第一話
ネタが思いついたので新作です。タマハミと隔週で更新予定です。
誤字脱字等、ご容赦ください。
あれから三か月が経った。泉たちが暴いた悪事のために、一時期日本政府は史上最大ともいうべき危機に瀕していたが、何とか立て直しに成功し、国民は日常を取り戻し始めていた。解決の立役者である泉は、いつものように事務所で暇を謳歌していた。彼の助手である私、羽田もまた彼と同じように暇を楽しんでいた。
「……平和ですね」
「……ああ」
冬は終わりかけ、春の気配が漂い始めている。今日もまた日差しが暖かく茶を飲みながら平和をかみしめていた時、事務所のドアベルが鳴った。
「また飼い猫がいなくなったのか?」
事務所の近くで居酒屋を営んでいる小林さんのことだろう。彼女はダイという名の猫を飼っているのだが、彼の気性はかなりやんちゃらしく、すぐにいなくなってしまうようだった。好物である鰹節の匂いで簡単につり出せるが、ここらは裏路地が入り組んでおり、人手が欲しくなるのだ。私はすぐさまドアの方へと向かい、鍵を開けた。
「すいません、お時間よろしいでしょうか?」
ドアの先にいたのは小林さんではなかった。艶のある黒い長髪、顔には厚化粧が施されており、それなりの年齢であることをうかがわせる。その上、身に付けている物はあまりにも普通からかけ離れていた。手に持っているのは私でも聞いたことのあるブランドのバッグ、おそらくスマホと財布以外はいらない大きさだ。羽織っているコートには革が使われているように見える。私は彼女が身に着けている物のあまりの高級さに驚き、口をひらけずにいた。
「……あの」
「……ああ、申し訳ありません。ご相談ですよね、どうぞ」
彼女に急かされ、急いで中へと案内する。中では泉が茶を用意して待っていた。彼は手でソファを示し、「どうぞ、お掛けください」という。彼女は「失礼します」と言って腰を下ろした。彼女は出された茶を一口飲むと、「ふう」と小さくため息をついた。彼はそれを合図として、商売を始めた。
「探偵の泉だ。今日は、一体どんな相談で?」
「……最近、誰かに付きまとわれているんです」
「付きまとわれている……。ストーカーということでよろしいですね」
「はい」
「それはいつ頃から?」
「……二週間ぐらい前かと」
「警察へのご相談は?」
「しました。……けど、『民事不介入』と言われて……」
「なるほど。では、いくつか質問を。……ストーカーに心当たりは?」
「……ありません」
「ない?全く?」
泉は困惑したような声をあげた。だが、その訳は私にもよくわかる。……大抵、ストーカーというものは痴情のもつれによって生まれる。一度振られたが諦めきれないといった理由だったり、そもそも勝手に付き合っていると勘違いしていたり。程度は様々だが、恋愛感情が肥大化した結果起きるものだ。しかし、彼女は心当たりについて「ありません」と言い切った。今までに何度かストーカー対処の依頼が舞い込んできたことはあったが、心当たりがないのは初めてのことであった。……泉は戸惑いのあまり聞き返している。彼女はゆっくりと、しかし確かに頷いた。
「……もしかすると、人違いをされているかも知れないな。そのストーカーは、あなたに似ている別の誰かを狙っているが、間違えてあなたが狙われてしまっている、とか」
泉が口にしたのは最もあり得る可能性だ。……ただの人違い。彼女に心当たりがないのなら、そうとしか思えない。彼女はどこか納得していないような表情を浮かべているが、「珍しいことだが、ないわけではない」という泉の言葉を受けて納得したようだ。
「……そうだ。ストーカーがどんな人物か、確かめてみたりとかは?」
「何度かあります。……でも、いつも真っ黒な服を着て、フードまでかぶっているので顔までは……」
「情報はあればあるだけ良い。体格は?」
「普通でした。痩せて過ぎているわけでも、太っているわけでもなく……。肩幅はそれほど大きくなかったはずです」
「……性別は?」
「わかりません。……でも、女である私をストーキングするのなら、犯人は男性なのでは?」
「いや、そうとは限らない。恋人を取られたと因縁をつけて襲ってくる女性というのも、少なからずいる」
「……でも、そんな心当たりはないんです」
それが一番の問題と言えよう。何かきっかけらしきものがあるのなら、そこから調査を始めることができる。しかし、何も情報がないとなれば、まさに霧中。手探りすら危うい。泉もそれが分かっているのか、わずかな可能性にかけ、彼女に質問を続ける。
「職場でトラブルは?」
「……働いてないんです。その、投資の利益だけで今は生活していまして」
彼女は口元をもごもごさせながらそう言った。……確かに、少し言いづらいことだっただろう。泉も「申し訳ない」とすぐに謝意を口にした。彼女の身なりがあまりにも高級な理由が少しだけわかったような気がする。
「では、何か他の人と一緒になるような趣味だったりは?」
「ありません。しいて言えば、週一で友人と食事をするぐらいですが……」
「食事の場所は毎回別の所で?」
「いえ、友人の一人が経営しているレストランがあるので、いつもそこで」
「その日は貸し切りに?」
「いえ、お店の角にある席を空けてもらいますけど、お店ごとは……」
そこまで聞いて、泉は「ふむ……」と腕を組み始める。目を瞑り、深く息を吸う。そして、長く息を吐き「もしかすると……」と前置きした。
「そのお店で、投資のお話などは?」
「し、しました」
「ならば、その時に会話を聞かれた可能性が高い。あなたのその身なり、金が欲しい人物にとってはまさに獲物だ」
「……そ、そんな……」
彼女はショックを受けているが、おそらくこれが結論だろう。今時、「金を持っている」の一言だけで犯罪の被害者になる可能性は十分にある。彼女が何か他人の怒りを買うようなことをしたわけではないのだが、運がなかったというほかない。……彼女はすがるように泉に問いかける。
「その、どうにかなりませんか?狙われている理由が分かったところで、怖いものは怖いままなんです」
「……実害がない以上、警察は動けない。……誰か、男性の知り合いなどは?」
「……いるにはいますけど、あの人はとても忙しいので……。それに、そこまで親しいわけじゃありませんから……」
「ひとまず、今日は俺が自宅まで同行しよう。……明日までに、腕のいい弁護士に話をつけておく。彼と一緒に警察に行けば、近隣の警備ぐらいはしてくれるだろう」
「……あ、ありがとうございます。まさか弁護士まで紹介していただけるとは……」
「気にするな、それが仕事だ。……そう言えば、まだ名前を聞いていなかったな」
「川内真理子です」
泉は川内を連れて事務所から出て行った。近くの駐車場から車が出て行く。どうやら彼女の自宅までは車で送ることにしたようだ。それから約一時間後、泉は戻ってきた。
「お疲れ様です、泉先生。川内さんの様子はどうでしたか?」
「先ほどよりは幾分か落ち着いているようだ。今日の所はこれ以上外出の予定もないと言っていたし、今日は大丈夫だろう。……すまない、電話を掛ける」
泉の電話の相手は谷岡だった。彼は電話口で川内さんの事情を説明している。……先ほどいっていた「腕のいい弁護士」とは、谷岡のことだったのだろう。電話の先から「わかった、引き受けよう」という声が聞こえた。これで、彼女のストーカー被害については一段落といったところか。……翌日、彼女に弁護士の用意ができたことを伝えるため、彼女が住んでいるというアパートに向かった。だが、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
「なんだ、この騒ぎは」
川内が住んでいるというアパートは築五十年以上経っていそうな古臭いアパートであった。屋根や柱などは風雨に晒され、錆びて変色している。二階に上がるための階段も隙間がある鉄製の階段で、人がそこを通るたび、限界とでも言うように耳障りな軋みを鳴らしていた。……そのアパートの前には、人だかりができていた。さらにその奥、二階のとある一部屋のドアは開け放たれており、ドアの代わりに規制線が張られている。その部屋からはスーツに身を包んだ男たちが言ったり来たりしていた。
「……何か、事件でもあったんでしょうか」
「……あの部屋は川内の部屋だ。彼女に何かあったのか?」
昨日、彼女を部屋まで送り届けたため、泉は彼女の部屋の場所を知っていた。……警察が彼女の部屋を出入りしているということだ。泉は足早にアパートへと近づく。群がる野次馬を押しのけ、部屋へと近づこうとしたが、当然だが待ったをかけられる。紺色の制服に身を包んだ警官だ。おそらく近くの交番勤務なのだろう。通報を受けて駆け付け、今は野次馬の対応をしているといったところか。
「離れてください。関係者以外立ち入り禁止です!」
「俺は関係者だ。何があったかは知らないが、川内とは知り合いなんだ。通してくれ」
「駄目です。今は現場検証中なので、誰であっても中に入れることは……」
職務に忠実な警官だ。いくら押しても手ごたえがない。捜査が一区切りするまでここで待つしかないかと踵を返した時、背後から声をかけられた。
「……おい。そいつらは入れていい」
「えっ?……わ、わかりました……」
捜査を主導しているらしい刑事の一声で、私たちは規制線が張られた階段を上り、二階に向かうことができた。上にあがると、険しい顔をした刑事が私たちを出迎える。
「……お前、ここの人と何のかかわりがあるんだよ」
「久しぶりに顔を合わせるというのに、挨拶もなしか。……尾崎」
泉は目の前にいる刑事の名を呼ぶ。……知り合いなのか。困惑する私の表情を読み取ったのか、尾崎と呼ばれた刑事が口を開いた。
「ただの腐れ縁だ。俺、泉、あとは谷岡の三人でいろいろとな。……お前、泉の助手か」
「……あ、はい、そうです。羽田です、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。……こいつは反面教師にはちょうどいい。師事するのはほどほどにしておけよ」
「は、はあ……」
「尾崎。無駄話をする癖は変わらないようだな。……何が起きた?」
泉は尾崎の脱線を咎めると、すぐさま彼女の部屋の入り口に目を向ける。玄関前で蹲っているのは鑑識だろうか。尾崎は小さくため息をつき、簡潔に言い放った。
「殺しだよ。川内が殺されてた」
私たちは尾崎に連れられ、川内が住んでいた部屋へと足を踏み入れた。すでに鑑識は仕事を終えているようで、好きに歩き回っていいらしい。
「ここだ。ここで川内が死んでいた」
尾崎はそう言ってリビングの床を指さす。床に敷かれたカーペットの上、ローテーブルの隣には白いひもが人をかたどっていた。カーペットの一部は血に濡れている。
「死因は?」
「刃物による刺突、失血死だろう」
「……それにしては、争った形跡が見受けられないが」
泉の言うとおり、川内が住んでいた部屋は散らかっていなかった。刃物による刺突ならば、彼女が寝ていない限り抵抗するはずだ。だというのに、カーペットの歪みすらなかった。
「隙をついて殺したのか、それとも薬で彼女を眠らせたのか。そこは解剖してみないとわからない。……それよりも」
尾崎はそう言うと泉を睨みつける。その眼には悪感情よりも疑問が強く映っていた。
「お前たちがここに来た理由をまだ聞いてなかったな。……川内とどこで知り合った?」
「彼女は依頼者だ。ストーカー被害にあっていると相談されてな。今日は警察への相談に同行する弁護士の目途が立ったと報告に来たところだった」
「……ストーカー、か」
そう言えば、川内は昨日、警察にストーカーのことは相談していたと言っていた。彼もストーカーについては知っていたはずだ。……もしかすると、昨日、泉はストーカーに姿を見られていたのではないだろうか。そして奴は目的を達するためにことを急ぎ、その果てに川内が殺されてしまったのではないか。ただの想像に過ぎないが、彼女にストーカーが付きまとっていたという情報がある以上、どうしても疑ってしまう。
「川内さんは生前、警察にストーカー被害を相談していたそうなのですが、尾崎さんは何か知りませんか?」
「……ああ、知ってるよ。けどな、怪我させられたとかの実害がない以上、こっちとしても動けねえ」
「しかし、今回の件にストーカーが関わっているとすれば……」
「無駄なもんは無駄なんだよ、俺たちにはどうにもできなかった。……確かに気持ちは分かるよ、得体の知れない奴が後ろをついてくるってのは気味が悪いよな。……だが、それが何だってんだ?それが何の罪に当たるんだ?ただ帰り道が同じだけかもしれないだろ?……この国には、『推定無罪の原則』ってのがある。要するに、『疑わしきは罰せず』ってやつだ。ただの個人のお気持ちだけで人を犯罪者にできるなんてちゃんちゃら可笑しいし、そんな日が来るもんならこの国はもう終わりだよ」
何が思う所があるのか、尾崎は私の声を遮るようにまくしたてた。……ただ、彼の言うことには一理ある。失言の謝意を示すためにも、黙って引き下がった。
「……とにかく、お前は犯人がストーカーなんじゃねえかって言いたいわけだ。それは分かる。けどな、そうだとした場合、少し面倒なことになる」
「面倒なこと?どういうことですか?」
尾崎は何も言わず玄関に向かっていく。その際、ちらりとこちらを睨みつけたことから「ついて来い」と言いたいのだろう。その意を汲んで着いて行くと、彼はドアの前でしゃがみ込んでいた。
「前提条件として。川内は警察どころか胡散臭い探偵にすら相談するほど、ストーカー被害に困っていたわけだ。そして、彼女にストーキングされる心当たりはないと」
「……いや、心当たりはないが原因は思いついた。投資の儲けだ。月一回の食事会で大きく儲けた話をしたそうでな、それが第三者に聞かれた恐れがある」
尾崎はそのことを知らなかったのか、「へえ」と興味深そうにしていたが、「今は関係ない」と話を引き戻した。
「第三者がストーカーだった場合、川内がドアを開けると思うか?……見ての通り、ドアには無理やり開けられたような跡は残っていない」
「しかし、キーピックさえできれば中に入れるのでは?」
「忘れたか?室内に争った形跡はねえんだ。怪しい方法で入ってきた人間と揉めないわけがない。仮に彼女が寝ていたとしても、人の気配で目が覚めるはずだ」
「……それは可能性の話だろう。彼女は滅多なことじゃ眠りから覚めないことだってあり得る」
「それはお前の言うとおりだが、今回に限っては違うかもな。……犯人は、物盗りだ。リビングの隅にある箪笥、その中から財布と通帳、ハンコなんかも消えていた。仮に川内が何をしても起きないようなら、わざわざ殺す理由がない」
「……ならば、犯人は……。『川内にドアを開けてもらって部屋の中に入った』ということになるな」
ドアには無理やり開けられた痕跡もない。犯人の動機は物盗りのため、目覚めない川内をわざわざ殺す理由もない。……こう考えると、確かに泉の言うとおりだが、引っ掛かることがあった。
「しかし、そうだとすると犯人は……」
「ああ。川内の知り合いってことになる。ストーカー被害で訪問者には相当気を張っていたはずだ。そんな彼女がドアを開ける相手と言えば、親しい間柄でなければならない」
「ですが、宅配業者が相手でもドアを開けることはあるのでは?」
知り合いが犯人というのは、いくら何でも飛躍しすぎている、そう思った。しかし、尾崎はすぐさまそれを否定する。
「今時は置き配とかいう便利なものもあるだろう。いちいちドアを開けることもしないはずだ。……そもそも、彼女が死んでいたのはリビングだ。玄関で殺されたわけじゃない」
「業者が重い荷物を装った可能性だってありますよ。それだったらリビングまで立ち入っても不思議じゃ……」
「……そうとも考えられるが、今回に限っては違う。……物を漁られた形跡も、ほとんど残っていなかったんだ」
「つまり、どういうことですか?」
「川内がどこに貴重品をしまっているか知っている人間でないと、このような現場の状況にはならない」
「……そんな」
ではやはり、泉が言った通り、川内が犯人を部屋に招き入れてしまったということなのだろうか。もしそうだったとしたら、彼女の無念はどれほどの物なのだろう。ストーカー被害にも解決の光明が見え始めていたというのに。
「ショックを受ける気持ちもわかるが、お前たちには関係のないことだ。ここからは俺たち警察の仕事だからな」
「いや……。ストーカー被害の解決を依頼されているんだ。俺たちにも関係はある」
冷たく突き放そうとする尾崎に対し、泉が食って掛かる。尾崎は「あのな……」と言葉を続けようとするが、彼は泉と昔からの付き合いだ。そのため、泉の性格は嫌でも知っているのだろう。すぐに「はあ……」と大きくため息をついて諦めた。
「何を言っても聞かねえよな。まあ、こっちとしても人手は多い方がいいし上には黙っておく。……その代わり、手柄は全部頂くがな」
「好きにしろ、事件さえ解決できればそれでいい。前金はすでに彼女からもらっているしな」
「そうか。……事件の詳しい話をしてやる。リビングで話そう」
尾崎はそう言うと一足先にリビングに向かって歩き出した。私たちもその後に続く。そして私たちはリビングの端にある椅子を借りることにした。
「まず、通報したのは誰なんですか?すっかり聞くのを忘れていたんですが」
腰を落ち着けた私が真っ先に聞きたかったのはそれだ。いつの間にか警察の者達が集まっていたが、彼らを呼んだ第一発見者は一体誰なのだろう。そのような人物は先ほど見受けられなかったが。……聞いてはいけないことを聞いてしまったのか、尾崎は「……ああ、それか」と言いよどむ。だが、詳しい話をすると自分で言った手前、「やっぱなし」ということはできないのだろう。すぐに「それはな」と口を開いた。
「わからないんだ」
「え?」
「は?」
私と泉の声が揃う。通報した者が分からないとはどういうことだ。そんな疑問が口をついて出そうになったが、それよりも早く尾崎が訳を話した。
「公衆電話からだったんだ。確か、『○○アパートに住んでいる川内という女性が死んでいる』って通報が来たんだよ。声は男の物だったらしい」
「……なるほど、追跡も無理か。その通報者が犯人である可能性が高いな」
「俺たちもそう考えてる。今は川内の交友関係を洗っているんだが……」
またもや尾崎の言葉が濁る。川内の交友関係に何か面倒な所があるということか。……住んでいる場所の割には、彼女はずいぶんと裕福な身なりをしていた。趣味のために節制に務めていると言われれば引き下がるほかないが、納得はできない。彼女は投資で儲けていると言っていたが、投資はそれほど安全に稼げるものなのだろうか。……私がぼんやり考え事をしている間に、尾崎は泉に急かされて口を開いていた。
「川内は投資で儲けていると言っていたな。……どうやら、彼女は講習会のようなものに参加していたらしい」
尾崎はそう言って一枚のパンフレットをテレビ台から引っ張り出した。表には「絶対に稼げる」という胡散臭い文字に、小ぎれいなスーツに身を包んだ若い男性がガッツポーズで映っている。裏面には投資の勉強会が行われる会場へのアクセスと、必要な所持品、入場料などの情報が書かれていた。彼女はこれに参加していたのか。
「……入場料一万円……。まともじゃないな。演劇が行われるわけでもないんだろう?」
「さあな。それはこれから調べることだが……。この写真の男、見覚えは……。あるわけないか、お前は世間に疎いからな」
決めつけられて不服そうではあるが、事実知らないのだろう。泉は何も言えずにパンフレットの男を睨みつけている。……どこかで見たような顔だ。
「確か、東山って名前の人でしたっけ。投資で一財産を築いて、今は専用のネットチャンネルで投資のノウハウを教えているとか」
「よく知ってるな。……東山翔太。お前の言うとおり、今は金の話で教室みたいなものをやってるらしい」
東山がどんな人物かわずかながらに分かっただけだが、泉はすでに嫌悪感を隠そうともしていなかった。……彼は金絡みで日弁連から去ることを選んだのだ。直接関係ないとはいえ、彼はまだ金が絡む話を割り切ることはできていない。彼は大きく深呼吸をして、冷静さを保とうとしている。
「……それで、そいつと連絡はついたのか?」
「何を言ってるんだ?なんで東山に連絡を取らなきゃならん」
「川内の友好関係を洗うんじゃなかったのか?」
「……ほんとに何も知らないんだな。東山の講義は大人気でな、受講者は百どころか千にまで及ぶって話だ。そんな中で受講者が一人死んだところで、東山に何の関係があるんだよ」
「……そうだな。悪い、まだ冷静じゃなかったみたいだ。……まず連絡をつけるべきは、月一で食事会をしていたという友人たちか」
彼は動揺をため息一つで吐きだし、すぐに話を続ける。尾崎は「そうだ」と言って頷いた。
「今、川内のスマホを調べているところだ。明日にでも誰と飯を食っていたかはわかるだろう」
捜査の方針は大まかに決まっているようだ。今日はこれ以上できることはないだろう。私がそう考えていた時、泉はカーペットに残った血の跡を見つめていた。
「……なぜ、彼女は殺されたんだろうな」
「……さあな。犯人に聞けばわかることだろ」
尾崎はそう言って席を立つ。もう話すことなどないということか。「帰るぞ。お前らもいつまでもこんなところにいたくないだろう」と急かしてくる。しかし、彼の言うとおりであることに変わりはない。私たちはすぐに席を立ち、玄関から外に出た。
「何かわかったらすぐに連絡する。……他の刑事には話すなよ」
「わかってる。……それじゃあな」
尾崎は覆面パトカーに乗って去っていった。それを見送った私たちも続くように自らの車へと乗り込み、事務所への帰路をたどった。
翌日、午前七時半。私たちは泉のスマホの着信音で目を覚ました。相手は尾崎だ。
『もしもし、まだ寝てたか?もう少し早寝早起きってのを意識すると良いぞ』
「脱線する癖を治せと言ったはずだ。……それより、こんな朝早くからということは、何かわかったんだろう?」
『ああ。川内が友人だって言っていた人物が誰か、大体だが把握できた。これから会いに行くから、お前らも来い』
「……いいのか?部外者だぞ」
『詳しくは後で話すが、人手が足りねえ。……駅前で会おう』
そう言って電話は切れた。泉はすぐに椅子から腰をあげる。
「羽田君、支度を。すぐに出るぞ」
「……こんなに朝早くですか?相手の人にも迷惑なのでは?」
「人が死んでいるんだ、少しの迷惑ぐらい我慢してもらわなければな」
彼はそう言って洗面所へと向かった。私も支度をするために彼の後を追う。七分後、支度を済ませて泉が運転する車に乗り込んだ。駅までの道中、コンビニで朝食を買い、口にする。駅前は通勤通学などの人々であふれかえっていた。駅前の広場近くに車を停め、広場へと歩いていく。特に細かい場所は決めていなかったが、待ち合わせをするのなら大抵このような場所になるだろう。広場の端にあるベンチに腰を下ろすと、泉は尾崎に電話をかけ始めた。……呼び出し音が鳴る中、私は周りを見回す。尾崎らしき人物の姿はない。人を呼びつけておきながら遅刻だろうか。
「……つながらん。忙しいのか?」
泉の方も連絡がつかないと諦めてスマホをしまい、代わりに食べ残していたサンドイッチを取り出した。それを口へ放り込み、緑茶で流し込む。彼が「はあ」と大きく息をつくと、駅の東口がある方から「おーい」と声が聞こえて来た。
「悪い、待たせたな」
「……電車の中だったか」
「ああ、覆面車も今は出ずっぱりでな、仕方なくここまで電車で来たってわけだ」
彼が電話に出なかったのは、彼が電車内にいたからだったからだったということか。彼はそのまま隣のベンチへと座り、手に持っていた天然水のペットボトルの蓋を開ける。そして中身を飲みほし、袖で口元を拭いた。
「飯は食ったか?」
「……ああ、簡単にだが、済ませておいた」
「なら、さっさと行くぞ。……車の用意はあるんだろう?中で話したい」
「わかった」
私たちは尾崎を連れて車内へととんぼ返りした。道案内をする都合上、彼が助手席へと座り、私は後部座席に移った。彼は座席に深く身を預けると、大きくため息をついた。泉は面倒くさそうにしながらも、彼を急かす。
「くつろぐな。……人手が足りない理由はなんだ?」
「……ああ、そのことはな……。昨日、また殺しが出たんだよ。それも二件。……で、てんやわんやってわけだ」
「殺し……。川内の件との関連は?」
「さあな。現在調査中。……さて、話さなきゃならんことは全部話した。早く聞き込みに行こうぜ」
尾崎はそう言ってシートベルトを締めると、一人目の住所を伝えた。泉は何も言わずアクセルを踏み込んだ。
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