第一章 第三幕
■■ 第三幕 紙上談兵 ■■
翌日、拓也たちは町で旅の準備を整えることにした。マーケットには様々な店が立ち並び、乾パンや干し肉などの保存食を買い揃えた。
エリスが干し肉を手に取っていると、健太がふと疑問に思ったことを口にした。「ここには缶詰やインスタント食品みたいなのはないのか?」
エリスは首をかしげた。「それはどのようなものですか?」
拓也が説明を補足した。「缶詰は調理済みの食品や下処理済みの食材を金属の缶に詰めて長期間保存できるようにしたもの。インスタント食品は麺なんかを油で揚げて水分を飛ばしたもので、お湯を注ぐだけで食べられるようにしたものだよ。」
エリスはふわりとしたブロンドの髪を揺らしながら興味深そうに耳を傾けたが、店主は少し笑って答えた。「鉄をそんなことに使うなんて勿体ない。鉄は道具や武器、重要な建築資材に使われる。揚げた麺なんてのも、油が痛んで数日で食べられなくなっちまうよ。」
健太はがっかりした様子でため息をついた。「普通ラノベなら、こういう時に現代科学の知識に感動する展開になるのに、そうはならないんだな…」
拓也は苦笑しながら健太の肩を叩いた。「まあ、現実はそんなもんだよ。」
エリスは優しく微笑んだ。「でも、あなたたちの知識はきっと他の場面で役立つことがあると思います。諦めないでください。」
市場を回りながら、他にも必要な道具や装備を揃えていった。もともと着ていた学生服も山中のドタバタであちこち擦り切れていたので新たな服を購入した。「異世界の服になると、ファンタジー感が増すよな。」と健太ははしゃいでいる。エリスが購入した保存食や水筒、簡易な調理道具などを手に、彼らは次第に旅の準備を整えていった。
拓也たちは先日の大トカゲの襲撃から武器の必要性を感じており、次に向かったのは鍛冶屋だった。店内にはゲームでしか見たことのないような武器が並んでおり、彼らの目を引いた。
「うわ、すごいな。ほんとにこんな武器があるんだ。」健太は感嘆の声を上げながら店内を見渡した。
健太は大剣に憧れて手に取ってみたが、重くてとても扱えそうにない。「これ、めちゃくちゃ重い…無理だな。」健太は苦笑しながら大剣を元の場所に戻した。
「自分に合ったものを選んだ方が良いですよ。」エリスは健太にアドバイスした。彼女は既に護身用の短いナイフを持っており、それを見せながら説明した。「このナイフは護身用ですが、調理にも使えますし、キャンプの時には木を削ったり加工したりするのにも使えます。」
拓也は片手剣を手に取り、軽く振ってみたが、それでもそれなりに重く感じた。なにせ金属バットなんかよりも重いのだから、体を鍛えていない者が扱っても剣に振り回されてしまう。「これも無理だな…」
「俺、中学まで野球部だったから、片手剣ならなんとかなるかも。」健太は再び片手剣を手に取り、少し試してみた後、自信を持って言った。
拓也はダガーを手に取った。軽くて扱いやすい上に、移動の際にも邪魔になりにくいため、これを選択することにした。
立派なひげの大柄な鍛冶屋の店主が彼らに忠告した。「街道沿いは正規兵や民間の自警団が定期的に巡回しているから比較的安全だが、道から逸れたり、夜間になったりすると野盗や野犬、ゴブリンなんかに遭遇する危険がある。気をつけるんだぞ。」
「ありがとうございます、気をつけます。」拓也は礼を言いながら、鍛冶屋の忠告を胸に刻んだ。
「これで準備は整ったな。」健太は片手剣をしっかりと握りしめながら言った。
「うん、行こう。」拓也もダガーを腰に差し、準備が整ったことを確認した。
エリスもナイフを確認し、一行はいよいよハイランドへの旅路へと踏み出そうとした。
………
……
…
鍛冶屋を出ると、町の入口の方が騒がしいことに気づいた。異様な緊張感が町全体に張りつめ、逃げ惑う人々の叫び声が重なる。彼らの眼前に広がったのは、空から襲い掛かる巨大な影だった。
「ワイバーンだ!」自警団の隊員たちが必死に矢を放って応戦していたが、ワイバーンの体表を覆う硬い鱗はそれらを跳ね返し、その鋭い爪で自警団員をなぎ倒していく。
「う、うわあ…!」健太は慌てて後退し、青ざめていた拓也にぶつかり、もつれあって転んだ。突然、もがれた自警団員の腕が鮮血を撒き散らしながら彼らの足元に転がってきた。経験したことのない恐怖に足がすくむ。
そんなふたりの横を鍛冶屋の店主が駆け抜けていった。「縄をかけて落とせ!」と店主は自警団員たちに指示を出す。自警団員たちはワイバーンに鉤縄を投げ、その体を地面に引きずり下ろそうとする。
ワイバーンは激しく暴れ、自警団員たちを空中に浮かせるほどの力を見せつけたが、拓也たちのすぐ近くの地面に衝突した。その隙をついて、店主は大きなメイスを振り下ろし、ワイバーンの頭を打ち砕いた。
「武器は持っているだけじゃあ意味がない。抜かねば死ぬのなら、せめて抜いてから死ね!」店主は返り血をぬぐいながら、拓也たちに向かって言った。
その頃、エリスは負傷し倒れた自警団員の傍らにいた。血で手が汚れるのも厭わず、彼らを治療している。腹が裂かれ臓物が飛び出した自警団員を見た健太は目を背けつつも、急いでエリスの元へ駆け寄った。「こっちの方が重傷だ!早く治療して!」
しかし、エリスは冷静に答えた。「既にお亡くなりになっています。」
「なら、蘇生を!」健太は焦りながら訴えたが、エリスは首を振った。「死者を生き返らせるような神の御業など、我々に使える魔法には存在しません。」
ゲームのように簡単にはいかない、死が現実であることを改めて突き付けられた。生きるためには、現実の厳しさと向き合わなければならないことを痛感した。
「大丈夫か、健太。」拓也は健太の肩に手を置いた。
「うん、わかったよ…死んだら…死ぬんだ。」健太の視線は中空に泳いでいた。
「生き延びるんだ、強くなって。」忙しく負傷者に対応するエリスの姿を目で追いながら、拓也は言った。
………
……
…
戦死した自警団員の葬儀が町の小さな教会で行われていた。拓也たちは遠くからその様子を眺めていた。エリスは体についた血を洗うために近くの川へ行っており、まだこの世界の言葉を充分に学習できていない拓也たちには、周囲の人々が話している内容がわからない。
周囲の話し声が、狼狽えているばかりで何の役にも立たなかった自分たちの無力さを責めるものであるように感じ、拓也には多くの剣を首元に突き立てられているように感じられた。
「普通さ、異世界転移とかだと蘇生魔法があったり、死んでも復活できるスキルがあったり、現代の知識で俺SUGEEEしたり、武術の経験なくても武器さえ持ってれば戦えたり、謎に強いスキルを習得したりして俺TUEEEするもんなのに…」呆けた表情で健太がブツブツと呟いていた。
「どんな本を読んできたか知らないが、現実を見ろよ。」拓也はため息をつきながら言った。「20年も30年も研究や修練してきた人ならいざ知らず、せいぜい10年くらい学校の勉強をやってきただけの高校生が、いきなり異世界で画期的な発明や無双したりなんてできるわけないだろ。エルフとか魔法とかはあるけど、お前が言うようなチート能力はない。それがこの世界のルールなら、その中で何ができるか考えるしかないだろ。」
「こんな無理ゲー、早く帰りたいよ…」人が殺される惨劇を目の当たりにした健太は、すっかり気落ちしてしまっていた。
「帰る方法を探すためにも、この世界のことをもっと知らなきゃいけない。そのためには、俺たちの前にこの世界に転移してきた人たちの足跡をたどる必要もある。」拓也は冷静に言った。
健太の落ち込んだ姿に、拓也は少しイライラしていた。健太の無気力さが、状況をさらに厳しくしているように思えたからだ。
「もう少ししっかりしてくれよ、健太。ここで立ち止まって、この世界で歳とって死んでいくつもりか?」拓也は健太の肩を強く握った。
「わかってる…けど、どうすりゃいいのか…」健太は弱々しく答えた。
「まずはエリスと一緒に、この世界を旅しよう。エルフは異世界転移者の言葉を記録しているくらいだ。なにか手がかりに辿り着けるかもしれない。」拓也は前を向いて言った。
その時、町の人のひとりが拓也たちに何か話しかけてきた。しかし、言葉がわからない。わからないながらも、この世界でエルフを表す「エレム」という言葉は聞き取れた。
「エリスなら体を洗いに川に行ったんだ」と身振り手振りで説明する拓也。
町の人は驚き、腕をくねくねさせながら毒蛇がいることを説明してくる。その意味を察した拓也は急いで川のほうへ走り出した。思考がまとまらない健太は意味がわからず戸惑っていた。
………
……
…
拓也はエリスの向かった川べりへ駆けつけたが、そこにエリスの姿はなかった。焦燥と不安に押しつぶされそうになりながら、大声でエリスを呼ぶ。
エリスを呼ぶ拓也の声の合間に、木陰から物音が聞こえた。その方向へ進むと、「待って!」というエリスの声が聞こえた。生きていることを喜び、声の方向へ向かう拓也。
その木の陰には裸でバッグから服を取り出そうとしているエリスの姿があった。白磁のような透き通った肌があらわになっている。
慌てて後ろを向く拓也。「悪い、川に毒蛇がいると町の人が言っていたから急いで来たんだ。」
自分の身を案じてくれたことに喜びが爆発し、拓也に抱きつくエリス。戸惑いながらも「服を着て」と促す拓也。
裸のままだったことを思い出し、慌てて服を着ながら「川の水で手や服に付いた血を洗っていたら、蛇が近づいてきたのでナイフで仕留めたんです。そのときバランスを崩して川に落ちてしまって…」と説明した。すぐ横の木に首を落とされて血抜きされている蛇がぶら下がっていることに気づいた拓也は、驚きつつも杞憂だったことに安堵した。
「結局、何の役にも立ててないな…」と自嘲気味に言う拓也。
「そんなことありません。ご主人様はわたしの命を救ってくれました。」エリスが拓也の手を握る。
「(エリスを救ったのも、偶然落ちた先に大トカゲがいただけだったし…)」その手の温かさが、自分の不甲斐なさをより際立たせるように感じられた。
そこへ、拓也を追ってきた健太がこっそりと現れ、「人気のないところでイチャつかれると、俺の居場所がなくなるんだが。」と茶化す。
反対に神妙な面持ちで、拓也は言う。「俺たち、ここで生き残るために、もっと強くならなきゃいけない。」
面喰らいつつも健太は黙って頷いた。深いエメラルドの瞳で拓也の決心を見上げるエリス。エリスの手の温もりを感じながら、未来は開かれているものでなく切り開いていかなければならないことを、拓也は改めて心に刻んだ。




