それで、連絡してきたってことは何かわかったのか?」
『ええ、山本さんのことでいろいろと。……役所の人が教えてくれましたよ。山本と、パンフレットに書かれていた岸本美代子という女性。二人は夫婦だったようです』
いつの間にか、上階から聞こえてきていた騒ぎ声は静まり返っていた。講演会の合間の休憩にも一区切りつき、後半が始まったのだろう。私の耳には泉と自身の息遣い、そして尾崎の「何?」という困惑の声だけが聞こえていた。
「夫婦?だが苗字が違うぞ」
『離婚しているんです、九か月前に。原因はまだよくわかりませんが、役所の人に岸本さんの現在の住所を聞いたので、今から向かおうかと。先輩も一緒に行きますか?』
「……ああ。俺も同行しよう。……それで、悪いんだが迎えに来てくれないか。東山のことを調べようと思ってな、今駅前の公民館にいるんだ」
『わかりました。俺、今から車出すんで。十分ぐらいで行きます。それじゃ、残りの情報は岸本さんの家に向かう途中で』
そう言って電話は切られた。尾崎はスマホをポケットにしまうと大きくため息をついた。
「……今日は早帰りできると思ったんだけどな」
私たちは成田が先導する車に従い、岸本美代子が住んでいるという街まで向かっていた。ハンドルを握る泉は、どこか気だるげそうに見えた。
「お疲れなら、運転代わりましょうか?」
「いや、疲れてるわけじゃない。……あのパンフレットに名前を残していたということは、彼女もまた東山に心酔しているということだろう。……億劫だと思ってな」
「さすがに、話が通じないというほどではないでしょう。尾崎さんたちもいますし、私たちはそんなに気を張らなくてもいいんじゃないですか」
「……確かにな。岸本については尾崎に任せるとするか」
いくらか気が楽になったのか、泉は大きくため息をつく。彼はその後「それにしても」と話題を変えた。
「二日前は大丈夫そうだったというのに、今日は風邪をひいているとは」
「東山さんのことですか。……まあ、今の時期はちょうど季節の変わり目ですし、風邪をひくのも仕方ないでしょう」
「……そのくせ講演会とはな。声が枯れているようだったが、他にはそれらしい症状もなかった。体力はそれなりに余っているんだろう」
「どうなんでしょう。取引はそれなりに神経と体力を使いそうですが……」
泉は「さてな」と言って話を締めくくった。それと同時に車のスピードが緩まっていく。外の景色はいつの間にかビル街から田畑ばかりに変わっていた。前を行く車に乗っていた尾崎と成田が降りているのが見える。どうやらここが目的地のようだ。私たちも従って車を降りると、真っ先に夕暮れの日差しが私たちを出迎えた。まぶしさに目を細め、再度目を開くと、視線の先に大きな門構えがある。その先には五段ほどの階段があり、奥には大きな屋敷がたたずんでいた。
「……まさか、あれですか?」
「まあ、そういうことらしい」
先を行く尾崎の背中にそう問いかけたが、返答はなぜかそれほどはっきりしたものではなかった。住所がはっきりしないことなどあるかと思ったが、その疑問はすぐに解決される。
「あれ、岸本じゃないんですね」
私は門構えにつけられた表札を見てそう言った。彼らの足取りは間違いなくこの屋敷へと向かっているが、屋敷の主らしき者の名は「田辺」とある。
「まあ、いろいろあるのさ」
役所で何かしらの事情を聞いていたのか、はっきりしない態度をとる尾崎。彼はそのまま勝手に門構えを通り抜け、敷地へと足を踏み入れた。まっすぐ屋敷へ向かうかと思われた彼の足取りは、道半ばで右にそれ始めた。……夕日に照らされていたせいでよく見えていなかったのだが、大きな屋敷の隣に、小さな小屋がある。小屋の前には物干し竿が立てられており、そこには洗濯物がかかっている。まさか、あの小屋の中で誰かが生活しているのか。
「岸本さん、いらっしゃいますか?」
尾崎は少々乱雑にドアを叩く。するとすぐに、中から「うるさい!」と叫ぶ声が聞こえて来た。小屋の中からどすどすと荒々しい足音が聞こえてくる。
「この私に用があるのはどこの誰⁉」
乱暴にドアを開け放って出てきたのは、顔中に皺が刻まれた女性だった。年齢のせいか、それとも怒りで顔を歪めているからかわからない。ただ、声の艶からしてまだそれほど高齢という訳ではないように思えた。彼女が岸本美代子なのだろう。
「どうも、岸本さん。私は尾崎、警察です」
「警察?警察が何の用⁉もう借金は全部返したでしょ⁉」
「いえ、今日は借金のことではなくてですね。……あなたの元夫である山本洋治さんについてお聞きしたいことがありまして」
「……何も知らないわよ。離婚してから一度も会ってないし、連絡も取ってないわ」
「そうですか。……つい先日、山本さんが殺害されてとしてもですか?」
彼女はそこでわずかに目を見開いた。驚いたようにわずかに口を開く。……やはり、いくら離婚したとはいえかつては夫婦だったのだ。自分の元夫が死んだとなれば、ショックを受けるものである。……そう思っていたのだが。わずかに開いた彼女の口は、まるで下弦の月のように歪んでいた。
「……ふ」
「ん?どうしました?」
「ふふ、ははははは!死んだ⁉あの男が、死んだ⁉あっははは!」
今度は私たちが呆気にとられる番だった。人が変わったように笑い声をあげる彼女を前に、何も言えなかった。さすがに見ていられなかったのか、成田が止めに入る。
「ちょっと、人が死んだって話を聞いて笑うなんてどうかしてますよ」
「でも、しょうがないでしょ。あんた達だって面白い話を聞いたら笑うじゃない。私にとっては、あいつの死が笑い話だったってだけよ」
「……なぜ?離婚したからですか?」
「何故って言われてもねえ。……『私の人生をめちゃくちゃにしたから』としか言えないわ。……っていうか、見たらわからない?普通の人なら、こんな家に住まないでしょ?おとぎ話の木こりじゃあるまいし」
「……申し訳ありませんが、私どもはその事情をよく知らないのですよ。教えていただけますか?山本洋治はどうやってあなたの人生をめちゃくちゃにしたのか」
「話す義理ないんだけど?何?お金でもくれるならいいけど」
彼女は右の手のひらをこちらに差し出しながらそう言う。その立ち振る舞いにもはや恥を感じてなどいないようだった。尾崎も彼女の態度に呆れたのか、敬語を使うことすらやめた。
「はっきり言わせてもらうが、俺はあんたを疑ってるんだ。さっきまでの物言い、まるで山本に死んでほしかったみたいじゃないか。……これは、まだ任意の事情聴取だ。だが、取ろうと思えば令状はすぐに持ってこれる。お前がこんな小屋に住んでる理由は知らねえが、これ以上恥はかきたくないだろう?」
「……なに、じゃあ、私がきっちり訳を話せば、その疑いは晴れるの?」
「さあな。ただ、これ以上面倒なことにはならないんじゃねえかな」
尾崎はそう言ってわずかに視線を後方に移した。そこにあるのは大きな屋敷。縁側の影から誰かがこちらを覗いている。
「……わかった。話せばいいんでしょ」
岸本はため息交じりにそう言った。やたら不機嫌で、その理由を私たちに擦り付けようとしてくる態度こそが、離婚の原因なのだろう。……小屋の中に招かれるかとも思ったが、彼女は私たちを中に入れるつもりはないらしい。そのまま小屋の玄関口で聞き込みが始まった。
「……正直言うと、あなたの不幸には興味ないんだ。俺たちが聞きたいのは、東山という男について。あんた、東山が主宰していた講演会に参加しようとしていたな」
「まさか今になってそいつの名前を聞くとはね。胡散臭い資本家気取りの愚図の名を」
「相当嫌ってるな。嫌なことでも言われたか」
「そりゃもちろん。あいつ、私との対談が終わった後、裏で私のことを『金にならない客』だって言ってたんだ。前までは講演会に毎回参加できてたのに、あいつがあの事を知ってから……」
「あの事とは」
「私と山本が離婚したことだよ」
「それと講演会に何の関係が?」
「……参加費も、対談の費用も、私は全部旦那の稼ぎから出してた。そりゃ、私は働いてないから仕方ないじゃない?……でも、あいつはいきなり離婚を切り出してきてね。『勝手に金を使われた』ってキレだして、弁護士もあいつの味方。結局慰謝料として三十万もふんだくられるし。そもそも私はそんな大金持ってないのに!」
「……東山の助言を受けて投資をしていたんだろう。利益は出てないのか」
「だからあいつにもイラついてるの!利益どころか全部赤字!何よあいつ、聞いたことのない会社の名前出して『ここがおすすめ』とか馬鹿じゃないの!」
「見事に騙されてたってわけか。……それじゃ、慰謝料はどうしたんだ?」
その質問が癪に障ったのか、岸本はわざとらしく舌打ちをするのみで訳を話そうともしない。だが、このままこの場を離れたとしてもそれほど問題ではない。彼女が山本と東山に抱いている不満は聞き出せているのだ。残る謎と言えば彼女がこんな小屋暮らしをしていることぐらいであるが、それはどうにも事件に関係するようには思えない。
「あの、別にもういいんじゃないですか?聞きたいことは粗方聞けたんじゃ……」
「……ふむ。まあ、確かにそうか。いや失礼、慰謝料については堪えなくとも結構。……我々もお暇させてもらおうか」
私の説得に尾崎も頷く。これ以上ここにいる意味などない。帰ろうかと踵を返した時、岸本とは違う女性の声が私たちを引き留めた。
「すいません、ちょっといいですか?」
「……あなたは?」
その時、突如音が響く。岸本の姿も消えていた。……私の目の前にいる女性と仲が悪いのだろうか。まるで当てつけのようにドアを乱雑に閉め、彼女は小屋にこもった。
「田辺千里と言います。美代子は、私の母なんです」
「……岸本美代子の、娘さんですか。……どうしました?我々はそろそろお暇しようかと」
「その、母が支払ったという慰謝料について、なのですが……。あれは、私の夫が代わりに支払ったのです」
「……どういうことです?」
「父である洋治と、母の美代子の間には娘である私しかいません。私は嫁いだので苗字が変わりまして。……私が結婚してから三年経った頃、両親は離婚しました。その時、母は私を頼ったのです。私から見て母方の祖父母に当たる方たちは、『自己責任』と言って突き返したようで。他に頼れる人がいなかったのでしょう」
「なるほど。……しかし、払ったのはあなたの旦那さんだと」
「はい。……私も三十万なんて大金、ポンと出せるほど蓄えがあるわけではありませんから。そんな時に、夫がその話を耳にしたんです。そして、『代わりに俺が出そう』と。……母はそれからこの小屋で暮らしてます。金が返せないのは分かっているから、その代わり余計なことをしないように監視するためにと夫が建てました」
彼女の眼には母に対する哀れみが込められていた。実の母親が自分の目の前で小屋暮らしなど、確かに見るに堪えないものだろう。そんなことを思っていると、彼女は続けて口を開く。
「……母は、毎日のように言っていました。『いつか必ず、山本洋治と東山翔太を殺してやる』と」
読んで頂きありがとうございました。宜しければ評価・感想のほどよろしくお願いいたします。




