最後の悪戯
祐希は、ゆっくりと右手を動かした。
服の内側から取り出したのは、一丁の拳銃だった。
律との戦闘の際、隙を見てこっそりと盗んでいたものだ。
祐希は、その銃口を父親へと向けた。
「……みんな、ごめんな」
静かな声だった。
蓮が振り返る。
「祐希先輩……?」
「これは、俺が解決しないといけないことなんだ。俺が……親父を止めないといけない」
祐希の手は震えていた。
それでも、銃口が逸れることはなかった。
目の前にいるのは、紛れもなく自分の父親だ。
幼い頃、どんな顔をしていたのか。
どんな声で自分を呼んでいたのか。
今となっては、思い出すことさえ難しくなっていた。
それでも、父親であることに変わりはない。
「祐希先輩、やめてください!」
咲が悲痛な声を上げた。
「正樹さんを止めるなら、私の能力で記憶を改ざんしましょう! 研究のことを忘れさせて、もう二度とこんなことをしないようにすれば……そうすれば、きっと――」
「咲、止めるな」
祐希が遮った。
「……でも!」
「俺は、研究を忘れて止まった親父も許さない」
祐希は正樹を見据えた。
「記憶をいじって、研究のことを忘れさせる? そうすれば、親父は何も知らない人間に戻って、俺たちはみんな仲良く暮らせるってか?」
自嘲するような笑みが浮かんだ。
「それとも、俺の記憶すら変えて、全部なかったことにしてハッピーエンドってか?」
咲は、言葉を失った。
「……そんな未来、くそくらえだ」
祐希の目から、涙がこぼれ落ちた。
「俺は、親父が何をしたのか知ってる。親父がどんな人間になったのかも、もう分かってる。なのに、記憶を書き換えて、何も知らなかった頃に戻るなんて……そんなの、俺が納得できねえんだよ!」
拳銃を握る手に、力がこもる。
「俺の手で親父を殺して……俺も死ぬ」
「祐希先輩!」
「そうじゃないと、納得できねえんだよ……!」
祐希の叫びが、礼拝堂に響き渡った。
正樹は、動かなかった。
銃口を向けられているというのに、息子を見つめたまま、ただ静かに立っていた。
「……撃て」
「……っ!」
「お前にできるのなら、撃ってみろ」
正樹の声は、冷たかった。
「お前が俺を殺したところで、研究は終わらない。俺がいなくなっても、誰かが必ず引き継ぐ。未来で一人でも多くの人間を救うためにな」
「黙れ……」
「祐希。お前には、何もできない」
「黙れよ……!」
「お前は、昔から――」
「黙れぇぇぇっ!!」
祐希の指が、引き金を引いた。
「やめてっ!!」
咲の悲鳴。
「祐希先輩、やめろっ!!」
蓮の叫び。
そして――。
銃声が、教会に響き渡った。
乾いた音が、礼拝堂の壁に反響する。
一瞬、時間が止まったかのようだった。
誰も動けなかった。
祐希は、目を見開いたまま、拳銃を握り締めていた。
「……え?」
目の前で、何かが起きている。
理解できない。
理解したくない。
祐希の視線が、ゆっくりと正樹へと向けられた。
正樹は、立っていた。
そして、その目の前には――。
「……蓮次?」
蓮の声が、かすれた。
正樹の前に、風見蓮次が立っていた。
蓮次の身体が、ゆっくりと傾く。
胸元から、赤い血が広がっていた。
銃弾は、心臓を貫通していた。
「……お前、なんで……?」
祐希の手から、拳銃が落ちそうになる。
「なんで、お前が……!」
蓮次は、ゆっくりと振り返った。
いつもの不気味な笑みは、そこにはなかった。
ただ、少し困ったような顔をしていた。
「……あーあ」
蓮次は、口元から血を流しながら、かすかに笑った。
「祐希ちゃん……撃つなら、ちゃんと狙わなきゃ……♪」
「ふざけんなよ……! なんでだよ! なんで、庇ったんだよ!」
祐希が叫ぶ。
蓮次は答えなかった。
その身体が崩れ落ちるより早く、蓮が動いた。
「祐希先輩、銃を!」
蓮は祐希の手から拳銃を奪い取り、すぐさま安全を確保して床へと置いた。
それから、倒れかけた蓮次の身体を支えようと駆け寄る。
「蓮次! おい、しっかりしろ!」
蓮次の身体は、驚くほど冷たかった。
再生能力を持つはずの身体。
どんな傷を負っても、たちまち塞がっていくはずの身体。
それなのに。
胸の傷は、塞がらなかった。
血は止まらず、蓮次の呼吸は浅くなっていく。
「……あれぇ」
蓮次は、自分の胸元を見下ろした。
「これ……ちょっと、まずいかもねぇ……」
「喋るな! 傷が……おい、なんで塞がらないんだよ!」
蓮が必死に傷口を押さえる。
だが、どうすることもできなかった。
蓮次の再生能力は、銃弾によって貫かれた心臓を修復できない。
あるいは、修復する時間すら残されていないのか。
蓮には分からなかった。
「蓮次さん……!」
咲が駆け寄り、膝をついた。
「そんな……どうして……」
祐希は、立ち尽くしていた。
自分が撃った。
自分の手で、引き金を引いた。
正樹を殺すつもりだった。
それなのに、倒れたのは蓮次だった。
「……俺が……」
祐希の唇が震える。
「俺が、撃ったんだ……」
正樹は、目の前で倒れた蓮次を見下ろしていた。
その顔からは、いつもの冷静さが消えていた。
「……蓮次」
小さな声だった。
誰に聞かせるつもりもない、かすかな声。
しかし、蓮次の耳には届いていた。
蓮次は、残された力を振り絞るように顔を上げた。
視線の先にいるのは、正樹。
自分を拾い、鍛え、戦うための人間に育て上げた男。
決して優しい人間ではなかった。
愛情を言葉にすることもなかった。
それでも、蓮次にとっては――。
失った親の代わりに、自分を育ててくれた存在だった。
血の繋がりはない。
親子と呼べるような関係でもなかったのかもしれない。
けれど、蓮次の中には確かに、正樹に対する特別な感情があった。
だからこそ、今までどれほど残酷な命令を受けても、彼のもとにいた。
だからこそ、正樹を裏切ったあとも、完全に憎み切ることができなかった。
そして今。
自分が命を懸けて庇った男が、目の前にいる。
「……ねえ、高尾っち」
蓮次は、かすれた声で呼びかけた。
正樹の肩が、わずかに揺れる。
「……なんだ」
「……親子で、殺し合うなんて……」
蓮次の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「……一番、つまんないよ……」
息が途切れそうになる。
それでも、蓮次は最後の力を振り絞った。
「……な、親父……」
その言葉を聞いた瞬間。
正樹の目が、大きく見開かれた。
「……っ」
蓮次は、笑っていた。
いつものように、ふざけるように。
まるで、今にも「冗談だよ♪」と続けそうな顔で。
しかし、その声はもう出なかった。
蓮次の身体から、力が抜けていく。
「……蓮次?」
正樹が、初めて一歩踏み出した。
だが、蓮次は答えない。
「……おい、蓮次」
正樹の声が、わずかに震えた。
蓮は、蓮次の身体を支えながら、必死に呼びかける。
「おい! 蓮次! 目を開けろ!」
咲は口元を押さえ、涙を浮かべていた。
祐希は、床に膝をついた。
「……ごめん……」
声にならない声が、漏れる。
「……ごめん、蓮次……俺……」
何度謝っても、取り返しはつかない。
自分が引き金を引かなければ。
蓮次が、正樹の前に飛び出さなければ。
こんなことにはならなかったのかもしれない。
教会の中に、誰の声も響かなくなった。
燃え盛る島の炎が、ステンドグラス越しに赤い光を差し込ませている。
その光の中で、正樹は蓮次を見つめていた。
自分が育てた男。
自分が戦うための道具として鍛えた男。
そして、いつしか本当の息子のように思っていた男。
その男が、自分を庇って倒れている。
「……蓮次」
正樹は、震える手を伸ばした。
しかし、その手は蓮次に触れる直前で止まった。
何をすればいいのか、分からなかった。
命令なら、いくらでも下せた。
研究のためなら、どんな犠牲も正当化できた。
だが、目の前で失われようとしている命を、どうすれば救えるのか。
正樹には、分からなかった。
そして蓮もまた、理解していた。
未来を変えるために、ここまで来たはずだった。
夢で見た未来を覆し、仲間たちを救うために。
それなのに今、目の前で、一人の仲間が命を落とそうとしている。
未来は変わった。
だが、その変化が必ずしも、望んだ結末に繋がるとは限らない。
蓮は、蓮次の身体を強く抱き締めた。
「……頼むから……」
声が震える。
「……死ぬなよ、蓮次……」
しかし、蓮次はもう答えなかった。




