浜辺へ
「……今の、何?」
咲の声が、静かな教会の前に響いた。
蓮も祐希も、扉を見つめている。
一ノ瀬だけが、何かを知っているような顔をしていた。
「先生」
蓮が一ノ瀬を見る。
「今、教会の中から音がしましたよね?」
「……古い建物だ」
一ノ瀬は淡々と答えた。
「風で何かが動いただけだろう」
「でも……」
咲が不安そうに教会を見る。
一ノ瀬は小さく息を吐いた。
「この教会は、長い間使われていない」
「じゃあ、どうして入っちゃいけないんですか?」
祐希が尋ねる。
一ノ瀬は少し黙った。
「危険だからだ」
「何が危険なんです?」
「建物そのものだ」
一ノ瀬は教会を見上げる。
「床が腐っている場所もある。天井だっていつ崩れるか分からない。中に入れば怪我をする可能性がある」
祐希が腕を組む。
「……それだけか?」
一ノ瀬は答えなかった。
その沈黙が、逆に答えのように感じられた。
蓮は一ノ瀬を見つめる。
「悟のことも、同じように危険だったんですか?」
一ノ瀬の目が動いた。
「……どういう意味だ」
「先生は悟の目を見たとき、すぐに俺を止めました」
蓮は続ける。
「まるで、あれを知っていたみたいに」
一ノ瀬は黙っている。
「紫色の目……あれは何だったんですか?」
「分からない」
「本当に?」
「ああ」
一ノ瀬は蓮から視線を逸らさなかった。
「医学的に説明できるものではなかった」
その言葉に、三人は黙り込んだ。
「だからこそ、これ以上余計なことをするな」
一ノ瀬が言った。
「悟の死についても、教会についても」
「……どうしてですか?」
咲が尋ねる。
一ノ瀬は少しだけ声を落とした。
「知らないほうがいいこともある」
蓮は納得できなかった。
だが、一ノ瀬の表情を見ていると、それ以上問い詰めることもできなかった。
「……俺たちが調べることで、誰かに迷惑がかかるってことですか?」
「そういうことだ」
一ノ瀬は短く答えた。
「お前たちは昔からこの島で暮らしていた。だからこそ、余計なことに首を突っ込まないほうがいい」
蓮は俯いた。
七年前。
女の子が消えた。
そして今、悟が死んだ。
二人の出来事が偶然だとは思えない。
それでも――
一ノ瀬の言葉には、無視できない重みがあった。
「……分かりました」
蓮が言った。
「今日は、やめます」
「蓮先輩……」
咲が驚いたように見る。
「大丈夫です」
蓮は小さく笑った。
「教会に入るのは、今日はやめましょう」
祐希も教会を見上げる。
「……本当にいいのか?」
「はい」
「納得してねえだろ」
「してないです」
蓮は正直に答えた。
「でも、今は入るべきじゃない気がします」
一ノ瀬は何も言わなかった。
ただ、少しだけ安心したように見えた。
「それでいい」
一ノ瀬が言う。
「今日はもう帰れ」
三人は教会を離れることにした。
蓮は最後に一度だけ振り返った。
古びた教会。
錆びた十字架。
閉ざされた扉。
そして――
胸元にある、古い鍵。
蓮は無意識にそれを握った。
「……絶対、何かある」
小さく呟く。
「何か言いました?」
咲が振り返る。
「何でもないです」
蓮は首を振った。
三人はそのまま、教会を後にした。
***
しばらく歩くと、木々の間から海が見えてきた。
波の音が少しずつ大きくなる。
やがて三人は、以前集まった浜辺へ戻ってきた。
夕方の海は、赤く染まり始めていた。
「……やっぱ海は落ち着くな」
祐希が砂浜に座り込む。
「さっきまで教会にいたから余計ですね」
咲も少し離れた場所に腰を下ろした。
蓮は海を見つめた。
子どもの頃。
五人で遊んだ場所。
悟。
咲。
祐希。
そして――
あの女の子。
「……なあ」
祐希が口を開いた。
「俺たち、昔ここで何してたっけ?」
「急にどうしたんですか?」
「いや……」
祐希は海を眺める。
「今日、墓地で変な名前を見ただろ」
「不死川と常盤ですか?」
咲が答える。
「ああ」
祐希は砂を指でなぞる。
「なんか引っかかるんだよな」
蓮も黙っていた。
不死川。
常盤。
なぜか、その二つの名前が頭から離れない。
そして、胸元の鍵。
悟の紫色の目。
消えた女の子。
教会。
すべてが、少しずつ繋がり始めているような気がする。
それなのに――
一番大事なところだけが、見えない。
「……今日はもう帰りますか?」
咲が言った。
蓮は海を見ながら答えた。
「いや」
「え?」
「もう少しここにいよう」
蓮は砂浜の先を見つめた。
「昔のことを、もう一度思い出したい」
咲と祐希は、何も言わなかった。
三人は並んで海を眺めた。
波が寄せては返す。
その音の中に――
遠い昔の記憶が、少しずつ蘇ってくる。
そして蓮はまだ知らなかった。
この浜辺で、
七年前に消えた少女について、
三人が忘れていた「ある記憶」が眠っていることを。




