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Myosotis 〜すべてを忘れるために〜  作者: こんにゃくミ(こんにゃイカ)


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幾千に咲く花 千咲

挿絵(By みてみん)

パンッ!


 銃声が教会に響き渡った。


「蓮先輩っ!」


 咲が叫び、俺のもとへ駆け寄ってくる。


 直後、肩に焼けるような痛みが走った。


「っ……!」


 銃弾は俺の肩をかすめ、背後の壁へと消えていった。


 血が滲む。


 だが、それだけだった。


 致命傷ではない。


「蓮先輩! 大丈夫ですか!?」


「……ああ。大丈夫だ、咲」


 駆け寄ってきた咲を見て、俺はどうにか笑みを浮かべた。


 けれど、咲の顔からは血の気が引いていた。


 目の前で蓮次が死んだ。


 そして今、俺まで失いかけた。


 彼女にとって、これ以上の恐怖はなかったのかもしれない。


「……よかった」


 咲の瞳から、涙がこぼれ落ちた。


「本当に……よかった……」


 彼女の手が、俺の肩に触れる。


 俺はその手を握り返した。


「咲。俺は大丈夫だから」


「……はい」


 咲は小さく頷いた。


 俺たちは、互いの手を強く握り合った。


 その瞬間だった。


 ――ふわり。


 咲の長い黒髪が、微かに揺れた。


「……え?」


 最初は、炎の光が反射しただけだと思った。


 しかし、違った。


 彼女の髪の先から、白い光が溢れ始めたのだ。


 黒かった髪が、一本、また一本と色を失っていく。


 やがて、そのすべてが純白へと変わった。


 いや、ただ白くなったのではない。


 髪そのものが、眩い光を放っていた。


「咲……?」


 俺は彼女の顔を見つめた。


 咲自身も、何が起きているのか分かっていないようだった。


 それでも、握り合った手だけは離さなかった。


 彼女の瞳に、白い光が映り込む。


 その光は、少しずつ強くなっていった。


 教会を包んでいた炎の赤さが、霞んでいく。


 銃を構えていた隊員たちが、次々と動きを止めた。


 正樹も、律も、狂介も。


 そして、祐希先輩も。


 誰もが、目の前で起きている現象を理解できずにいた。


「……何だ、これは」


 正樹が呟いた。


 その声すら、光の中に溶けていく。


 咲は俺の手を握り締めたまま、ゆっくりと目を閉じた。


 そして。


 彼女の唇が、小さく動いた。


「……不老不死に関わる全てを、忘れて そして争いのない世界を...」


 それは、祈りだった。

挿絵(By みてみん)


 誰かを傷つけるための力ではない。


 誰かを支配するための力でもない。


 もう二度と、誰かがこの研究のために犠牲にならないように。


 もう二度と、誰かが大切な人を失わなくて済むように。


 そして、もう二度と、こんな悲劇が繰り返されないように。


 咲は、願った。


 その願いに応えるように。


 彼女の髪から溢れ出した光が、一気に膨れ上がった。


 *


 光は、教会を呑み込んだ。


 壁も、床も、天井も。


 燃え盛る炎さえも、眩い白に包まれていく。


 そして、光は教会の外へと飛び出した。


 山を越え、海を渡り、島全体へと広がっていく。


 燃え上がる森も。


 赤く染まった夜空も。


 逃げ惑う人々も。


 島のすべてが、光に包まれた。


 それだけではなかった。


 光は海の向こうへと広がり続けた。


 日本列島を包み込み、さらに海を越え、国境を越えていく。


 大地も、海も、空も。


 あらゆる場所に、光が満ちていった。


 やがて、その光は地球そのものを包み込んだ。


 地球の裏側まで。


 誰も知らない遠い国まで。


 人々が眠る街も、戦火に晒された土地も、静かな森も。


 世界中のすべてが、白い光に覆われていく。


 それは、まるで世界そのものが、一瞬だけ息を止めたかのようだった。


 *


 次の瞬間。


 白い光が、形を変え始めた。


 無数の光の粒が集まり、細い茎を描き、青い花弁を広げていく。


 ひとつ。


 また、ひとつ。


 その光景は、世界中で同時に起きていた。


 やがて光は、ひとつの花の姿へと変わった。


 青い花弁。


 小さな黄色の中心。


 どこか懐かしく、儚く、それでいて確かな存在感を持つ花。


 ――ミオソティス。


 勿忘草。


 その名が示すのは、忘れないということ。


 けれど、今この瞬間だけは、忘れることが救いになる。


 人々が抱えた憎しみも。


 誰かを犠牲にしてでも手に入れようとした欲望も。


 不老不死という名の呪いも。


 それらすべてが、光の中へと溶けていった。


 *


 教会に満ちていた光が、ゆっくりと消えていく。


 俺は、恐る恐る目を開けた。


「……え?」


 最初に目に入ったのは、青だった。


 あれほど激しく燃えていた炎が、跡形もなく消えていた。


 焼け落ちるはずだった木材も、崩れ落ちかけていた壁も、まるで何事もなかったかのように静まり返っている。


 天井から降り注いでいた火の粉もない。


 煙すら、どこにも見当たらなかった。


 そして。


 教会の床一面に、青い花が咲いていた。


 祭壇の周囲にも。


 長椅子の隙間にも。


 割れたステンドグラスの破片を覆い隠すように。


 小さな青い花が、無数に咲き誇っていた。


 数百では足りない。


 数千もの勿忘草が、教会の中を埋め尽くしていた。


 その花弁は、柔らかな光を受けて、静かに揺れている。


「……なんだよ、これ」


 祐希先輩が、呆然と呟いた。


 律は銃を構えたまま、動けずにいた。


 狂介からも、いつもの笑い声は聞こえない。


 正樹は、ただ立ち尽くしていた。


 先ほどまで彼が求めていたもの。


 人類を不老不死へと導く研究。


 そのために積み重ねてきた犠牲。


 すべてが、今、この瞬間に終わったのかもしれない。


 俺は、隣にいる咲を見た。


「……咲?」


 彼女の髪は、まだ白いままだった。


 けれど、先ほどまでの眩い光は消えていた。


 咲は、自分の手を見つめていた。


 何かを確かめるように。


 何かを思い出そうとするように。


 そして、ゆっくりと顔を上げた。


「……蓮先輩」


「ああ」


「私……何か、大切なことを……」


 咲の声が、震えた。


 俺は何も答えられなかった。


 彼女が何を忘れさせたのか。


 どこまでの記憶が失われたのか。


 そして、この光が世界に何をもたらしたのか。


 俺には、まだ分からなかった。


 ただ、ひとつだけ。


 咲が願った瞬間、世界は確かに変わった。


 俺は、足元に咲く勿忘草を見つめた。


 千咲。


 彼女の名前にある、一つの花。


 まるで、その名に導かれるように。


 この教会を埋め尽くすほどの青い花が、静かに咲いていた。


 ――千の花が、咲く。

挿絵(By みてみん)


 それは、彼女の名そのもののようだった。


 俺は咲の手を、もう一度握り締めた。


 何が起きたのか、まだ分からない。


 これから何が待っているのかも、分からない。


 それでも。


 今だけは、この手を離したくなかった。


 青い花々に囲まれた教会で、俺たちはただ、静かに立ち尽くしていた。


 不老不死の研究など、断片的な記憶の欠落。


 世界を変えた少女の願いが、どこまで届いたのかも知らずに。

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