暴かれた真実
教会の扉が、軋んだ音を立てて開いた。
四人は、慎重に内部へと足を踏み入れる。
薄暗い礼拝堂。
並べられた長椅子。
壁に飾られた十字架。
そして、正面にある祭壇。
その前に、一人の男が立っていた。
高尾正樹。
地下施設で研究を指揮し、数え切れないほどの犠牲を生み出してきた男。
祐希の父親であり、蓮に実験薬を注射した張本人。
正樹は四人の姿を確認すると、わずかに目を細めた。
「……蓮次。なんでお前がそいつらと一緒にいる?」
責めるような視線が、蓮次へと向けられる。
しかし、蓮次はいつもの調子で肩をすくめた。
「いやぁ、いろいろあってねぇ♪」
「……まあいい」
正樹は、あっさりと興味を失ったように視線を外した。
「そいつらを連れてきた。それだけで十分だ」
「……何?」
蓮が眉をひそめる。
正樹は、祭壇に置かれていた古い書物へと手を伸ばした。
「不死川洋文の書記を読んだよ」
「……っ!」
蓮の表情が変わった。
不死川洋文。
戦時中、不老不死の研究に関わっていた男。
そして、蓮の血筋に繋がる人物。
その書記には、研究の経緯や一族に隠された真実が記されていたはずだった。
「まさか……読んだのか?」
「そうだ。お前たちが隠していたものを、ありがたく読ませてもらったよ」
正樹は薄く笑った。
その瞬間、蓮次が呆れたように頭を掻いた。
「もしかしてさぁ、書記を隠さなかったの?」
「……え?」
咲が、小さく声を漏らした。
蓮次は三人を見回す。
「いやいや、だってあれって、研究の根幹に関わる重要な資料でしょ? そんなものを置きっぱなしにするなんて、さすがに不用心すぎない?」
その言葉に、咲の顔が青ざめた。
「……そう、でした」
咲は、唇を噛み締めた。
「私たち……真実を知って、すぐに千鶴さんに会いに行こうとして……」
防空壕で見つけた箱。
その中に収められていた、不死川洋文の書記。
自分たちは、そこに記された真実に衝撃を受け、千鶴に会うことばかりを考えていた。
書記を持ち出すことも。
箱を隠すことも。
その重要性を考えれば、当然すべきだったはずなのに。
「……箱を、そのまま置いてきてしまいました」
咲の声が震える。
さらに、もう一つの事実が頭をよぎった。
防空壕の入り口。
自分たちは、そこを閉じることすら忘れていたのだ。
知られてはならない書記。
その保管場所。
そして、そこへ至る入り口。
三人は、重大なミスを犯していた。
「……なるほどねぇ」
蓮次は苦笑した。
「そりゃ、高尾っちに見つかるわけだ」
「……くそっ」
蓮は拳を握り締めた。
自分たちの不注意が、敵に情報を与えてしまった。
しかし、正樹が知ったのは、書記の内容だけではないはずだった。
正樹は、祭壇の前から一歩踏み出した。
そして、蓮と咲を交互に見つめる。
「不死川蓮」
蓮の肩が、ぴくりと動いた。
「そして――常盤千咲」
「……っ!?」
咲が息を呑んだ。
礼拝堂に、重苦しい沈黙が落ちる。
不死川蓮。
それが、自分の本当の名前なのだとしたら。
それ自体は、書記を読んだ正樹なら知っていてもおかしくない。
だが、問題は咲だった。
常盤千咲。
なぜ、正樹がその名前を知っている?
書記に記されていたのは、不死川家と常盤家の研究に関する情報だ。
咲が鷹宮家の娘として育てられたこと。
そして、本当の名前が常盤千咲であることまで、正樹が知っているとは限らない。
蓮は、正樹の顔を見つめた。
――おかしい。
何かが、決定的におかしい。
「……どうして、咲の名前まで知っている?」
蓮が問いかける。
正樹は答えなかった。
ただ、愉快そうに口元を歪めている。
その表情を見た瞬間、蓮の脳裏に一つの可能性が浮かんだ。
「……まさか」
蓮の視線が、正樹の背後へと向けられる。
教会の祭壇。
その足元にある、古びた床。
この教会には、地下へと続く場所がある。
そして、そこには――。
「高尾っち」
蓮次が、笑みを消して尋ねた。
「千鶴おばさんを、どこにやった?」
正樹は、ゆっくりと顔を向けた。
そして、何のためらいもなく指を下へ向ける。
祭壇の足元。
そのさらに下。
地下へと続く場所を。
「……ここだよ」
蓮の顔から、血の気が引いた。
地下牢。
一ノ瀬透が囚われている、あの場所。
千鶴もまた、そこにいるというのか。
蓮次は、しばらく正樹を見つめていた。
その口元から、いつもの笑みが消えている。
「……へぇ」
たった一言。
しかし、その声には明らかな怒気が滲んでいた。
正樹は、それを気にも留めずに続ける。
「一ノ瀬を人質に脅したら簡単に吐いてくれたよ。さあ蓮くん、咲くん。お前たちは、黙って俺に従え」
その声は、妙に穏やかだった。
まるで、これから起きることがすべて決まっているとでも言いたげに。
「もうすぐ研究は完成する。ここまで来たんだ。今さら邪魔をされるわけにはいかない」
「……ふざけるな」
蓮が低く呟いた。
正樹は、蓮の怒りなど意に介さない。
「お前たちには、まだ果たしてもらわなければならない役目がある。」
その言葉を聞き、祐希が一歩前へ出た。
「……親父」
正樹の視線が、息子へと向けられる。
「なんでこんなことをするんだよ!」
祐希の声が、礼拝堂に響き渡った。
「人を殺して、人体実験をして……島まで燃やして! そこまでして、何を手に入れたいんだよ!」
祐希は、拳を握り締めた。
「俺は親父が何を考えているのか知りたい! こんなことをしてまで、完成させなきゃいけない研究なのかよ!」
正樹の表情が変わった。
それまで浮かべていた薄い笑みが消え、冷たい眼差しが祐希を射抜く。
「……黙れ」
「親父……」
「黙れ、できそこない!」
正樹の怒声が、教会全体に響き渡った。
祐希は唇を噛み締め、父親を睨みつける。
「……親父。なんで、そこまでして研究を完成させようとするんだよ」
正樹は、しばらく祐希を見つめていた。
やがて、深く息を吐く。
「……祐希。お前に、俺たちの何が分かる?」
「……え?」
「目の前で仲間が、いとも簡単に殺されていく。昨日まで隣で笑っていた人間が、次の瞬間には二度と動かなくなる。そんな世界を、お前は知っているのか?」
正樹の声は低かった。
怒りをぶつけるというより、長年胸の奥に押し込めてきたものを吐き出すような声だった。
「俺たちは所詮、捨て駒だった。俺の親父も、兄貴もそうだった」
祐希の表情が変わる。
「俺たちは、他国の紛争地に派遣された。命令は、食料を現地の人間に届けることだった。戦うためじゃない。人を救うために行ったんだ」
正樹は、祭壇の前で拳を握り締めた。
「だが、俺たちが食料を届けた相手に殺された」
教会に、重い沈黙が落ちた。
「親父も、兄貴も……帰ってこなかった」
正樹の表情に、わずかな歪みが浮かんだ。
「俺は、そいつらを殺した。仲間を殺した奴らを、一人残らずな」
その言葉に、咲が息を呑む。
正樹は構わず続けた。
「その後、この研究の存在を知らされた。不老不死が実現すれば、兵士は簡単には死ななくなる。戦場で仲間を失うことも、無意味に命を捨てることもなくなる。そう考えた俺は、自分から志願したんだ」
正樹は祐希を見据えた。
「この島で研究を完成させるために、俺はすべてを捧げてきた。どんな犠牲を払ってでも、必ず完成させると決めたんだ」
「……だからって!」
祐希が声を荒らげる。
「だからって、その研究のために殺される人間がいるのは仕方ないっていうのかよ!」
正樹は答えなかった。
祐希の怒りを受け止めるように、ただ黙って立っていた。
長い沈黙。
やがて、正樹はゆっくりと口を開いた。
「……誰かが手を汚さなければならない」
「……っ」
「未来で、一人でも多くの人間を生かすために」
その声には、揺るぎない覚悟があった。
「俺は、そのためにここにいる。たとえ今、何人の命を犠牲にしようとも、研究を完成させる。それが、俺にできることだ」
祐希は、父親を見つめたまま動かなかった。
父が何を経験し、何を失ってきたのか。
その一端を、初めて知った。
けれど、理解できることと、許せることは違う。
「……親父」
祐希は、震える拳を握り締めた。
「親父が苦しんできたのは分かった。仲間を失いたくないって気持ちも……分からないわけじゃない」
正樹の目が、わずかに細まる。
「でも、だからって、今ここにいる人たちを犠牲にしていい理由にはならないだろ!」
祐希の声が、再び教会に響いた。
「未来で一人でも多くの人間を生かしたいなら、今、目の前にいる人間を救えよ! 未来のためだなんて言いながら、何人もの命を奪って……そんなの、間違ってるだろ!」
正樹は何も答えなかった。
ただ、息子を見つめていた。
やがて、その表情から、わずかに残っていた感情さえ消えていく。
「……そうか」
正樹は静かに呟いた。
「ならば、お前も俺の敵だ」
その言葉を聞き、祐希は拳を握り直した。
もう、父親に分かってもらおうとは思わなかった。
今、自分がすべきことは一つ。
この男の暴走を止めることだ。
たとえ、それが父親であっても。




