第一章 第四幕
■■ 第四幕 千山万水 ■■
ハイランドへの旅が始まった。道中、彼らはエリスにこの世界について多くの質問を投げかけた。
「エリス、この国についてもっと教えてくれよ。」と健太が尋ねた。
「はい。ガストルディ伯爵領を統治するガストルディ家は120年あまりこの地を治める名門貴族です。広大な領土を持つヴィテーリ帝国の皇帝から、港湾都市ポルトフィオとその周辺地域を拝領したのが始まりとされています。」スラスラと答えるエリスは、幼さを残す見た目に反して博学なようだ。
「昨日の殉死者の葬儀、聖職者みたいな人が取り仕切ってたけど、みんなその宗教を信仰してるのか?」文化や風習を知ることは交流において重要だと考えている拓也は質問した。
「ヴィテーリ帝国の国教は聖天福音教会であり、これは世界を創造した天父を崇める宗教です。」とエリスが答えた。
「じゃあ、帝国内の他の国も同じ宗教を信仰しているのか?」と拓也が続ける。
「はい、ヴィテーリ帝国以外の国々でも聖天福音教会や、そこから分裂した宗教が信仰されています。しかし、一部地域では土着の信仰も残っています。」
「エリスたちエルフの一族は何を信仰しているの?」と健太が興味深そうに聞いた。
「私たちエルフの一族は地精信仰を持ってます。簡単に言うと、精霊が大地にもたらす恵みを享受し感謝するというものです。古くからこの信仰が守られてきました。」
「だからエリスは魔法が使えるんだな。」と拓也が感心したように言った。
「魔法の適性もありますが、信仰の力も大きいでしょう。精霊に感謝し、自然と調和して生きることで、大地に流れる地脈から力を借り、魔法の力も強くなるんです。」エリスは言う。
「エリス、どうしてエルフたちは元々住んでいた土地を離れたの?」と健太が尋ねた。
「周辺国の戦乱が激しくなったことや、農作物に病気が流行して飢饉が発生したことなど、複合的な要因によるものです。南方に構築されつつあったエルフの新しいコミュニティを頼って一族で移住し、エルフの国エレメースラントが建てられました。」エリスが答える。
「国ごと移住するとなると大変だな。」拓也は言った。
「国、とは言っても人口は千人にも満たないのです。エルフは人間に比べて寿命が長いですが、出生率は非常に低く、人口は徐々にしか増加しないのです。」とエリスが言った。
「そんなに少なくて、国として維持していけるのか?」拓也は浮かんだ疑問を投げかけた。
エリスは答える。「むしろ、人口が少ないからこそ脅威とみなされず存続できているというのもあります。帝国の南端と国境を接していますが、エルフの生成する薬や星読みなどを提供することで独立が保障されています。異世界からの転移者との接触記録や収集された言語なども含めて、エルフは多くの知識を蓄積してきました。武力でなく、知識によって生き延びてきました。」
「なるほど。エルフはある意味で、この世界の生きる辞書でもあるのか。」と拓也が言った。
「もしかしたら、神殿に保管されている情報から帰還の方法も見つかるかもしれませんね。」宝石のようなエリスの瞳は、微かに憂いを帯びたようにも見えた。
「エリス、ありがとう。君のおかげで少し希望が持てたよ。」と拓也が感謝の気持ちを伝えた。
………
……
…
エリスは街道脇の木陰で昼食の準備をしていた。干し肉と豆を煮たスープにパンというメニュー。質素な食事だが、旅の途中では贅沢は言えない。そろそろスープも出来上がるという頃、3人の旅人が通りかかった。
「こんにちは、旅の方々。よろしければ一緒に食事をどうですか?」にこやかな表情で長身の男が手に持魚を掲げながら、気さくに話しかけてきた。しかし、その目つきには一寸の鋭さがあった。
それを感知したエリスは警戒を促すように囁いた。「気をつけてください、彼らの意図が不明です。」
拓也たちの側に座ろうという動きを見せるも突如、そのうちの一人が短剣を抜いて突きつけてきた。「金目の物を、全部出せ!命が惜しけりゃな!!」
驚きのけぞりつつも健太が剣の柄に手をかけた瞬間、剣を抜くより先に手首が切り落とされた。同じく襲い掛かられた拓也は、相手の一撃をかろうじてダガーで受け止めることには成功したが、その勢いでよろめいたところに腹を蹴り飛ばされ地面に倒れた。
エリスはすばやく鍋のスープをぶちまけ、斬られて血の流れる腕を押さえてうずくまる健太にとどめを刺そうとしていた男の顔にかけた。さすがにこれは耐えられず、顔を覆ってのたうち回る。態勢を立て直そうとしていた拓也は、その光景に気を取られていた相手に砂を投げつけた。砂が目に入り怯む、その隙に背後にまわり、羽交い締めにしてダガーを首元に突きつけた。
「シロッコさん!!」連中の顔には明らかに狼狽の表情が見て取れた。どうやら3人の中のリーダー格らしい。
睨み合う男たちと拓也の間に緊張が走る。
「…おい。」シロッコと呼ばれた相手が小さな声で言う。「強く…握り過ぎだ…」
何と言っているかわからない拓也。しかし相手に気を向けたことで、抑え込んでいた左手に伝わる相手の胸元の感触が柔らかいことに気づいた。外套のフードを被っていてわからなかったとはいえ、女性の胸を思い切り掴んでいたことに気づき、慌てて離れる拓也。顔を赤らめうずくまる少女は、しかしすぐに立ち上がった。
しまった、と拓也は後悔するが、「退くぞ」とシロッコが宣言し、怒声を浴びせて襲い掛かろうとする他の二人を制した。「けど…」という男たちに、「納得しないなら、私が相手をするぞ。」と冷淡な声の刃を突きつけた。
その威圧に従い、男たちは不満を抱えつつも従った。去り際、シロッコと呼ばれた少女は振り返り、「お…おぼ…覚えてやがれ!!」と叫んだ。耳まで真っ赤だった。
エリスはすぐに健太の腕を治癒促進魔法で繋げた。切断された手首が繋がる光景に、拓也は驚きを隠せなかった。
「綺麗に切断されていたので、なんとかうまく繋がりそうです。さっきの3人は盗賊団でしょう。」とエリスが言った。
「ちくしょう…真昼間から現れるなんて」健太が文句を言うと、エリスは「戦争のため兵が招集されたことで、日常的に行われていた警備活動が手薄になっているのでしょう。」と説明した。
エリスの警告がなければ何の警戒もなく斬り殺されていただろう。形勢を逆転させる機をつくったのもエリスだった。命の危機に直面するような場面に遭遇してこなかった自分たちが、この世界ではいかに容易くカモにされるかを身をもって感じた。
「これ、マジで生きていけんのか…?」拓也はつぶやいた。
………
……
…
「無理だって!こんなん無理ゲーすぎる!」辿り着いた町の宿の食堂、夕食の料理が並んだテーブルで健太は訴えた。「魔物に盗賊に、殺意マックスすぎるだろ!」
「治安のいい中で生きてきたんだ。この世界がそうじゃないなら、それに順応するしかないだろ。」拓也は返した。健太の言うことはわかるが、言っても始まらないことなのだ。「元の世界に帰りたいなら、わずかでもその方法がわかる可能性がある所を目指すしかないだろ。」
エリスに繋げてもらった手首を握りながら、健太は言う。「こんなん、3日ももたないだろ!死んでも少し前の場所にリスポーンできるとかならわかる。そうじゃないのに、ガチ殺しにくるようなヤツらがうじゃうじゃいる中に飛び込んで行けるかよ!」
「推理モノの死にフラグみたいなの立てるのやめろよ。じゃあ、この町に残るか?町の中でもワイバーンとか襲ってきたろ?」パンをちぎりながら拓也は言う。「進めば地獄、止まっても地獄なら、進むしかないだろ。」
ふたりのやり取りを聞いていたエリスが口を開く。「すみません。私が剣術などお教えすることができれば良かったのですが…」
申し訳なさそうなエリスに拓也は言う。「エリスが気に病むことはないよ。そもそもエリスがいなければ、言葉もわからない、金も無い俺たちはどのみち碌なことにはなってなかったろうし。」
拓也の慰めにやや表情の晴れたエリスは、思い出したように「そうです。これをおふたりにお渡ししておきます。」といいながら鞄から2冊の本を取り出した。
差し出された本の表紙には、可愛らしい2匹の子犬の絵が描かれている。「何?これ。」と拓也が聞く。
「先日宿泊した町で購入したものです。子ども向けの国語の教科書ですが、おふたりが私たちの言葉を勉強するのにちょうど良いと思いまして。」エリスは答える。
パラパラとめくってみると、日本語訳やポイントについてのコメントなどがぎっしりと書かれていた。
「これ、一日二日でこんなに書き込んだのか?」拓也が驚きの表情を見せるとエリスは「頑張りました!」といつになくドヤ顔を見せた。「戦闘面でお教えできることはあまりないので、せめてこれくらいはと思いまして。」
やはり控えめなところのあるエリスに拓也は言った。「なるほど武力でなく、知識で生きてきたエルフらしいな。でも無理はしないでくれよ。睡眠削って作ってくれたんだろ?」
拓也の労りの言葉に満面の笑みを浮かべるエリス。「はい、頑張ります!」との返事に「いや、わかってないだろ…」と拓也は苦笑した。
「あーあー、お優しいですねぇ。その優しさの半分でも俺に向けてくれよ。」と不貞腐れた顔で本をめくりながら健太が言う。
「どこの風邪薬だよ。」拓也は軽くツッコミを入れたはしたが、役にも立たずにどの口がと内心で思わずにはいられなかった。
………
……
…
雷鳴轟く教室の中で、青ざめ立ち尽くしていた玲奈はハッと我に返る。制服のポケットからスマホを取り出し、電話をかけようとする。
「ええ…110番?119番?こういう場合どっちよ!」震える手で操作して、110番に通報した。
「事件ですか?事故ですか?」落ち着いた口調の応答だが、玲奈の頭の中は混乱していた。
「え?事件?えっと…事件なの?これ…事故…?」目の前で同級生が消失したのだ、それを事件か事故か判断するのが困難なのは無理もない。その動揺を察した相手は、優しく語りかける。「大丈夫ですよ。まずは落ち着いて、何があったか状況を教えてください。」
その声に促されて玲奈は何とか説明しようとする。「えっと…なんかよくわからない機械をいじってたら、急に光って…友達がふたり、消えちゃって…」
「機械に巻き込まれたのですか?」と聞くオペレーターに玲奈は返す。「違うの!急に光って…ああ、でも、爆発したとかじゃなくて、でもそれでふたりとも居なくなっっちゃって…」
「その機械はまだ動いていますか?」よくわからない説明をする少女を落ち着かせようと、柔らかな声で尋ねる。
「えっと…動いてない…と思います。」恐る恐る機械に近づいて様子を見ながら玲奈は答えた。
「わかりました。警察官を現場へ向かわせます。そちらの住所を教えてください。」と落ち着いた声で促す。
「え?…住所?えっと…どこ?住所…わかんない…。第一です。第一高校の南棟の校舎!の4階!」あたりを見渡しウロウロと歩き回り、教室のドアを開けながら玲奈は言った。
「はい、南区の第一経済高校、その南棟4階、ということで間違いないですか?」断片的な言葉を拾って特定してくる。
「そう!そうです!4階の突き当り、奥から2番目の教室です!」答えながら薄暗い廊下を見渡した玲奈の視界に、ふたつの影が横たわっているのが見えた。雷光に照らされたその影を見て、駆け出した。
「拓也!健太!」廊下に倒れているふたりに、玲奈は必死で呼びかけた。先ほどまでと変わらぬ姿で、しかし眠るよう倒れているふたりからは何の反応もなかった。スマホからオペレーターが呼びかけている声は、玲奈の耳には届いていなかった。雷雨の音が響く廊下で、玲奈はふたりに声をかけつづけた。




