第二話
前回のあらすじ
泉達のもとに訪れた依頼者、川内真理子。彼女が受けていた身に覚えのないストーカー被害を、彼は金が原因だと推察する。警察への相談の手筈を整え、彼女を送り届けた次の日、彼女は死体となって発見された。泉は昔なじみの尾崎と協力し、彼女を殺した犯人を捜すことを決める。
誤字脱字等、ご容赦ください。
尾崎の指示に従って道を曲がった。
「……ここで停めてくれ」
一軒家ばかりが並ぶ閑静な住宅街、尾崎はメモ帳に視線を落としながら先を歩く。どの家も大きさはまちまちだがほとんど庭付きで、ここはいわゆる高級住宅街という所なのだろうとすぐに分かった。車を停めた所から少し歩いた先、周りの一軒家よりも一回り大きい家の前で、尾崎が足を止めた。
「……ここだ」
彼は迷わずインターホンを鳴らす。表札には青柳と記されていた。
『はい、どちら様でしょう?』
インターホンから声が返ってくる。女性の声だ。年齢はおそらく中年。
「県警の尾崎です。川内さんの件でお話を伺いたく」
『川内さんに何かあったんですか?』
「ええ、そのことで少しお話をさせていただければと思いまして」
『わかりました』
そう言って通話が途絶えた。家の中からパタパタとスリッパの音が聞こえてくる。そして、ドアの鍵が開かれた。
「お待たせしました。中へどうぞ」
現れたのは予想通り、中年の女性だった。わずかながらに花柄がちりばめられたワンピースと、首元に光るネックレスが上品な雰囲気を醸し出している。……彼女が川内の友人ならば、彼女もまた投資で一儲けしているのだろう。だからこれほどまでに裕福な暮らしをしているのだ。その偏見は正解だとでも言うように、内装もまた上品にまとめられていた。白と黒を基調とした内装に、ところどころ観葉植物が目の保養をしてくれる。観葉植物の手入れは大変そうだが、余裕があるのだろう。……私たちはリビングへと通された。それぞれ椅子に腰を下ろすと、青柳は不安そうに口を開いた。
「……あの、それで、川内さんに何かあったのですか?」
先ほどからずっと気になっていたのだろう。彼女は両手を胸の前で合わせ、どうにか不安に耐えている。尾崎は何か迷っているようだったが、包み隠すことをしなかった。
「昨日、川内さんが殺害されました」
「……さ、さつが、い……?」
「はい。何者かに殺されていました」
青柳は口を何度もパクパクさせている。あまりのショックに言葉も出ないのだろう。尾崎にはもう少し言葉を選んでもらいたいものだが、選んだところであまり意味などない。私はすぐにその考えを心の奥に押し込めた。
「……まさか」
ショックから立ち直った青柳が口にしたのは「まさか」の一言だった。何か知っているのだろうか、自然と椅子から身を乗り出してしまう。尾崎と泉も「まさか?」と復唱し、彼女に続きを促していた。
「彼女、以前にもストーカー被害を受けているとこぼしていたことがありまして。警察にも相談したらしいのですが、あまり取り合ってもらえなかったとか。……もしかすると、そのストーカーが犯人なんじゃありませんか?」
「我々も今そう考えておりまして、こうして川内さんのことを知っている方に何か知っていることがないかと聞き込みをしているんです。……何か、ストーカーについて、彼女から聞いたことなどありませんか?」
青柳は尾崎からの問いに「うーん」と唸り声をあげる。……生前、川内はストーカー被害を受ける理由など思いついていなかった。泉の言葉でようやくそれらしいきっかけに気づいたようだが、そんな彼女が具体的な相談などするだろうか。……私の考えは正しく、唸り声をあげていた青柳はただ首を横に振った。
「……川内さん、ストーカーに遭う理由がわからなかったらしくて、いろいろ聞いてみてもただ『わからない』としか言わなかったんです」
「……そうですか」
青柳が何も知らないのならば、彼女と共に月一の食事をしていたという友人たちも、何も知らない可能性がある。……誰か最も親しい友人に個別で相談をしていたのかも知れないが、そもそも彼女はストーカー被害の理由を泉に言われるまで気づいていなかった。誰かに相談したところで、青柳以上に何かを知っている者もいないだろう。……手掛かりの一つが駄目だったことを知り、尾崎は少しだけ肩を落としていた。その代わりのように、泉が口を開く。
「では、他に何か変わったことは?」
「……変わったこと……。そう言えば、川内さん最近引っ越したらしいんです。たぶんストーカーから逃げるためだと思うんですけど……」
「それはいつ?」
「本当に最近ですよ、一週間前とかだった気がします。……そうだ、もう一つ変なことが。川内さん、二年前にも一度引っ越しをしているんです」
「何?」
川内は二年前と一週間前に引っ越しをしていたようだ。一週間前の引っ越しはおそらくストーカーから逃れるためだろう。二年前は単純に居を移したかったからだろうか。青柳は話を続ける。
「二年前に引っ越しをしたとき、川内さん、私たちを家に招いてくれたんです。『引っ越し祝いに参加してほしい』って言って。……でも、一週間前の時はそんなことは一言も。住所すら教えてくれなくて」
やはりストーカーに最大限の警戒をしていたのだろう。第三者に聞かれることを恐れ、口を噤んでいたに違いない。
「彼女が引越しをする前、どこに住んでいたか教えてくれないか?」
「……ええ、構いませんが……」
泉の頼みに青柳は困惑しているようだが、断る理由もないのだろう。すぐに川内の昔の住所を紙切れに書き留めてくれた。すると彼はすぐに席を立つ。尾崎はいらだった視線を向けた。
「おい、何のつもりだ」
「彼女は川内のストーカーについてほとんどを知らない。これ以上の聞き込みは無意味だ。……他人の時間はむやみやたらに奪うものではない」
「……チッ、お前の言うとおりだよ。……青柳さん、我々はこれで失礼いたします。お騒がせして申し訳ない」
「いえ……」
私たちは青柳に礼を告げて家から去ると、車を停めていたところまで歩き始めた。その道中、尾崎はあの紙切れが気になっていたようだ。
「……おい。川内の前の住所を知ってどうする気だ?」
「どうするもなにも、調べてみるだけだが」
「調べてどうすんだよ。もうそこには誰も住んでないんだろ?もぬけの殻を調べたところでな……」
「川内が以前どのような家に住んでいたか見たいだけだ。……少し気になることがあってな」
泉が言う気になること。川内の他の友人から得られる手掛かりがないとうっすら理解しているからか、尾崎も強く否定することはなかった。泉が運転する車はそのまま、川内がかつて住んでいたという住居へと向かっていった。
車から降りた私たちの目の前にあったのは、青柳の家以上に大きな庭を持つ、まさに豪邸と呼ぶにふさわしい住居だった。まだ建てられてから時が立っていないのか、外壁は真っ白に輝いている。
「……それで?気になることってなんだよ」
尾崎は車中何度もそれについて尋ねていたが、そのたびに泉は「あとで話す」と退けていた。いい加減、我慢の限界なのだろう。……時が来た、ということなのか。ついに泉は質問に答えた。
「ストーカーの心情を理解したかった。……俺の推理では、奴の目的は川内の財産であるはずだが、この家は忍び込むのには向いていなさすぎる」
一般男性の身長よりも頭一つほど高い塀があり、その上には侵入者防止用の針がついている。さらに、玄関へと続く道は砂利道になっており、どれだけ気を付けて歩こうにも音が出てしまうだろう。……こうして、少し見渡しただけでも、川内のかつての住宅は侵入者に対する防備がそれなりにそろっているといえる。
「……確かに、理由もなく付きまとわれるのは不安にもなる。だが、だからと言ってセキュリティ意識が高い家から、誰でも立ち入れるような古いアパートに居を移すものか?」
泉の視線は豪邸の玄関前に注がれていた。ドアの上には監視カメラが設置されている。……尾崎はすぐに反論を口にした。
「忘れたか?川内を殺した犯人は知り合いかもしれないんだぞ。あんな監視カメラに映ったって怪しい人間ではないだろ」
「お前、刑事だろ?死亡推定時刻から誰が犯人か、あの監視カメラで割り出せることすら思いつかないのか?」
尾崎は「知り合いが犯人」という固定観念にとらわれていたのか、監視カメラの効果をすっかり忘れていたようだ。泉はそんな尾崎を放って、敷地に立ち入る前の鉄扉を押し開ける。……どうやら施錠はされていないようだ。私と尾崎は慌てて泉を追いかける。彼は納得いかないのか、先を行く泉にさらに食って掛かった。
「知り合いなら監視カメラの位置もわかってるはずだ。砂利の上を歩いて音は出るかもしれねえが、カメラを避けて歩くことだってできるはずだ」
「……無理だ。あれを見ろ」
泉が指を指した先、そこにはさらなる監視カメラがあった。窓から見えない死角を埋めるように置かれた監視カメラは、川内がどれだけ防犯に気を遣っていたかが窺える。
「この家には、死角がなかったと言っていい。玄関前を避けようとすれば、庭につけられたカメラに映る。……犯人もさすがに、監視カメラのデータがどこで管理されているのかは知らないだろう。……いや、外部か」
カメラの側面には警備会社のロゴが入っている。仮にここでカメラを破壊したところで、その情報は警備会社に届くだろう。……つまり。
「この家に誰にも気づかれずに、情報を残さずに侵入するのは不可能だ。……唯一可能なのは、空から降ってくることぐらいだが、あまりにもバカバカしい。どこぞの怪盗じゃあるまいしな」
ここで私は、一つの疑問を抱いた。確かに、彼の言うとおりこの家は防犯に優れている。侵入しようとも気づかれるか、カメラに映像を残してしまうかのどちらかになるだろう。だが。
「では、なぜ川内さんはここから引っ越しを?」
これだ。これほどまでに安全なのだから、いちいち引っ越しをする理由などないではないか。だが、彼女は焦っていたのか一週間前に引っ越しを選んだ。防犯機能など何もない、古臭いアパートに。……結果、彼女は無残にも殺されてしまった。引っ越しをしなければ、殺されなかったのかも知れないというのに。
「さてな」
期待していた泉の回答は、全くもってそれらしい答えなどなかった。
「俺は当事者じゃないからな。それに、引っ越しを選んだ張本人は殺されてしまった。答えなどわかるはずもない。……ただ」
「ただ?」
「予想はできる。……前提として、川内を殺害した犯人はストーカー、しかも知人であるという推理だったな」
「ああ。争った形跡がない部屋の中、こじ開けられた形跡もなかったドアの鍵から、捜査本部でもそう考えている者が多いが」
泉の言葉に尾崎が補足をする。泉は一度頷くと、玄関に向かって歩き出した。
「犯人の目的は金銭、それは川内の部屋からなくなっていた財布・通帳類からも確実だろう。それを探しだすために部屋中を探し回った形跡がないことからも、財布や通帳の場所すら知り得た親しい人物が犯人であることが分かる。……だがそれほどまでに親しい者にとっては、これが邪魔だった」
泉はそう言って玄関の上につけられた監視カメラを指さした。
「川内が親しくしていた他の友人に映像を見せれば、すぐに犯人が誰かわかってしまう。犯人はそれを嫌い、彼女の財産をどうにかこの家から引きずり出そうとした」
「引きずり出そうとしたって……。そんな詐欺師みたいなことできるのか?自分に都合のいいように誘導するなんて、すぐにバレそうだが」
「……川内は生前、ストーカーについて食事会でこぼしていたらしいな。青柳もわずかながら記憶していた」
「あ、ああ。そうだったな。……それで?」
「知人が犯人ならば、その人物もまた彼女からの相談に乗ったのではないか?」
「……ああ、そうかもしれないな。……だから何だよ。それで金が引きずり出せるとでも?」
「……『すでに家がバレているのだから、侵入されるのも時間の問題だ。それよりも、どう見ても川内が住んでいるとは思われない古臭いアパートに引っ越して、身を隠すと良い』と助言した。そう考えればどうだ?」
「どうだって……。あれ、そういや、青柳は川内がどこに引っ越したかは知らないんだったな」
尾崎の言葉で私は先ほどの聞き込みの内容をメモした紙を取り出した。確かに、青柳は川内が死の直前までどこで暮らしていたかを知らないようだ。引っ越しの際に行われるパーティーらしきものも行われていない。私はこれをストーカーへの警戒心からの行動だと考えていたが、どうやらそれ以上の意味合いがありそうだ。
「彼女の身を案じるフリをし、防犯対策が全くできていないアパートに川内を送り込んだ者がいるはずだ。そうでなければ、これほどまでに防犯設備に優れた家から引っ越すなどありえない」
「……で、防犯対策がなくなったアパートに押しかけて彼女を殺害、金品を奪って逃亡……ってところか」
もし彼の推理通りならば、犯人はどれほど卑怯で陰湿な人間なのだろう。もはや同じ人間であることすら疑いたくなる。金のためだけに悪魔に魂を売り飛ばしているかのようだ。……尾崎も私と似たようなことを考えていたのか、「さすがにそれは……」とどうにも信じがたい様子である。ただ、泉の表情は真剣そのものだった。
「……まあ、信じられないというのならそれはそれで構わない。この推理は何の根拠もないただの空想だからな。……俺が言いたかったのは、『彼女には安全な家を放り出してまで古臭いアパートに住まなければならなかった理由があるはず』ということだ」
「それが、今考えられる説で言うと『犯人に誘いだされた』ってことか。……捜査本部で話題にあげてみよう。そこから何か調べる手掛かりが出てくるかもしれない」
手掛かりがないに等しかったこの事件だが、泉の助言で尾崎は光明を得たようだった。メモ帳に内容を必死に書き留めている。だが、助言をした泉はどうにも納得いかないというような表情を浮かべていた。尾崎はメモに夢中である。代わりに私が尋ねてみた。
「先生、どうかなさいました?何やら納得いっていないように見えます」
「……俺の推理が間違っていたとして、彼女がこの家を手放さなければならなかった理由は何なのか。それがどうにも思いつかない」
「犯人におびき出されたわけではないのなら、彼女が自分の選択で出て行った可能性もありますよね。……例えば、川内さんは誰かから民事裁判を起こされていて、財産の差し押さえにあったとか……」
「悪くはない推理だが……。彼女のアパートの様子を覚えていないか?ブランドものの衣服や鞄などが所せましと並んでいた。差し押さえるならあれらで十分だろう。物に固執する性格だったとすれば真っ先に家を手放す選択もあり得るが……。差し押さえになるような状況下で月一の食事会に参加するか?その上、青柳はそのことを全く知らなかった」
「それは、誰だって自分が裁判で差し押さえされたことなんて口外しないでしょう。月一の食事会だって、それぐらいは参加するほどの金銭的余裕はあったのかも知れませんし。……彼女、投資で稼いでいたんでしょう?」
「……そこが問題だな。彼女がいくら稼いでいたのか知ることができれば、何を考えてあのアパートに移り住んだのかも推測できるが……」
「それなら、あれに行ってみるか。……東山の講演会」
メモ帳から顔をあげた尾崎はそう言った。……東山というと、川内が師事していた男だ。投資で稼ぐノウハウを講演会を通じて広めているらしいのだが。
「行ってどうする気だ?東山が川内の経済状況を知っていたとでも?」
そこが問題だ。彼の講演会は受講者が千に及ぶとまで言われるほどであり、そのうちの一人でしかない川内の経済状況を把握していたとは、どうしても思えない。私も泉と同じ考えだが、尾崎はそうでもなかったようだ。
「それなんだが……。昨日調べて知ったんだがな、東山の奴、一対一での対談をしていたらしい」
「……だが、生徒数は千にも及ぶ。一対一で話したからと言って、全員覚えていることなどあり得るか?」
「それが全員ってわけでもない。……五十万円。対談の参加費用だ。それも、十人だけっていう人数制限付き。千人は無理でも十人なら覚えていられるだろ」
「川内がそれに参加したという確証は?」
「それもある。……東山の奴、ブログを運営しているみたいでな、不定期だがよく更新されている。その中に、対談の抽選結果が掲載されていた。……中に、川内の名前もあった」
川内は五十万円を支払って東山との対談を行っていたようだ。投資の教室なのだから、話題も必然そちらの方面に偏るはず。私がそう考えている間、尾崎は「痛い出費だった」と愚痴をこぼしていた。
「あの野郎、ブログの閲覧ごときにも金をせびりやがる。投資で稼いでるんじゃなかったのか?それとも投資家ってのは全員小汚い連中ばっかなのか?」
「金に汚くなければ投資を仕事にしようなどとは考えないだろう。所詮そんなものだ、金持ちに期待するな」
金に汚い人間たちの間で生きて来た泉らしい言葉だった。尾崎も彼の物言いに納得したようで、「そんなものか」とどこか諦めたようにつぶやいていた。
二時間後、昼食を済ませた私たちは駅前にある公民館へと向かっていた。まさに偶然であるが、今日の午後二時からそこで講演会が行われるらしい。
「東山の奴、思っていたより真面目みたいでな、かなり頻繁に講演会を開いているようだ。二日前にも講演会をやっていたらしい」
二日前というと、川内が殺された日でもある。……しかし、それほどまでに頻繁に講演会を開く理由がわからない。尾崎もそれは知らないのか、「暇なんだろ」と適当を言っていた。そんな話をしているうちに、目的地である公民館が見えて来た。地域で親しまれてきた建物のようで、見た目は少し古臭い。ところどころに工事の足場が組まれており、改築の予定があることが窺える。少し重いガラス戸を押し開けて、中へと入る。するとすぐに疲れ切った顔をした受付が私たちを呼びつける。
「なんだ?」
「あんたらもあれだろ?東山とかいう人間の講演会に参加するんだろ。名前は?」
「……尾崎」
受付は「尾崎さんねぇ」と唸り声をあげながら手元にある名簿のようなものを見つめている。そして。
「あんたの名前は登録されてない。講演会の参加は無理だ。ほら、帰った帰った」
まるで蠅を追い払うような手の動きを私たちに向けてくる。……どうやら講演会に参加するには名前の登録が必要なようだ。尾崎は受付の態度にいらだっているようだったが、胸ポケットからあるものを取り出して見せつける。それは警察手帳だ。
「俺は警察だ。東山に用がある。……中に入れてもらうぞ」
「……好きにしな。俺は別に門番ってわけじゃねえ」
彼は東山の講演会による悪影響を受けた者なのだろう。一気に何人も押し寄せ、一人一人に名簿との照合を行って疲れているのだ。……私は彼に小さく会釈をして、公民館の奥へと進んだ。階段脇の壁に掛けられたボードには公民館の階層とそこに何があるかが書かれている。……講演会が行われるのは三階の「大ホール」だろう。そこがもっとも人が多く入りそうな場所だ。階段を上り三階へと向かうと、いつの間にかあたりは喧噪に包まれていた。通路には誰もいない。ドアの先から漏れる声だけでこれほどまでに騒がしいのだ。驚くような声と、笑い声。それだけが公民館の三階を支配していた。
「ここで間違いねえな。うるさすぎて嫌でもわかっちまう」
「……開けるぞ」
尾崎の愚痴を無視しつつ、泉は両開きのドアのノブに手をかけ、勢いよく引いた。その瞬間、三階を支配していた喧騒が収まった。ホールの中にいた者達が一斉にこちらに振り返っている。品定めでもしているのだろうか。まるで私が異物のようにも思えて来た。だが、泉は全く臆することなく一歩踏み出す。そしてそのまま、ホールのドア近くの壁に背中を預けた。……軽く見渡した限りだが、開いている座席などない。立ったまま見物するしかないということか。私と尾崎は泉に続くように壁に背中を預けた。受講者たちは私たちから興味を失ったのか、全員先ほどまでのように騒がしさを取り戻していた。
「皆さま、お待たせいたしました。これより……」
いつの間にか舞台の上に誰かが立っていた。おそらく男であろう人物はマイクを持ち、やたらと身振り手振りが大きい話し方をする。彼の口から「東山先生をお迎えしましょう」との言葉が出ると、会場が万雷の拍手に包まれた。顔に汗を浮かべるほどの激しい拍手が鳴り響く中、一人の人物が舞台の中央に歩みを進める。彼が右手を少し上げただけで、拍手は一瞬にして鳴りやんだ。今まさに、彼がこの場を支配している。
「ようこそ、この私の勉強会に。……今日これから、あなたたちは人生の勝ち組になる」
たったその一言だけで、会場は歓声に包まれた。……隣にいた泉は、わざとらしいほどの大きなため息をついていたが、誰にも聞かれることなどないだろう。
それから一時間後。投資についての事前知識などを一つも持たない私にとっては、この時間は人生において明らかに無駄であった。捜査のため致し方ないはずだが、文句の一つでも言いたくなる。現在は講演会が一時中断され、休憩中である。私たちもホールから出て、自販機で買った水を飲んでいた。
「……くだらんな」
ペットボトルの水を半分ほど飲み干して開口一番、泉はそう言った。眉間には皺が寄っており、相当ストレスを感じていることが窺える。
「結局の所、あいつは運だけで一財産築いただけってことだろう?いろいろ講釈垂れてたが、『運がよかっただけ』という結論にしかならん。……だが、口癖のように繰り返される『自己責任』だけは笑えるな。よほど責任を取りたくないんだろう。お前のせいで負けたって言われるのが怖いだけの小物だな」
「……なんだよ、東山に何かされたのか?随分と口が悪いな」
「一時間もドブに捨てる羽目になったんだ。しかるべき評価を下しているだけだ。……こんな小物を大勢が持て囃すとはな、世も末だと言わざるを得ないな」
彼は左手でこめかみをおさえながらも文句を並べ立て続ける。頭痛がするのだろう、彼はストレスを感じた時に頭が痛くなる持病を持っている。そしてその痛みがさらにストレスを呼び起こし、文句が堰を切ったように流れ出る。……だが、さすがに言い過ぎたのだろう。いくらか小声であったとは言えども、もともと私たちは異物。私たちに目をつけていたのは受講者だけではなかった。
「……それほどまでに私のことを嫌うのに、どうしてこの講演会に?」
「……東山」
ついに東山本人が姿を現した。灰色のスーツに身を包んだ彼はわざとらしく腕時計を確かめている。質問をしてきたくせに、泉の方には全く視線を向けていない。意に介していないとでもいうことか。
「あんたに聞きたいことがあるんでな。仕方なく来てやっただけだ」
「聞きたいこと?……申し訳ないが、個人的な質問は受け付けないようにしているんだ。私からの教えを望む者達は大勢いるのでね」
「お前の詭弁に興味はない。……川内真理子。この名前に聞き覚えがあるはずだ」
「もちろん。……彼女に何か?」
「何者かに殺された。そのことについて話をしたい」
泉は周りの者に聞かれないよう小声で、しかし東山には聞こえるようはっきりとそう言った。……しかし。
「……私は忙しいんだ。そんなことよりも、講演の方が大事なんだ。まだ後半の部が残っている。話ならそれからにしてくれないか?」
「人の死よりも金の話の方が大事だと?」
「当然。……私たちは生きているんだ。そして、生きているならば金が要る。死んだ人間に構ったところで金などもらえないだろう。……それは、私にとって『くだらない時間』に過ぎない。……後半も一時間程度で終わる。それまで待っていると良い。公民館の裏口で会うとしよう」
東山はそれだけ言い残して、ホールの中へと戻っていった。……どうやら、彼の周りには私服のSPがいるらしい。彼と泉の会話中にずっと感じていた視線はそれだった。受講者たちは東山の後に続いてホールへとなだれ込んでいく。あれがカリスマというものだろうか。私にはどうにも理解しきれない。
「……とりあえず、下に行きませんか。もう講演会を聞かなきゃならない理由もありませんし」
「そうしよう。……少し休みたい」
私の提案に息つく間もなく泉が賛成する。……彼と東山は本当に相性が悪いのだろう。わずかばかりの会話で、滅多に見られないほど泉が疲弊していた。尾崎としても、講演会をぶち壊してひんしゅくを買うことは避けたかったのか、「下に行くか」と寄りかかっていた手すりから身を起こした。
それから一時間後。一階端の休憩所でたむろしていた私たちのもとに、男性が一人やってきた。
「お待たせしました。東山先生は裏手でお待ちです」
私服のSPが講演会が終わったことを伝えに来てくれた。どうやら秘書のような役割も務めているようだ。彼の言葉を受け、泉が立ち上がる。
「ずいぶんと、待たせてくれたな」
読んで頂きありがとうございました。宜しければ評価・感想のほどよろしくお願いいたします。




