親友が残した言葉
――数日後。
風見蓮次の葬儀が執り行われた。
静かな式場には、一ノ瀬先生と千鶴、そして俺と千咲の姿があった。
祭壇に飾られた遺影の中で、蓮次はいつもの不気味な笑みを浮かべていた。
今にも「いやぁ、みんな暗い顔してるねぇ♪」なんて言いながら、起き上がってきそうだった。
けれど、そんなことは起こらない。
「……蓮」
背後から声をかけられ、振り返った。
千鶴さんが、静かに立っていた。
「千鶴さん。怪我は大丈夫?」
「なんてことないよ。もう平気」
千鶴おばさんは、いつものように穏やかに笑った。
だが、俺はどうしても気になっていた。
あのとき、蓮次は確かに千鶴さんを刺した。
それなのに、千鶴さんは今、こうして俺の目の前にいる。
「……蓮次は、どうして千鶴さんを刺したんだ?」
「さあね。最後まで、何を考えているのか分からない子だったよ」
千鶴さんは、墓前の花へ視線を向けた。
「蓮や千咲、祐希が逃げたあと、あの子はすぐに私の手当てをしてくれたの」
「……え?」
思わず聞き返した。
「自分で刺しておいて、手当てをしたのか?」
「そう。それから、一ノ瀬先生のいる教会まで私を運んで、治療をしてもらったんだよ」
俺は言葉を失った。
あいつは、千鶴さんを刺した。
けれど、殺そうとはしなかった。
それどころか、すぐに手当てをして、一ノ瀬先生のもとへ連れて行ったという。
いったい、何のために?
「……本当に、分からない奴だな」
「ふふっ。そうだね」
千鶴さんは、小さく笑った。
「ただね、どこか蓮に似ているとも思ったよ」
「……は?」
思わず声が裏返った。
「どこが?」
「そうだねえ。自分のことより、誰かのために無茶をするところかな?」
「いや、全然似てないだろ!」
俺は即座に反論した。
「あいつと一緒にするなよ。俺はあんなに人を振り回さないし、意味もなく笑ったりもしない!」
「あら、そうだったかねえ?」
「そうだよ!」
千鶴さんは、楽しそうに目を細めた。
「ふふっ。まあ、そういうことにしておこうか」
「……絶対、納得してないだろ」
俺はため息をついた。
けれど、少しだけ胸の奥が軽くなった気がした。
蓮次のことを、こうして話せる人がいる。
それだけで、救われる気がした。
「それで、千鶴さんは、そのあとどうしたんだ?」
俺が尋ねると、千鶴さんは再び墓前へ目を向けた。
「蓮次って子にね、家に戻るのは危険だからって言われたんだよ」
「危険……?」
「そう。信用していいのかは分からなかったけど、私は教会の地下に残ることにしたんじゃ」
俺は眉をひそめた。
あのとき、蓮次は何を考えていたのだろう。
千鶴さんを刺したのも、手当てをしたのも、教会の地下に残るよう勧めたのも。
すべて、何か目的があってのことだったのか。
それとも、本当に気まぐれだったのか。
「……それから?」
「しばらくして、蓮次って子がいなくなったの。入れ違いになるように、高尾正樹さんが教会にやって来たんじゃよ」
千鶴さんの表情から、笑みが消えた。
「一ノ瀬先生が人質に取られてね。正樹さんは、私からいろいろと聞きだそうとしたんじゃ。」
「一ノ瀬先生が……人質に?」
「うん。ただ、何を話したのか、私はあまり覚えていないんだ」
「覚えていないって……どういうこと?」
「どうしてだろうね。あのときのことは、ところどころ記憶が曖昧なんじゃ」
千鶴さんは、困ったように笑った。
「何か大切なことを聞いた気もするんだけどねえ……」
「それとあの子は、祐希のために正樹さんを庇ったんじゃろ?」
俺は黙り込んだ。
「そう...ただ何故ああなったのか記憶が...」
あの光のあと、俺たちの記憶には欠落が生じていた。
それは千鶴さんも例外ではないらしい。
いったい、何が消えたのだろう。
そして、何が残っているのだろう。
答えは、まだ見つからない。
「……蓮次」
俺は、遺影を見つめた。
最後にあいつが何を考えていたのか。
どうして正樹さんを庇ったのか。
その答えを知っているのは、俺だけなのかもしれない。
蓮次は、最後に俺たちのことを友達だと言った。
その言葉を思い出すたび、胸が締めつけられた。
「……またな」
小さく呟き、俺は頭を下げた。
*
葬儀が終わった頃、世間では二つの大きなニュースが連日報じられていた。
一つは、高尾正樹の逮捕。
正樹さんは、複数の自衛隊員を殺害した容疑で身柄を拘束されていた。
そして、もう一つ。
高尾祐希。
祐希先輩もまた、蓮次を殺害した容疑で逮捕されていた。
あの日、祐希先輩が放った銃弾。
それが蓮次の命を奪ったという事実は、変わらない。
たとえ、蓮次が正樹さんを庇うために飛び出したのだとしても。
誰が悪かったのか。
誰が正しかったのか。
俺には、簡単に答えを出すことができなかった。
テレビでは、事件の全容について連日報道が続いていた。
しかし、研究施設のことも、島で何が起きたのかも、表に出ることはなかった。
そして、もう一つのニュース。
世界を包み込んだ、正体不明の光。
日本だけでなく、世界各地で同じ現象が観測されていた。
光は地球全体を覆ったとされている。
だが、その発生源も、原理も、目的も、何一つ解明されていなかった。
各国の研究機関が調査を進めていたものの、決定的な手掛かりは見つかっていない。
世界中の人々が、あの日の光について語っていた。
しかし、その正体を知る者は誰もいなかった。
――少なくとも、世間ではそう考えられていた。
ニュースを見終えた瞬間、蓮に記憶が流れ込む
*
――薄暗い部屋。
窓はなく、壁は灰色のコンクリートで覆われていた。
天井の隅には監視カメラが設置され、赤いランプが絶えず点滅している。
俺は、その部屋に監禁されていた。
食事は決められた時間に運ばれ、必要最低限の会話以外、誰とも言葉を交わすことはなかった。
逃げ出そうとしたこともある。
扉を叩き、監視員に食ってかかったこともある。
だが、そのたびに俺は押さえつけられ、抵抗する意味がないことを思い知らされた。
そして、何よりも俺を苦しめていたのは、この部屋から出られないことではなかった。
――未来が、見えることだった。
目を閉じれば、いくつもの光景が脳裏に浮かぶ。
見覚えのある教室。
懐かしい島の風景。
そして、いつも決まって最後に現れる光景。
血の気を失った悟の顔。
動かなくなった身体。
俺の知らない場所で、誰にも看取られることなく死んでいく親友の姿だった。
「……クソッ!」
俺は壁を殴った。
鈍い痛みが拳に走る。
そんなことをしたところで、未来が変わるわけではない。
分かっている。
それでも、認めることができなかった。
「どうしてだよ……」
俺は両手で顔を覆った。
「どうして、どの未来を見ても悟が死んでしまうんだ……!」
未来を変えようとした。
悟を救うために、何度も違う選択を試した。
あいつに危険を知らせた未来。
あいつを研究から遠ざけようとした未来。
俺自身が何も知らないふりをして、すべてを放り出した未来。
あらゆる可能性を探した。
何か一つでも違う選択をすれば、悟を救えるのではないか。
そう信じて、何度も未来を見た。
だが――。
どの道を選んでも、最後には同じ結末が待っていた。
悟は死ぬ。
何度繰り返しても。
どれほど足掻いても。
地獄のような未来は、決して変わらなかった。
「……俺は、お前を守れないのか?」
返事などあるはずがない。
それでも俺は、そこにいるはずの悟に問いかけるように呟いた。
「なあ、悟……。どうすればいいんだよ……」
あいつと過ごした日々が、次々と脳裏をよぎる。
くだらないことで笑い合ったこと。
何でもない話を、いつまでも続けていたこと。
いつかまた四人で集まろうと、当たり前のように話していたこと。
その当たり前が、もう二度と戻らない。
俺は、それを知っていた。
未来を変える力があるのなら、何でもできると思っていた。
だが、現実は違った。
未来が見えることと、未来を変えられることは同じではない。
過去に干渉できるといっても、少しの物質を送り込むその程度だ。
それに、干渉できる回数も限られている。
俺には、何もできなかった。
「……悟、すまない」
声が震えた。
「ごめんな……」
何度も未来を見た。
何度も救おうとした。
それでも、あいつは死ぬ。
もう、これ以上は無理だった。
俺は悟の死を、諦めるしかなかった。
いや――。
諦めたくなかった。
それでも、諦めるしかなかった。
未来を変えられないのなら、せめて、あいつが死んだ理由だけでも真実を知って前に進めるように。
誰が悟を殺したのか。
なぜ、あいつが死ななければならなかったのか。
「……俺が、悟を殺したんだ」
ぽつりと、言葉が漏れた。
俺が未来を変えられなかったから。
俺が、あいつを守れなかったから。
直接手を下したわけではない。
それでも、俺にはそう思えてならなかった。
「ごめんな、悟……」
俺は、顔を上げた。
天井の隅にある監視カメラを見つめる。
赤いランプは、相変わらずこちらを見下ろしていた。
俺の言葉も、表情も、すべて記録されているのだろう。
ならば、利用できる。
俺はゆっくりと立ち上がり、扉へ近づいた。
「……すみません」
しばらくして、扉の向こうから監視員の声が返ってきた。
「何だ」
「お願いがあります」
「今さら何を言っている」
「もう、抵抗はしません」
俺は自分でも驚くほど落ち着いた声で告げた。
「これから先、一切抵抗せずに研究に協力します。だから……一通だけ、手紙を書かせてくれませんか」
短い沈黙があった。
「手紙?」
「ええ。個人的なことです。研究とは関係ありません」
「誰に送るつもりだ」
「……友人に」
嘘ではなかった。
悟に届けるための手紙ではない。
それでも、俺が書こうとしているのは、間違いなくあいつに関わる手紙だった。
監視員はしばらく考え込んでいたが、やがて扉を開けた。
「余計なことを書くな。見ているぞ」
「分かっています」
俺は頷いた。
机と紙、それから一本のペンが用意された。
監視員は部屋の隅に立ち、俺の手元を見張っている。
天井の監視カメラも、こちらを向いたままだ。
研究のことは書けない。
未来のことも書けない。
この場所で何が行われているのか、誰が何を企んでいるのか。
そんなことを少しでも書けば、すぐに疑われるだろう。
俺はペンを握り、何でもない手紙を書くように、ゆっくりと文字を綴った。
――竹中悟が死んだ。
葬儀の日付、そして集落の名前
その事実を、書き残した。
真相を確かめるために、俺は必ず島へ帰る。
それだけは、決して諦めない。
俺は手紙に、自分の住んでいるアパートの住所を書き記した。
まるで、誰かが俺宛てて手紙を送ってきたかのように見せるために。
自分が書いた手紙だと悟られないように。
そして、最後に。
俺はペン先を紙に押し当てた。
小さく、目立たないように。
文章の中に紛れ込ませるのではなく、手紙の隅に、ただ四つの数字を書いた。
――八、一、二、四。
8124。
この数字が何を意味するのか。
それは、未来の俺だけが知っていればいい。
いや、違う。
未来の俺が、いつか思い出せるように。
俺自身が、すべてを諦めてしまわないように。
この数字だけは、残しておきたかった。
俺はペンを置き、手紙を見つめた。
もう、悟を救うことはできないのかもしれない。
俺が見た未来は、あまりにも残酷だった。
それでも――。
「……俺は、まだ生きている」
俺もつ手紙は光を伴い消えていった。
そして――。
いつか、お前の死に、意味を見つけるために...
*
「なんだ今の?」
激し頭痛が俺を襲った。
*
葬儀を終えた俺と千咲は、悟の実家に向かった。
玄関で出迎えてくれた悟の両親は、俺たちの姿を見ると、少し驚いたような表情を浮かべた。
「……蓮くん」
「こんにちは」
俺は深く頭を下げた。
「俺、島根に戻らないといけません。最後に悟るに挨拶しておきたくて...」
「ありがとう、あの子もきっと喜ぶわ」
悟は、急性心不全で亡くなった。
けれど、俺の中で悟を死なしたのは自分だと言う気持ちが離れない。
7年も会わなかった罪悪感なのか、それとも...
そんな思いを抱えながら、俺たちは仏壇の前に座った。
線香に火をつけ、そっと手を合わせる。
写真の中の悟は、いつものように真面目な顔をしていた。
「……悟」
俺は、目を閉じた。
「ごめんな」
返事はない。
それでも、心の中では、あいつの声が聞こえたような気がした。
――蓮、遅いぞ。
そんなふうに、少し怒った声で。
俺は目を開け、静かに息を吐いた。
「悟の部屋、もう一度見せてもらってもいいですか?」
「ええ。もちろん」
悟の母親が頷いた。
俺と千咲は、二階にある悟の部屋へ向かった。
*
扉を開けると、机に、本棚。
使い古された椅子。
そこには、悟が生きていた頃の面影が残っていた。
「……変わってないな」
俺は部屋を見渡した。
机の上には、一台のスマートフォンが置かれていた。
「悟のスマホ……」
手に取る。
当然、電源は切れていた。
俺は充電器を探し、コンセントに差し込んだ。
しばらくすると、画面に明かりが灯る。
しかし、ロックを解除しようとすると、四桁のパスワードを求められた。
「パスワードか……」
俺は考え込んだ。
誕生日だろうか。
それとも、何か意味のある数字なのだろうか。
いくつか候補が頭に浮かんだものの、どれもしっくりこなかった。
そのときだった。
なぜか、ある数字が頭に浮かんだ。
――八一二四。
理由は分からない。
ただ、その数字を入力しなければならないような気がした。
俺は迷わず、四桁の数字を打ち込んだ。
ピッ。
ロックが解除された。
「……え?」
思わず声が漏れた。
隣にいた千咲も、驚いたように画面を覗き込む。
「蓮先輩、どうして分かったんですか?」
「……俺にも分からない」
スマートフォンの中には、写真も、動画も、保存されたデータもほとんど残っていなかった。
まるで、必要なものだけを残して、ほかはすべて消してしまったかのようだった。
そして、一つだけ。
メモのアプリに、タイトルが残されていた。
『蓮へ』
「……俺に?」
俺は指先を止めた。
恐る恐る、そのメモを開く。
そこには、文字が並んでいた。
*
『蓮へ』
蓮、元気にしてるか?
ずっと心配してた。
五人での思い出、毎日のように思い出すよ。
あの頃は、本当に楽しかったな。
何でもないことで笑って、くだらないことで喧嘩して。
いつまでも、あんな日々が続くと思ってた。
でも、どうやらそうはいかないみたいだ。
********************
だから俺は死ぬと思う。
だけど、前を向いて歩いてくれ。
まあ、七年もほったらかした友達の死に落ち込んだりなんかしないか(笑)。
俺は親友だと思ってるけどな。
長々書くのはやめるよ。
蓮、元気に生きろよ。
あと、父さんと母さんに謝っといてくれ。
両親より先に死ぬ親不孝者だ。
謝っても謝り切れない。
*
俺は、画面を見つめたまま動けなくなった。
途中の文章は、文字化けしていた。
何度読み直しても、意味を理解することはできない。
ただ、その前後に書かれている言葉は、はっきりと読めた。
「……悟」
声が震えた。
あいつは、自分が死ぬことを分かっていたのだろうか。
なぜ、俺にこんなメッセージを残したのだろう。
どうして、七年という時間が出てくるのだろう。
そして――。
「……五人って、誰のことだよ」
俺は、思わず笑った。
「俺たち、そんなにいたっけ? はは……」
笑おうとした。
いつものように、冗談で返そうとした。
けれど、うまく笑えなかった。
頬を伝う涙を、止めることができなかった。
俺の記憶と、悟の残した言葉。
そこには、いくつもの食い違いがあった。
思い出せない何かがある。
けれど、何が欠けているのかさえ、分からなかった。
それでも、一つだけ確かなことがあった。
悟は、最後まで俺を心配してくれていた。
七年もの空白があっても。
俺が何も知らずに生きていても。
それでも、あいつは俺を親友だと呼んでくれた。
「……ごめんな、悟」
スマートフォンを握り締める。
「俺、お前の分も必死に生きるよ」
涙が、次から次へと溢れた。
もう、返事を聞くことはできない。
もう、あの頃のように一緒に笑うこともできない。
それでも、悟が残してくれた言葉は、確かにここにあった。
俺は、しばらく顔を上げることができなかった。
*
やがて、俺は涙を拭い、悟の両親のもとへ戻った。
そして、スマートフォンに残されていたメモの内容を伝えた。
悟が最後まで俺を心配していたこと。
親友だと思っていると、書き残していたこと。
そして、両親に謝ってほしいと願っていたこと。
悟の母親は、静かに涙を流した。
「……あの子らしいわね」
父親もまた、何も言わずに俯いていた。
俺は深く頭を下げた。
「……悟の分まで、俺、生きます」
それが、今の俺にできる精いっぱいの言葉だった。
*
家を出ると、穏やかな風が吹いていた。
空は青く、どこまでも広がっている。
千咲が、そっと俺の手を握った。
「蓮先輩……」
「……大丈夫」
俺は、涙を拭って笑った。
「大丈夫だよ、千咲」
そう答えても、胸の奥にはまだ痛みが残っていた。
悟が残したメモ。
そこに書かれていた、いくつもの謎。
思い出せない五人の記憶。
そして、文字化けした文章。
覚えていること、覚えていない事記憶が混同している。
けれど、今の俺には、前を向いて歩くことしかできなかった。
悟が望んでくれたように。
俺は、生きていく。
大切な人たちと。
この先の未来を。
――必死に、生きていくために。




